サプライズ
真咲との約束の日まで、あと1日。
あれから、あと1日で2年が経つ。
杏奈は起きてからずっと、スマホを気にしていた。
だが、スマホは一向に音を出す気配が無い。
偶にメッセージ受信を告げる音が鳴ったと思ったら、広告メッセージの受信ばかり。
待ち人来たらず。
ならぬ。
待ち連絡来たらず。
待っている時とは、大抵こんなものだ。
「もうっ!」
思わずそう漏らし、真咲からプレゼントされた八角形のハンドミラーを覗き込む。
そこに映っているのは、不満そうな自分の顔。
(真咲さんだって、頑張っているのよね。)
そう言い聞かせ、もう一度ハンドミラーを覗き込む。
その向こうに真咲の顔を思い浮かべ、何とか笑顔を作ると、杏奈はハンドミラーをドレッサーの引き出しにしまい、鞄を手にして家を出た。
雑貨屋への最寄り駅に着き、スマホを確認してみたものの、不在着信も受信メッセージも無い事を確認すると、杏奈はため息を吐いてスマホを鞄に戻す。
会社と駅を結ぶ大通りから少し脇道に入った所。こぢんまりとした、雑貨屋。
オーナー不在の雑貨屋の留守を、この2年の間、杏奈は周りの協力を得て守ってきた。
今日は日曜日。
杏奈の当番の日だ。
帰って来る真咲へのプレゼントは、昨日の晩にようやくラッピングを終え、テーブルの上に準備済みだ。
明日、真咲が帰ってきたその時に、『お帰りなさい』の言葉と共に渡そうと、杏奈は決めていた。
(明日、ですね。)
明日は月曜日。
杏奈は勤め先の会社に出勤しなければならない。
出来る事なら、真咲を店で出迎えるのは自分でありたいと思っていたのだが、どうやらそれは叶いそうもない。
(今日だったら、良かったのに。)
小さな不満を胸のうちで呟きながら、杏奈は雑貨屋のドアの鍵を開け、店の中へと入った。
店内の電気を付け、窓を開けて空気を入れ替える間に、業務日誌に目を通す。
陽子の記載した箇所に笑いを漏らし、智の記載した箇所をじっくり読み込み、玲美の記載した新規納品に関する箇所で目を止め、店内を歩いて商品を確かめる。
「わぁ・・・・すてき。」
それは、インテリアとしてのデザイン性の高い、ストームグラス。
遥か昔、船乗り達が航海で天候を知る為に使用したものだとか。
現代では専ら、天気・湿度・温度によって表情を変える、グラスの中の結晶の形を楽しむ為のインテリアとしての要素が大半だろう。
しばしストームグラスに見惚れていた杏奈だが、ハッと我に返り、引き続き業務日誌に目を通す。
(でもこれ、あまり律子さんらしくない感じがする。でも、発注の担当は律子さんだし。・・・・もしかして、このお店の雰囲気に合わせて選んでくださったのかな。)
そんなことを思いながら、昨日の朱鳥の記載箇所を読み終え、その最後の部分で再び、杏奈の目が止まった。
「えっ?」
思わず、声が漏れてしまう。
そこに書かれていた言葉は。
「ただいま。」
書かれていた言葉が、音声となって杏奈の耳に届く。
聞きなれた、優しい声で。
振り返る間もなく、背後からふわりとした温もりに包まれ、杏奈は一瞬固まった。
「1日早く、戻ってきてもうた。杏奈ちゃんに、会いとうて。」
耳元で聞こえる、真咲の言葉。
直に声を聞くのは、一緒に流れ星を見たあの日以来。
ゆっくりと、体の強張りが解れてゆく。
体に回された真咲の手に自分の手を重ね、杏奈は言った。
「お帰りなさい、真咲さん。」
「なぁなぁ、杏奈ちゃん。今日は店休みにして、久々の店内デートでも・・・・」
「ダメです。お店の信用に関わります。律子さんにもそう、教えられていたのではないのですか?」
「でもここ、俺の店やで?」
「今日までは、私達で管理しているお店です。そして今日のお当番は、私です。」
「・・・・はい。」
ぴしゃりと言われてしょげる真咲の姿がまるで子供のようで、杏奈は思わず噴き出してしまう。
「そない笑わんかて・・・・」
「お店、そろそろ開けますよ?真咲さん、どうします?」
開店の準備を終え、杏奈は尋ねた。
真咲が店に戻る日は、明日だ。
明日からに備えて、真咲にはゆっくり休んで貰いたい気もする。
ただ。
できることなら。
今日はこの店で、真咲と共に過ごしたい。
それは、杏奈も真咲と同じ思いだ。
「そんなん、決まっとるやん。」
杏奈の視線の先で、真咲が目を細めて笑う。
「杏奈ちゃんと一緒に、ここにおる。」
「わかりました。」
「ほな、店開けるで~。」
「はい!」
(さて、今日も頑張りますか!)
