第19話 二人の日々

 「向こうの世界では花はすぐにれてしまう、というのは本当ですか?」


 植物たちの世話をしながら、庭園を二人で歩き回っていた時のことです。唐突とうとつに尋ねてみると、百花姫ひゃっかひめはきょとんとした顔でランを見つめました。


 「…そうか、君にとっては永遠に花が咲き続ける方が当たり前なんだね。私はこちらに来た時、一番驚いたことかもしれないがなぁ。」 


 「丁寧に世話をしていても枯れてしまうのですか?…なんだか少し寂しいですね。」


 ランの言葉に、百花姫は微笑みながら首を横に振りました。


 「そんなことはない。はかなさも花の魅力の一つさ。」


 「儚さが…魅力?」


 「そう。すぐ散ると知って、それでも咲きほこる強さと儚さ。命をほとばしらせた一瞬のきらめき。私はそれにかれるけどね。」


 ランはむむむと難しい顔をしました。


 「よくわかりませんが…、あなたがそこまで言うのなら、僕も一度見てみたいものです。散りゆく花を。」


 そうは言ってもドレッサーとしてサンクチュアリに生まれたランがこの世界から出ることができないのは、誰よりも本人がわかっています。百花姫はそれを知ってか知らずか、ランの頭をでると穏やかな声で言いました。


 「私はサンクチュアリの花々も好きだよ。いつも楽しそうに歌っているから。」


 「歌っている?花が?」


 いぶかしげな表情のランに、百花姫は笑いながら頷いてみせます。


 「そうさ。そのうち、きっと君にも聞こえるよ。」






 百花姫と共に植物たちの世話をするようになってから、ランの不調は少しずつ解消していきました。最初の頃、彼女はランの仕事ぶりをじっと黙って観察したのちにこう言いました。


 「…なるほど。わかったよ。君の違和感とやらの正体。」


 ランははさみを持つ手を止め、百花姫の方を見ました。


 「ドレッサーとはどんな存在なのか、私はよく知らないが…。不思議なことに、君は庭師の仕事を“わかっていない”のに、できるんだね。」


 「それはどういう…。」


 「そのままの意味さ。君には植物についての知識も、植物を世話することで得た経験もほとんどない。にも関わらず庭師の仕事はできる。」


 「……!」


 百花姫の言葉にランは頭の中の霧が晴れていくような気がしました。

 どうして気付かなかったんだろう。彼女の言う通り、自分は誰に教えられたわけでもないのに、この世界に生まれた瞬間から本能のように庭師だったのだ。

 急に違和感を感じるようになったのは、あの瞬間に宿ったこの心のせい。本能と心の間にみぞが生まれてしまったせい…。

 急に黙り込んでしまったランの背中を、百花姫はぽんぽんと気軽に叩きました。


 「なに、原因がわかれば解決するのは簡単だ。要は君に必要なのは学ぶこと。知識と経験が得られれば、君は一流の庭師になるだろう。」





 それからランは言われたとおり、百花姫に学びつつ庭師の仕事を一生懸命にすることで、本能と心のみぞを埋めていきました。そしてどのくらいった頃でしょう。ランはある時、ついに聞いたのです。


 「声だ…。花が、話してる…。」


 ランはずっと前に聞いた百花姫の言葉を思い出していました。


 「あれはたとえでも冗談でもなく、本当のことだったんですね…!」


 がらにもなく思わず瞳をきらきらさせて振り返ったランを、百花姫は嬉しそうに見つめました。







 ランが庭師として成長していた頃、百花姫は以前にも増して植物の研究に没頭ぼっとうしていました。彼女は近種の植物同士を交配し新しい種を生み出せることに気付いて以来、取りつかれたように実験を繰り返していたのです。いつしか彼女の狭い植物園は、新種の鉢植えで溢れかえるようになりました。


 「…今回は失敗だな。」


 元気のない苗の鉢植えをランに見せながら、百花姫は呟きました。


 「やはり人為的じんいてきに作られた種は、少し無理があるのだろうな。自然の種のようにたくましくはならない。」


 「それにしても何度見ても驚きです。新しい花を生み出すなんて最初はとても信じられませんでした。」


 ランはまじまじと苗を見つめた後、少し悲しそうな顔をしました。


 「どうにか元気にしてあげられないでしょうか…。」


 「残念ながら、できることはもう試した。君の魔法のはさみでも難しいだろう。」


 百花姫は鉢植えを受け取ると、そっと元の場所に戻し、しおれた葉に触れました。そして唐突にぽつりと呟きました。


 「私が生きていた時代からどのくらい経ったかわからないが、あちらの世界でも新しい植物が生まれているだろうな。もしかしたら、あの花も……。」


 「え?」


 思わず聞き返すと百花姫は苦笑いを浮かべました。


 「はは…、実はね、私の研究には一応最終目標があるんだ。それは、自分の力で美しい青薔薇を生み出すこと。もしそれができたなら、やっと私のすべてが報われる。」


 何かを懐かしむように目を細めながら語る百花姫は、いつもと違ってどこか儚げな雰囲気を感じさせ、急に彼女を遠くに感じたランは静かに動揺どうようしていました。


 「あなたならきっとできますよ。」


 いつものように微笑んでほしくて、何も気づかない振りをして明るく投げかけた言葉には何の返事もありませんでした。

 この時のことをランは今でも後悔しています。下手なはげましの言葉など無責任なだけだったのに。かつて“心臓”を失い、引き換えに手に入れた心で、どうしてきちんと寄り添ってあげなかったのだろうと。


 「…すまない。こんを詰めすぎたようだ。疲れたから少し休むとするかな。」


 短い沈黙の後、百花姫は弱々しく笑って肩をすくめました。

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