第21話 花を散らす方法

 「私の父は園芸家で、花好きの王妃様の庭園の管理を任されるほどの腕前だった。小さい頃からそんな父の姿を見ていた私は、自然と植物に興味をもって、植物をじっくり研究したいと思うようになったんだ。」


 おもむろに立ち上がり、硝子ガラスの向こうの景色を眺めながら話し始めた百花姫ひゃっかひめを、ランは固唾かたずをのんで見守っていました。いつもは飄々ひょうひょうとした雰囲気の彼女が、なんだか消え入りそうなほどに儚く感じられます。


 「だけどお父様は、私を応援してはくれなかった。いくら頑張っていろいろな研究成果を出して見せても、“女には無理だ”と言って取り合ってくれなかった。それなのにちゃっかり私の研究を自分の手柄として発表したんだ。全くひどい話だろう?」


 百花姫はからからと笑いましたが、ランはとてもそんな気になれずうつむきました。


 「だから私はここへやってきた。思いっきり植物の研究をするために。……だけど最近は、新種を作っても以前のような感動がないんだ。どうしてなのかずっと考えていた。」


 「…答えが出たのですか?」


 「ああ。」


 ランの言葉に振り向いた百花姫は肩をすくめて笑いました。


 「つまるところ、単刀直入に言えば、私はお父様に認めてもらいたかったんだよ。男とか女とかそういうの抜きにして、ただ同じ…植物にたずさわる者として認めてほしかっただけなんだ。ひもいたら実に幼稚で恥ずかしい理由だろ?私は心底自分にがっかりしたよ。」


 ランは百花姫をじっと見つめ、震える声を絞り出します。


 「だから、植物の研究をもうやめると?」


 「うん、ごめん。」


 「…でも、植物のことは好きですよね?」


 勇気を出して紡いだその言葉は、初めて出会ったとき、悩みを打ち明けたランに彼女が掛けてくれた言葉でした。お互いの呼吸音さえ聞こえるくらいの静かで長い沈黙の後、百花姫はかすれた声で言いました。


 「ごめんね。もう、わからないんだ。」


 青い顔をしてよろよろとその場にへたり込んでししまったランを、百花姫は優しく抱きしめました。ランにとってそれは何百年かぶりの誰かの体温。優しいぬくもりでした。


 「初めて出会った時、君はこの青い薔薇を見ていたね。」


 百花姫は自分の髪に付いている一番大きな青薔薇をおもむろに取り外してじっと見つめました。


 「お父様は私のことを時々“青薔薇”と呼んでいた。青薔薇は彼の中で存在しないもの、ありえないものの象徴しょうちょうで……そう呼ぶことで私を見ない振りしたかったのかもしれない。だけど私はそれならば、青薔薇がありえないなんて思い込みをくつがえして目にもの見せてやりたくて…。だからこれは、サンクチュアリに来た頃の私の決意のあらわれなんだ。」


 百花姫は懐かしむような口調で穏やかに話しながら、青薔薇をランの帽子に飾り付けていきました。


 「君の帽子、なんだか少し寂しいから、花でも飾ったらどうかと前から思ってたんだ。とても素敵になったよ。よかったら受け取ってくれないか?」


 百花姫がどこか遠くに行ってしまうような気がして、ランは思わず彼女の顔をじっと見つめました。降り注ぐ日差しが硝子ガラスに反射して、海の泡のようにきらめく部屋の中。あの時の空気、香り、温度、今でもランは先程のことのように全てありありと思い出すことができます。


 百花姫はランの手を取り、優しく微笑みました。


 「ラン、お願いだ。こんな役目を背負わせてしまって、本当にすまないと思っている。だけど、どうか教えてほしい。私という徒花あだばなを、優しく散らす方法を。」














 「……ラン。」


 突然話しかけられて、ランは飛び起きました。昔のことを思い出しているうちに、いつの間にか机に伏して眠ってしまっていたようでした。なんだか長い夢を見ていたように、頭がぼうっとしています。部屋の入口にたたずんでいる誰かの姿を、百花姫と一瞬見間違えるほどに。 


 「マリーゴールド…、なぜここに…。」


 しかしマリーゴールドの表情にはいつものような軽薄さはありません。彼女は少し迷って一つの問いかけを口にしました。


 「…百花姫に絵本の秘密を教えたのは、あなたですの?」


 ランは答えず黙って立ち上がりましたが、マリーゴールドは言葉を続けます。


 「彼女が消滅したのは、わたくしがあなたに本の秘密を教えた直後でした。状況的に考えればやはりあなただと思うのですが、百花姫はあなたのことをよく可愛がっていましたし、あなたもとても慕っていたように思いますわ。だからどうしてもわかりませんの。あなたはなぜそんなことを…」


 「彼女が、消滅を望んだからさ。」


 言葉を遮って、ランは答えました。


 「私はただ…彼女の力になりたかったんだ。」


 ランはマリーゴールドの横をさっとすり抜けて、建物から出て行きました。取り残されたマリーゴールドは何かを考えるようにしばらくじっと俯いていましたが、しばらくすると無言で外に出て行きました。


 見回すとサンクチュアリのそこらじゅうで、新種の植物を見ることができます。それらは百花姫が遺した子供たちを、ランが大切に育てここまでやしたものでした。


 「…馬鹿みたいですわ。力になりたかった、ですって?」


 メイドは一言そう吐き捨てると空を仰ぎました。全てを見守ってきたはずの空は、何も知らないように穏やかな色をしていました。



(第五章へつづく)

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