20 命の使いかた



 ルディオとハランシュカの会話を聞いてしまってから三日、空は見事なまでの晴天模様だった。


 あの日の午前中に雪から雨に変わり、雨がやんだあとは徐々に気温が上がってきた。

 今では雪はほとんど溶けている。シェラが視た未来と同じように、道端に僅かに残った雪の残骸が見えるだけだ。


 今日は朝から忙しない。

 それというのも、本日ついにヴェータを発つのだ。


 二国間での協議がまだ残っていたため、雪が溶けるまでの時間を利用して、ギリギリまで話し合いをしていたらしい。

 結局は、当初予定していた通りの滞在期間になったようだ。

 今はもう荷積みもほぼ終わり、あとは人が乗り込むだけとなっている。


「シェラ、少しいいか?」


 たくさんの馬車が並ぶ王城の敷地内にある停留所にて、出発を待っていたシェラにルディオが声をかけた。


「どうしました?」

「ルーゼの馬車と私の乗る馬車、君はどちらがいい?」


 どうやら誰と一緒に馬車に乗るか聞きたいらしい。

 そんなものは決まっている。

 むしろ聞かないでほしい。選択肢はひとつしかないのだから。


「あなたと、同じ馬車がいいです」

「そうか、女性同士の方が気が楽かと思ったが……」

「ご迷惑ですか?」

「いや。君がルーゼと乗るなら、私はハランと乗ることになるからな。男二人の馬車旅なんて暑苦しいだけだろう」


 苦笑を浮かべながら、彼は近くにいた騎士に何かを伝えていた。おそらくハランシュカとルーゼに、今の会話の内容を伝言してもらうのだろう。

 その様子を見ていたら、ふと疑問がわいた。


「わたくしとルディオ様が同じ馬車と言うことは、ルーゼさんはどの馬車に乗るんですか?」

「ハランと同じ馬車だな」

「それは……よかったのでしょうか?」


 シェラの希望で決めてしまったが、もしルーゼが女性同士のほうが良いというなら、彼女と同じでも構わない。ルーゼとの会話は、世話好きの姉と話しているようでとても楽しいのだ。


 シェラの疑問に、ルディオはさらっと衝撃的なことを言う。


「大丈夫だろ、夫婦だし」

「…………夫婦!?」


 思わず大きな声で聞き返す。

 たしかにあの二人の間には、なんとなく独特な空気が漂っていると感じてはいたが、まさか夫婦だったなんて。

 今さら知った事実に、驚きを隠せなかった。


「言ってなかったか。あいつらも隠してはいないんだが、わざわざ伝えることでもないから黙ってたんだろう」


 あの二人なら、聞いてもいないのに自分たちの関係を話すことはしないだろう。

 納得していると、王城の入り口から名前を呼ぶ声が聞こえる。

 振り向くと、そこにはレニエッタがいた。


「すみません、ちょっと行ってきます」

「……ああ」


 怪訝な顔をしながらも近づいていくと、レニエッタは満面の笑みを向ける。


「シェラさま、今日でお別れですね」

「そうね」

「バルトハイルさまのことは、あたしに任せてください。これからはあたしが、あの方の手足になりますから」


 結局バルトハイルは見送りに来なかった。

 昨日少し顔を合わせる機会があったのだが、会話をするどころか目を合わすことすらなかった。力を失いかけ、他国に嫁ぐシェラは、もうあの男の駒のひとつですらないのだろう。


