第5i話 決着
あれから連日、私は高熱で学校を休み、ベッドの中で眠っていた。
頭痛も熱も憂鬱も、以前よりずっとひどい。
重い頭を持ち上げて窓の外を見る。外は相変わらず大雨で、灰色の景色が広がる。
「智雪ー、お友達が来てくれたわよー」
と母の声がした。
「え? あ、ええ……ど、どうぞ、ご案内して」
入ってきたのは桜木さんと、そのお友達の河島亜紀と言う女だった。彼女も同じクラスメイトだったので、見覚えがある。
「来ちゃったよ、エヘヘ」
「こんにちは、桜木さん」
「お邪魔するねー、冬原さん」
「貴女はどうして?」
「連れ添い人でーす」
「そう」
と、私は興味なく答える。
「ねえ智雪ちゃん。これ、学校の配布物とお土産」
桜木さんはリュックから可愛らしいデザインの小さな箱とプリントを取り出した。
「ありがとう。でもお土産? どこかに行ってたの?」
「あれ、違うな……なんて言うの?」
「お見舞い、とでも言うのだと思うけれど。とにかくありがたく受け取っておくわ。今ここで開けても?」
「勿論!」
箱の中身は可愛らしい猫の形をしたクッキーだった。実に彼女らしい選択だ。
「美味しそうね、ありがとう」
「良いんだよ。それより体調は?」
「まだ熱があるわ。鎮痛剤が今は効いてるけど、切れると頭痛がするわね」
「辛そう。どうかお大事にね?」
桜木さんは私の手を握った。彼女の手は暖かく柔らかかった。
「ありがとう、桜木さん」
「ねえ、舞花ー。あんまり冬原さん家にいても悪いから、さっさと帰らない?」
「うん、そうだね。そう言う事で、今日はゆっくり休んで、また学校で会おうね」
二人が部屋から出ると、玄関から母と二人の話す声が聞こえてきた。
しばらくして河島さんの『いっけない、忘れ物した』というセリフ、そして足音が近づいてくる。
ガチャリ。
「ごめんねー冬原さん」
「忘れ物をしたのね?」
「うん、そうなんだー……あったあった! これだよ」
と、彼女は小さなポーチを手にした。
「見つかって良かったわね」
「うん。ところで冬原さん、前回の定期テストの順位、高かったんだよね?」
「ええまぁ、3位だったわ」
「すごいよ、私は頑張っても5位だったから。尊敬するなー」
「べ、勉強なんて単なる要領の問題よ。褒め過ぎね」
「……ところで冬原さん」
河島亜紀の目の色が変わった。
「な、何かしら?」
「冬原さんの彼氏さんってどんな人?」
それはあまりに突然でタイムリーだった。私の憂鬱な気分は吹き飛び、久しぶりに心にドス黒い緊張感が走る。
ギクリとするが、強者のポーカーフェイス。私は河島から決して目線を逸らさずに、よく言葉を選んで答える。
「……いないわよ」
「いないの? 意外」
「そう?」
「てっきりいると思ってたよ。冬原さん、凄い人だから。じゃあさ、どんな人がタイプ? せいじつな人とか?」
「たしかに誠実な人は好きよ。でも、好きにタイプとかってあるのかしら? 一度好きになった相手なら、私はどんな相手でも好きよ」
「そっかー! やっぱりモテる女は言う事が違うね」
ガチャリとドアが再び開いた。
「亜紀ちゃん、遅いー」
「ああ舞花。ごめんごめん、今行くよ。……それじゃあ、またね冬原さん」
「ええ、また」
と、二人は外へ出た。
彼女らが見えなくなるや否や、私はベッドから飛び起きてスマートフォンを起動した。
冬原『ねえ、石宮君』
いしみーや『どうした?』
冬原『私達のこと、内緒にしてくれない?』
いしみーや『既にしてるよ。安心しろ、俺も共犯だ』
私はホッと胸を撫で下ろす。
石宮君の言う通りなら、私が桜木さんを裏切った事は誰にも知られていないはず。となれば、河島は私にカマをかけたのだ。いや、考えすぎか?
いや、今考えなくてはならないのは、桜木さんの扱いだ。
素直に白状するべきか? きっと楽になれる。——否、絶対に嫌だ!
