第7話 ハートのAを殺したのはだれ?
スペードの2は余裕無さげに、足早に森を突っ切っていきます。
アリスは追いつくのにやっとで、
「方向はあってるの?」
辛うじてそれだけ問います。
「三回目の夢だからね。お城の方角くらいなら分かるさ」
アリスは信用してその薄っぺらな背中を追いました。
原っぱに出て、最初に遠くに見えていたお城を目指します。どこから来たのか、様々な生き物達が、陸からも空からもお城に向かっていました。きっと裁判を傍聴しに行くのでしょう。
遠く、ラッパが三回吹き鳴らされる音が聞こえました。
「始まってしまうみたいだ、急がないと。さあ、これを食べて」
渡されたのは例の『イートミー』と書かれていたクッキーでした。
「隠し持ってきたのね? 要領のいい人」
「誉め言葉だと受け取っておくよ。とにかく急ごう」
アリスとスペードの2は体を大きくして、お城へひとっ飛びに向かいました。歩行する生き物達を踏まないように気を付けることがとても大変です。
こうして上から見下ろすと、事件現場の見張り塔は、思ったよりもお城に近い側にあります。森の方が見張り塔に近いと思っていたアリスは、なぜ勘違いしたのかを考えて視線を巡らしました。お城と見張り塔と森は一直線上にあるわけではなく、森が円を描くような伸びた形をしているだけのことでした。ではなぜそんな単純なことに、アリスは気付かなかったのでしょう。倒れているハートのAを発見する前は、ピクニック気分でいたからだと、すぐに取るに足らない結論が出ました。
「体調が悪いのかい? 顔が赤いようだけれど」
アリスは慌てて否定します。
「ぜ、全然、そんなことはないわ。ほら、急ぐのでしょう? 正面の入り口が良さそうよ」
お城をやや俯瞰してみると、正門以外の出入口は遠そうなので、正門から入ることに決めます。
入り口に着くと、今度は小瓶の方を飲んで元の大きさに戻りました。
そこでアリスは、はたと気付くのです。
「まって……。この小瓶とクッキーは、小さな扉を抜けるときから持ってきたのよね」
「もちろんさ。あの場所以外では見かけなかっただろう?」
「……だったら、ハンプティ・ダンプティを助けてあげられたわよね」
「……」
スペードの2の無言。それは質問に対する肯定と、あのとき彼の脳内にはアリスが言及した方法が思い付いていたことを意味していました。
「……小瓶とクッキーの予備は、二人分しかなかったんだ」
「だから、彼を犠牲にしたの?」
スペードの2は目くじらを立てました。
「犠牲になんてしていないだろう。彼は自ら飛び降りたんだ」
「そうかもしれない。でも、その引き金となったのは、わたし達が彼を下ろしてあげられなかったからじゃない!」
「あのときも言ったように、彼はこの夢が好きではないと言っていただろう。あれがベストの決断だったんだよ」
「勝手に話を前後させないで。彼が飛び降りる決断をしたのは、わたし達が彼を一人置いて先を急ぐと言ったからでしょ」
スペードの2はついに言葉を途切れさせました。
ややあって、
「せめて夢が覚めるまでは待つだろうと、楽観視してしまったんだ。……僕が悪かったよ。どうすれば機嫌を直してくれる?」
その問い方にもむっとしましたが、寸前のところでアリスも折れることにしました。スペードの2を責める権利は、アリスには無いのです。
「ごめんなさい。わたしも言い過ぎたわ」
お互いに口元をぎこちなく歪めました。
仲直りをしたとは言っても、微妙な空気が二人の間には滞在していました。これは時が過ぎるのを待つしかないのかもしれません。
そんな遣り取りの間にも、生き物達はお城の中へぞくぞくと入っていきます。急いで二人も向かうことにしました。
アリスとスペードの2がやってきたときには、法廷の中に、一組分もありそうなトランプ兵たちと、すでに大勢の生き物たちが集まっていました。
裁判官の席には王様、その隣には女王様が座っています。陪審員席には、石板と石筆をたずさえた多種多様の生き物がいました。
「静粛に!」
と声を上げたのは、片手にラッパを持った白ウサギでした。彼が一通りの進行役を努めるのでしょう。
被告人側にはやはりと言うべきか、首輪に繋がれたリスが、トランプ兵に引き出されていました。その表情はかなしそうに見えました。
「無罪のリスさんを助けなきゃ。そもそも、あんな小さな子が見張り塔を登ったり、ハートのAさんを突き落としたり出来るわけがないと思わないのかしら!」
「理屈の通じない王様達を説得するのは、骨の折れることだよ。下手を打てばすぐに首をはねられてしまう。まずは慎重に成り行きを窺おう」
再び白ウサギが大声で、
「静粛に! 静粛に!」
と言うと、漸く法廷に集まった生き物達のざわめきが収まりました。
「……こほん。えぇ、これよりハートのAが突き落とされた事件の裁判を始めます。訴状によると――」
「最初の証人を呼びなさい!」
白ウサギの弁舌をきっぱりと遮って、王様が宣言しました。