「シェラさまが長生きできることを祈ってますね。それじゃ、道中お気をつけて」


 くすりと笑いながら、レニエッタは王城内へと戻っていく。

 彼女の後ろ姿を見ながら、なにか嫌なものが背筋を這い上がってくるのを感じていた。


 胸騒ぎとでもいうのだろうか。

 だが、それを感じたところでどうすることもできない。

 ヴェータを出るまでは気を抜かないようにしようと、ひっそりと胸に誓った。




    *




 王城を発って数日、道中は穏やかだった。

 天候にも恵まれ、あれから晴天が続いている。アレストリアに近づくにつれて、気温も多少は上がってきているような気がする。


 一行は国境付近まできていた。

 あとは目の前にある川を越えて、少し進めば検問所だ。アレストリアまで、もう目と鼻の先の距離である。


 川にかかる橋は道幅が狭く、馬車は一台ずつ通るしかないため、少し時間がかかりそうだった。

 順番を待っていると、隣に座った彼が何気なく話をふってくる。


「そういえば、式の日取りも決めないとな」

「あ……」


 アレストリアに戻ったら挙式をするという、重大任務が待ち受けていることをすっかり忘れていた。

 夫婦になったとは言え、夫婦らしいことはまだ何もしていないし、いきなり言われてもなかなか実感がわかない。


「しばらくは忙しくなるだろうから、早くても三か月から半年は先になると思うが……希望はあるか?」

「それなら、春がいいと思います」

「春か……まあ必然的に、それくらいの時期になってしまうな……」


 彼は難しい顔をして、うーんと唸っていた。


「何か不都合が?」

「不都合という訳ではないが……弟たちと時期がかぶるから、なにか言われそうだ」


 ルディオには下に二人の弟がいる。

 アレストリアに三人の王子がいることは、周辺諸国の王侯貴族ならば誰もが知っていることだ。

 その二人の弟王子は、昨年と一昨年の春に結婚している。


「なにかというのは……?」

「面白可笑しく、からかわれるだろうな」


 苦笑を滲ませながら、彼は言う。

 その様子からして、心から嫌がっているわけではないようだ。


「ドレスのデザインも決めないとな」


 今度は優しい笑みに変えて、シェラの髪を指先でいじる。

 これは道中何度もされたことで、彼は暇つぶしにシェラのふわふわの髪を触るのが、癖になってしまったようだ。


 ――髪以外に触れてくれてもいいのに


 そんなふうに思ったのは、一度や二度ではない。

 でもそれを言う勇気などなく、いつも彼にされるがまま受け入れていた。



 そうして甘い時間が流れたのは一瞬で、やっとシェラたちの馬車の順番がきたようだ。


 ゆっくりと馬車が進み、橋を渡り始める。

 中ほどまで来たあたりで、ガコンッという音とともに馬車が揺れ、その場で止まった。


「何があった?」


 ルディオが扉を開け、様子を見に外へと出る。

 同じく様子を窺いに来た、護衛の騎士たちの会話から察するに、馬車の車輪が外れかけているらしい。危ないからと、シェラも一度降ろされた。


「申し訳ありません! 今朝きちんと整備したはずなんですが……」


 整備担当の者が駆けつけてきて、ルディオに頭を下げる。そのまま車輪の修理にとりかかった。


「君は向こうの馬車で待機していてくれ」

「はい」


 シェラがここにいては、邪魔になるだけだ。先に橋を渡った別の馬車で待つように言われ、歩き出す。


 一人のアレストリアの騎士の横を通りすぎようとしたとき、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

 一瞬感じたそれは、例えて言えば、そう――


 ――殺気


 慌てて振り返ると、その騎士は小さなナイフを懐から取り出し、ルディオめがけて飛び込もうとしていた。


 考えるよりも早く、身体が勝手に動いた。

 今ならまだ、間に合う。

 勢いよく駆け出し、体当たりするように騎士の身体に抱きついた。


「だめ!!」


 シェラの声に周りの者が振り向く。

 身体を掴まれた騎士は、睨みつけるようにシェラを見た。その瞳は暗く濁っている。

 シェラはこの目を知っていた。


 それは、レニエッタに支配された者と同じ――


 無理やりシェラの腕を剥がそうと、騎士がもがき始める。

 ナイフを片手に暴れる様子を見て、周りの者も何が起きたのか察したようだ。


「捕らえろ!」


 誰かが叫ぶ声が聞こえ、控えていた騎士が一斉に動き出す。

 追い詰められた腕の中にいた騎士が、一層激しく暴れだした。


 その拍子に二人はバランスを崩す。


「きゃあっ!」


 倒れるようにして欄干を越え、そのまま川の中へと落ちていった。


 一瞬にして視界が水で埋まる。

 冬の川の水は冷たく、全身を刺すような痛みが襲った。


 無我夢中でせり出していた岩を掴むも、流れが早くいつまでもつか分からない。

 寒さを防ぐため厚着をしていたせいで、服が水を吸って動くのもままならなかった。


「シェラ!」


 ルディオの声が、聞こえる。

 よかった、彼が無事ならそれでいい。

 どうせ尽きかけていた命だ。この命で彼が救えるのなら、もう十分だろう。


 指先の感覚がなくなっていく。

 もう、力も入らない。


「シェラ、いま行く!」


 来てはだめ。

 いくらあなたが体力のある男性でも、この川の水は冷たすぎる。

 助けは、いらない。このまま見捨てて。


「やめろ、ルディ! あの娘は十分役に立った! 今後君の隣にいるのは、彼女じゃなくてもいいだろう!?」

「ハラン、おまえっ――!」


 そう、わたくしじゃなくてもいい。

 あなたの隣に立つのは。

 あなたに笑顔を向けられるのは。


 じゃ、なくても――


「ルディ……!」


 手を離すと、流れに任せ身体が水の中へと沈んでいく。

 薄れゆく意識の中で、水面に透ける、金色を見た気がした。


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