デート?

「こんにちは、雑貨屋さん。」

「いらっしゃい、主任さん!」

会社と駅を結ぶ大通りから少し脇道に入った所。こぢんまりとした、雑貨屋。

会社の帰り道、杏奈は時間を見つけては、ちょくちょく立ち寄るようになっていた。

特に欲しいものがある訳ではない。

毎回、何かを買う訳でもない。

ただ、この雑貨屋に来ると、疲れが取れるような気がした。

雑貨好きの杏奈が求めていた、究極の夢の場所。

どの品も、見ているだけでワクワクし、元気が出てくる気がする。

だが、仕事が繁忙期に入り、ここ3週間ほどは会社帰りにはとても寄れる状態ではなかった。

(行きたい・・・・あのお店に行きたいっ!)

雑貨屋への脇道を横目で見ながら通勤・帰宅を繰り返す度に、思いは膨れ上がる。

(もう、だめだ!行こうっ!)

休日。

多少の疲れを感じながらも、杏奈は雑貨屋を訪れたのだった。

「珍しいなぁ、主任さんが平日以外に来てくれるんは。」

「ちょっと、忙しかったもので・・・」

当初は杏奈の『苦手な部類』だった自称:オーナーこと『雑貨屋さん』のこの男とも、今ではすっかり世間話ができるくらいになっている。

「まぁ、しゃーないか。でも、寂しかったで~、ずっと主任さんの顔見られへんかったんやもんなぁ・・・ん?」

ふと、雑貨屋さんの顔が曇った。

「主任さん、なんや顔色悪ないか?」

「大丈夫です。ちょっと疲れてるだけですから。」

「ほんまに?」

「えぇ。」

答えながら、棚の中ほどに心惹かれる小さな小物を見つけ、杏奈はその場にしゃがみこんだ。

何度も通っている杏奈が初めましてのその小物は、おそらく入荷したて。

コロンとしたフォルムと描かれた顔が何とも言えない、起き上がりこぼし。

可愛らしさに、思わずしばらく見入ってしまう。

「ええやろ、それ。」

気付くと、雑貨屋さんがすぐ隣に立っていた。

「この前な、仕入れ先で見つけてん。主任さん、絶対好きやろな~、って思たんや。」

相変わらず、杏奈には全く理解できないセンスの服を身にまとっているこの雑貨屋さんだが、驚くほどに仕入れのセンスは抜群だ。

「えぇ。欲しくなってしまいました。」

してやられた感は否めない。

でも、その起き上がりこぼしが、杏奈の心を鷲掴みにしたのは、確か。

「これ、いただきます。」

他の品を倒してしまわぬようにそっと目当ての品を手に取り、杏奈は立ち上がった。

つもりだった。

(・・・・あ、れ?・・・・)

スローモーションのように、グラリと景色が回転する。

「ちょっ・・・どないしたんやっ?」

慌てて差し出された雑貨屋さんの腕に抱き留められていなかったら、杏奈はおそらくその場に倒れていただろう。

「すっ、すみません、失礼・・・」

しました。

言いかけた言葉が、杏奈の喉の奥へ飲み込まれる。

眼前に、雑貨屋さんの顔が迫っていた。

「なっ・・・」

避けるより早く、額に雑貨屋さんの額が当てられる。

「あぁ、大丈夫そやな。」

そう言って額を離し、雑貨屋さんは杏奈の瞳をのぞき込んだ。

「熱は無さそうや。」

至近距離の、雑貨屋さんの瞳。

よく見れば淡いブラウンの瞳が、優しそうに笑って杏奈を見つめている。

しばらくボウッとその瞳を眺めていた杏奈だが、ハッと我に返って雑貨屋さんから体を離した。

「そそっ、そうですかっ、あの、もう大丈夫です、離してくださいっ!」

「そやろか。」

なんとか体制を保って立ち上がった杏奈に、雑貨屋さんは言った。

「ほんまに、大丈夫やろか?」

「ほんとうに、大丈夫・・・・」

「せやかて、顔、赤なっとるで?」

「・・・・っ、これはっ。」

雑貨屋さんに言われなくても、杏奈にも分かっていた。

何故なら、顔が熱を持っていたのだから。

「よっしゃ、決めた。」

思わず頬に両手を当てた杏奈に、雑貨屋さんはニッと笑って、言った。

「今日はもう、店じまいや!」

「えっ?」

「今からこの店は主任さんだけのもんや。せやから、の~んびり、気ぃ済むまでここに居ったらええで。」

言うなり雑貨屋さんは入り口へ向かい、扉を占める。

「何故・・・・?」

「そやな~。」

訳が分からずその場に立ち尽くす杏奈の元へ小さな椅子を置き、杏奈を座らせながら、雑貨屋さんは言った。

「デート、やな。」

「・・・・は?」

(一体この人は何を言ってるんだろうか・・・・?それとも、私、疲れ過ぎて白昼夢でも見ているんだろうか・・・・?)

