33 明かされた秘密
城内にある来客用の一室で、シェラとハランシュカは向かい合うようにして椅子に座っていた。
お茶を用意するような雰囲気でもなかったため、ハランシュカが口を開くまで、何も置かれていない机の上をじっと見つめていた。
「いろいろと聞きたいことはあるかもしれないけれど、まずは僕の話を聞いてほしい」
少しして話し始めたハランシュカの言葉に、黙って頷く。
「アレストリアの王家には、秘密があるんだ」
そういって話し始めた内容は、なかなかに衝撃的なものだった。
男系の王族がある一定の条件に触れると、その身体が獣の姿へと変化してしまう。
それは『呪い』と言われ、王族とそれに連なる近しい者たちしか知らない事実。
先ほど目の前でルディオに起きた変化は、呪いが発動したということだろう。
彼が今まで秘密にしていたものは、呪いに関することだったのだ。
「思ったより、驚かないんだねぇ」
「……え?」
内心では衝撃を受けていたが、それでも動揺して取り乱すほどの驚きはなかった。
むしろ納得のほうが大きく。それはきっと、彼もなにか秘密を抱えているかもしれないと、漠然と考えていたからだ。
「普通こんな事実を聞いたら、少しは取り乱すと思うんだけど」
たしかに普通の人間であればそうかもしれない。
でも、シェラは普通ではない。
人ならざる力を持ち、聖女として何度も力を使ってきた。そしてレニエッタという、とても力の強い存在も知っている。
夫の姿が獣に変わったところで、そういうこともあるのかもしれない、と思ってしまったのだ。
むしろ気にしているのはそこではなかった。
「呪いの存在については、気になりません。……ですが、獣に変わると……記憶は保持されないのですか?」
獅子に変わったルディオは、シェラのことがわからないようだった。
獣の状態でも人としての記憶が残っていれば、シェラを襲うはずがないからだ。
ハランシュカは難しい顔をして、問いに答えた。
「基本的には呪いが発動しても、姿かたちが変わるだけで記憶は保持される。人を襲うことは普通はないのだけど……ルディの場合は少し特殊でね」
一度言葉を切って、ハランシュカは躊躇いがちに話し始めた。
「ルディの呪いの発動条件は『怒り』なんだ。怒りに付随する、憎しみや嫉妬と言う感情も、呪いの引き金になる」
感情が呪いを発動させる。
それは、どれほどつらいことだろう。
たしかに思い返してみれば、彼が感情をあらわにして怒りをぶつけてきたことはない。それはあくまでも、彼がシェラに比べて大人だからだと思っていた。
唯一ルディオが怒りと言われるような感情を表に出したのは、シェラが離宮を抜け出した時だ。
迎えに来た彼は、酷く苦しそうな顔をしていた。あれはきっと、怒りの感情を必死で抑え込んでいたのだろう。
「そして、怒りという発動条件の性質のせいなのか、あまりに強い感情が沸き上がると、獣に変わった際に自我を失ってしまうことがあるんだ。そうなるともう、獣の本能のままに行動するようになる。怒気を抱えたまま獣に変わるからか、狂暴化することが多いんだよ」
思わず、息をのんだ。
獣に変わり、自我を失くす。
それがどれほど彼を苦しめているか、考えなくてもわかってしまう。
「それじゃあ、あの建物は……」
「そう。ルディみたいに、やんごとなき事情で外に出せない王族を、閉じ込めておく場所さ」
鉄格子のついた窓や、厳重な鍵のついた鉄の扉の意味がわかった。
きっと今までにも、ルディオのように隔離しておかなくてはいけないような者がいたのだろう。
知ってしまったアレストリアの闇の部分に、無意識に身体が震えた。
その様子に、ハランシュカは苦笑を浮かべる。
「恐ろしい国だと思う? まあ、アレストリアは平和な国と言われているしねぇ。そんな闇があったら、さすがに驚くかな」
驚きはしたが、恐ろしい国だとは思わない。
それを言ってしまったら、ヴェータの方がよっぽど恐ろしいからだ。
「いえ、恐ろしいとは思いません。ですがルディオ様は、怒りの感情がわくたびにあの部屋へ?」
否定したシェラに、一瞬だけ片眉を吊り上げてからハランシュカは答えた。
「これは近年になって分ったのだけど、感情によって呪いが発動する場合、一定以上の感情の蓄積が必要なんだ」
「感情の蓄積……?」
「そう。例えば蓄積がなかった場合、少し怒気を抱いたくらいじゃ呪いは発動しない。けれど、ある程度怒りの感情を積み重ねていた場合、小さな怒りでもそれが引き金になる」
なんだか現実味のない話だが、言っていることは理解できた。要するに怒れば怒るほど、呪いが発動しやすくなるのだろう。
「子供のうちはその許容量が少ないみたいで、呪いが発動しやすいのだけど、大人になるにつれて許容量が増えて発動しにくくなる。そして一度発動すると、蓄積がゼロに戻るんだ」
大人であるルディオは蓄積量が多いと言うことだろう。
たしかに彼と出会ってから三か月近く経って、この事実を知った。
そのあいだ呪いが発動したことはなかったのかと疑問に思っていると、ハランシュカが答えを教えてくれる。
「ルディは蓄積の仕方がうまくてね。一定以上積み重ねたら、ある程度のところで呪いを無理やり発動させる。そうすることで自我を失う確率が低くなるんだ。ヴェータにいたころは、この方法で切り抜けていたんだよ」
それを聞いて、あの時のルディオとハランシュカの会話の内容が、理解できてしまった。
きっとシェラがなかなか寝付けなかったあの夜、ルディオは離宮の外で呪いを発動させていたのだろう。
「普段は先ほどの部屋の中で呪いを発動させて、蓄積した感情を消しているのですか?」
「その通り。自我が残らないこともあるから、念のためあの部屋で発動させているんだ。ルディの部屋は特別仕様でね。人の姿であれば中から鍵の開閉ができるのだけれど、獣の状態だと鍵が開けられないようになってる。だから、普段は適当に一人で処理しているはずだよ」
想像しただけでつらすぎる。
彼はずっと、ひとりで呪いと戦ってきたのか。
そして、今日もきっと、ひとりで――
「今日に関してはもともと余裕を持たせていたんだろうけど、ちょっといろいろあってね……一気に限界を超えてしまったんだと思う」
「いろいろ?」
「僕の口からは言えないから、気になるならルディに聞いた方がいい」
朝部屋を出て行くとき、彼の様子はいつもと同じだった。ということは、仕事中か食事会の席で何かあったのだろう。
ハランシュカが話してくれないのであれば、彼に直接聞くしかなさそうだが教えてくれるだろうか。それ以前に人の姿に戻らなければ、聞くことすらできない。
「さすがにつらそうだったから、ルディの部屋に様子を見に行ったのだけど……床は血だらけだし、焦ったよ。まさかと思ってあの建物に行ってみたら、今度は君がいるし。正直寿命が縮まったなぁ」
「すみません……軽率でした」
「ヴェータにいた頃も勝手に離宮を抜け出していたし、思っていた以上におてんばなお姫様だねぇ」
やれやれとハランシュカは溜め息をつく。
それからまっすぐにシェラを見つめて、改まった口調で言った。
「僕の話を聞いても、君がまだルディのそばにいたいと思うなら、朝日が昇ってからあの部屋に行ってみるといい」
「朝日……?」
「そう。ルディが人に戻る条件は『夜明け』だから」
獣から人の姿に戻るには、また別の条件が必要なのだと教えてくれた。
ルディオの場合は、獣に変わってから次の朝日が昇るまでは戻れない。逆に夜が明けさえすれば、自然と人に戻ることができる。
「それじゃあ僕は後始末をしてくるから、他に聞きたいことがあれば、あとは本人に聞いて」
「……はい」
俯いて返事をしたシェラに、ハランシュカは苦笑してから立ち上がる。
そして部屋の隅にある棚から小箱を取り出して、シェラの前までやってきた。
「ほら、手を出して。それほど深い傷ではなさそうだけど、きちんと処置しておいたほうがいい」
シェラの左手の甲には、ルディオの爪によって抉られた傷ができていた。
爪先がかすった程度なため、うっすらと血が滲むくらいで済んだのだが。これくらいなら放っておいても大丈夫かと思ったが、ハランシュカは見逃さなかった。
言われるがままに左手を差し出す。
ハランシュカの指先が触れた瞬間、目の前が暗くなっていく。疑問符が浮かんだのもつかの間、一気に視界がひらけた。
目の前には青い空と、たくさんの人。
そして、柳眉を寄せて険しい顔つきをしたルディオが立っていた。
思わず声を出しそうになるも、すんでの所でのみ込む。
辺りを見回すと、シェラが川に落ちた時にいた橋の上のようだった。
この感覚は、間違いない。
ハランシュカの記憶が流れ込んでしまっているようだ。見てはいけないと思いつつも、映像は勝手に進んでいく。
『君と彼女、どちらがアレストリアにとって大切なのかわかるだろ!?』
これは、橋の上で交わされていたやりとりだろうか。
あの状況とルディオの立場を考えれば、ハランシュカが止めるのも無理はない。
だが、彼はその言葉を無視して、橋の欄干に身を乗り出す。
『黙れ』
『ルディ……!』
そのまま静止の声をふり払い、川に身を投げた。
(だめ……!)
これが過去の映像なことすら忘れて、シェラは咄嗟に手を伸ばす。
しかし、その手の先でルディオの身体が一瞬光り、獅子の姿に変わったのだ。
呆然と成り行きを見守っていると、シェラを水の中から引き上げた獅子が、そのまま川岸まで引っ張っていく様子が見えた。
あの時、シェラは偶然川岸に流れ着き、それを騎士たちが引き上げたと聞いている。
だが、そうではなかった。
ルディオによって、助けられたのだ――
視界は突然現実へと切り替わる。
目の前にはシェラの手を取って、消毒液を傷口に塗布しているハランシュカがいた。そのまま仕上げとして、ガーゼをあててくれる。
「もし痛むようなら、あとでルーゼに言うといい」
「…………」
「妃殿下?」
反応のないシェラを不審に思ったのか、顔を覗き込まれる。
「――は、はいっ! ありがとうございます……」
慌てて礼を言うと、ハランシュカは不思議そうに首を傾げながら離れていった。
自分のするべきことは終わったと、そのまま部屋から立ち去る。
残されたシェラは窓の外へと視線を向け、ひとり静かに拳を握りしめた。
夜は、まだ明けない。
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