第5話
結局昨日は
別れを切り出すって難しいんだな。
私はため息をついて、さくさくと手を動かしていた。スキャナーが画像を読み取った合図の音を自分のお気に入りの音にカスタマイズしたりして、小さなところに楽しみを見つけて仕事をしているのは楽しかった。きゅらりん☆と魔法の杖を一振りするような音を響かせて機械が合図を送ってきたのでノートパソコンの画面でファイルを保存していたら、
「少し休憩しない?」
「いいですよ」
きりのいいところで切り上げて私は彼と一緒にキッチンへ移動した。
これにしようかな、と言って彼はガラスのティポットに茶葉を入れてお湯を注いだ。ガラスの中で美しい明るい緑色が広がった。
「わあ、すごいいい香り」
「これ緑茶なんだけど、マスカットの香りがするんだよね」
「ほんとだ」
リビングでフレーバーティーを美味しく頂きながら他愛無い話をして、私たちはいつも通り何事もなかったように過ごした。特に無理してそうしたのではなく、本当に何も変わらなかったからだ。でもその日の帰りも彼が車で自宅まで送ってくれた。
「以前嫌がらせをしてきた犯人はおとなしくしているの?」
前を向いて運転しながら彼が訊いてきたので、私は何となく口ごもった。
今回のケースは話が話だけに、海と陸と私だけの間だけで他の誰にも話したりしていなかったのだ。
「まだ粘着されているみたいです」
「そう」
そのまま彼は黙ったので、私も黙った。
窓の外を流れる景色を見ていたら、不思議な気持になった。すごいスピードで周りの景色だけが流れて変っていくのに自分は全く動いていないように思うけれど、実際は私がすごいスピードで動いているから景色がどんどん流れて変わっていっているんだよね。
──私はどこへ向かっているんだろう?
「……なんだか周りが勝手にどんどん動いていって私は置き去りにされてきた気がしていたけれど、本当は私がすごいスピードでどこかを目指していたのかもしれない気がしてきました」
何となく私がそう言うと、彼は前を向いたまま
「うん、そうだろうね」
と言った。
「君は色んな意味で今成長期のまっただ中にいるから」
私は自分で言っといたくせに、ちょっと驚いて彼を見つめた。
「こんなわけのわからない話をとうとつにしたのに、会話が成立してしまった」
彼は笑ってちょっとこっちを見た。
「わけわからなくはないよ」
「そうですか」
「そうですよ」
愉快そうに笑ってから彼は私をちらっと見た。
「全身全霊ってよく言うでしょう。身体も、心も、魂や霊もすべてひっくるめての君自身が、今よりももっと遠くへ、先へ、そうやって進んで成長したいから、色んな出来事を磁石のように惹き付けてもいる、とも考えられるかもね」
不思議なこと言うなぁ、相変わらず。
「でも、私、ほんとうに心の奥底から、嫌がらせするような人たちとお近づきになんかなりたくないし、惹き付けたくなんかもない」
「それはそうだろうね」
「むしろ消えていなくなってほしいよ」
死ねばいいのに──本当に、心からそう思うくらい、嫌悪感があるし。そう思ったからっていっても全く罪悪感も感じない。消えていなくなれ、消え去れ、死んでしまえ──そうやって呪いみたいに唱えたいくらいだし。
さすがに言葉には出さず、むすっと黙りこんだまま心で毒づいていた。
「
聖一さんがそう言ったので、
「窓開けてもらってもいいですか?」
「うん」
彼は運転席側から操作して助手席側の窓を開けてくれた。
風が入ってきて私の髪や頬や額なんかをどんどん通り過ぎていくので、無駄な熱を奪っていってくれるようで気持ちが良かった。
「なんか気持ちいいね」
煙草に火をつけて彼は
「もう少し開ける?」
「全開でもいいくらい」
笑って彼は窓を全部開けてくれた。
窓の外をどんどん流れる景色をしばらく眺めてから、のぼせかけていた頭を心地よく冷やしてくれる風に頬や額をあずけるようにして目を閉じた。
あー、気持ちいい。
このまま私ごと全部吹き飛ばしてほしいくらい。
このまま風の中に溶け込んで消えてもいいくらい。