最初に登場した証人は、クローバーのAでした。ひどく怯えてびくびくとしています。何を発言したとしても処刑人に連れていかれてしまうのですから、アリスには気持ちがよく分かりました。
「証言せよ!」
王様が言うと、おっかなびっくりクローバーのAは答えます。
「わ、わたしは、見張り塔にいました」
「お前がやったのか! 処刑人、こいつの首をはねよ!」
女王様が我慢ならずに金切り声を上げました。
「ほらね……。女王様がすぐに首をはねよ! と宣言するから一向に裁判が進まないんだ。有力な手がかりが得られるかどうか分からない」
「それでも最後まで見届ける義務がわたしにはあるわ。咄嗟のこととは言っても、リスさんを陥れてしまった元凶はわたしだもの」
スペードの2は曖昧な表情を返してから、証人の様子に注視しました。
「いえ! いえ! 女王様、わたしは突き落としていません!」
法廷がざわめく中、陪審員席から冷静な声が飛んできました。
「女王様、首をはねてしまっては証言が二度と訊けません。証言を全て訊き終わってからでも遅くはないでしょう」
それは陪審員席にいる小さなトカゲでした。
「あの席にいるトカゲのビル。あいつは……、もしかしたら僕達と同じ夢人かもしれない。今までに見たことのあるドジな言動とはぜんぜん違う」
スペードの2はしかつめらしい顔で言います。
「けれど、小さなトカゲの力でトランプ兵を突き落とせるとは思えないな。もしあの夢人が犯人なら、アリスが言ったように何かしらのトリックを用いたはずだ」
スペードの2が考えに耽っている間にも、裁判はへんてこに進んでいきます。
「よかろう、証言を続けよ!」
王様が言いました。
おずおずと、クローバーのAが続けます。
「わたしは、見張り塔にいました。交代の時間になったので交代しました」
「誰と交代したんだ?」
「は……、ハートのAです」
クローバーのAは今にも倒れそうなほど震えて答えました。
「交代したのなら、ハートのAが犯人かもしれない。ハートのAをここに!」
おかしな話でした。ハートのAは被害者ですのに。
王様が言うや否や、クローバーのAはそそくさと立ち去ろうとしますが、トカゲのビルが割って入ります。
「待って下さい、クローバーのAさん! あなたは交代とおっしゃいましたが、いつハートのAさんと交代したんですか?」
「そ、それは……夜になったときです」
「ほう。では遡って、クローバーのAさんが交代のために見張り塔に向かったのはいつですか?」
「それは……朝になったときです」
「スペードのAさんと交代したのですね?」
「……はい」
トカゲは突き出た口元を前足の指で撫でると、(おそらく考えごとをする仕草なのでしょう)
「うーんと、つまり、日が昇っているときと、日が沈んでいるときで、交代しているわけですね」
「そう、です」
証言を整理すると、正確な時間の分からないこの世界では、お日様の出没で交代をしているようでした。今から遡って考えると、今日の日中がダイヤのA、今日の夜中がハートのA、昨日の日中がクローバーのA、昨日の夜中がスペードのA。二日ごとに、このようなルーティーンなのでしょう。
「陪審員、何をこそこそと話しておる!」
王様が堪えきれずに声を上げました。
「……分かりました。もう結構です」
トカゲの声を聞くまでもなく、怯えたクローバーのAは早急に法廷から去っていきました。
アリスとしてはトランプ達の行動が把握出来ましたが、次に召喚しようとしているのは被害者です。来るはずもありません。
「おい! はやくハートのAを呼ばないか!」
王様ががなり立てますが、次の証人が証言台に立てるわけもないので、裁判はなかなか続行しません。
「ちょっと、あのトカゲさんと話してくるわね」
アリスはスペードの2に耳打ちすると、そっと陪審員席に近づきました。後ろから様子を伺います。
生き物たちの石板には、『証言を続けよ!』や『何をこそこそと話しておる!』など王様が言ったセリフばかり書いている生き物が多くて、呆れてかえってしまいました。
まともに書いているのは、やはりトカゲのビルだけらしく、アリスは小声で尋ねます。
「トカゲさん、こんにちは。わたしはアリス……じゃなかった、夢を見ている綾瀬という名前の日本人よ。あなたもそうなんでしょ? お名前は?」
きっと驚いた表情をしているのでしょう。トカゲは口をぱっくり開けて、アリスを見据えていました。
「まさか、自分以外にこんな狂った夢を見ている人間がいるなんて思わなかった。ボクは浅井。……下の名前はなぜか思い出せないんだ。君は、本当に実在していて同じ夢を見ているんだね?」
「そうよ。それに同じ夢を見ながら今ここにいる人間は、わたしだけじゃないの。入口にいるスペードの2もそうよ」
トカゲが法廷の入り口を見遣ります。
そのとき、法廷のドアから入ってくるトランプ兵が見えたので、アリスは早口で捲し立てました。
「――時間は無さそうね、二つだけ教えて。あなたが夢を見始めたとき、どこにいてどんな状態だったの?」
「僕はどういうわけか暖炉の煙突の中にいたよ。しばらく眩暈がしていて、まともに歩けなかったな。気分が良くなってから煙突を抜け出すと、朝日が眩しかったのを覚えてる」