しかし、友情を捨ててまで、石宮を取らねばならないのか?
頭がいっぱいになって来た。考えるのが辛い。
私はもう一度眠りについた。
♤♤♤
あれから何日か経ったとある日曜日。
私は石宮君と少し無理をして会っていた。デート目的だったらどれほど心を弾ませていただろうか。だが、違う。
それは私が罪を犯したという告白をする為である。
中央駅から徒歩5分程度にある喫茶店にて、私は彼を待っていた。
「悪い、待ったか?」
「少しだけね」
「すまなかった」
「いいのよ」
「ところで冬原は病み上がりだよな? 大丈夫なのか?」
「平気よ。それより早くメニューを選んで。本題を切り出したいの」
私は紅茶と受け菓子にビスケットを、石宮君はコーヒーにスコッチを注文した。
「石宮君、私達、付き合っているのよね?」
「そうだが……それが何か?」
「いえ、良いの。それと、この関係は秘密にしてくれてるのよね?」
「ああ、遠野に悪いからな」
——と言う事は、桜木さんの好意には気がついていないのね。
「あのね、実は桜木さんがね、貴方のことを好きなのよ」
「……それは知ってる」
「えッ? 知っていたの?」
「君が休んでいる間に部室で告白を受けた。クリスマスに水族館にデートしませんか? ってな」
「そ、そうだったの……で、何て断ったの?」
「普通に彼女がいるって答えたよ。こじれると思って、冬原の名前は出してない」
「そう……」
私は胸を撫で下ろす。そして、自分の外道さに気がつく。
私は一刻も早く胸の内から溢れ出そうな思いを、彼に伝えたくなった。
「あのね、よく聴いて。実は私ね、貴方に告白するずっと前から桜木さんに相談を受けていたのよ」
「と、言うと……」
「そう、私は彼女を裏切って貴方にキスをした」
やっと辛い思いを吐き出せた。これで彼に嫌われてしまったとしても仕方ない。割り切れる自信がある。
しかし、返ってきた返答は予想外だった。
「……なぁ、どうして泣いているんだ?」
「……え?」
彼に言われて気が付いた、私の目から涙が流れていた事に。
「あれ? 変だわ。泣くつもりなんてないのだけれど」
「ああ、折角の綺麗なまぶたが腫れてしまうよ」
彼はハンカチを取り出し、差し出した。
「要らないわ!」
と、私はそれを拒む。
「どうして」
「私は悪人で、ゴミだからよ」
「どうしてそんな風になるんだ!? 君は悪くないし、ゴミじゃない。
つい最近まで、俺は君が何でもこなす完璧超人だと思ってたんだぜ? 涙を流すなんて思いもしなかった」
クスッと不本意ながら笑ってしまう。
「フフ、私が完璧超人? 冗談でしょ?」
「いや、本気さ。俺なんかじゃ到底釣り合わないって思ってたよ」
「私は情けない恥晒しのゴミ人間よ」
「そんなこと言うなよ。冬原はずっと素敵な女の子だよ」
「どうして? 私は完璧になれなかった。矛盾だらけなのに!」
「だからだよ、昔よりもお前がずっと可愛く見えるのはな! お前のことを見てると、ほっとけなくなるんだよ!」
しんとする。少し大声で話し過ぎたようだ。
「す、少し静かにしましょうよ」
「そ、そうだな。それこそ恥晒しだ」
これまでで分かったのは石宮君からの好感度は予想よりも高かった事。私はてっきりここで失望され、フラれる事を覚悟していた。
「でも、私たちはこれからどうしたら良いの? 桜木さんにどう弁解したら?」
「正直に謝る他ないだろうさ」
「友人を失いたくない」
「俺もだ。俺も遠野に嫌われたくない。でも、言う他ないだろう」
「そうなのかしら……いや、やっぱり嫌よ」
「どうしてだよ。正直に心から向き合えば、きっとあいつらも理解してくれるさ」
「わ、私は負けたくないの! 私は必ず勝つわ」
「な、何を言っているんだ?」
石宮君は悲痛そうな表情をした。
私はその彼にウインクしながら
「私はまだ戦うわ」
と笑いかけた。
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