第8話 鶴野松仙という男《 Ⅱ 》
「『げ』じゃないよ。きみ以上に信頼できる魔法師はいないからね」
松仙の重い期待そのものの返しに顔が歪む。
まさかの自分の仕事か。
話をふってくるなんて思っても見なかったから完全に油断していた。あと、長野まで出張してきたわけだし休みがあると思ってた。
「……はあ。わあったよ。前線に戻るよ。霊脈的に富士山付近なら」
「いや、ここから張ってくれてかまわないよ」
「……あ?」
取り出した杖を片手に思わず硬直してしまった。くろがねでできた杖についた水晶も訳がわからないと言うようにぶつかり合い、軽やかな音を出した。
松仙はそんな同様を少しも気にせずに笑う。
「ここから張って何日は持つかな?」
「一週間は」
「それで結構。この国を掌握するのに一週間あれば充分。ワタシは古都に帝都の欠片すらも渡してやるつもりはない。国が混乱している間に横やりを入れられたら幾分かかすめ取られるだろうけど……結界があればそうはならないからね。それにキミの結界はどんな解析師にも解析することは不可能。そうだね?」
優秀な魔法師が優秀な解析師になれるわけではない。魔法の式を組み立てるのと、その式を崩すのとでは作業が全く違うのだ。
「胡蝶のセンスはピカイチさ。そうでしょう?」
「はっ。帝都の坊っちゃんはオレをずいぶんお高く買ってるんだな? いいぜ。高く買われてやるよ」
杖を地面に突き立てる。
「“それは、旧き夢のひとつ”」
魔力が一気に浮かび上がる。胡蝶はこの感覚が嫌いではない。自分の足元から風が吹き上がるようなそれは、世界の中心が自分にあるかのように錯覚させる。
「“無意識の海を越え、遥かなる星海の彼方。流離える魂が辿り着く最後の理想境”」
考えるのは古い文献にあった理想郷。誰が夢見た薄くて浅い幻想。誰かが水銀に見た不老不死の夢ではく、蝶の幼体に見た儚くて切ない幻想。人は神なくしては生きてはいけない。誰かに縋ることでしか人は生きてはいけない。
「“
体内に疲労感が押し込まれる。青い花が足元に咲き乱れ、そして消えた。数匹の黄金の色をした蝶が労うように胡蝶の方に止まった。
……疲れた。魂の力をごっそりと引き抜かれるというのはこういう心地だ。
「お疲れさま~。何回見ても綺麗な魔法だねえ」
「……どうでもいいことだ。そんで、どうやってあの監獄みてえな所に突っ込むつもりだ?」
帝都軍本部。旧東京都-霞ヶ関区画に位置する、三階建てのレンガ造りの洋館だ。物理的警備もさることながら、魔法でできた三十枚の障壁が用意されている。
ソファーに座り、精神安定剤を口に咥えた。
「さすがのオレも、あれを一日で破るのは無理だぞ」
「分かってるよ。更に下調べによれば障壁を割った地点で物理的警戒レベルが上がるのは必然だ」
「松仙。オレは酔狂な自殺に付き合うつもりはねーぞ」
「えっ……あっ……もしかして、見捨てられる?」
「見捨てねえよ。ただお前は不可能なことを適当になるタイプじゃねえだろ。なんか策があるなら先に話せってことだよ」
胡蝶の言葉に松仙の顔がぱあっと明るくなった。まるで照れてるかのように頬が紅潮する。
「逆だった……!! むしろ認められてた……!!」
「照れるなよ。気色わりいな」
「表情位変えてあげなよ」
「心底蔑めばいいのか?」
胡蝶の言葉に気前をよくした彼は背筋を張りながら、一生懸命、認められた父親のように緩む頬を引き締めている。
「その通り。ぼくは無駄なことは決してしないよ」
「おう」
「無謀なこともしないとも!」
「そうだな」
適当な相槌だが松仙は満足したように頷く。
「実はずっと言いにくかったんだが、ずいぶん前から軍の内部に間者……いわゆるスパイがいるんだ」
「叢雲隊のやつか? よく入れてもらえたな」
