第2話 待つ者



 僧が声のする方を向くと、そこに若い男が座っていた。さきほど見回した時は、確かに誰もいなかったのだが。


 若者は近くに住む村人のようだ。粗末な服をまとい、特に旅の荷物を持っていない。僧の目には彼が危険な人物に見えなかった。


「こんな夜更けに出歩かれるとは、何か急な用事がおありですか?」


 若者が訊いた。


「そのとおり。だがこの宵闇の森を抜けるのは、危険だと思ってな。ここで夜明けを待つつもりじゃった」


 僧はあえて旅の目的には触れなかった。


「賢明な選択です。この森には獣も悪党もおります」


「お前さんは何をしていたのかな? 池で夜釣りをするにも、道具を持ってないようじゃが」


「私はただ待っているのです。この池で、ある花が咲くのを」


「花?」


「そうです。幻の花です」


 若者は焦がれた様子で水面を見つめた。


「この池に、二百年に一度だけ、とても美しい蓮の花が咲くんです。その日は必ず満月で、時は寅の中刻ちゅうこく(午前4時20分)。しかも花は小半刻こはんとき(30分)も経たずして、閉じてしまいます」


「二百年! それは夢物語のたぐいではあるまいな?」


「いえ、まことの話です。咲いた所を見た者がおりますから」


「人から人へ伝わるほど、言葉は変化していくもの。二百年の間に何人の口を経ていることやら」


 若者が返事を戻さなかったので、僧は言い過ぎを悟った。


「いや、すまぬ。信じる心を否定するつもりはないのだ。しかしこんは必要じゃな。それでお前はいつからここで待っているのかな?」


「……信じては頂けないでしょうが、二百年です」

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