雑貨屋勤務最終日。
店の扉を開ける真咲の後ろ姿を、杏奈は万感の思いで眺めていた。
何名か来店した常連のお客様は、真咲の姿を見ると皆『お帰り』『待ってたよ』と口々に喜びの声を上げていた。
真咲もまた、『なんやお客さん、俺のファンやったんかいな?嬉しいなぁ、ほんま、おおきに。でも、俺ばっかり見とらんと、商品も見てってや。あ、新商品も入荷してまっせ!オーナーの帰還祝いっちゅうことで、買うてくれてもええで~。』などと、久し振りのお客様とのやり取りを楽しんでいるようだ。
少しばかり寂しさも感じたが、やはりこの店は真咲の店。
閉めずに守ってきて良かったと、杏奈は心からそう思った。
「それ、ええやろ?」
来客の合間にストームグラスに見入っていると、いつの間にか真咲がすぐ隣に立っていた。
「はい。でも、律子さんっぽく無いんですよね。」
「そらそうや。俺が発注したやつやし。」
「えっ?」
当然のように答える真咲に、杏奈は驚いて真咲を見た。
「業務日誌もな。2週に1度くらいは、読みに来ててん。もちろん、発注は律子さんに任せっきりやったけど、先週・・・・先々週くらいかな。ようやく俺の方も目途が立って落ち着いてきたし、そろそろ店の方に戻る準備もせなあかんなぁ思て、少しずつ、な。」
「では、お店の方にも?」
「うん。先々週くらいから、偶に顔は出しとった。みんなに直接お礼もしたかったし。でも、杏奈ちゃんには内緒にしてもろてたんや。」
「内緒?・・・・なぜですか?」
「決まっとるやん。」
悪戯っ子の様な笑顔を浮かべ、真咲は言った。
「サプライズや!」
(みんな、知っていたということですか。私だけが知らなかったなんて・・・・もうっ!)
少しだけ。
ほんの少しだけ憤慨したものの。
それは、真咲が企んだ嬉しいサプライズ。
「確かに・・・・朝は本当に驚きました。」
「せやろ~?」
暗い中でじーっと、杏奈ちゃんが業務日誌読み終わるまで待っとるの、結構しんどかったんやで。おまけに途中で、ストームグラスのとこ行ってまうし。あのままずっとストームグラス見とったらどないしよーって、気が気じゃ無かったわ。
と。
真咲は嬉しそうに話し続ける。
(サプライズ・・・・私も、しようと思っていたのに。どうしよう、いつ、渡したら・・・・)
真咲の嬉しそうな横顔を眺めながら、杏奈は考えを巡らせていた。
「もうそろそろ、閉めるで。」
「はい。」
真咲の言葉に、杏奈は閉店の準備を始める。
結局、真咲へのプレゼントをどうするか、考えが纏まらないまま、閉店の時間を迎えてしまった。
(どうしよう、どうしたら・・・・)
店内の戸締りを終え、電気を消す。
外に出て、扉を閉め、鍵を掛ける。
あとは店の鍵を真咲に返し、家に帰るだけ。
(このままじゃ、『お帰りなさい』のプレゼントにならなくなってしまう!)
