第9話・追憶
遠い日のこと。
まだ子供だった二人がいつも遊んでいたお花畑。
何気ない会話の中、彼女は言いました。
「アネモネが好き」と。
やがて時が過ぎ大人になっても、その言葉を
あの日、アネモネの花束を彼女に贈りました。
二人の思い出のお花畑で。
きらめく約束の指輪と共に。
緊張して赤い彼の顔と、彼女の輝くような笑顔。
それは、光の中の
「よかったら、お使いください。」
ランが差し出した白いレースのハンカチを見て、一華姫は初めて自分の頬が濡れているのに気が付きました。
「…きっと、いろいろなことを思い出させてしまいましたね。ごめんなさい。」
肩を落とすランに、一華姫は懸命に首を横に振って見せました。
確かにランの言う通り、この涙は思い出が
ランは彼女の苦しそうな様子を見ると、黙って花畑の
(あ……!)
その光景に記憶の中の一場面が蘇ります。彼女は子供の頃にこうしてあの人がこの花を
気が付くと、一華姫の身体は考えるよりも先に動いていました。
「触らないで!毒があるから…!」
ランの指先がアネモネに触れる直前。その手を
(…今の声…、私の…?さっきは全然声が出なかったのに…)
久しぶりに聞いた自分の声。なんだか不思議な感じです。
しばらく面食らっているように見えたランは、一瞬なんともいえないような表情をした後、取り
「…その
「……?」
「いえ、なんでもありません。それより心配してくださったんですね。さすがアネモネのことをよくご存じです。」
また優しい風が吹いて、アネモネたちがさわさわと歌います。ランは再び花畑に向き直り、目の前の一輪の花を見つめました。
「確かにアネモネには毒があります。本当なら扱いに注意が必要な花ですが…」
そこまで言うとランは優しい手つきでアネモネを摘み取り、驚いている一華姫に差し出して見せました。
「でも大丈夫、ここは夢の庭園ですから。」
てきぱきとした手つきで何かを作り始めたランを見つめつつ、一華姫はぼんやりと考えていました。
(もう二度と
ずっと心を閉ざし続けていた彼女でしたが、不思議とランに対してはあまり構えずに済むというか、少しずつ親しみさえ覚えてきているのを感じました。ランが自分と同じようにアネモネの向こうに誰かの姿を見ているからでしょうか。
ランは大切な思い出の欠片を、会ったばかりの自分に見せてくれました。懐にしまっていた宝箱をそっと優しく開けるように。
「できました。」
気が付くと、ランがこちらに向かって小さなブーケのようなものを差し出していました。
「あなたのイメージで、髪飾りを作ってみたのですが…。気に入らなかったらごめんなさい……。」
一華姫は髪飾りを頭に載せると、指先でちょいちょいとつつき、黙って
(ありがとう。すごく、
声は出ませんでしたが、その口元には彼女自身も気が付かないうちに、うっすらと微笑みが浮かんでいたのでした。
そんな出来事からまたしばらく経った今も、一華姫は相変わらず自分のガゼボの中にじっと座り込んで過ごしています。だけど変わったこともいくつかあります。
彼女のガゼボの手前に置かれたぴかぴかの靴。彼女の頭を
そしてガゼボの周りの植物たちは少し元気を取り戻し、ランが頻繁に鋏を振るう必要もなくなりました。
そしてメイドからはめずらしい届け物も。
自分の姿を見て反射的に身をこわばらせた一華姫を見て、マリーゴールドはため息をつきました。
「やめてくださらない?その反応。別に取って食ったりしませんので。」
彼女は不機嫌そうな顔で一通の手紙を一華姫に差し出しました。
「これを届けるように頼まれただけですわ。お茶会の招待状ですって。」
手紙の裏面には丸い字で“
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