厩戸皇子(聖徳太子)② 憲法十七条等

 更新を二ケ月以上も空けてしまい申し訳ございません。


 近況ノートでもお知らせしていましたが、先月、父が他界し、事務処理で多忙であったり、何より文章を書く気力が湧かなかったのですが、今まで介護にかけていた時間が無くなったことで多少余裕も出来て、気分も落ち着いてきたのでボチボチ再開しようと思います。


 ……まぁ出来た時間をサーバー構築の勉強遊びをしていたり、週4日程オンラインのキックボクシングのトレーニングに当てていて、こちらを更新する体力も無かったというのが大きいですが(マテ


 あとは言い訳がましいですが太子の十七条の憲法が長すぎて想像以上に時間が掛かりました。内容や他作品との進捗具合にもよるかと思いますが(あとAIプログラミングにも興味があるのとクラウドの管理にも役に立つらしいので流行のPythonを勉強をするかもですが)、時折今後も更新出来たらと思います。


 さて、前置きが長くなりましたが、以下に憲法十七条の内容について触れていきます。


『前賢故実. 巻之1』より厩戸皇子の肖像画

https://kakuyomu.jp/users/uruha_rei/news/16816927862022791950



⑴『日本書紀』巻二二推古天皇十二年(六〇四)四月 戊辰三日

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。

一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨、亦少達者。是以、或不順君父。乍違于隣里。然上和、下睦、詣於論事、則事理自通、何事不成。

二曰、篤敬三寶。三寶者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤惡、能教從之。其不歸三寶、何以直枉。

三曰、承詔必謹。君則天之、臣則地之。天覆地載、四時順行、萬氣得通。地、欲覆天、則致壌耳。是以君言臣承、上行下靡。故承詔必愼、不謹自敗。

四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在乎禮。上不禮而下非齊、下無禮以、必有罪。是以群臣有禮位次不亂、百姓有禮國家自治。

五曰、絶餮棄欲明辨訴訟。其百姓之訟、一日、千事。一日尚爾、况乎累歳。頃、治訟者、得利爲常、見賄聽讞。便有財之訟、如石投水、乏者之訴、似水投石。是以貧民則不知所由、臣道亦於焉闕。

六曰、懲惡勸善古之良典。是以、無匿人善、見惡必匡。其諂詐者、則爲覆國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦侫媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆無忠於君、無仁於民。是大亂之本也。

七曰、人各有任、掌宜不濫。其賢哲任官、頌音則起、姧者有官、禍亂則繁。世少生知、尅念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩、遇賢自寛。因此國家永久、社稷勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。

八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡鹽、終日難盡。是以遲朝、不逮于急。早退、必事不盡。

九曰、信是義本、毎事有信。其善惡成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣無信、萬事悉敗。

十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心、心各有執。彼是、則我非、我是、則彼非。我必非聖、彼必非愚、共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。

十一曰、明察功過、賞罸必當。日者、賞、不在功、罸不在罪。執事群卿、宜明賞罸。

十二曰、國司、國造、勿歛百姓。國非二君、民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦歛百姓。

十三曰、諸任官者、同知職掌、或病、或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞、勿防公務。

十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、人亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以智勝於己則不悦、才優於己則嫉妬。是以五百之乃今遇賢、千載以難待一聖。其不得賢聖、何以治國。

十五曰、背私向公、是臣之道矣、凡夫人有私必有恨、有憾必非同、非同、則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧。其亦是情歟。

十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節、不可使民。其不農何食、不桑何服。

十七曰、夫事不可獨斷、必與衆宜論。少事是輕、不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辨、辭則、得理。


夏四月なつうづきの丙寅ひのえのとらのついたちのひの戊辰つちのえたつのひ皇太子ひつぎのみこみづかはじめて憲法いつくしきのり十七條とをあまりななをちを作りたまふ。


ひとついはく、やはらを以て貴し爲し、さかふこと無きをむねと爲せ。人皆ひとみなたむら有り、またさとれるもの少なし。是を以て、あるい君父きみかぞしたがはずして隣里さととなりたがふ。然れども上和かみやわらぎ、下睦しもむつびて、事をあげつらふにかなふときは、則ち事理ことわり自らにかよふ、何事か成らざらむ。