「ううん。内通者……裏切り者ってやつかな」
思わず眉間に皺がよった。
裏切り者は危険だ。内通者はいるに越したことはない。内部からの情報漏洩や情報操作は戦を優位に進めるために必要不可欠だ。
だが、裏切り者は必ずもう一度裏切る。
そうならない確証は決してどこにもない。
「死ぬぞ?」
「分かってるよ。リスクマネジメントは大事だ。特にぼくらは幾ら強くても弱小勢力。数の暴力ほど恐ろしいものはない。そうだよね?」
「ならなんでそうした。うちから潜入させても問題なかったろ」
「まあ……多分、平気だと思う。なんというかその、間者の子、獄幻家の人なんだよね」
胡蝶は立ち上がった。
松仙も慌てて立ち上がる。
「ちょっ……待ってよ、胡蝶! 待って!!」
「あ゛?」
「ひっ……いや、待って。待ってよ、待って。まだ話は終わってないよう……」
「終わった。オレはこの戦から降りる」
胡蝶の実家嫌いは筋金入りだ。
と言うより、自分を棄てた家を愛せる人間などどこにもいないだろう。特に胡蝶は誰よりもまっすぐに、故に何もかもに反発するタイプだ。こうなるのも無理はない話だ。
「き、きみ、最近、獄幻家のメッセンジャーをしてるんでしょ!?」
松仙の叫びに胡蝶は振り向いた。
低い音がして本棚に穴が空いた。ブーツのヒールをゆっくりと抜きながら殺意と共に胡蝶が松仙を見下ろす。
「……設計段階でそうなるように設定されてんだよ。最低限、人間としての情を理解できるようになァ」
「分かっててそうするのと、分からずにそうするのとでは本質から違う」
「そうだよ。情を棄てきれてねぇんだよ。棄てられねえからな。それに『そうあれかし』とてめぇらが望んだんだろーが」
舌打ちを打ちながら松仙を解放する。そしてまたソファーにどかりと腰を掛けた。
「で? 誰が裏切ったんだよ」
「ほ、鬼灯
「え? ねぇね?」
「…………………………………………ねぇね?」
全員の視線に口を塞いだ。遅かった。あまりに遅かったけれど口を塞いだ。
桜華は鬼灯家……獄幻家の分家の当主で、人間と鬼のハーフでもある。胡蝶から見ると、腹違いの姉、となるのだ。
そしてなにより、灰に拾われてすぐに謝罪をしに来たのも桜華であり、生活費の援助や衣服の支援をしているのも彼女だ。
他の姉妹との仲は犬猿どころか皆無だが、桜華とは違う。週末はウィンドウショッピングにつれ回されるし、隙あらば求愛とも取れる量のメッセージがスマホに送りつけられてくる……そのスマホも桜華が買ったものだ。地獄のコンボ。
「ね、ねぇねは、いいんじゃねえの。私が悪かった。だからこれ以上は聞くな」
「そ、そっか……」
「だがねぇねなら裏切ることはないだろうな。あの人は我が強くて芯がまっすぐな人だ。なんで今回裏切るのかはわからねぇが……と言うよりも分かったふりはしたくねぇが」
十中八九、胡蝶が絡んでいるからだろう。
桜華は本当に、心の底から胡蝶の未来を案じてくれているのが伝わる。胡蝶はそれに答えることはできないけれど……だからこそ、世界を捨てきれないのかもしれない、とは思う。
「……ではセキュリティは内部から落としてもらう、と言う手筈になるのかね?」
灰の言葉に松仙は頷いた。
「殺戮は最小限に止めるつもりだ。軍内部の通路はぼくが軍部にいた頃に頭に叩き込んだから平気だ。隠し通路も暗記している」
そこからの侵入ももちろん可能だ。松仙は大佐まで上り詰めたし、元エリートだったからこそ、軍本部は庭のようなものだ。
「作戦決行は三日後。時雨と灰、ぼくはその間に細かいところのすりあわせをするよ。いいね?」
「はぁい」
「分かった。すぐに向かう」
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