私の雑貨屋さん
「ほんま、皆さんには感謝してもしきれません。ありがとうございました!今日はめいっぱい、飲んで食うて楽しんでください!では、乾杯!」
真咲の乾杯の音頭で、賑やかな宴会が始まった。
会社と駅を結ぶ大通りから、雑貨屋とは反対側の脇道に少し入った所。
今日は、玲美が働くビア・バーを貸し切っての、真咲主催の「感謝の会」だ。
ビア・バーは本来定休日であったが、店主が快く店を開けてくれ、玲美も今日だけはお客としてこの会に参加している。
律子・朱鳥・陽子・智・玲美、そして、杏奈。
真咲が不在の間、雑貨屋を支えていた全員が顔を揃えていた。
「それで、返済は完了したのか?」
会の序盤で、朱鳥が真咲にそう尋ねる。
「朱鳥さんったら、いきなりそんなストレートに・・・・」
慌てて陽子は朱鳥を嗜めるが、気にする様子も無く、真咲は笑って朱鳥に親指を立てて見せる。
「もちのろんやで。」
「ほぉ・・・・たった2年で、か。大したもんだな。」
目を丸くして、朱鳥は真咲を感心したように見た。
「そらそうですわ。杏奈ちゃんとの大事な約束、破る訳にはいかんかったし。」
「一体、どうやって・・・・」
「ま、簡単に言うたら、日銭のええ仕事です。力仕事とか。いくつか掛け持ちすると、結構な手取りになるんですわ。あとは、家賃安いとこに引っ越して出費の方も抑えたり。それから、智に教えてもろて、少額やけど投資に回したり。・・・・ほんまの事言うと、親父にも姉貴にも、少しずつおまけしてもろたんですけどね。」
「念のために聞くが。」
そう言って、朱鳥は声を落とした。
「危ない橋は、渡ってないだろうな?」
「朱鳥さん・・・・俺、そない信用無いんか?」
「見てくれは、な。」
「なんやそれ。」
あははと声を上げて朱鳥は笑い、不満顔の真咲の肩を豪快に叩く。
「いたっ!ちょっ、朱鳥さん、痛いって!」
「まぁまぁ、良くやったな、真咲。」
「はぁ・・・・あはは。」
笑いながら真咲は、朱鳥から逃れる様に陽子の隣に席を移した。
陽子の反対側の隣には、杏奈が座っている。
「ねぇ、陽ちゃん。陽ちゃんって、ビール好きじゃなかった?」
「好きよ。」
そう答える陽子の前にあるのは、サクランボのジュース。
「本当は、【ミスティック チェリー】が飲みたいところなんだけど。」
「【ミスティック チェリー】なら置いていますよ。お持ちしましょうか?」
話を聞いていた玲美が腰を上げかけたが、陽子は慌てて玲美を止めた。
「いいのよ、玲美さん!ありがとう。でも、今はいいの。」
「陽ちゃん、体調でも悪いの?」
心配顔の杏奈に、陽子はわずかに頬を染め、お腹に手を置いて、言った。
「違うの。私、赤ちゃんができたみたいなの。」
「なんだとっ!」
離れた席から朱鳥が勢いよく近づき、隣に座る真咲を押しのけるようにして陽子の隣に座る。
「陽子、本当なのかっ?!」
「あの・・・・病院に行って検査してみないと、正確なことはまだ。でも、検査薬では陽性だったから、念のために、ね。」
「そうか・・・・そうか!」
結婚後、朱鳥と陽子がなかなか子宝に恵まれない悩みを人知れず抱えていた事は、杏奈もうっすらと気付いていた。
それだけに、陽子の告白は、杏奈にとっても嬉しいものだった。
「病院に行ってちゃんと調べて貰ってから伝えようと思ってたの。ごめんなさい、朱鳥さん。」
「いいんだ。そうか、いつ病院に行くんだ?明日か?明日か?それとも明日か?」
「はい、明日です。」
「そうか、明日か!俺も一緒に行こうか?」
「朱鳥さんはお仕事があるでしょ。大丈夫よ、私1人で。分かったらすぐに連絡するから。待ってて。」
「そうか・・・・うん、そうだな。わかった。」
幸せ色のオーラが、朱鳥と陽子を包んでいる。
杏奈は真咲と目を合わせると、その場からそっと席を移動した。
「で、智くんはなんで標準語なの?関西出身だよね?」
「そうですよ。」
「あら、蒼井くんは関西出身だったの?全然分からなかったわ。」
「そうですか、それは良かったです。」
玲美と律子に挟まれ、智がにこやかな笑顔で答える。
そのスリーショットはどこか浮世離れした別世界のもののように、杏奈の目には映った。
(なんでしょう、この方達・・・・美魔女と美形と美女・・・・なんですか、ここは。映画かなにかの撮影ですか。ちょっとここには近づけないです・・・・)
こっそりその場を離れようとする杏奈の手を、玲美が捕らえる。
「あら、杏奈ちゃん。どこ行くの?」
「あっ、いえ、あの・・・・」
「姉ちゃん、杏奈ちゃんは俺と2人になりたいんや。邪魔せんといてくれる?」
オタオタする杏奈に助け船を出したのは、真咲だった。
杏奈の肩を抱き寄せ、玲美から離す。
「それはどうもお邪魔さまでした。」
玲美はニヤッと笑い、再び智の方を向いて話し始めた。
「ねぇねぇ、何で関西弁話さないの?残念だなぁ、智くんの関西弁聞きたいなぁ。」
「関東出身の茶倉くんが関西弁で、関西出身の蒼井くんが標準語なんて、面白いわねぇあなたたち、本当に。」
(智さんの名字、アオイっていうんだ・・・・そういえば、今まで知らなかった。)
真咲に別世界への入り口から救出され、2人でカウンターに座りながら、別世界の3人を杏奈は遠巻きに眺めた。
(本当に、キレイ過ぎる、あの人達・・・・このまま飾っておきたいくらい。)
「何で避けたん、あそこ。」
同じように3人を眺めながら、真咲が問う。
手にはいつもの、ギネスのグラス。
「なんていうか・・・・別次元にキレイ過ぎて・・・・」
杏奈は手にしたグラスの中身を一口、口に含んだ。
それは、いつものヒューガルデンではなく、真咲が勧めてくれた、アルコブロイのヴァイスビア。
苦味が少なくフルーティーで、ヒューガル好きな杏奈ならきっと気に入るとのことだったが。
「おいしい・・・・」
思わず、言葉が口から漏れた。
「せやろ~?」
真咲が嬉しそうに笑う。
「お気に入り、増えたな。もっと色々試したら、もっとお気に入りが増えるかもわからんで?」
「ですね。あっ、でも私、ギネスも少しだけ『おいしい』って思うようになったんですよ?」
「えっ?ほんま?!・・・・この苦さが旨なったっちゅーことは、杏奈ちゃんもオトナになったんかな?」
「なんですか、人を子供扱いして。」
「してへんて、子供扱いなんて。」
「したじゃないですか!」
「してへんよっ!」
拗ねたように口を尖らす杏奈を、真咲は目を細めて見つめる。
「なぁ、杏奈ちゃん。」
「なんですか?」
「これからは2人で一緒に『お気に入り』、たくさん見つけていこな。」
「・・・・はい。」
自分を真っ直ぐに見る、真咲の淡いブラウンの優しい瞳。
その瞳に、杏奈は大きく頷いた。
ちょっと、見て欲しいもんがあるんや。
そう言われ、会の解散後、杏奈は真咲と共に雑貨屋へと向かった。
「そういやさっき、智の奴から『オーナー帰還祝い』ちゅうて、智に払てたバイト代、全額返して貰たんや。」
「えっ!」
真咲の言葉に驚きはしたものの、杏奈はなんとなく、納得ができた。