ふたつに曰く、篤く三寶さむぽうゐやまへ。三寶はほとけのりほふしなり。則ち四生よつのうまれをはりよりところ萬國よろづのくに極宗きはめのむねなり。いづれの世 いづれの人か是のみのりを貴ばざる。人 はなはだ惡しきものすくなし、く教ふるをもて從ひぬ。其れ三寶にりまつらずば、何を以てまがれるをたださむ。


みつに曰く、みことのりうけたまはりては必ずつつしめ。きみをば則ちあめとす、やつこらをば則ちつちとす。あめおほつちせて、四時よつのとき順り行き、萬の氣通しるしかよふことを得。つちあめおほはむとるとくは、則ちやぶるることを致さむのみ。是を以てきみのたまふときは臣承やつこらうけたまはり、かみ行ふときは下靡しもなびく。故に詔をたまはり必ずつつしめ、つつしまずんばおのづからに敗れなむ。


よつに曰く、群卿百寮まちきみたちつかさつかさゐやを以てもとよ。其れ民を治むる本は、かならゐやに在り。上禮かみゐやなきときはしもととのほらず、しもゐや無きときは、必ずつみ有り。是を以て群臣まへつきみたちゐや有るときは位次くらゐのついでみだれず、百姓おほみたからゐやあるときは國家あめのした自から治まる。


いつつに曰く、あぢはひのむさぼりたからのほしみを棄てて、明かに訴訟うたへさだめよ。其れ百姓おほみたからうたへは、一日ひとひに、千事ちはざあり。一日ひとひすら尚爾なほしかるを、いはんやとしかさねてや。このごろうたへを治むる者、くほさを得て常と爲し、まひなひを見てことはりまをす。便すなはたから有るもののうたへは、石をもて水にぐるが如し、ともしきひとうたへは、水をもて石に投ぐるに似たり。是を以て貧しきおほむたから、則ち所由せんすべを知らず、やつこ道亦みちまたここけぬ。


むつに曰く、惡をころほまれすすむるはいにしへ良典よきのりなり。是を以て、人のほまれ無匿かくさず、惡を見ては必ずただせ。其れへつらあざむく者は、則ち國家あめがしたくつがへすたり、人民おほむたからを絶つ鋒劔ときつるぎたり。またかだましくぶる者は、かみむかひては則ちこのみてしもあやまちを説き、下に逢ひては則ち上のあやまち誹謗そしる。其れ如此これらの人は、皆君みなきみいさをしきこと無く、おほみたからめぐみ無し。是れおほきなるみだれの本なり。


ななつに曰く、人 おのおのよさし有り、つかさどること宜しくみだれざるべし。其れ賢哲さかしきひとつかさよさすときは、頌音ほむるこゑ則ち起り、姧者かだましきひとつかさたもつときは、禍亂わざはひみだれ則ちしげし。世に生まれながら知ること少なけれども、おもひてひじりる。ことにおおきなりいささけき無く、人を得て必ず治まる。時に急緩ときおそきと無く、さかしきひとに遇ひて自からゆたかなり。此に因りて國家くに永く久しくして、社稷いへくにあやふきことし。故れいにしへ聖王ひじりのきみつかささだめて以て人を求む、人の爲につかさを求めたまはず。


やつに曰く、群卿百寮まちきみたちつかさつかさまゐりておそ退まかでよ。公事靡鹽おほやけいとまなし終日ひもねすつくし難し。是を以て遲くまゐれば、すもやかなるにおよばず。早く退まかれば、必ず事盡ことつくさず。


ここのつに曰く、まことは是れことわりの本なり、事毎ことごとまこと有れ。其れ善惡成敗よきあしきなりならずかならずまことに在り。群臣まへつきみたち共に信あるときは、何事か成らざらむ。群臣まへつきみたち信なければ。萬事よろづのわざことごとくやぶる。