脇道から大通りに出て、左に曲がれば駅に着く。
(どうしよう・・・・どうしようっ!)
「今日も疲れたやろ。ほんま、おおきに。それにしても、2年間もよう頑張ってくれたなぁ。」
淡いブラウンの瞳が、優し気に杏奈を見つめる。
その瞳に向かって、杏奈は言った。
「すいません、真咲さん!私、これからすぐ会社に行かなくちゃいけない用事を思い出したのですけど、家にある書類が必要なんです。本当に申し訳無いのですが、持ってきていただけませんか?」
「・・・・へっ?」
「ごめんなさい、私はこのまま会社に向かいますので。お願いします!」
訳が分からず目を丸くする真咲に、有無を言わさず自宅の鍵が入ったキーケースを押し付け、杏奈は大通りを右に曲がって会社に向かった。
とっさに考えた嘘にしてはまずますの嘘だとは思ったものの、馴れない事はするものではないと、額に浮かんだ冷や汗を拭う。
杏奈はそのまま会社前を通過し、少し進んだ場所にある小さな公園に向かった。
そこは、入社後毎年お花見をしている公園。
真咲とも、一緒に桜を見た場所。
ベンチに腰を降ろし、頃合いを見計らって、杏奈は真咲に電話をかけた。
”あー、今ちょうど電話しよ思てたとこや。なぁ、書類って、どこにあるん?あんまり勝手に色んなとこ開けるのも嫌やし。”
「えっ・・・・」
杏奈は一瞬、言葉を失った。
さきほど別れた場所からなら、普通に歩いていたならばまだ、杏奈の部屋には着いていないはずの時間。
(まさか・・・・)
”なぁ、どこにあるん?おーい、杏奈ちゃん。”
(完敗、です。)
電話の向こうの声の主に、杏奈は心の中で白旗を掲げる。
(あなた相手にサプライズなんて、私にはまだ無理なようです。)
”なぁ、杏奈ちゃん?聞こえとる?”
「真咲さん。」
”なんや?”
「お帰りなさい。」
”へっ?あ、あぁ・・・・いや、そやなくて、書類・・・・”
「ごめんなさい、私、嘘をつきました。」
”えっ?嘘?なになに?”
「テーブルの上を見てください。小さい包みがあると思います。」
”・・・・あぁ、あるけど。”
「開けてみていただけますか?」
”ちょい待って。”
一旦スマホを置き、ゴソゴソと包みを開ける音が聞こえる。
”鍵、やなぁ。”
「はい。それ本当は、『お帰りなさい』って真咲さんにお渡ししようと思っていたんです・・・・私の部屋の、鍵です。」
”・・・・えっ?!それって・・・・”
「今から帰ります。少し、待っていてください。」
”って、杏奈ちゃん?ちょっ・・・・”
真咲の言葉の途中で電話を切り、杏奈はベンチから立ち上がると、駅への道を急いだ。
真咲の待つ、自分の部屋へと。
(智さん、やっぱり智さんに相談して、良かったです。)
走りながら、自然と顔が綻んで来るのが自分でも分かる。
(プレゼント、『キー』にして、良かった。)
今日は日曜日で、明日は月曜日で。
真咲も自分も、明日にはまた仕事があるけれども。
時間の許す限り。できる限り。
今日は真咲の帰りを、2人でお祝いしよう。
2年間の頑張りを、2人で労いあおう。
そう心に決め、杏奈は『キー』のかかっていない部屋のドアを開けた。
杏奈が『キー』を渡した、真咲の待つ部屋のドアを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます