34 夜は明ける ①



 空の色が青から紫に変わっていく。

 朝焼けに染まる空を見つめながら、同じ色の瞳をしたシェラは、小さな白い建物の前にいた。


 地平線の果てからゆっくりと太陽が顔を出す。

 全体が姿を現したのを確認してから、建物の中へと足を踏み入れた。


 一度目の時とは違い、コツリコツリと靴音を立てながら進んでいく。

 鉄格子のついた窓には、登ったばかりの太陽から照らし出された薄日が差し込んでいた。


 ――あぁ、そうか。

 離宮を抜け出したシェラが、ルディオに捕まった際に視た映像。

 あれは、今のこの瞬間だ。


 あの時視たのは彼の過去ではなく、シェラの未来。

 ルディオの記憶を覗いたことなんて、一度たりとも、なかったのだ。


 あの時の映像の通りならば、この先には、きっと――


 通路の突き当りにある一番奥の扉まで、迷うことなく進んだ。

 鍵を外し、映像で見たときと同じようにゆっくりと扉を開く。鉄の扉と石の床の擦れあう、不快な音が響いた。


 最初に目に入ったのは、爪で引っ掻いたような傷跡だらけの床。そして、その上に散らばる、金色の美しい髪の毛。

 次に見たものは、頭を扉の方へ向け、仰向けで横たわる彼の姿だった。

 目は閉じられたままで、ぴくりとも動かない。


 シェラは一度深く呼吸をして、躊躇うことなく足を踏み入れた。


 コツリ――


 己の靴音だけが反響する空間で、はっきりとした男性の声が響く。


「何故、戻ってきた」


 問には答えず、彼の前まで歩いていく。

 真上から見下ろせる位置まで来たところで、歩みを止めた。


 うっすらと目を開き、彼は天井を見つめたまま再度問いかける。


「ハランから、聞いたんだろう?」

「わかるのですか?」

「自我はなくとも、何が起きていたかは覚えているんだ」


 虚ろな視線で宙を見据える。

 その緑の瞳に、シェラを映そうとはしてくれなかった。


「隠していて、すまなかった。夫がこんな呪いを受けていたら、恐ろしいだろう? 私の近くにいたら、また君を傷つけてしまう」


 手の甲の傷を、彼は知っているようだ。


「次は本当に、殺してしまうかもしれない。だから……」

「だから、結婚は取りやめにすると?」


 遮るように言葉を被せる。彼は再び目を閉じ、小さく首を振った。


「それは……できない。ヴェータとの関係もあるから、なかったことにするのは難しい」

「なら、どうするのです?」

「君には不自由させないようにする。……だから、今後は形だけの夫婦でいてほしい。他に男を作っても構わない。形式上、私の妻でいてもらえれば」


 予想していた通りの返答だ。


 獣の姿に変わる呪い。そして、その反動で自我を失い、見境なく人を傷つける。

 呪いの恐ろしさを知ってしまえば、彼のそばにいることがどれだけ危険か分かってしまう。

 怒らせたら食い殺されてしまうかもしれない、そんな恐怖と隣り合わせで、普通の夫婦になどなれるはずがない。


 きっとルディオは、最初からシェラと夫婦になる気などなかったのだ。


「それも無理なら、数年後に離婚しよう。その間にヴェータとの関係を修復すれば、問題はないはずだ」


 それが最善であり、そうするしかないと彼は言う。


「世継ぎはどうするのです?」

「私に子がいなくとも、弟たちがいる。あいつらの子供に継承権が移るだけだ」


 今まで積極的に相手を探してこなかった理由がわかった。弟王子たちが結婚したため、世継ぎの心配がなくなったのだろう。


「私はじきに王位を継ぐが、その次の王が私の子でなくとも問題はない。だから、君には自由に生きてほしいんだ」


 ――その自由をくれたのは、あなたなのに。


「言いたいことは、それだけですか?」


 ゆっくりと目を開けて、彼は全てをあきらめたような、力のない声で言う。


「……ああ。君のしたいようにしてもらって構わない。」


 シェラは静かに息をのみ込み、己の拳を握りしめた。手の傷がピリリと痛む。だが、そんなことはどうでもいい。


 きっと自分はいま、かつてないほど怒っている。もし彼と同じ呪いを抱えていたら、一瞬で姿を変えているほどに。


「わかりました。なら、わたくしの好きなようにさせていただきます」


 言い終わらないうちに、ドレスの内側に忍ばせていたハサミを取り出す。

 これはハランシュカが手の甲の傷を手当てする際に使用した、小箱に入っていた医療用のものだ。


 このハサミを目にしたとき、何故か必要だと思った。部屋にひとりになってから、こっそりとドレスのポケットに忍ばせたのだ。


 刃先が鋭く尖っていて、使い方によっては凶器にもなる。


 それを己の喉元に突きつけ、大きく息を吸った。


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