(最初からそうするつもりだったんですね、きっと。智さんらしいです。)
「まったく・・・・ほんま、あいつには頭上がらんわ。いや、頭上がらんのは、あいつだけやないけどな。姉貴はまぁ、身内やからええとしても、律子さんは『昔の俺のバイト代よ』とか言うし。朱鳥さんは『金に困ってやった訳じゃない』とか言うし。陽子さんは『楽しかったからいらない。』やし。杏奈ちゃんは最初から『店を守るためだから』って言うてたしな。なんやろな・・・・みんな、ええ人ばっかりや。」
「みんな、真咲さんの事が大好きなんですよ。あ、陽ちゃんは『今度お買い物する時、割引してね。』って言ってました。」
「割引きくらいなんぼでもしたるわ。でもなんやろ・・・・ほんま、幸せもんやなぁ、俺。」
話しながら歩く内に、雑貨屋の前に到着する。
「杏奈ちゃん、あれ見て。」
「え?」
真咲が指をさす方角にあるのは、雑貨屋の看板。
いつもと何も変わりは無いように見えたが。
(・・・・あ・・・・あれっ?)
近づいて見た看板には。
【雑貨屋さん ~ANNA~】
「真咲さんっ、これっ!!」
思わず声を上げ、振り返った先にいた真咲は、小さな箱を手に、じっと杏奈を見つめていた。
「・・・・真咲さん?」
「杏奈ちゃん。」
先ほどまで笑みを浮かべていた真咲の顔は、少し強張っているようにも見える。
「はい?」
とまどう杏奈に一歩づつ近付き、真咲は手にしていた箱を杏奈の目の前に差し出し、蓋を開けた。
「俺と、結婚してください。」
箱の中に入っていたのは、街灯の明かりを受けてキラキラと輝く石のついた、指輪。
「えっ・・・・」
(これって・・・・これってもしかして・・・・プロポーズっ?!)
「借金は無うなったけど、貯蓄も無しや。けど俺、これからガンガン頑張るし。杏奈ちゃんと一緒におったら、俺は絶対に幸せになれるから。いや、ちゃうちゃう。杏奈ちゃんが幸せやったら絶対に俺も幸せやから、俺が幸せになるためにも絶対杏奈ちゃんを幸せにしたる。ん?なんや自己中やな、これ。あかん、ちゃうねん!せやから俺は・・・・わっ!」
真咲の言葉を遮り、杏奈は真咲に飛びついた。
「嬉しいです、真咲さん。」
「杏奈ちゃん・・・・良かったぁ。」
ホッとしたように大きく息を吐き出し、真咲は杏奈を優しく抱きとめる。
「ほな、手、出して。左手。言っとくけど、握手ちゃうで?」
「はい。」
おずおずと差し出された杏奈の左手。
その薬指に、真咲は箱の中の指輪をゆっくり嵌める。
「きれい・・・・」
自分の左手薬指に嵌められた指輪を街灯の明かりにかざし、杏奈は歓びの表情を浮かべて真咲を見た。
「ありがとう、真咲さん!」
「うん。」
(そや、俺はその顔を見てたいんや、いつでも。杏奈ちゃんの幸せそうな顔を。そんで、杏奈ちゃんを幸せにするんは、いつでも俺でありたいんや。・・・・って、何でこれ、さっき言われへんかったんやろ・・・・)
アホやなぁ、俺。
と、小さく呟いた真咲の心中など知る由も無く。
杏奈は指輪を掲げ、視界の中で雑貨屋の看板の隣に並べた。
(雑貨屋さん・・・・私の名前の、雑貨屋さん。)
そして、くるりと回って、真咲の正面に立つ。
「なんや?どないしたん?」
優しく微笑む真咲に、杏奈は言った。
「真咲さん、本当にありがとう。大好きです。私の、私だけの、雑貨屋さん!」
【本編・終】
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