うっとりと目を閉じていたらあまりに気持ち良くてなんだかそのまま眠りそうだったので、目を開けて前に向き直った。
「眠かったら寝ててもいいよ」
「うん」
返事しながらも、私はなるべく眠くならないように気をつけていた。でも、どんどん流れ去る景色を見つめていたら、ちょっとした催眠状態みたいに起きていても半分眠っているような状態になってしまったようだ。自分も周囲のものもすべて
彼がウィンカーを出していつもと違う道に入って行くのに気づいて、私はあれ、と思って彼に目をやると
「ちょっと寄り道していい?」
そのまま前を見たまま車を走らせて埠頭のようなところに出た。
「外の風の方が気持ちいいよ」
そう言って彼が車を降りたので私も降りた。
「暗いから気をつけて」
言って手を貸してくれたので、そのまま手を引かれるようにして堤防を越えて暗い海岸の近くへ降りた。向こう岸には街の明かりが暗やみのなか明るく光っていた。少し痩せた月が照らす夜の闇にすぐ慣れて、近くのテトラポットやなんかもはっきり見えていた。
海から潮のにおいのする風が吹き抜けていて、ちょっと肌寒いけれど気持ちが良かったので、風に髪を洗わせるようにして向こう側を見ていたら、聖一さんは隣で煙草に火をつけていた。
彼の指先にある火のついた煙草から上る煙やなんかをなんとなく眺めていたら
「君を悩ませる人たちやその嫌がらせの犯人のような部分は大なり小なり誰の心にもあるものだよ」
と彼は言った。
私はちょっとむっとした。
お説教されてるみたいに思ったのか、とにかく反発心をその瞬間感じた。
「別に彼らのことを理解しろとか受け容れろとか言ってないよ」
ちょっと笑って彼は言った。
それで私は口答えするように
「そうだよね。聖一さんは前に私に同情するなって言ってたしね」
彼は
「思わぬところでダメージを受けていたりしてその影響からなんとか立ち直りかけていたところだったから。またしつこく絡んでこられるとさすがに
「それはそうだろうね」
ふーっと煙を吐き出してから彼は言った。
私は彼の指先にある火のついた煙草から煙が上へのぼりながら空気に解けていくのをなんとなく眺めていた。
煙の動きにも軽い催眠効果があるのか、私はなんだかまた白昼夢をみているみたいな気分になってきた。
今よりももっと遠くへ、先へ、そうやって進んで成長したいから、色んな出来事を磁石のように惹き付けてもいる──彼はそう言ったけれど、それは、私が彼女たちを必要としているということなのだろうか? あんなに鬱陶しくてまるで精神にできる癌みたいなひとたちを? 心からお近づきになりたくないようなひとたちなのに?
言葉にすればするほど嫌悪感が増してますます否定したくなるのに、どこかでそれも真実だと
彼はただそれを私に、あえて言葉にして見せただけで、それは本当は私の中に既にあったものかのような──
「君はただでさえ根が親切なところがあるから、相手と自分をしっかり切り離すように、冷酷さのようなものを身につけていった方がいいしね。本気で怒ったり嫌だとはっきりさせるのも大切だと思うよ。自分の意思を鮮明にしていくいい機会でもあるんじゃない?」
そう言って、
「
「何それ?」
彼はふーっと煙を吐き出してから、
「僕らの細胞は常に生まれ変わり死に変わりして入れ替わっているでしょう? 一つ一つの細胞は前と同じものではないのにもかかわらず、それでも組織として一定の機能を保っている。僕たちの体としてひとつの同じものが存在しているかのように在り続けている。そうやってある種のバランスを保ち続けているのでこうしていられるわけでしょう」
「言われてみたらそうだね」
「でも、あるとき、そのバランスが崩れるような何か──毒されたり傷つけられたりして──が起きると、何とか元のバランスに戻そう回復させようという働きが起きる。そうした《何とか回復させようと努力している過程》が現象として
「ふーん。ちょっと面白いね」
何だろう、ちょっと視点を変えてみた感じ?
