第12話・はじめての感情

 「むー!ダメだぁ…もう降参こうさん…!絶対今度はリベンジするんだからぁ…」 


 ジョーカーのカードを顔に載せた舞胡蝶姫まいこちょうひめ椅子いすの背もたれにぐったりと倒れ込むのを、結ビ姫むすびひめは髪の毛の隙間すきまからこそこそとうかがっていました。彼女が時間を忘れてこんな風に誰かと遊んだのは初めてのことでした。紅潮こうちょうしてほてった白いほおにそっと手を当てると、指先にじんわり熱が伝わってきます。


 この気持ちは何だろう?


 ふと顔を上げると舞胡蝶姫と目が合いました。彼女は先程の連敗のことなどもう忘れたかのように、にこっと笑って言いました。


 「むすびちゃん、楽しかったね!」


 その無邪気な一言に結ビ姫は思わず動揺どうようしてしまいました。だって彼女は事も無げに、この慣れない不思議な感情に名前を与えてみせたのですから。


 蒲公英姫たんぽぽひめがまた自分のティーカップにお茶を注いでくれるのを見つめながら、結ビ姫は半ば呆然ぼうぜんとしてしまいました。


 いつでも誰かの指示に忠実に従うことしか許されなかった彼女にとって、このお茶会への参加に特に深い意味はありませんでした。招待状が来たから参加した、ただそれだけのことだったのです。断るという選択肢など頭に思い浮かばないくらい、彼女にとっては「ただ従う」のが自然な事でした。



 だけどどうしてこの二人は、自分をお茶会に招待したのだろう?


 何かをやらせるためではないの?


 お菓子を食べたり、ゲームをするのに、どんな意味があるの?



 わからないことばかりでしたが、はっきりしていることがひとつだけ。


 苦しくない。


 そう、全然苦しくないのです。


 苦しくない状況に身を置くことで、結ビ姫は自分が今までずっと苦しかったことにむしろ初めて気が付いたほどでした。



 「ねぇ、むすびちゃん。今更だけど…」


 呼ばれて我に返ると、舞胡蝶姫がまたパンケーキを頬張りながら自分の方を見つめています。


 「むすびちゃんってリボンいっぱいですごく素敵だけど、リボンが好きなの?」


 「……?」


 唐突な問いかけに結ビ姫は混乱して固まってしまいました。


 しかし舞胡蝶姫の方はそんな結ビ姫の様子には気付かず、返答を待たずに唐突に立ち上がったかと思うと、わざとかしこまった大げさな動きでその場でくるりと回ってみせました。豪奢ごうしゃなレースとフリルが鮮やかに揺れてはずみます。


 「あのね、ボクのドレスはいろんなところに蝶々ちょうちょが付いてるの。サンクチュアリに来た時、この姿を見て思ったんだよね……ボクはずっと憧れてた蝶々になれたんだって!」


 「……憧れ…?」


 思わず聞き返した結ビ姫に、舞胡蝶姫はうなずきつつ再び席に着きました。


 「ボクはここに来る前ずっと病気がちで、やれることといったらベッドの上で漫画を読むか、窓の外をぼんやり眺めるくらいでね。ガラスの向こうをひらひら飛び回る蝶々がうらやましかったの。」


 舞胡蝶姫は自分のことなのに、どこか他人事ひとごとのように明るくおどけて話しました。蒲公英姫はすでにこ彼女の過去について知っていましたが、聞いていて胸がぎゅっとなるような気がしました。


 「あ、ごめんね!なんだか話が飛んじゃったけど、そういうわけでボクにとってこのドレスは特別なんだ!マリーに頼めばいろいろなドレスを用意してくれるけど、やっぱりこれが一番お気に入り。だからむすびちゃんのリボンも、そういうのなのかなって思って。」


 結ビ姫はそこまで聞いてやっと、舞胡蝶姫の質問の真意を理解しました。つまり彼女は自分にとっての蝶のように、結ビ姫のリボンも特別なものなのかと聞いているのです。


 「……このリボンは…」


 結ビ姫はパンケーキが刺さったフォークを持ったまま、何か考え込むように動きを止めました。するとそこからみつがつうっとしたたり落ちて、彼女の首元の大きなリボンに付いてしまいました。


 「あっ、大変…」


 蒲公英姫はハンカチを取り出して急いで拭きましたがうまく取れません。


 「うーん、これは一回外して洗ったほうがいいかも。」


 「あっ、それならあっちに綺麗な水場が…」


 結ビ姫の手を取って歩き出そうとした舞胡蝶姫はすぐに立ち止まりました。なにか彼女が困惑こんわくしているような雰囲気を感じたからです。


 「どうしたの?」


 蒲公英姫もすぐに様子がおかしいことに気付いて声をかけます。すると結ビ姫は迷いつつ、やがてぽつりと言いました。


 「……取れないの。」


 「え?」


 「取れないの。私のリボン。」


 蒲公英姫と舞胡蝶姫はきょとんと顔を見合わせました。


 「どういうこと?」


 「そのままの意味。私のリボンは外れないの。体の一部…みたいな。」


 「からまって取れないってこと?それならみんなで頑張れば…」


 「やめたほうがいいと思うよ~。サンクチュアリでの姿は心のり方に影響を受けるからね。」


 どこからともなく飛んできたのは、冷静な物言いに少し不釣ふつり合いな可愛らしい声。三人はお互いの顔を見つめ合いました。今喋ったのはいったい誰?


 「ふわ~ぁ……」


 欠伸あくびをする気だるげな声の方を振り向くと、荷車の中から白くて細い腕がぐぐぐと空に向かって伸びていました。睡莉姫ねむりひめはまだまだ眠たそうなまぶたをこすりながらゆっくりと起き上がり、呆気あっけに取られている三人に気楽な挨拶あいさつを返しました。


 「おはよ。構わず話の続きをどうぞ。眠っていてもちゃんと聞こえていたから。」

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