第15話 結ばれたもの

 結ビ姫むすびひめは自分のガゼボの中で一人静かに座っていました。彼女をここへ強制的に連れてきたはずの門番の少女の姿は見当たりません。慣れたはずの静寂せいじゃくが耳の中で痛いくらいに響いています。 


 (不思議…。さっきのお茶会はもしかして夢だったんじゃないかしら。)


 結ビ姫のガゼボの中にはカーテンやベッド・机など、一通りの家具がそろっていましたが、それらは彼女が曖昧あいまいな事しか言わないので呆れたマリーゴールドが勝手に用意したものです。サンクチュアリに来る前の彼女の部屋も似たようなもので、私物など一つもなくまるで支配されたドールハウスのようでした。それでもベッドの上だけは唯一安心できる場所で、監視を離れられる短い時間、彼女はそこにじっとうずくまって過ごしたものでした。


 ふと結ビ姫は思い出して首元のリボンを見てみました。そこには先程こぼした蜜の染みがちゃんとついています。

 お茶会のことを思い出すと結ビ姫の胸はまた高鳴りました。「楽しかったね!」と無邪気に笑った舞胡蝶姫まいこちょうひめの姿が脳裏に思い浮かびます。



 自由になりたくてサンクチュアリに来た結ビ姫は、なんでも好きな事を好きなだけできる環境に身を置いて初めて気が付いたことがありました。


 自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、わからないのです。


 彼女の中からはとっくに「好き」なものなどなくなっていたのでした。


 そんな空っぽの心に、やっと見つけた新鮮な感情が染みわたっていくようです。


 (そう…楽しいってこんな気持ちだったのね。)


 結ビ姫は立ち上がりました。「何かをしたい」という気持ちが湧いてきたのは幼い頃以来のことでした。「友達」ってなんなのか、まだわからない。でもこのまま終わってしまうのは嫌だな、とそう思ったのです。



 ガゼボから出ると、正面に門番の少女が立っていました。結ビ姫は一瞬立ち止まりましたが、おもむろに歩き出すと何も言わずにその横を通り過ぎました。


 「戻るのですか?」


 背中に投げかけられた門番の少女の言葉に結ビ姫はこくりと頷きます。


 「繰り返しになりますが、あなたの存在はとても不安定です。他の徒花姫あだばなひめとの交流が引き金となって消滅する可能性もあります。それでも、いいのですか?」


 結ビ姫は門番の少女のほうを振り返りました。長いリボンが風に翻ります。


 「…別に。それでもいい。それでもまた…あの子たちと…。」



 「むすびちゃーん!!」



 突然どこからか降ってきた声に結ビ姫は顔を上げました。陽光が何かにさえぎられ、彼女の顔に影が落ちます。


 「あぶなーい!!よけてー!!」


 「えっ?えっ?」


 驚いて立ちすくんだ結ビ姫の目に飛び込んできたのは、まさにいま頭に思い浮かべていた三人の徒花姫たちでした。彼女たちはマリーゴールドが急ブレーキをかけたせいで、馬車の荷台から投げ出されたのです。四人はそのまま衝突するかと思われましたが、次の瞬間にはふわふわした心地のいい感触に包まれていました。そっと目を開けてみると、クッションの山に全身が埋もれています。どうやら直前でマリーゴールドの魔法が間に合ったようです。


 メイドは門番の少女に勝ち誇ったような顔を向けました。実のところは慌てたせいでクッションを多く出しすぎてしまっていたりするのですが。


 「あらぁ?何か言いたげですわね?わたくしはただ徒花姫たちに頼まれたから、急いでこちらにお連れしただけですわ。それならちゃんと役割の範疇はんちゅうでしょう?」


 「…そうですね。今回は特にとがめません。」


 あおっても全く動じる様子もなくいつもと同じく無表情の門番の少女に、マリーゴールドは途端につまらなさそうな顔になりました。彼女は不機嫌そうに舌打ちをするときびすを返し、足早に木陰の暗がりの中へ立ち去ってしまいました。



 クッションの山の頂上から顔を出した結ビ姫は、自分と同じく埋もれている三人を無言で見つめた後、なぜだか急に恥ずかしくなって再びもぐってしまいました。中では気持ちよさそうに睡莉姫ねむりひめが眠っています。その寝顔を見つめながら、結ビ姫はなんとか絞り出すようにして話し始めました。


 「あの…実は私もいま、みんなのところへ戻ろうとしていたの。」


 その言葉を聞いて、舞胡蝶姫と蒲公英姫たんぽぽひめは顔を見合わせて微笑みました。

 

 「ねぇ、結ビ姫。また一緒にお茶会しない?もっといろんなこと、一緒にやってみたいな。」


 「そうだね、無理しなくていいからちょっとずつ、休みながらでも!…あ、パジャマパーティーとか、どう?」


 「パジャマ…パーティー…?」


 聞き慣れない言葉に、結ビ姫は顔の半分だけクッションの山から出しました。


 「みんなでパジャマ着てベッドの上でのんびりお話しするの。飽きたら枕投げしたり…。それなら睡莉姫も普通に参加できそうだしね!」


 はしゃぐ舞胡蝶姫を見ているうちに結ビ姫の胸がまた高鳴りました。


 「すごく、“楽しそう”!」


 彼女はやっと実感できたこの感情の名前を、微笑んで口にしました。


 サンクチュアリにはさわやかな風が吹き、少女たちの楽しそうな声が響き渡っていました。

 

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