「考え方のようなもの?」
私が尋ねると
「そう」
そう考えると、病にも意味があることになるのか。というより、病というものに対しての価値観そのものが反転するくらいの視点の転換にもなるかな。何となくそんなことを考えていたら、彼が私をじっと見ていた。目が合うと、彼はにこっとした。それでつられてにこっとしたら、彼はくっくっとちょっと笑った。
「何がおかしいの」
何となく恥ずかしくなりながら私が言うと
「いや、べつに。可愛いらしいね、神奈ちゃん。素直な子供のままなんだね」
子ども扱いされた、と不本意に思いながらも、まあ彼からしたら本当にそうだから仕方ないか、とも思っていたら、彼は言った。
「褒めてるんだよ。影響を受けているところがあっても、君自身の本質は汚されることはないから、安心していいと思うよ?」
「そうかな」
「うん」
どうかな、私も海も陸も、すごく嫌な影響を受けているけどな──本当に精神にできる癌細胞みたいだ──自分でも気づかないような奥深くに侵食されて、巣食うように根を張られて、内側からどんどん腐食させられていくような、この不快な嫌悪感は決して消えない。考え方はわかるけれど。
何となく黙っていたら、彼は言った。
「君の言うとおり──」
私が顔を上げると、彼は続けて言った。
「考え方の問題」
「それはなんとなくわかるよ」
彼は私をじっと見ていた
それからこんなことを言った。
「《病》を単にただ取り除けばよいというのではなくて、そもそもそれは、何らかの要因で毒されたり傷つけられたりした結果、崩れてしまった本来のバランスを《回復させようと努力している過程》がひとつの《病》としてかたちに
僕らの体はそうした働きを休むことなく常にしているけれどもいちいちそれを頭で認識したり考えてそうしたりしているのではなくて、血液や細胞や微小環境の中のいろんなものが僕らという生命体の宇宙の中で自律的に働いてそれをしてくれているってわけでしょう。そうした自律的な働きがあるからこそ、こうして生きていて、それについて考えることもできるってことをもう一回考え直してみるって必要じゃないかな?
その細胞の一つ一つの中にも分子や原子の中にもまたそのミクロコスモスがあって、自律的な働きをしている。それらのすべてを把握して理解して何がそれにとって良いか悪いかどうか決めてコントロールするなんてこと
つまり、それぞれに適切な対処をさせること、その自律性をできるだけ阻害しないで、それぞれのバランスのとり方や在り方、その達成の仕方があるということを尊重することは、とても大切なことなんだよ。考え方の基本としてとても重要なことだと思う。
表層の部分で良い悪いが判断できたとしてもその奥には連綿とつながるミクロコスモスが在って、何がその表層の良い悪いという現象として顕れているかどうかなんて全部はわからないし、それらをすべて完璧に理解して解明し、それらの働きより良いもの優れたものを提供できるのでそれらすべてを制御下に置くとかコントロールすることができるなんて考えるとしたら、それは子供がもつ万能幻想とたいして変わらないよ。
つまりそれ、それ自体に、自らの責任をとらせることを邪魔しないことが、それにとっての最良の手助けでもあるってことに気づく必要があるってこと。
何故なら何がそれにとっての適切な対処なのか、バランスの取り方や在り様なのか、達成の仕方なのか、本当には誰にもわからない。でもそれ自体が自らそのように在ることそれ自体を尊重していくのであれば、自ずとそれは自らにとって適切な対処やバランスの達成をしていくしかないのでそうする。
それが森羅万象のバランス、宇宙の大きなリズムに乗ることなんだよ」
私をまっすぐに見つめている彼の独特な透明な眼差しに、目を合わせていたら、自分がなんだか奇妙な空間を漂っている気がしてきた。これは何の話だ。焦点を(癌細胞のような)
彼は私をまっすぐに見つめながら言った。
「取り除けばそれでいいってことでもない。なんにでも意味がある。取り除いてはいけないといっているのではなく、それにはそれの仕事がある、ってこと。細菌には細菌のウィルスにはウィルスの仕事があるんだよ。癌細胞だって同じ。取り除いてはいけないとも言ってないし、なくせばいいと言っているのでもなく、ただバランスをとるために言っている。あまりにもこうあるべきだという刷込みや思い込みが強すぎて呪縛になっているから、それを解くために、そうしてバランスをとるために」
僕の言っていること、わかる?