とをに曰く、忿こころのいかりを絶ちおもてのいかりを棄て、人のたがふを怒らざれ。人皆心有ひとみなこころあり、心各執こころおのおのとることを有り。彼れよしむずれば、則ち我れはあしむず、我れよしむずれば、則ち彼れあしむずる。我れ必しもひじりに非ず、彼れ必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫ただひとのみ。是非よきあしきことわりたれく定むき。相共あひとも賢愚かしこくおろかなること、みみがべはしきが如し。是を以て、彼の人はいかるといふとも、かへつて我があやまちを恐れよ。我れひとり得たりといふとも、もろもろしたがひて同じくおこなへ。


十一とをあまりひとつに曰く、功過いさみあやまち明察あきらかにして、賞罸たまものつみなへ必ずてよ。日者このごろたまものいさみおいてせず、つみなへ、罪においてせず。事を群卿まへつきみ、宜しく賞罸たまものつみなへを明らかにすべし。


十二とをあまりふたつに曰く、國司くにのみこともち國造くにのみやつこ百姓おほみたからをさめとること勿れ。國に二の君非し、民にふたりあるじ無し。率土くにのうち兆民おほむたからきみを以て主と爲す。所任官司よさせるつかさみこともちは、皆是れ王臣きみのみやつこなり。何ぞ敢ておほやけともに、百姓おほみたからをさらむ。


十三とをあまりみつに曰く、もろもろよさせる官者つかさひと、同じく職掌つかさことを知れ、或は病ひし、或は使して、事におこたる有るらむ。しかれども知ることを得る日には、あまなふこといむさきよりれるが如くせよ。其れあつかり聞くことしといふを以て、公務まつりごと勿防なさまたげそ


十四とをあまりよつに曰く、群臣百寮まへつきみたちつかさつかさ嫉妬うらみやねたみ有ること無かれ。我れ既に人をうらめば、人 また我をうらむ。嫉妬うらみやねたみうれへ、其のきはまりを知らず。所以このゆゑひとり己れにまされば則ち悦ばず、かど己れにまさればすなは嫉妬ねたむ。是を以て五百歳いほとせの後、乃賢いましさかしひとに遇はしむれども、千載ちとせにしても以て一のひじりを待つこと難し。其れ賢聖さかしきひとひじりを得ざるときは、何を以てか國を治めむ。


十五とをあまりいつつに曰く、わたくしそむきておほやけくは、是れやつこらの道なり、凡そ人 わたくし有れば必ずうらみ有り、憾有うらみあるときは必ずととのほらず、ととのほらざれば、則ち私を以ておほやけさまたぐ。うらみ起るときは則ちことわりたがのりやぶる。故に初のくだりに云へらく、上下和かみしもあまなととのほれと。其れまた是のこころなるかな


十六とをあまりむつに曰く、おほみたからを使ふに時を以てするは、いにしへ良典よきのりなり。故れ冬の月にはいとま有りて、以ておほみたからを使ふし。春より秋に至りては、なりはひこかひときなり、おほみたからを使ふべからず。其れなりはひせざれば何をかまむ、くはとらずば何をかむ。


十七とをあまりななつに曰く、れ事はひとさだむからず、必ずもろもろともあげつらふべし。少事いささけきは是れ輕し、必しももろもろからず。唯 大事おほひなることあげつらふにおよびては、あやまち有らむことを疑ふ。故にもろもろとも相辨あひわきまふるときは、こと則ち、ことはりを得む。)




◇⑴概略

 夏四月三日、皇太子は、ご自身ではじめて憲法十七条をお作りになられた。


 一にいう。和を尊び、逆らうことの無いように心掛けよ。人は皆仲間がある。また悟りを得る者は少ない。それゆえ、ある者は君・父に従わず、またある隣人と仲違いする。しかし、上下の者が睦まじく論じ合えば、自然と理解し合えて、何事でも不可能ではない。


 二にいう。篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧である。すなわち四生(仏教で卵生・胎生・湿生・化生。即ち一切の生類)の行き着くところであり、全ての国々の究極の教えである。何時の時代、何処の人がこの法を尊ばずにいようか。人で、甚だしく悪いという人は少なく、よく教えれば従うものである。三宝に頼らなければ、何を用いて邪悪なものを正しくさせ得ようか。


