第7話・青の庭師

 庭園の垣根かきね狭間はざま、とびきり大きな帽子が揺れていました。


 「ふぅ。」 


 立ち上がった人物は熱心に薔薇の葉の様子を観察し、にこりと微笑ほほえみます。


 「よかった、すごく元気だね。少しだけ形を整えようか。」


 少年とも少女ともつかない中性的で不思議な雰囲気をまとい、優しく植物に話しかけるその人は、名をランといいました。

 ランはたずさえていた大きなつえのようなものを持ち直しました。それは美しい装飾の施された特徴的なはさみで、刃のまわりが羽飾りでおおわれています。ランがその鋏をスッと流れるような仕草で一振りすると、魔法のように垣根の形が美しく整い、花々もきらきらとますます美しく咲き誇るのでした。


 サンクチュアリのドレッサーの一人であるランの役割は、この広大な庭園の庭師です。いつも人知れず忍ぶように庭園を歩き回り、魔法の鋏で植物たちの世話をしています。徒花姫たちとはほとんど交流することはありませんが、彼女たちのことはよく知っていました。

 なぜならランには植物の声を聴くことができたからです。正確にはもちろん植物は話したりしませんが、ランには彼らの言っていることが不思議とわかるのでした。


 だからこの時、徐々に植物たちに不穏ふおんなどよめきが広がってきていることにも、もちろん気が付いていました。


 「……みんな、なにかあったの?」


 ランは問いかけ、少し耳を澄ました後、


 「わかった、ありがとう。少し見てくる。」


 と言って、長いマントをひるがえして素早く駆けていきました。目的地は一華姫いちげひめのガゼボです。


 実は以前から一華姫のことは気になっていました。なぜなら彼女のガゼボ周辺の植物たちが、いつもどこか元気がなさそうだったからです。理由は何となくわかっていました。植物たちは優しいので、近くにいる者の感情をくみ取りやすいのです。一華姫とは話したこともありませんが、彼女がろくに睡眠もとらず野ざらしのガゼボの中にうずくまり続けていることは知っていました。遠目にも痛ましく悲壮ひそうな雰囲気でしたが、ランにはどうしたらいいのかわからず何もできずにいたのでした。


 (あなただったら…こんな時、どうするでしょうか…百花姫ひゃっかひめ。)


 脳裏のうりなつかしい面影おもかげを思い浮かべた時、不意に前方からマリーゴールドが現れました。彼女はランを見ると左右非対称ににやっと笑いました。


 「あらぁ、優等生君じゃありませんか。一華姫の所に行きますの?」


 「…マリーゴールド、何があった?」


 「別に。わたくしはただお話していただけですわ。」


 「やはり騒ぎを起こしたのは君か。」


 「心外しんがいですわね。…あなたも気を付けたほうがよくってよ。役割外のことをすると門番アイツに目ざとく見つかりますので。」


 「……わかっている。様子を見てくるだけさ。」


 「あ、お待ちなさいな。」


 横をすり抜け、先を急ごうとするランを、マリーゴールドは呼び止めました。


 「あなたに頼みたいものがありますの。」





 一華姫のガゼボに、もう門番の姿はありませんでした。一華姫は相変わらず一人きりでガゼボの中にぽつんと座っていましたが、いつもより身体に力が入り少しだけ震えてもいるようでした。そしてかたくなで深い悲しみが一層濃く辺りにただよい、周りの植物たちにはますます元気がありません。ランは草陰に身を隠すと急いで鋏を振りましたが、それでも花々はこうべを垂れたままなのでした。


 (応急処置にもならない…根本的な原因を取り除かないとだめか。)


 ランは深呼吸し、意を決して一華姫のガゼボへと進み出ました。大きな帽子を深々と被り、表情を悟られないようにして。


 「一華姫。」


 「……」


 一華姫は応えません。下を向いたまま微動だにせず、重たい沈黙が流れました。ランは帽子のふちを少し上げ、一華姫を見ました。


 (……重なるな…あの時の“心臓”の様子と。そうか、それで…。)


 マリーゴールドが一華姫に話しかけるのを我慢できなかった気持ちが、ランにはわかるような気がしました。


 ランは肩をすくめると、静かな声で呟くように語りかけました。


 「……あの、アネモネはお好きですか?」


 一瞬ぴくりと一華姫の身体が動いた気がしました。ゆっくり顔を上げた彼女は「なぜ?」といった表情でいぶかしげにランを見つめました。


 「いえ、アネモネには確か“花一華はないちげ”という別称があったかと。一華姫というお名前を聞いた時から気になっていたのです。もし違っていたのなら…すいません。」


 ランの言葉を聞いた一華姫はじっとうつむき、遠慮がちにこくりと頷きました。ランは反応が返ってきたことにほっとしつつ、軽く頭を下げました。


 「申し遅れました。私はラン。サンクチュアリの庭師です。突然ですが一華姫、アネモネを見に行ってみませんか?」


 一華姫は差し伸べられた手を戸惑いながら見つめました。


 ランはひざまずき、ふところからそっと何かを取り出しました。それは先程マリーゴールドに渡された、新品の美しいくつでした。


 「庭園のメイドが先程は失礼いたしました。実は彼女はあなたにこれを渡しに来ていたらしいのです。」


 「……」


 「靴を履いて、行ってみませんか?ガゼボの外へ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る