第4話 桜木舞花と演劇部 4

 それから一か月間。私は相変わらず表面の平和と裏面の対立を抱えながら、演劇部に参加し続けた。

 そしてついに退部の約束の日。

 夕日はとっくに沈んで、教室は白い蛍光灯の灯りだけになる。窓の向こうからは人々の家が優しく光っていて、そこには一つ一つ物語がある。

 演劇部最後の基礎練習が終わった後、私は真柴先輩の所へ行き、再度退部届を渡した。


「先輩、約束です。今日限りで退部させてください」

「え? いやぁ。そっかぁ、ついにその日が来たんだね」


真柴先輩は後頭部をポリポリと掻く。

 するとそこへ大和田先輩がやってきて、


「アンタ、またそれ言ってんの?」

「はい、約束です。辞めさせてください」

「あのね、迷惑だって言ってるのよ。辞めるのは辞めなさい」


 あー、こういう時、文芸部の皆ならどうやって辞めるのかな? 私には怖すぎて、何も言えない……

 私は涙目になる。一カ月前から成長していないのだなと思われて、なんだか悲しくなった。


「ハァ、まったく。人間性が未熟なの? 周りに迷惑をかけるのって無責任ってものじゃない? 貴女みたいな子はこのまま演劇部で人間性を磨いた方が良いわよ」

「あの、その……」

「良いから聞いて。部活ってのは素晴らしいのよ。居場所があって、仲間がいて、素敵な活動を通じて自分の成長もできる! ねえ、すごいでしょ?」

「その、せんぱ……」

「ねえ、私は別に怒ってるんじゃないの。貴女の為を思って言ってるのよ」

「……そ、その……」


 私が怯え泣きそうになっていると、


「待ちなさいよ」

「ダメだって今は!」

「ちょっ、冬原さん!? 入っちゃダメだって」


入り口が騒がしい。見れば智雪ちゃんが皆川さん達の静止を振り切って教室に入ってきている。


「黙って外で聞いていれば、本当に酷いわね……」

「ごめんね、智雪ちゃん。私、全然きちんと言えなかったよ」

「舞花さんの事じゃないわ。貴女は充分に頑張ったわよ」


彼女は私のもとへやってくると、頭を撫でて優しく私に笑いかけてくれた。思わず涙が出る。


「……私が酷いと言っているのはそこの女の事よ」


智雪ちゃんは大和田先輩を睨みつける。


「誰よ、アンタ? 今桜木と大事な話をしてたんだけど」

「今のが話ですか? 一方的な説教に聞こえましたよ、くだらない演説のようなお説教に……ヒトラーにでもなりたいのかしら?」

「何よ、不愉快ね。部外者は引っ込んでてよ」


 怒る大和田先輩を無視して、智雪ちゃんは冷酷に淡々と続ける。


「まず第一に、退部することが迷惑とおっしゃっていましたが、貴女のソレも桜木さんに対して迷惑だという自覚をなさってはいかがですか? 舞花さんの貴重な時間を奪っていますよ」

「は? 何言ってんの?」

「それと第二に、先輩、人間性の話をしましたね? では私からも一つ言わせてもらいますが、先輩の人間性というものは桜木さんの小指の爪先ほどの価値もありませんよ? 他人の人格をいとも簡単に否定するんですからね」


 そして最後に


「どうやら演劇部で磨かれる人間性というのは、愚かしさだけみたいですね」


と智雪ちゃんの端正な顔に、挑発するような嫌味に満ちた笑みが浮かぶ。

 この子、喧嘩強いんだろうな……と思わず感心する。


 そんな智雪ちゃんを前に、大和田先輩の顔がいよいよ鬼の形相になる。いまにも噴火しそうな火山のようだ。

 さすがにこれ以上は良くないと思い、


「ちょっと、智雪ちゃん。言いすぎじゃない?」

「舞花さんは黙ってて」


と一蹴り。

 智雪ちゃんは雪女のようだった。いや、雪の女王といった方がしっくりくる。火山をも凍らせるほどの冷たさを放っている。


「アンタになんの権限があるの?」

「それはこちらのセリフですよ、先輩。自分勝手に舞花さんの時間を奪っていい人間なんて、この世にいるんですか?」

「はぁ?」

「貴女の言う事は結局のところ自己本位なんですよ。先輩が演劇部に費やした時間を肯定するためか、あるいは根っから舞花さんを利用しようという打算かは分かりませんが、貴女はこれっぽっちも彼女を思っての発言をしていません。時間が奪われる舞花さんが可哀想ですよ。まったく、いいです」

「ちょ、ちょっと君」


真柴先輩も止めに入る。


「こ、この女……黙って聞いていれば知ったような口をききやがって……!」


すると突然、大和田先輩がガバッと智雪ちゃんにとびかかる。とっさに真柴先輩が大和田先輩を智雪ちゃんから引き剥がそうとする。


「おい、大和田! ヤバいって、暴力は!」

「黙って! 放して! そこのガキに教えてやんのよ」

「ダメだってば……!」


胸倉をつかまれてグワングワンと揺られる智雪ちゃんの表情は変わらず冷静だった。


 廊下が騒がしくなり始めた。


「え、何、どうしたの?」

「なんか、喧嘩?」


そうこうしているうちに、廊下に野次馬が集まりだしたんだ。


「お前たち! 何をしているんだ!!!」


その中から先生が出てきて、私たちを怒鳴った。体格のいい彼杵という先生だ。

 その怒号に驚いて、私たちは喧嘩をやめて黙る。


「貴様ら演劇部はこぞって休部処分を受けたいのかな? オオン?」

「その、すみません。部長である俺の責任です」


 真柴先輩は深々と頭を下げる。


「真柴か……まったくやれやれ。けが人はいないんだろうな?」

「はい、いないです」

「そうか。次はないからな。……おい野次馬ども、とっくに下校時間だぞ。さっさと帰れ! ほら、散った散った!」



 ひと段落ついて静かになると、私たちは黙って荷物をまとめる。


「その、舞花ちゃん。退部届貸して、サインするよ」


真柴先輩は疲れ切った表情をして言った。


「あ、はい。これです、お願いします」

「はい、書き終わったよ。そんじゃ、ご達者で」

「お世話になりました」


真柴先輩は私に目を合わせようともしなかった。

 カバンをもって廊下に出ようとしたところ、


「……ねえ桜木」


と大和田先輩に止められる。


「はい、なんですか?」

「バイバイ!」


と、なんだか気持ち悪い笑みを浮かべて言った。


「え、ええ、さようなら」


怖くなった私は逃げるようにして、廊下で待つ智雪ちゃんの所へ駆け寄った。

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