と彼は私をじっと見つめていた。
「私はどうすればいいの?」
「まずは自分を縛っている思い込みとか刷込みとか、そこから脱け出すことじゃないかな」
「でもそれって、その中にいる時はなかなか見えないものなんじゃないの?」
「だから、揺さぶられるように、色々なものを見せられたり聞かされるんだよ。嫌なこともあるかもしれないけれど、それも本当の君を思い出すための、call なんだよ。君を縛る呪縛を解いていく為の招待状のようなもの。呼び声だったり、
何となく私はみなちゃんの部屋でラジオをつけた時のことを思い出していた。
「刺激を受けて、自分の中から応答する反応そのものの中に、ヒントがあるということ?」
「そうだよ。よくわかっているじゃない」
優しい声でそう言って、彼は私に言った。
「感覚がキャッチした情報を信号として受け取ることをもっと微細なレベルまで深めていくことで、君の新しい能力が拓かれていくかもしれないでしょう。それは君が生きていくための新しい力になると思うよ」
そうして彼はじっとまた私の瞳を見つめた。不思議な透明な眼差し。独特の間。心ごと遠くへと連れ去って行くみたいな彼のこの眼差しこそ、何かの呼びかけ―― calling ──そのものみたいだな、となんとなく思う。
――君の真実の名は? それを思い出せる? 覚えている?──
彼は煙草を消して携帯灰皿に捨てていた。
「風が強くなってきたみたいだし、そろそろ戻ろうか」
私はまた彼に手を引かれるようにして元来た道を戻った。
「足元、気をつけて」
「うん」
手を引かれて月明かりの夜道をたどり、私は彼の車に戻った。そうして家まで送ってもらった。
海と陸とは奇妙な歯車の組合せで魔法のように訪れた平和な時間を過ごした。二人との関係がまたおかしくなったら、その勢いで別れを切り出そうと思っていた私としては、何となく拍子抜けだった。彼らの方から何も
たまにちょっと罪悪感を感じて自分から言おうかなと思うときもあったけれど、何だかいつもタイミングを外したりして言いそびれた。あれ以来聖一さんとはへんなことは何もないし、ちょっとしたアクシデントみたいなもののように思っていたのもあり、私も忘れていった。
いったん日常が回り出すと、その力の方が強いものなのだと思う。
以前と変わったことと言えば、夕方に少し散歩に出たりするようになったことくらい。三人でのんびりと歩いて買い物したりして帰った。まだ明るい夕方の光のなかで行き交う人に混じってのんびりと家路につく。それはなんとなく幸福なものだった。
海と陸が部活から引退してもたまに後輩の指導だとか助っ人だとかになんだかんだと呼び出されていくのを除けば、二人とも下校後はマンションにすぐに帰ってきたので一緒にいる時間が増えた。迎えに来るのは交替のままだった。それでしばらくしてから
「バイトまだ続けるの?」
迎えに来た海とマンションまで歩いている道で彼に訊かれた。
「うん」
やめたくなかった私はそう答えた。
海はそう、と言って前を向いて歩きながら、
「今度の土日、休めない?」
と訊いてきた。
「別に問題ないよ?}
私がそう言うと、海は私を見て言った。
「泊まりに来ない?」
私は彼を見上げながら
「ここに?」
「そう」
一瞬のうちに色々な考えがよぎったけれど、結局
「いいよ」
そう言っていた。
海は私を見つめていたけれど、
「じゃあ、そういうことで」
とつないだ手をぎゅっと握った。
「寒気がする」
と言い出したので熱を測ったら、8度近くあった。
「そう言えばここのところ風邪っぽかったよなあ」
陸がそう言って、ドラッグストアに風邪薬と解熱剤を買いに行き、私は
「とにかく休まないと」
と海の部屋に嫌がる彼を連れて行ってベッドに寝かせた。
