第23話 反逆

 まず最初にあったのは、自分をつかむ幼い手。 


 「とっても綺麗な髪の色ね。わたくしの大好きなあの花に似ているわ。

  …決めた!あなたの名前はマリーゴールド。お友達に…なってくれる?」


 話しかけてくれた、優しくあどけない声。



 次に訪れたのは冷たく静かな無限の闇。

 無機の身体はあの狭いひつぎの中で、あなたと共に朽ちていくだけのはずでした。

 だけどこの目はもう一度目覚めたのです。

 別の世界で、自由に動ける手足を得て。





 マリーゴールドは何をするでもなく、とぼとぼと庭園を歩いていました。またお茶会の準備の催促さいそくでしょうか。先程からどこかで舞胡蝶姫まいこちょうひめが呼んでいる気配がします。彼女の役割は徒花姫あだばなひめたちのメイド。いつもだったらすぐに駆け付けるところですが、不思議と今はそんな気にはなれません。


 (嫌ですわ。わたくし…ついに壊れてしまったのかしら。)


 何気なくよぎった考えに、彼女は自分で失笑してしまいました。何を馬鹿なことを。最初から自分は失敗作だったというのに。


 (歯車としても欠陥品だなんてね。我ながら本当にどうしようもありませんわ。…でもまさか、あの真面目なあの子がねぇ…。)


 マリーゴールドはランのことを考えていました。ランが百花姫ひゃっかひめに絵本の秘密を教えたことは、彼女にとってとても意外な事でした。大人しく、いつでも真面目で純真で、自分とは正反対のランが、歯車としての役割を超えてそんな禁忌きんきおかすなんて信じられなかったのです。サンクチュアリのあらゆる秘密は、徒花姫たちには口外こうがいしてはならないことになっています。なぜなら絵本の秘密は彼女たち全てを揺るがしかねないのですから。


 (門番にでもバレたらどうなるかわかりませんのに…、そんな危険を冒した上に大切な人まで失うなんて…おろかですわ。愚かですが…)


 それでもまっすぐな瞳で「彼女の力になりたかった」と言ってのけたランが、マリーゴールドにはどうしようもなくまぶしく感じられたのでした。

 


 気が付くとマリーゴールドはドレッサーの館の前に立っていました。彼女は古びた石造りの大きな建物を気が済むまで見上げた後、今度ははっきりと意志を感じる強い足取りでその中に入っていきました。


 (…ならばわたくしも、もう我慢しませんわ。)


 マリーゴールドはもともと徒花姫たちをサンクチュアリに呼び込むことへは反対でしたが、門番の少女がそれを始めてしまった以上、歯車として従わなければならないと思っていました。それが彼女に刻み付けられた本能のようなものだったのかもしれません。口ではいくら門番に悪態をつこうとも、根本的に逆らうことは許されない。

 今の今までは、ランも同じだと思っていました。


 (だけど違った。…ああ、本当はずっとずっとこうしたかった…!)


 マリーゴールドは螺旋らせん階段を駆け上がり、最上階に隠された固く閉ざされた扉の前に立ちました。大げさなほどいかめしい錠前は、かつて門番に命じられて彼女自身が取り付けたものです。それを魔法で取り出した大きなつちで扉もろとも粉砕すると、床に壊れた鎖が飛び散るより先に部屋の中へ駆け込みました。このことはすぐに、門番の少女に感知されてしまうでしょう。チャンスは一瞬。それより早く!


 がらんとした部屋の中にはガラス張りのひつぎが一つ。敷き詰められた鮮やかな花々に囲まれて、顔を布で隠された長い髪の少女が横たわっています。マリーゴールドはその蓋をこじ開けて、少女の傍らに置かれた絵本を手にとり、中をめくりました。


 「マリーゴールド!何をしているのです!」


 背後についに門番の少女が現れました。マリーゴールドは素早く振り返ると歪んだ笑みを浮かべて言い放ちます。


 「見ればわかるでしょう?わたくしはこれから“怒る”んですのよ。数百年分ね。」



 次の瞬間、大量のページが宙を舞いました。門番の少女は何が起こったのかわからず無言で立ち尽くしていましたが、しばらくしてマリーゴールドが本を破り捨てたのだと理解すると、普段の落ち着いた姿からは想像もできないような愕然がくぜんとした表情になりました。マリーゴールドは一瞬はっとしましたが、すぐに何も気づかなかったかのようにいつもの軽薄そうな態度に戻ります。


 「あら、情けないお顔だこと。もっと怒り狂って頂いてもよろしくてよ?」


 庭園のメイドはそのまま後ろへ飛びのくと、殺風景な部屋に一つだけある薔薇窓に体当たりして叩き割りました。そして色鮮やかなガラスの破片が降り注ぐ中、壊れたような高笑いを上げながら真っ逆さまに下へと落ちていきます。


 「…うふふ…あははは!!いい機会ですわ…思う存分やりあおうじゃありませんか、門番!!」


 地の底から鳴り響くような音と共に、ぐらぐらと足元が揺れ始めました。門番の少女はフラフラと窓に近付き、身を乗り出して下を見ましたが、マリーゴールドは大量のクッションを自分の周りに呼び出し姿をくらませてしまったようです。きっともう森の中にでも逃走してしまったのでしょう。


 「そんな……」


 門番の少女はもはや隠すことなく焦燥しょうそうの表情を浮かべ、部屋の中央にあるひつぎに駆け寄りました。そして中の少女が相変わらず微動だにせず眠り続けているのを確認すると、荒い呼吸でその場にずるずるとうずくまります。


 動揺のあまりうまく身体に力が入りません。しかしその瞬間辺りが急に暗闇に包まれると我に返って顔を上げました。先程の地鳴りや揺れといい、マリーゴールドが本を破ったせいで、異変が生じているのは明らかでした。


 「……早くあの絵本を取り返して元に戻さなければ…!」


 門番の少女は立ち上がるとマリーゴールドと同じように窓から飛び降り、夜の闇に消えました。


                             

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