第2話 些細な幸せ

 それは秋の日で、木枯らしと枯れ葉の美しい日だった。

 文芸部の部員はいつも必ず全員が揃うという訳ではない。今日は私ただひとり、文芸部の部室にいて『西部戦線異常なし』を読んでいた。文字の向こうに見える第一次世界大戦の戦場に恐れつつ、その巧みな表現技法に感心していた。

 外からの野球部やサッカー部の掛け声、部室の時計のチクタクというリズム、廊下より明るい談笑が聞こえてくる。耳をすませば吹奏楽部の演奏がかすかに聞こえる。

 私は本を閉じて立ち上がる。窓から見える河辺の桜木は紅葉に染まっていて、春だけでなく秋でも美しいのか、と嫉妬をしてしまう。


 ふと思い立って、外の空気を吸いに出た。その日は秋にしては寒々とした日で、ブレザーを羽織らずセーターだけで出てきたことを少しだけ後悔した。

 目の前に幸せそうに帰宅する男女の二人組を見て、——自分で言うのもあれだが、私は才色兼備なはずなのに——と思う。

 思い起こせばキリがない。小中学校時代は毎学期ごとに表彰され、試験では常にトップ。私を誰もが認めた。ある者は称賛し、ある者は嫉妬した。それは高校に入ってからも同様で、いかなる試験であろうと私を超える者はいない。

 それに


「冬原さん、好きです! 付き合ってください」


と交際を申し込まれることも毎月と言って良いほど頻繁で、


「ごめんなさい、私は貴方の事が好きじゃないの。だからお断りするわ」


とその都度断る。

 さりとて私も動物、それなりに性欲があるからか、異性と交際してみたいと思うことがあるのだが、一向に理解しあえるような相手は現れない。

 試しに以前、告白してきた男子と付き合ってみても、どこか見下してしまって長続きしなかった。そして、告白を断るのは辛いけれど、別れを切り出すのはもっと辛いと思い知らされるのだ。

 やがて私は全く恋愛をしなくなった。


 全く、青春なんて存在しないじゃない……


 そんな風に考えていたのだが、最近好きな人が出来た。同じ文芸部の石宮君という男の子だ。彼は特別優れた人物と言うわけではない。だが彼だけが私を”鑑賞”してくれるんじゃないかと、勝手に思っているのだ。期待しているのだ。


 だが、彼はもう……そう、すでに”パトロン”なのだ。



「よう、冬原」


その時不意に石宮君が本校舎の方からやって来た。


「何してるんだ?」

「あら石宮君。空気を吸ってたのよ」


すると彼は訝しむように


「なあその格好、寒くないのか? 今の気温、13度だってよ?」


と、彼はスマホの画面を見せてくる。


「……寒いわ」

「なら戻ろうぜ」


と、部室棟に入る。

 部室へ向かう途中、並んで話す。


「今日、どうして遅かったの? てっきり来ないかと思ったわ」

「日直だったんだよ、それと清掃」

「そう……」

「遅くなってしまって、すまない」

「いえ。文芸部の活動なんてあってないような物だし、遅く来たって別に良いのよ?」

「まあそうなんだが、やっぱりやるからにはルールを遵守した方が良い気がしてな……」

「遠野君なら『それって、奴隷道徳って奴だよ、誠司く~ん』って言うでしょうね」


と私が真似ると、


「ワッハッハハハ!」


彼はゲラゲラと笑って


「似てる……クスス」


と満足してくれたようだ。


 それから私と石宮君は部室に入った。そこからはほとんど話さずに、それぞれが好き勝手に本を読んで時間をつぶした。


 不意に


「……そろそろ帰ろうぜ」


と石宮君が言った。腕時計を見れば、六時を回っている。

 こんなに時間が経つのが早いなんて……


「そうね」


と、私はブレザーを羽織る。私たちは荷造りをして、最後に部室の戸締りをする。



 部室棟の階段を下って、それから校門に出る。


「なあ、冬原」

「何?」

「腹が減ってしまってな。すまんが、寄り道しても良いか?」

「平気よ」


と彼はとある和菓子屋に私を連れて入った。


「こんにちは」

「あら、誠司君、こんにちは」


 そこには高齢の女性が座っていて、店内は暖房が効いて暖かい。カウンターには美味しそうな大福や団子、月餅などが並んでいた。


「石宮君、ここは……?」

「見ればわかるだろ、和菓子屋さ」

「普段来てるの?」

「まあね。甘いのはあまり得意じゃないんだが、和菓子なら食べられるんだよ」


と、彼は嬉々として店の奥へ進んでいく。

 彼に続こうとした時、


「ねぇ、お嬢さん」


と店主に止められた。


「はい、なんですか?」

「学校は楽しいかい?」


 こういう質問は頻繁にされるものだ。私はいつも通り愛想笑いを浮かべて


「ええ、楽しいですよ」

「いや、違うね」


しかしながら、老婆は私の目を覗き込見ながら言う。


「私には分かるよ、お嬢さんが不幸せなことくらい。なぜだい? 一体何に苦しんでるんだい?」

「いえ、私は……」

「おばあさん、どうしたんだい?」


石宮君が心配そうにして入ってきた。


「誠司君、この子とどういう関係なんだい?」

「単なる部活仲間だよ、おばあさん」

「本当に?」


と、今度は私に聞いてくる。


「ええ、そうです」

「そうかい。いや、変なこと言って悪かったねぇ。アタシも老いたもんで、若者の考えている事が分からないよ」


とケラケラ笑う。


「何だ、おばあさん、冬原が何を考えてると思ってたんだ?」

「なあに、つまらない事さ。で、何買うんだい? 今ならみたらし団子に豆大福付けるよ」

「ほ、本当か? ならみたらし団子買うよ、二本!」

「はい、まいど」





 店を出ると、すっかり辺りは暗くなっていた。車のヘッドライトが眩しい。


「ん、これ」


と、石宮君はみたらし団子を私に差し出してきた。


「え?」

「さっき俺、二本買っただろう?」

「それは貴方が食べるのだと……よっぽどお腹が空いてるんだなと思ってたわ」

「なわけあるか。さ、食ってくれ。一人じゃ食べきれん」

「でも悪いじゃない」

「この後夕飯だってあるんだ、頼むよ」

「そういうことなら、ありがたく頂戴するわ」


 一口食べてみると、そのみたらし団子は暖かだった。思わず頰が上がる。


「団子って温かいのね」

「作りたてだとそうだろうさ」

「へぇ! 知らなかったわ、いつも既製品のものしか食べてこなかったもの」

「ほほう、なら気に入ったんじゃないか?」

「ええ、とっても!」


 あのおばあさんは私を不幸だと思ったらしい。でも、私にだって幸せはある。こういう些細な幸せが。

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