第4話
ある日、こんな夢を見た。
私はどこかでよく知らない人たちとお弁当を食べようとしていた。何人か人がいる中で、その中の一人が私のお弁当の中身について質問してきた。これは何か、どうしてこれがあるのか、とかそんなような、その人には全く関係ないくだらないことをいちいち尋ねてくるのに、私はそれに愛想よくいちいちこたえていて、まあこれも世間的な社交みたいなものなのかな? 自分がどこの何者であるかという存在証明のひとつ(怪しいものではございません的)なような?? という程度に考えていた。なぜなら訊いてくるその人以外の人たちもそれを
私はその人(や周囲の人たち)に自分はときどきこういうものを食べたくなるのだと言うようなことを親切にもばかみたいにいちいち丁寧に応えていた。「たまにジャンクフードみたいなものを食べたくなるんだ。たまにそうならない?」と。
でもその中には、栄養バランスのとれた有名店の高級総菜も入っていたり、ちょっと贅沢な嗜好品のお寿司なども入っていたので、それを目ざとく見つけてはその人はいちいち尋ねてくるのだ。
気分によって色々なものが食べたくなるので中身に一貫性のかけらもないお弁当でも自分が食べたい物なのだから、私のお弁当なのだし、いちいちなんでこの人(や周りで聞き耳を立てている人たち)に、これは何なのか、どこのどんなものなのか、何故これがあるのかといちいち説明し、この人たちに証明しないといけないのか、とその内に私は思いだした。それを煩わしく思っている自分に気づいてきたのだ。
しかも、ひとつ質問にこたえるとそれと矛盾した嗜好のおかずもあるということを見つけてはまたそれをきいてくるので、またそれに応えていくということをする内に、なんだかその自分の返答の履歴に律義に忠実であらねばならないような気分にさえなるというか、そうするのが義務のような妙な気分にさせられるのに気づいて、うるさい気分になってきたのだ。
矛盾した好みであろうと何だろうとその時自分が食べたい物をお弁当につめていて何が悪いんだろう、一つの好みや志向に全て合わせて統制されているほうがきれいなお弁当かもしれないけれど、別にひとにみせるためのものじゃないのに。と。
そこで目覚めた。
夢から醒めて私は、人目や人にどう思われるかを気にせずに本当の自分をちゃんと生きていると、それをしていない人たちはそれが気になっていちいち干渉したくなるのだ、ということが何となくすとんと理解できたような気がした。そういうものなのだ、と。たとえば本当に自分が食べたいお弁当の内容が、この世に生まれて来てこんなことを学ぶんだ、って自分で決めていた魂の課題や科目だとしたら。そんなことを寝ぼけたままで考えていた。そしてまだ眠かったのでもう一回寝た。
要は人が何を言おうと、どう思うと、結局は関係ないし、いちいちそれに親切に付き合ったりする必要もない、ということなんだと思う。自分の人生の選択に責任をちゃんととらず、人目や人の思惑ばかりを気にしている人は、なんだかんだと人に干渉してもされてもいいと思っている。だから言いたい人はすきなように言うし、そんなのその人の問題なんだから、それに付き合いたいと思わないならわざわざ親切に付き合う必要などないってことだ。
そうでないと単なる親切を勘違いされてつけあがらせるとかしつこく
要はそんなようなことを夢は教えていたように思った。
私ははじめ親切にもいちいち質問に応えていたが、その自分の応答の履歴に忠実であらねばならないような、妙な義務さえそのうちに感じ始めていた。そうあるべきだという相手側の勝手な期待のようなものに影響され始めていることに気づいたのだ。そんなふうに、いつの間にか、初めは何気ない単なる親切のつもりで始めた、自分で丁寧に作り上げた応答の
そこから脱け出すのには、なんかうるさいな、そう思った時点で今までの自分の応答やその履歴とどんなに矛盾してようが何だろうが、そのときにしたいと思うように、