 三にいう。みことのりを承けたら必ず謹んで従え。君を天とし、臣らは地である。天はあまねく覆い地は全てをせる。四季が順調に移り、万物の働きが起こる。もし地が天を覆うようになったら、秩序が破壊されてしまう。それ故に君が仰せられることを臣らは承れ。上に立つ者が行えば下の者は従う。だから詔を承けたならば必ず慎んで従え。従わなければ自滅する事になるだろう。


 四にいう。群卿まえつきみたちと百寮百官は礼を以て全てのもととせよ。民を治める本は、必ず礼にある。上に立つ者が礼なきときは下の秩序は乱れ、下の礼が無いときは、必ず罪を犯す事になる。群臣まえつきみ等に礼が有るときは位の秩序は乱れず、百姓に礼あるときは国家も自ら治まる。


 五にいう。職を貪らず物欲を棄てて、公明に訴訟に当たれ。百姓の訟は、一日に、千件もある。一日でもそのようであるのに、ましてや年を重ねたら猶更の事である。近頃、訴えを扱う者、私利を得ることを普通とし、賄賂を受けてから、その申し立てを聴く有様である。つまり財産ある者の訴えは、石を水に投げるが如く(容易く聞き届けるが)、貧しい者の訴は、水をもて石に投げるよう(に通らない)。これで貧しい民は何をすればいいのかわからず、臣下らの行いも道にかけたものになる。


 六にいう。惡を懲しめ善を勧める事は古来の良き教訓である。それ故、人の善は隠すことなく、悪を見ては必ず改めさせよ。へつらい欺く者は、国家を覆えす危険な器であり、人民を絶つ鋭い剣である。また嫉み媚びる者は、上の者に向かっては好んで下の者のあやまちを説き、下に逢えば上の者の過ちを誹謗する。これらの人は、皆忠誠心無く、民に仁愛の心無し。これは大きな乱の本である。


 七にいう。人はそれぞれ任務が有る。司ることに乱れがあってはならない。賢明な人が官に任用したときは、すぐに褒めたたえる声が起こり、寄越し生人が官にあるときは、禍や乱がれがすぐに頻繁に起こる。世に生まれながら知っていること少ないけれども、よく思慮して聖人となる。事は大小に関わらず、人を得て必ず治まるにのである。時の流れが遅かろうが早かろうが、賢明な人に逢った時、自ら治まるのである。その結果国家は永久で、世の中は安泰になる。だから古の聖王ひじりのきみは、つかさを定めて人を求め、人の為に官を求める様な事をしなかった。


 八にいう。群卿と百寮は、早く朝廷に出仕し、遅く退出するようにせよ。公事はゆるがせにできない、一日の内にやりつくす事は難しい。それ故遅く出仕すれば、緊急な用事に間に合わず、早く退出すれば、必ず業務をやり尽くさずに残ってしまう。


 九にいう。まことは道義の根本なり。事毎ことごとに信が無ければならない。事の善悪成否の要はこのまことに在る。群臣等に皆信あるときは、何事か成らないことはない。群臣等は信が無いと万事ことごとく失敗するだろう。


 十にいう。心の怒りを絶ち顔色に怒りを出さないようにして、人が自分と違うからと言って怒らないようにせよ。人は皆それぞれ心が有り、各々の心には譲れないものが有る。彼れが良いと思う事も、自分はそうは思わず、自分が良いと思っても、彼れの方は良いと思わなかったりする。自分が必ずしも聖人であり、彼れ必ずしも愚人であるという訳ではない。共に凡夫ただひとなのだ。是非よきあしきことわりを誰が定める事ができよう。お互いに賢人でもあり愚人であもることは、環にはしが無い様なものもである。それ故、相手が怒ったら自分が過ちを犯したかと反省せよ。自分一人が正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行うところに従うが良い。


 十一にいう。功罪を明らかにして、賞罸を必ず正当に行え。近頃、功績が顕著でも褒賞が無く、罪を犯しても罰を与えない事がある。政事に当たる群卿は、賞罸を公明に行わねばならぬ。


 十二にいう。國司くにのみこともち國造くにのみやつこは百姓から税を貪ってはならぬ。国に二人の君はなく、民に二人のあるじは居ない。国土のうち全ての人々は、皆王を主としている。使える官司は皆王の臣である。どうしておほやけの税とともに、百姓から貪り取ってよいであろうか。