アリスは息つく暇もなく問います。
「じゃあもう一つ、あなたはこの夢を見るのは何回目?」
「この狂った夢を? そんなの初めてさ!」
その目は、嘘偽りのなさそうな爬虫類の目でした。
「そう。どうもありがとう。裁判に熱中するのは良いけれど、失言をして首をはねられないようにね!」
それだけ伝えると、アリスはせっせと陪審員席から離れました。
長い中断の合間には、生き物達が好き勝手に動き始めていたので、裁判の再開に苦労しているようでした。そのおかげでアリスは無事にスペードの2の元に戻ることが出来ました。
「静粛に!」
白ウサギが何度も叫んだ末に、ようやく法廷は静まりました。
次に連れてこられた証人は、スペードのAでした。
「ハートのAはどうした!」
違う証人を連れてきたのですから、当然王様はお怒りです。
「それが、城内のどこを探しても見当たりません」
「探し出せ! 見つけ次第、首をはねよ!」
女王様がおっしゃいました。
もう滅茶苦茶です。見張り塔の下で今でも動かないであろうハートのAは、首まではねられてしまうのでしょうか。
半数近くのトランプ兵が出陣して、法廷は少し窮屈さがなくなりました。
それでもたくさんの生き物達が以前にも増して多くなっているので、いつの間にかアリス達は傍聴の場の前方に追いやられていました。
「あの、私は退廷しても宜しいでしょうか……?」
スペードのAがおろおろとしながら、王様と王女様に訊きました。
「駄目だ。証言せよ!」
いったい何を話せばいいのかスペードのAは困惑していましたが、黙っていては処刑人に連行される未来が容易に想像できます。
「わ、わたしは、……昨日の夜に見張りをしていました。朝日が昇ると、クローバーのAと交代しました」
「ふむ、ならばクローバーのAを呼べ!」
再び先ほどの証人を呼ぼうとするので、アリスはもはや、我慢ならずに発言しました。
「王様! ハートのAの後に交代したトランプ兵なら、重要な証言が出来るはずだわ。ダイヤのAを呼ぶべきよ!」
王様は突然の女の子の乱入に、困惑と訝しげな表情をしましたが、
「王様。私もダイヤのAが怪しいと思っております。ぜひ召喚していただきたい!」
陪審員であるトカゲのビルの後押しもあって、仕方なく納得したような顔を見せました。
「では、ダイヤのAをここに!」
よもやダイヤのAも来ないのでは? と一抹の不安を覚えましたが、すぐに他のトランプ兵の動く気配がして、生き物達が証言台までの道を空けます。
しかし、様子がおかしいのです。
やってきたのは、分厚い布と木の棒で出来た担架のようなものを担ぐトランプ兵達であり、その上に横たえられたダイヤのAは、意識を朦朧とさせた状態でした。そして胴体のトランプの部分が、三分の一ほど鋭利なモノで裂かれたように切れ目がありました。
「これはどういうことです?」
女王様が目を吊り上げて問いかけました。
「誰かに切られたようです!」
担架を運んでいたスペードの5が言いました。
「見れば分かる! なぜすぐに知らせなかったのだ」
「証人としてダイヤのAは呼ばれなかったので……」と頓珍漢なことを、今度はスペードの7が弁明していました。
王様は頭を抱えています。
「交代するはずだったダイヤのAさんが、何者かに切られていたのね? ハートのAさんを突き落とした犯人と同じかしら。だとしたら、見張り塔を担当するトランプ兵を優先して狙うことに、一層の動機がありそうだわ」
対してスペードの2は、腑に落ちない表情でした。
「どうだろうか。ハートのAは見張り塔で、ダイヤのAは城内で、それぞれ違う場所で襲われている。手口も違う。それに同じ見張り塔を担当していて、証人としても登場したスペードのAやクローバーのAがぴんぴんしているのも謎だ。僕は犯人は別々だと思うよ」
「生き物を襲うような酷い夢人が、今回は二人もいるってこと?」
アリスはそれこそ疑問に思いました。
「そこまでは思っていないよ。思っていないけれど……」
スペードの2の言葉尻が、思案に沈んでいきます。
「それにしてもトランプは一組もいるのに、夢人らしき人間が盛岡さんだけっていうのも歯痒いわね」
「全くだよ。どのトランプ兵も王様や女王様の命令に忠実で、夢人らしき人物が見当たらない」
「それこそスペードのAさんやクローバーのAさんが夢人だったら、もっと重要な手がかりを得られたかもしれないのに」
アリスはずっと彼の横顔を見ていたものですから、スペードの2が、はっと小さく息を呑んだところも見逃しませんでした。
「どうしたの? わたし、変なことを言ったかしら」
「違う……! むしろとても良い着眼点だった。……僕達は、いや、僕は長い間、重大な思い違いをしていたんだ」
興奮冷めやらぬ彼は、真摯な目でアリスに訴えかけてきました。
そして、
「事件の真相が分かったよ」
さらりと、スペードの2は言いました。
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