何となくそんなことを、私は思ったりした。
退園しようとしたときに、後ろから来て私たちを追い抜くようにすれ違った女の子たちのグループの一人が、すれ違いざま、はっきりと聞こえよがしに
「ビッチ」
と私に言って行ったので、ん? と思っていたら、私の
「なんだあいつ!!」
とうとつに怒り出した。
私は何を言われたのか最初わからなかったので、何か言われたみたいな気がするけど、何て言った? という感じだったが、二人の様子から、音声を脳内でリピートアゲイン。そしてその言語を再構成し認識してから何だかとても侮辱的な差別用語を言われたらしい、とやっと理解した。どうやら二人のファンの子たちもここに来ていたらしい。
「ほっときなよ」
私がそう言うと、海と陸はさらに怒り出した。
それで追い抜いて行った女の子たちグループを追いかけて行って、彼女たちの背後から
「おまえら何なんだよ!」
「卑怯なことばっかりするなよ!!」
と怒鳴りつけていた。
二人に置いてかれた私は少し離れたところからそれを見ながら、あら~と思っていた。
ほっときゃいいのになあ、と思いながら二人のところに早足で歩いて追いつくと、怒鳴られた子たちは振り返らずにそのまま知らないふりして駐車場の方へそそくさと移動して行くところだった。
私たちは電車で帰るので駅へ向かうべきなのに、海が私の手をがしっと握り、
「行こう」
と言って、陸と彼女たちの後を追いかけ、駐車場へ引っ張っていかれた。
追いついたところで、彼らはまた
「おまえら卑怯だろ!!」
「言いたいことがあるなら、こっち向いてはっきり言え!」
と怒鳴りつけた。
女の子たちは六人いた。中にはどこかで見たことがあるような子もいた。戸惑ったり怯えたような様子の子もいれば、無言でこっちを
「なんか言え!! このブス!!」
可愛い女の子はたいていプライドが高い。
自分が可愛いと知っているし、人からちやほやしてもらうのに慣れているから。
それで、その中の特に女子力高めのリーダー格らしき女の子が静かにキレたみたいだった。
「なんなの、ちょっと人気あるからって、いい気にならないでよ」
そう言って陸にタイマン勝負を挑みだしたので、私は、うわ~、と思いながら見守ってしまった。やだ、ちょっとなにこれ。面白い。性格の悪い私が他人事のようにわくわくしていたら、
「いい気になってんの、おまえらだろう!」
「何自爆してんだよ、ブスな上に頭も悪いのか、バカなんだな!!」
海もさらに悪口を言い出したので(双子は普段こんなことは言わないしお行儀も育ちも良い爽やか少年だけど、実際はものすごく口が悪いのだ)、明らかにショックを受けている表情の子たちもいた。
ああ、かわいそうに。王子様の虚像が崩れたのだね。
泣きそうな女の子たちを、私が淡々と眺めていたら、何故か
「何なのよ!! 涼しい顔して!!! あんたが全部悪いんじゃないの!!!!」
なんで私が全部悪いんだろう、とまじめに疑問に思っていたら、
続けざまに他の子たちも唱和し始めた。
「そうよ! このブス!! ビッチ!!!」
「クソビッチ!!!」
ひどい言われようだった。
○○▼▼◇◇▲▼!!!!! 次第にエスカレートしていく侮辱言葉の合間を縫って漏れ聞こえてきたものを総合して要約すると、
・海と陸の二人は以前はこんな下品で嫌な男ではなかった
・優しく品行方正なみんなのアイドルが下品な奴になったのはすべてあんたのせい
・幼なじみの特権をつかって二人につきまとい堕落させる下品な女
・おまえがいなくなれば全てがうまくいく
・優しかったみんなのアイドルの二人を返せ
・おまえは悪魔だ、天使を堕落させる悪魔だ、この性悪女め
ということだった。
その間、海と陸が何を言っても怒鳴っても、上記の論点にすぐに戻るので、堂々巡りにしかならない怒鳴り合いだか喚き合いだかわかんないような口論が夜の駐車場でヒートアップしていた。