 十三にいう。それぞれの官に任ぜられた者は、みな自分の職務内容をよく知れ。或は病いのため、或は使いに出て仕事が出来ない事があっても、仕事が出来る日には、仕事を以前から知っていた通りにせよ。それあずかり知らぬと言って、公務を妨げてはならない。


 十四にいう。群臣や百寮、嫉妬してはならない。自分が人を妬めば、人もまた自分をうらやむ。うらみやねたみの気持ちは際限がない。それ故、人の知識が己れに勝るときは喜ばず、才能が己れに優るときはねたむ。これでは五百年の後、賢人に会っても、千年に一人の聖人の現れるのを待つのも難しいだろう。賢人聖人を得ないで、何をもって国を治められようか。


 十五にいう。私心を去って公につくすは、臣たるものの道なり。すべて人が私心有るときは、必ず他人の恨の心をおこさせる。恨みの心があるときは、決して協同できない。協同出来ない時は、私心で公務を妨げる。うらみ心が起きたときは則ち制度に違反し法をやぶることになる。それ故に第一のくだりに述べた様に、上下相和し協調するようにといったのも、この事である。


 十六にいう。民を使う時をもってするというのは、いにしえの良い教えである。それ故に冬の月(十月から十二月)に暇があれば、民を使ってよい。春より秋に至るまで、農耕や養蚕の時である、民を使ってはならない。農耕をしなかったら何を食べれば良いのか。養蚕をしなければ何を着ればいいのか。


 十七にいう。事柄を独断で決めてはいけない。必ず皆で論じ合え。少事は軽いものであるから、必ずしも皆で論じ合うものでもない。ただ大事を成すにあたって皆で論じ合えば、誤る事があってはならない。故に皆で相談し合えば、事は道理に叶ったことを知り得る。




・⑴解説

 彼の有名な『十七条の憲法』ですが、津田左右吉を始め、戦後の歴史学者の間には後世の造作という説が蔓延していたそうです。その根拠として第十二条の「國司くにのみこともち國造くにのみやつこ百姓おほみたからをさめとること勿れ」と、国司と国造を並記したことにありますが⑵、今日では当時既に国司は存在したとみて差し支えなく、むしろ後世の造作では、国司・国造を並挙することこそ有り得ないと考えられていること。また官吏に対する訓戒が多く、官僚制が既にあった様にみえるのもその疑点の一つとされましたが、それもある程度官司制的な物は存在したであろうと、今日は見ており、むしろ後世の造作でならば、必ずや造作当時の現行法である律令制的な用語が出て来そうなものであるが、それは一切なく、すべて観念的に国家の統一を説き、君主の尊厳を述べているだけであり、これは天皇中心の理想政治を目指す推古朝時代の文章としてこそふさわしい⑶と坂本太郎氏が述べています。


 国司の制に関しまして補足しますと、現在では大化(の改新)以降に成立されたというのが一般的ですが、大化直前の皇極二年十月条にも「国司」という言葉が登場する為、大化以前に国造を監督するものとして、臨時に官人を派遣し、これをクニノミコトモチ即ち「国司」と言った説⑷が有力です。解りやすく言えば、制度として「国司」が成立したのは大化(の改新)以降であり、それ以前は別の意味合いで「国司クニノミコトモチ」という言葉が使われていたという事です。だとすれば十七条の憲法に「国司」という言葉が出て来ても矛盾は無く、津田左右吉の説は成り立たない事になります。


 この憲法は、今日でいう如き国家の根本法典と言うよりは、一種の訓戒というべきもので、当時の朝廷内の豪族達に対して、その守るべき行為の基準を示したものであり、そのこには君主権を高め(第三・十二条)、豪族達を官僚化しようとする(第七・八・十三・十五条)意図が強くあらわれています。その文章は漢文としてかなり立派なものですが、雑多な漢籍の字句を巧みに利用しており、そのため、仏教・儒教・法家・道家などの思想が雑然として入り込んでいて統一性がありません。⑸


