第18話 百花姫

 初めて見る徒花姫あだばなひめに手首をつかまれたランは、驚きのあまり動けないでいました。今までなんとか彼女たちからうまく姿をくらませてきたというのに、考えうる限りで最悪に近い見つかり方をしてしまったのです。今すぐにでも隠れたいのは山々でしたが、険しい表情をした彼女からは簡単に逃げられそうにありません。 


「誰だキミは。いや、それよりアネモネには触るな。毒があるんだぞ。」


 栗色くりいろの髪の毛を高い位置で結び、すらりとした身体を純白のドレスで包んだ彼女は、目を細めてランをじっと見つめました。少女というには大人びていますが、女性というには少し幼い顔立ち。ランは凝視ぎょうしされて居心地悪く身を縮ませていましたが、彼女の髪に飾られた青い薔薇ばらに気付くと、思わず一瞬目を奪われてしまいました。


 「ん?…ああ、これが気になるのかい?」


 徒花姫は視線に気づき、空いている片手で青薔薇に触れました。


 「サンクチュアリで目を覚ましたらすでにこの姿だったんだが、これは私も気に入ってる。こんな色の薔薇、ありえないけどね。いいだろう?」


 険しい表情を崩し急ににこっと微笑んだ彼女はまるで利発りはつな少年のような雰囲気で、先程までとの落差にランはぽかんと呆気あっけに取られてしまいました。彼女はそのままゆっくりとランを掴んでいた手を離すと言いました。


 「…悪かったね、怖がらせるつもりはなかったんだ。本当だよ。」


 自由になったランは逃げることも出来ましたが、不思議とそのままとどまることを選びました。警戒けいかいを崩さず、たずさえた大きなはさみになんとなく身を隠すような気持ちでたたずみます。徒花姫ははさみを目にすると、細い枝のような指をこちらに向けました。


 「それは…見たこともないくらい大きいけど、剪定鋏せんていばさみだね?なるほど、君が庭師のドレッサーか。」


 言い当てられて思わずじりじりと後ずさったランは、急に目の前に差し出された手に困惑しました。彼女が何らかの行動を期待してこちらを見ているのはわかったのですが、その頃のランはまだ「握手」を知らなかったのです。どうすればいいのか迷っていると、彼女は構わずにぐいっと自分から手を握ってきたので、再びランは驚いて飛び上がりそうになりました。


 「はじめまして、私は百花姫ひゃっかひめ。ずっと君に会いたかったんだ。」


 「わ、私に…?」


 「そうとも!さぁおいで。ようこそ、私の植物園へ!」


 ランはわけがわからないまま百花姫と名乗った彼女に引っ張られ、硝子ガラスの建物に足を踏み入れました。徒花姫と交流することには抵抗がありましたが、彼女の育てた花の美しさの秘密、そして「君に会いたかった」という言葉が本心では気になり、手を振りほどけなかったのです。


 ランは壁際に設置された棚にずらりと並んだびんを何気なくのぞき込みました。


 「それは全部種だよ。ここへやってきてから採取し続けてるんだ。」


 百花姫は奥の方から小さな椅子を引っ張り出してきてランの前に置くと、机の上の物を乱雑にずらしてそこにどかっと座ります。


 「狭いところですまないが、とりあえずそこへ。君に話があるんだ。」


 「話……?」


 ランはいぶかしがりながらも用意された椅子に腰かけました。百花姫は小さく頷くと部屋の中を見回しながら話し始めました。


 「見ての通り、私は植物が大好きでね。サンクチュアリに来たのも思う存分ぞんぶん植物を研究するためだ。ここにはいくらでも時間があるし、やれ女のくせに生意気だの、うるさい文句を垂れ流すやからがいないから快適で……ああ、話がれてしまったね。本題だが…」


 飄々ひょうひょうとした雰囲気はそのままに、彼女から飛び出た言葉は厳しいものでした。


 「私から見ると君の庭師としての仕事は実にお粗末そまつだ。この広大な庭園全てを手入れしているというのは驚嘆きょうたんあたいするが、どこもかしこも中途半端。気になって仕方なくてね。君はなんというか…庭師の仕事に迷いでもあるのかい?」


 唐突な否定の言葉にランは面食めんくらいましたが、それは実にあっけらかんとしたもので不思議と不快には思いませんでした。悪口ではなくただの率直な感想なのだろうという印象です。図星をつかれて何と答えようか迷いましたが、彼女になら、自分の不調の原因を相談できるかもしれないとも思い、おずおずと話し始めました。


 「…実は…そう、なんです。何をやっていても違和感があるというか…。」


 「ふむ。」


 百花姫は何か考えるように口元に手を当てました。


 「でも、植物のことは好きなんだろう?」


 ランが頷くと百花姫はとびきりの笑顔を浮かべて言いました。


 「そうか、それならば私が力になろう。」


 「え?」


 「私が君の仕事を補佐ほさしよう、と言っているんだ。」


 「で、ですが…、あなたがたはお客様ですから働かせるわけには…」


 慌てるランの言葉に百花姫は不服そうな顔をしました。


 「そんなことか。では言い換えよう。君は私に師事しじなさい。これなら問題ないかい?」


 「う…、で、ですが…。」


 ランはおろおろした顔を見られないように帽子を深くかぶりなおしましたが、百花姫はテーブルから飛び降りるとランをお構いなしに下からのぞき込みました。それはまるで幼い子供を見守るような優しいまなざしで、ランはどきっとしてますます顔が赤くなってしまいました。


 「では決定だね。よろしく頼むよ。」


 それから二人の奇妙な師弟してい関係が始まったのでした。

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