ヴィオラ・エ・モルテ

宵埜白猫

Sei nel mio cuore

 宵の闇を一層深く感じる路地裏で、少女は崩れかけた建物の壁に背を預けている。

 彼女の名はヴィオラ。物心付いた時から、数えきれないほど貴族や犯罪者の黒い返り血を浴びてきた。心の休まる日などなく、ただ乞われるがままに。

 そんな彼女は今、一人静かに死を感じていた。


「……これで、おわり」


 水たまりに映った自分の顔を見て、ヴィオラがかすれた声でぽつりとつぶやく。

 自慢の白い髪は赤黒く汚れ、幾度も地獄を映した彼女の澄んだ空色は徐々に光を失いつつあった。


「つかれた……」


 そう溢して、彼女はそっと目を閉じた。

 暗くなる視界の中で、ヴィオラの耳に音が届く。

 コツ、コツ、と地を打つ音。心地のいいその音は、やがてパシャリという音を最後に聞こえなくなった。

 しばしの静寂。刹那にも悠久にも感じるような、まるで世界からその場所だけが切り取られたかのような時間だった。

 そして――


「ヴィオラ、迎えに来たわ」


 穏やかな女の声だった。憐れむような、愛おしむような、不思議な声音だった。

 ヴィオラは気だるげに目を開ける。

 彼女の視界に映ったのは、吸い込まれそうなほど純粋な黒。黒い髪に黒いドレスを纏ったその女は、月明りを浴びながらヴィオラを見下ろしていた。


「……しにがみさん?」


 考えるまでもなく、なぜかそうだとヴィオラは思った。

 今まで見たことも無いこの女の正体を、彼女は直観的に理解したのだ。


「そうね。貴女達は私をそう呼んでるみたい」

「もっとこわいのかとおもってた。がいこつのかおで、おっきなかまをもってる」

「それは貴女達の勝手な想像、いえ妄想よ。……もともと私には、姿なんてない」


 ヴィオラを見下ろしたまま、死神の瞳はどこか遠くを見ているようだった。


「わたしね、ずっとしにがみさんのことしってたきがするの」


 ヴィオラがそっと口を開く。相変わらずのかすれた声で、最後の言葉を紡いでいく。


「うまれてから、たくさんひとをころして、そのたびにだれかがわたしのそばにたってたんだ」


 姿は見えなかったけど。と付け足して、彼女は今まで誰にも見せたことのない、子どもらしいあどけない笑顔を死神に向けた。


「しにがみさんだったんだね、わたしのそばにいてくれたのは。…………ありがとう」


 まるで境界で神にでも祈るかのような声音で、ヴィオラは感謝を口にした。

 孤独な彼女の人生で、ただ一人側に立ち続けた死神への感謝を。


「本当に、おかしな子ね。普通私を見た人は泣き叫ぶものよ」

「ん~。わたしには、そういうのわかんないや」


 死と共に生きて、泣くことも忘れた少女の姿が、死神にはとても痛々しく見えた。

 おもむろに、死神はヴィオラの頬に手を伸ばす。

 白い柔肌にその手が触れて、彼女の熱が指先に伝わった。二本、三本、少しづつ触れる指を増やし、最後には手のひらも少女の熱を感じていた。

 その手に、小さな手が二つ、弱々しく重なる。


「ふふ、あったかい」


 それはヴィオラにとっても初めてのぬくもりだった。最後にそのぬくもりを感じて、彼女の手は石畳の上に落ちた。

 ゆっくりと冷たくなっていく少女の体を、死神は強く抱きしめる。

 彼女自身、自分が何をしているのか分からない。

 しかし、思い当たることはあった。人の死を看取り続けた彼女は、愛する者を失った人間の反応も数えきれないほど見てきたのだ。

 思えばヴィオラが死を一つ重ねるごとに、死神の胸の内にはいつも複雑な感情が渦巻いていた。

 彼女の姿を目にすることで胸の奥から湧き上がる温かさと、同時に感じる刺すような痛み。

 それは本来姿も意思も持たない彼女にはありえないもの。


「……何で、こんな」


 死神の顎からこぼれ落ちる雫が、水たまりに波紋を呼ぶ。そこに映る月が滲んだ。

 しかしいつまでもこうしてはいられない。

 彼女は次を迎えに行かなければならないのだ。

 死神は少女の体を優しく抱き上げ、人間のまねごとをしてみた。

 小さな唇に、そっと自分のそれを重ねる。


「貴女の事は、ずっとこのがらんどうの心の中に」


 その言葉を最後に、死神は月明りのスポットライトの外に出て、夜に溶けていった。

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ヴィオラ・エ・モルテ 宵埜白猫 @shironeko98

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