「最悪だ」
「何でこんなになるまで
あきれて私が言うと、彼はむっとしていた。
「なんか食べれそう?」
「いらない。吐きそう」
しようがないな。薬飲むには何かおなかに入れないといけないのに。
キッチンをあさって果物の缶詰とりんごとバナナとヨーグルトを見つけたので、どれかは少しくらい食べられるかなあ、と考えていたら陸が帰ってきたので
「ねえ、あなたたち風邪ひいたときにいつも何食べてた? 何食べたくなった?」
と訊いたら、
「何も。食欲ないからずっと寝てて、スポーツドリンク飲んでたくらい。回復してきたらお手伝いさんが作ってくれたおかゆとか食べてたかなあ」
「薬飲むのにどうしてたの?」
「牛乳で飲むとかしてたよ」
「そうなんだ」
言いながら改めて冷蔵庫開けてみたら牛乳はなかったので
「ヨーグルトでもいいかなあ?」
と目の前に積んだ食品を見てたら
「いいんじゃない?」
と陸が言うので、ヨーグルトとりんごのすりおろしたのを一応持って海の部屋に行った。
「食欲ないけど、食べさせてくれるなら食べる」
とかぬかすので、病人だからな、と思いながらスプーンで口まで運んでやったら全部食べた。
「寒気は?」
「まだする」
「じゃあ、解熱剤はちょっと待とう。とにかくあたたかくしないと」
陸と一緒に毛布出したり着替え準備したりしてばたばたしていたら遅くなったので、家に連絡を入れて事情を話し看病していってもいいか訊いたら特に反対されなかった。それでその日はそのまま泊りこんだ。特に反対されなかったのにも驚いたけれど、もっと驚いたのはいつのまにか私の個室が準備されていたことだった。リビングの隣にある広めの洋室には大きなソファとローテーブル、観葉植物なんかがあって、鏡台もあった。
「あとは自分で選んでもらおうかと思って、とりあえずこれくらいにしといた」
陸がそう言って
「これベッドになるから」
とソファを動かして大きめのマットレスのベッドをつくり、クローゼッドからリネン類やふとんなんかを出して置いてくれたので、それを使わせてもらうことにしたのはいいけれど、パジャマや下着類まで
「気に入らない?」
と訊いてきたので
「それ以前になんでサイズまで知ってるの」
「なんとなく。抱き心地から」
「……」
「あ、お風呂先に入る? 俺後でもいいよ」
「後でいい。先に使って」
何となく脱力しながらそう答えたら、機嫌よく陸は浴室に行った。
夜中に様子を見に行ったら海は汗をかいていたので、着替えてもらった。寒気は引いていて熱も少し下がっていたので解熱剤は飲まずに風邪薬だけ飲んでもらった。彼はりんごのすりおろしたのとヨーグルトを少し食べて薬を飲んだ後に、
「なんか気持ちいい。ふわふわしているみたいな感じ」
と熱でちょっとハイになっていた。
「このまま朝までぐっすり眠ればもっと楽になるよ」
と言って寝かせて、部屋を出ようとしたら
「今日も泊っていくでしょ?」
と訊いてきたので
「うん」
とだけ返事して部屋を出た。
「熱下がったんだ」
廊下に陸が起きて出て来てたので
「うん。起こした?」
「起きてた」
そう言って私をじっと上から下まで眺めたので、
「なに?」
「なんか、いいなあと思って」
機嫌よくそう言って、おやすみ、と彼はまた部屋に戻って行った。用意してくれていた彼らとおそろいのパジャマを着てこうしていると、何だか本当に家族みたい。このままここでこうして生活してもそのままいけそうな気がしてきた。
朝方、熱も引いてだいぶすっきりしてそうだったので汗でしめった衣類をまた着替えてもらって、喉が渇いたというのでスポーツドリンクを飲んでもらった。冷たい水に浸したタオルで顔だけ拭いて汗をとってあげたら、海は