 この憲法の制定は『上宮聖徳法王帝説』では推古天皇十三年七月⑹としていますが、同憲法の研究で著名な岡田正之氏は推古天皇十二年が干支が甲子に当たり、太子は甲子の革政革令の時期に至り、十二年を以て憲法を公布せられたるもので、讖緯思想によるものである⑺と論じました。ですが、過去の稿でも述べましたように辛酉年に大革命が起こると言う讖緯説の欠点として、肝心な推古天皇九年(西暦601年)の辛酉年に大した事が起きていないので、讖緯説を当て嵌めて論じる事は今では無理があるのではないかと個人的には思います。



⑻『日本書紀』巻二二推古天皇二九年(六二一)二月 癸巳五日

廿九年春二月己丑朔癸巳、半夜、厩戸豐聰耳皇子命、薨于斑鳩宮。是時、諸王、諸臣、及天下百姓、悉長老如失愛兒而、臨酢之味在口不嘗、少幼者如亡慈父母、以哭泣之聲、滿於行路。乃耕夫止耜、舂女不杵。皆曰、日月失輝、天地既崩。自今以後、誰恃或。


(二十九年 春二月のはるきさらぎの己丑つちのとのうしのついたち癸巳みづのとのみのひ半夜よなかに、厩戸豐聰耳皇子命うまやとのとよとみみのみこのみこと斑鳩宮いかるかのみやかむさりましぬ。是の時、諸王もろもろのおほきみ諸臣もろもろのおみ、及び天下あめのした百姓おほみたからことごとく長老おきなは愛兒を失ふが如く、臨酢之味あちはひ口に在れどもめず、少幼者わかきひとめる父母かぞを亡ふが如くて、いさつるこゑ行路みち滿てり。乃ち耕夫たがやすものすだを止め、舂女つきめきおとせず。皆曰く、「日月輝ひつきひかりを失ひて、天地既にくずれぬべし。今より以後のち、誰かたのまむ」。)


・⑻概略

 二十九年春二月五日、夜半、厩戸豐聰耳皇子命うまやとのとよとみみのみこのみこと斑鳩宮いかるかのみや(奈良県生駒郡斑鳩町)で薨去された。是の時、諸王もろもろのおほきみ諸臣もろもろのおみ、及び天下あめのした百姓おほみたから、ことごとく、長老おきなは愛児を失ったが如く嘆き、塩や酢の味さえも分らぬほどであった。幼き者は産んだ父母を亡くした様に、泣き叫ぶ声は巷に満ちた。納付は耕す事を止め、稲をつく女は杵音もさせなかった。皆、「日も月も輝きを失い、天地もくずれたようなものだ。今よりのち、誰を頼みにしたら良いのだろうか」と言った。


・⑻解説

 太子の没年は⑺によれば推古天皇二十九年になりますが、『天寿国繍帳』『法隆寺金堂釈迦像銘』『聖徳太子伝私記法記寺塔婆露盤銘』により推古天皇三十年(壬午)二月二二日が正しいそうです。⑼


 なお、斑鳩宮いかるかのみやの創立年時については推古天皇九年・十三年しか資料が無く、太子没後は子の山背大兄皇子等が居住しましたが、皇極天皇二年の上宮家滅亡の際に焼失しました。⑽


 次稿では太子に関する歌や伝説についてご説明させて頂きたいと思います。



◇参考文献

⑴『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/196

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/49


⑵『日本上代史研究』津田左右吉 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1041707/1/101


⑶『聖徳太子』 坂本太郎 吉川弘文館 92ページ


⑷『日本書紀(四)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫 102ページ 注5 


⑸『史料による日本の歩み 古代編』 関晃・井上光貞・児玉幸多 編 吉川弘文館 50~51ページ


⑹『上宮聖徳法王帝説』狩谷棭斎 著[他] 裳華房

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1054662/18


⑺『近江奈良朝の漢文学』 岡田正之 養徳社

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1131604/26


⑻『国史大系. 第1巻 日本書紀』経済雑誌社 編

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991091/203

『日本書紀 : 訓読. 下巻』黒板勝美 編 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107125/57


⑼『日本書紀(四)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫 135ページ 注一


⑽『現代語訳 日本書紀 抄訳』 菅野雅雄 新人物文庫 345ページ 註⑴

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