第二章 花一華と青の庭師

第6話・一華姫

 癒さないで 赦さないで

 あの人を置いていかないで

 止まれとまれ止まれ 時間よ止まれ

 扉の向こうに閉じ込めようとしたのは

 あの日の私たちと懐かしいあの花




 その徒花姫は、一華姫いちげひめと呼ばれてました。


 さえぎるカーテンも、一切の家具もないガゼボの奥にうずくまって、彼女はほとんど動くこともありません。青紫色のドレスの腰から垂れ下がった金色のチェーンは彼女の両手首へとつながっていて、風が吹くたび揺れてはきらめきました。その手枷てかせにも似た冷たさと重みが一華姫には必要でした。


 ここへ来てからどのくらい経つのでしょう。夢の庭園であるサンクチュアリでは本来必須ひっすではないとはいえ、彼女は食べることも眠ることもありません。ただ、変わらぬ景色を鏡のように瞳に映し続けているだけ。


 サンクチュアリに来た時に門番の少女から渡された物語の本は、薄くほこりをかぶって冷たい床の上に乱雑に置かれたままになっていました。


 その彼女のガゼボの前でついに立ち止まったのはメイドのドレッサー、マリーゴールドです。彼女は苦虫を噛みつぶしたような表情で一華姫を見下ろしました。


 「ちょっと。」


 一華姫は微動だにしません。ますます苛立いらだちながらマリーゴールドは今度はかがんで一華姫の顔を覗き込みました。


 「ちょっと。…聞いてます?」


 するとやっと一華姫はゆっくりと顔を上げます。


 「あのねぇあなた、いつまでそうしているおつもり?」


 「……」


 一華姫は黙ったまま困ったようにまたうつむいてしまいました。


 「もう辛気臭しんきくさいったらありませんわ。それにこの本、門番に大切にしろって言われませんでした?それをこんな野ざらしにして…。」


 マリーゴールドは本を拾い上げ、表紙の埃を手で払いました。ちょうど風が吹きパラパラとめくれたページは全て、代わり映えのしない同じ絵で埋め尽くされています。


 「…思った通り。全部あなたがここで蹲ってる絵ですわね。」


 本を閉じ、ため息をつきながらマリーゴールドが低い声で呟きました。


 「あなたが一体何にとらわれているかはぞんじ上げませんが……かわいそうって、言ってほしいんですの?」


 「……っ!」


 これまで何にもあまり反応を示さなかった一華姫でしたが、その言葉に対しては強く首を横に振って応えました。それは、無言であっても拒絶きょぜつの意志でするどく心を刺すような仕草でした。


 「そこまでです、マリーゴールド。」


 急に声がして振り返ると、ガゼボの入口にいつの間にか門番の少女が立っています。


 「……あら、お出ましですの?相変わらず本当に目ざといですわね。」


 「その行動はあなたの役割から逸脱いつだつしています。すぐに仕事に戻りなさい。」


 「ふん、壊れたレコード風情ふぜいえらそうにしないで頂けます?」


 マリーゴールドの憎まれ口に門番の少女は何も答えず、持っていた鳥籠とりかごを流れるような仕草でかかげました。二人のドレッサーの間に緊張感が走ります。一華姫は何も見たくないという風に俯いてひざを抱え、動かなくなってしまいました。

 長い沈黙の後、先に口を開いたのはマリーゴールドの方でした。


 「……はいはい、わかりました。わたくしはもう行きますわ。これ以上その顔を見ていたくないですしね。」


 マリーゴールドは一華姫を一瞥いちべつすると、スカートをひるがえらせて早足で立ち去っていきました。門番の少女は彼女の姿が視界から消えるまで見送るとゆっくりと鳥籠を持った腕を下ろし、一華姫に一礼するとすっと煙のように消えてしまいました。


 (誰も…来ないで。何も見たくない…。私はずっと…このままでいたい…いなければならないの…。)


 一華姫はぎゅっと目を閉じ、震える手で胸元を抑えました。

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