「気持ちいい」
と言ってそのまますーすー眠った。
子供みたいな寝顔だなと思いながら、何だか無邪気そうな寝顔をしばらく眺めていたら、早朝のジョギングに出ていた陸が帰ってくる音がしたので、部屋から出た。
「おはよ。海はどう?」
「熱下がって気持ちよさそうに寝てるよ」
汗でしめった衣類を脱衣所にある洗濯カゴに入れていたら陸がそのままそこで着ていたシャツを脱いだので、そそくさとそこを出た。陸が浴室に入って行く音を聞きながら、何となく目が覚めてしまったので着替えをすませ、顔を洗ってから外に散歩に出た。もらっていた合鍵で鍵を閉めて、公園まで一人で歩いて犬の散歩やジョギングをしている人たちと時折すれ違う道をひとりでてくてくとただ歩いた。
ああ、気持ちいいな。
常緑樹の緑の間からすっきりと晴れた空を見つめた。
遠くまで晴れ渡った空を見上げながら、少し冷たい風に頬を赤くして、朝の空気を思いきり吸いこんだ。体の隅々にまで新しい空気と力が行き渡るようにみなぎっていくみたいだった。
指先にまでぴりぴりと心地の良い微電流が肌の下に流れているみたい。
体が浮き上がりそうに軽くなって気持ちがよかった。
公園の遊歩道は土の道と舗装された道があって、くねくねと続いていた。土の道をなるべく選んで歩いて、池の近くにある舗装された道で小さな子ガメが何故か路頭に迷って? いたので池のそばに連れてったり、魚たちにエサをやる人を眺めたり、野良猫たちと遊んだりして満足して帰ったら、陸がリビングから出て来て
「どこ行ってたんだよ」
と言うので
「公園。いつもここから見下ろしているだけで行ったことなかったから行ってみたくて。気持ち良かったよ」
カメがいた、とか、魚が意外にかわいかったとか、野良猫がいて猫おばさんと仲良くなったとか色々話していたら
「なんかいつの間にかなじんでるな。すっかりここの住人じゃないか」
と陸が笑った。
「ほんとだね」
私も笑うと、
「朝めし何にする?」
「何でもいい。陸は何か食べたい物ある?」
「フレンチトーストとか食べたいな」
と言うので材料もあったので作った。
サラダは陸が作った。
和気あいあいと楽しく朝ごはんの準備をしていたら、海が起きて来て
「うまそうなにおいがする」
と言うので、試しに食べさせてみたら食べられるようだったので、海の分も追加で作った。
「気分はどう?」
「なんかすっきりしてる」
「またぶり返すかもしれないし、食べたらおとなしく寝てなよ」
「シャワー浴びてからまた少し寝るよ」
「元気そうだ、よかった」
私たちにお礼を言って、海は一緒に朝食をとってから浴室に行った。熱も測ってもらい平熱だったので大丈夫そうだったのだけれど、お昼くらいからまた微熱が出て、夜になってまた上がった。
「疲れが出たんだろう、ゆっくり休め」
そう言ってさすがに陸も心配していたが、当の本人は熱でちょっとハイになっているみたいで
「だるいけど、気持ちいい。酔っ払ってるみたいだ」
と言っていた。
そうしてまたよく眠った。
こまめにクーリング材を変えたり着替えてもらったり顔を拭いてあげたりして、ヨーグルトや果物やアイスクリームなんかを食べさせたりしていたら、海にはちょっと悪いけれど私は気楽だった。そんなわけで土日の宿泊予定は金曜日からの泊まり込み合宿看病で終わった。
ぐんと高い熱が出て悪いものを追い出したかのように、海はなんだかゆったりと穏やかになった。のんきで陽気な海本来のペースが戻ってきたみたいで、私たち三人は安定した蜜月にいるみたいに仲良く過ごした。合宿看病以来たまに泊りに行くことがあっても、
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