素直に椅子に腰を掛けながらも、混乱した頭のまま、杏奈は傍らに立つ雑貨屋さんを見上げる。

と。

先ほどと同じ淡いブラウンの瞳が、やはり優しい笑みを浮かべて、杏奈を見ていた。

「せやかて、主任さんと会うの、めっちゃ久しぶりなんやで?ええやん、偶には。店内デート。」

「はぁ・・・・」

「なんや、つれない返事やなぁ?」

「すみません、ちょっと突然過ぎて、理解が・・・・」

「ええねん、ええねん。ええから主任さんは、好きなだけここで疲れ取って行き。」

「でも、雑貨屋さんのお仕事が・・・・」

「俺な、ここで嬉しそうな顔してる主任さんの顔見るの、好きなんや。」

世間話でもするような口調で雑貨屋さんが放った言葉に、杏奈の心臓が大きく跳ね上がる。

(私は・・・・ついに耳までおかしくなってしまったの?)

「主任さんは、この店のもん見て、癒される。俺は、この店のもん見て癒される主任さんを見て、癒される。これって、最高のデートやって、思わん?」

(デート・・・・)

そんなもの、最後にしたのはいつだっただろうかと杏奈がぼんやりと思い始めた時、雑貨屋さんがパッと目を輝かせた。

「そやっ!主任さんにとっておきの場所、案内したるわ!」

言いながら、椅子に座った杏奈の手を取り立ち上がらせて、店の奥へと誘導する。

「ここや。ここに座り。」

何段かの階段を上った先にあったのは、アンティークのロッキングチェア。

少し離れた場所には、雑貨屋のレジが見える。

言われるままに腰を下ろし、前を向いた杏奈の視界に飛び込んできたもの。

それは。

「わ・・・・」

「ええやろ、ここ。この店のもん、ぜ~んぶ見えて。」

まるで夢のようだと、杏奈は思った。

キラキラと輝く、非日常の夢の場所。

「確かに、最高の『デート』かもしれない。」

ロッキングチェアの背に身を預け、杏奈は小さく呟く。

その姿を、雑貨屋さんはしばらくの間、目を細めて眺めていた。


(あれ?ここ、は・・・?)

心地よい微睡みから目覚めた杏奈は、ぼんやりとした頭であたりを見回した。

そこは、見覚えのある雑貨屋。

(・・・・はっ、私としたことが、いつの間にっ?!)

慌てて飛び起きた拍子に、体に掛けられていた毛布が床に落ちる。

「これ・・・・」

「もう、起きてしもたんか?」

突然背後から掛けられた声に、杏奈は飛び上がった。

「わっ!」

「まだ寝とってもええのに。」

杏奈の驚きようを意に介する様子もなく、雑貨屋さんは落ちた毛布を拾い上げ、器用に畳み、ロッキングチェアの上に置く。

「もう、疲れは取れたんか?」

「えっ、あ・・・・そういえば・・・・」

おそらくそれほど長い時間ではないはずだが、熟睡したせいか、杏奈は体の軽さを感じていた。

「はい、すっかり。」

「そか。良かった。」

うんうんと頷き、雑貨屋さんは小さな包みを杏奈に手渡す。

「ほな、これは『デート』のお礼。」

「は?」

「今日は、主任さんの可愛い寝顔も見られたしな~。」

「雑貨屋さんっ!」

思わず声を上げた杏奈の目の前に、雑貨屋さんはピシっと人差し指を突き出した。

「それっ!」

「はっ?」

「その、『雑貨屋さん』っての、もうええ加減やめてもろても、ええかな?」

珍しく、雑貨屋さんが不満そうな顔で、杏奈を見ている。

「ですが、私はあなたのお名前を存じあげておりませ・・・・」

「ま・さ・き。」

「え?」

「まさき、や。」

も~、いつ聞いてくれるんかて、ずっと待っとったんやで、と。

『雑貨屋さん』こと真咲は、恨みがましそうな目で杏奈を軽く睨んでいる。

「それは・・・気付かず申し訳無かったで・・・・」

「それもやっ!」

再び、杏奈の目の前にピシっと突き出される、人差し指。

「その堅苦しい口調も、もうええ加減・・・・」

「善処します。」

「かった~!せやからそれが硬いっちゅーねん!」

目の前で盛大な溜息をつく真咲に、杏奈は思わず噴き出した。

「なっ!何笑てんねん!ここ、笑うとこちゃうで!」

「すみません、つい・・・・」

「で、主任さんの名前は・・・・」

「私の呼び方はこのままで。」

「・・・・連れない人やなぁ・・・・」

がっくりと肩を落とす真咲は、初めて出会った時と変わらず、杏奈には全く理解できないセンスの服の、チャラそうな男のまま。

だが、もう杏奈の中に苦手意識は全く無かった。


自宅に帰り、杏奈はさっそく真咲から渡された包みを開けた。

中から出てきたものは。

(これは・・・・)

杏奈の心を鷲掴みにした、あの起き上がりこぼし。

そっとテーブルの上に置き、指で小さくつついてみると、中から小さく美しい音が響く。

(・・・・雑貨屋さん。やっぱりおかしな人。)

「今度はちゃんと、買いに行きますからね。」

このお礼もしなければ、と。

胸に広がる温かさをかみしめながら、杏奈はもう一度、起き上がりこぼしを指でつついた。

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