第11話 それは花が舞うと共に始まった。

 夜になってもなお蒸し暑い今日は、桜木と花火大会に行く約束の日。正直言って、人混みとか騒ぎとかはあまり得意でない。けれども桜木の誘いだ、断る訳にはいかない。


 文神中央駅のロータリーには武将の文神豪馬氏なる人物の石像が建っていて、それを目印にして、俺は彼女を待っていた。

 腕時計を見れば、約束の時間を少し過ぎていた。


「ごめーん! 石宮!」

「遅いぞ、桜木」

「えへへ、ごめんね」

「えへへじゃない。さっさと行くぞ」

「うん!」


 桜木は水色を基調とした彩り豊かな花柄の浴衣に、花の形をしたピンクの髪留めで団子を作っていた。そして、自信とわずかに残る恥じらいとを含んで


「どう? 私、可愛い?」

「あ、ああ……可愛いよ」

「何照れてんだよー!」


桜木がグリグリと肘で脇腹をつついてくる。

 くすぐったい……


「ほっとけ」


思春期男子には少し刺激が強すぎるかも知れない。つい自然と目を逸らしてしまう。


 俺と彼女はそのまま改札口を通り、電車に乗って二つ先の駅まで行く。

 ガタガタと揺れる満員電車の中には、俺たちのような若い男女が多数。彼らも花火が目的だろう。

 そんな中で、俺と桜木はどうしても密着してしまう。

 するとどうだろう。

 彼女の息遣い、視線、微かな震え、緊張……そう言ったもろもろが感じられ、思わずたかぶってしまう。

 俺は自分の理性を保つ為、左手を右手で強くつねる。痛みのお陰で、わずかながら理性を保てる……と期待する。



 そのままなんとか耐え切り、諸々と危なっかしい電車を降りて、俺と桜木は海岸へと向かう。


「凄い人混みだね」

「まったくだよ。俺は人混みが苦手だ」

「へへへ、そうだね。石宮は文化祭の時も辛そうにしてた」

「そうか?」

「そうだよ」

「かく言う君こそ、文化祭の時人に酔ってたじゃないか」

「そうだったかも」


桜木は顔にシワを作って笑う。

 それからしばらくの沈黙ののち、


「……ところで、誠司君」


下の名前で呼ばれてドキリとする。見れば、彼女は頬を染めていた。


 ——何度目だろう、これは良くない事の前兆だ。いや、良いことかも知れない。だが、少なくとも理性には害だろう。何度告白を期待して、裏切られたことか!


「私と手、繋いでくれない?」


と、彼女は上目遣いで覗き込んできた。それは意外な申し出で、思わず変な気持ち悪い笑いが出そうになるのを必死に堪えて、


「……よ、喜んで」

「じゃ、貸して」

「う、うす」


と手を握る。


 言葉数が減ってしまうのは仕方ない。仕方ないんだ! 俺は高校生の男の子だぞ!?

——という俺の中の心の葛藤も知らずに、彼女は手を組み直して指を絡めてくる。いわゆる恋人繋ぎって奴だ。


「えへへ、嬉しい……」

「おい、これって」

「花火始まっちゃうよ、急ご!」

「お、おう……」


 それから俺と桜木はそのまましばらく無言になって、人の流れに流された。

 その時の彼女のカタッカタッという下駄の音は忘れられないだろう。


 しばらく進むと人混みを抜けた。

 俺と桜木はとある大きな木を見つけると、そこの下に座り込んだ。


「ほれ、ハンカチ。下に敷いて、着物を汚さないようにな」

「ありがとう」


 座ると間もなく、パーンと花火が上がった。大きな赤い花火だ。


「グッドタイミングだったね、ちょうど始まったよ!」

「……炎色反応だな」

「化学で習ったばかりだね」

「リアカーなきK村、動力借りるとするもくれない馬力……」

「勉強の話はやめッ! 聞いてるだけで頭が痛くなるよぉ」

「そうか? すまない」

「まったくだよ」


 それから間も無く、バババババーンと連続して何発も花火が上がり、その美しさに思わず俺たちは黙り込んでしまった。



 沈黙と爆音の中で、おもむろに桜木は俺の手を優しく握ってきた。


「ど、どうしたんだ?」

「あのね……わ、私ね、誠司君の事が好きなの」


パーンと遠く、今までで最大の花火が炸裂し、彼女の紅潮した頬と潤んだ瞳が照らされた。その表情に思わず見入ってしまう。


 ドキドキと言う感覚はまさしくこれだ。これこそが恋。これこそが青春ッ!


「あ……ああ。ありがとう……」


 こうなる事は予想していたが、いざとなると緊張のあまり大した言葉も出てこない。何とか捻り出して出た言葉が


——「俺なんかの何が好きなんだ?」


 すると彼女は照れ臭そうにはにかんで、


「全部が好き……って言うのは答えになってないかな? 強いてあげるなら、優しい所。それに声とか勉強熱心な所とか諸々好き。あーでも、目付きの悪い所とか時々無愛想になる所とかも好きかも……」

「それは美点ではなかろうに」

「えへへ、そうかな?」

「そうだよ」

「でも、好きだよ」


と迷わず言われる。

 好きと言われる度に、心臓が口から飛び出そうなくらい震えるのを感じた。


「入学式の日、助けてくれたあの時から、私は君の事が好きだったのかもね」

「そうか、ありがとう……」

「……私と付き合って下さい」


 また花火が上がる。その潤んだ大きな瞳が真っ直ぐに見つめて来る。魅入られる。


 ——ああ、これは負けだ、陥落だ、チェックメイトだ。どう足掻いても、断る理由が浮かばない。それどころか、心の中全ての俺が、彼女への好意を認識せざるを得ない。



「……俺はあんまりノリの良い奴じゃない」

「知ってる」

「いわゆる陰キャラに属するし、少し捻くれた性格も自負している」

「知ってる。でも、それが好き」


彼女は俺から一切目を逸らさずに答える。


「……参ったよ。桜木、お前は凄いな」

「告白のイメージトレーニングをやり込んだからね!」


とウインク。悔しいが、正直可愛い。

 真摯に答えるつもりで、一度姿勢を治してから、俺も彼女を見つめる。


「……こちらこそ、俺と付き合って下さい」

「はい、喜んで」


 

 その時、それはごく普通に起こった。

 桜吹雪がゆっくりと落ちて行くように、ごく自然と、ゆっくりと














俺たちはフレンチキスをした。








 柔らかい唇の感触や彼女の体温、動悸、そして心さえ伝わってきた。


——この子も緊張していたんだ。


 その瞬間、ざわついてうるさかった心は沈黙し、その代わり宇宙だとか運命だとか、そう言った圧倒的な存在に埋め尽くされた。



 高校生の俺には彼女とのキスはあまりに強烈で眩しく、何か重大なことの様に思われたのである。




 それから名残惜しみつつ離れて、俺たちは照れ隠しの為か、うつむく。恥ずかしさのあまり、目も合わせられない。

 それでもなお、繋がれた手から俺たちの心が通じ合っていることが確認できる。




 しばらくの無言ののち、舞花が照れ臭そうにして


「えへへ……初めてのキスの味はどうでしたか?」

「酸っぱいレモンの味がしたよ」

「本当?」

「砂糖とスパイスと素敵な味だよ」

「それはよかった」

「……舞花はどうだった?」


不意に下の名前で読んだからか、彼女は頬を紅くして


「……ば、ばか。誠司はコーヒー飲み過ぎ。コーヒーの味がしたよ」

「そうか」

「そうだよ」


 打ち上がる花火が俺たちを祝福していた。

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