私はとにかく目の前で展開されているものに驚いていた(しかも面白かった)ので、黙ったまま彼女たちの言い分がどのようなものなのかをただ聞いていただけだった。未知の論理だけに、そうか、そういう風に考えてそうなるのか、といちいち他人事のように感心していたのだ。
そんな私の態度に
突如戦場と化した駐車場で
わーっと盛り上がって、火花を散らして、そんで行き着くとこまで行ったら終わり。
踊りたいだけ踊って、それで終わったら、帰るしかないから帰る。
何となくそう思いながら、落としどころを探っていたら、
「何なの、二人にかばわれていい気になって!!」
「海君と陸君の陰に隠れてずるい!! 卑怯者!!」
から、とにかくずるい!!! の大合唱になった。
「ずるいのも、卑怯なのも、陰に隠れてこそこそと卑劣な真似してるのも全部おまえらだろう!!! おまえら自分がしていることわかってんのかよ!!? 全部自分たちのことじゃねーかよ!!! 自己紹介で自爆しまくりじゃねーか!!!!」
「そうだよ、何ひとに責任転嫁してんだよ、自分らが卑怯で姑息でずるいからって、勝手にひとも同じだと決めつけんな!!!」
海と陸が怒鳴ったけど、彼女たちは馬鹿の一つ覚えみたいにみんなで一斉にずるいずるい言い出した。まるでそうやって強情に駄々をこねて言い張っていれば自分たちの意見が通るとでも信じているかのようだった。
こりゃだめだ。
収集つくどころか、何だかより
そう私がヒソカに分析していると、
「亜実が自殺未遂したのだってあんたのせいじゃないの!!」
「人をあんなに傷つけておいて、何のうのうとしているのよ!!」
「こんなところでよく笑って遊んでいられるよね!! 無神経!!」
とか口々に言いだした。
それは私に向けて放たれた
そうして
人の優しさや純粋さににつけ込むような汚い真似しやがって、なんてことしやがる。
だいたい、ずるいってなんだよ。小学生かよ。
私は黙っていたがものすごくかちんときていた。
はらわたが煮えくり返って、静かに猛烈にブチ切れていたのだ。
私はそんなに好戦的な方ではないと自分では思うけれども、一旦ブチ切れてしまうと、徹底的に闘うモードに入るので即座に考えが切り替わる。つまり一旦、闘う、と決めたらもう毒を食らわば皿までも、もしくは、肉を切らせて骨を断つぐらいの考え方に切り替わってしまうのです。
私はそばにいた陸の胸倉を
そして陸から身を離すと、今度は
そうして私は彼女たちを睨みつけた。
「私は二人が好きなの、ずるくてけっこう、それの何が悪いの?!! だから何だって言うのよ?! 二人を返してほしければ、下品な悪魔のようなオンナの呪いから、かわいそうな二人の王子様が目覚めるまで大人しくお祈りでもして待ってなさいよ!!!」
ビッチ上等だ。もう知るか。
すぐに海と陸が後を追って来て、私に追いついた。私は無言でずんずん足音も荒く駅に向かって歩いていて、まだ頭にきてはいたが、はらわたは煮えくり返っていてもわりと冷静だった。
「どこであんなこと覚えたんだよ」
海が不機嫌そうに私にきいてきたので
「そんなのあんたたちが小さいときに何も知らない私にしてきたことでしょうよ」
海はどもりながら言った。
「そ、そうか」
「なんか、すごかったな」
のんきに照れて嬉しそうにはしゃいでる彼らに、私は、ふん! と鼻息も荒くひっかけて、
「あんなのほっときなさいよ!! あんなのにかまうから、こんなによけいな無駄な時間とエネルギーを使っちゃったじゃないの!! 次の電車の時間まで20分も待たないとならなくなったじゃないの!!!」
と怒ったら、二人はにこにこしながら言った。
「そうでもなかったよなあ」
「うん、おかげでいいことあったし」
「何が幸運につながるかわかんないってことだな」
「そうだよな。災い転じてじゅうぶん福となったよな」
「なあ
「続きしようよ」
とまとわりついてうるさいので、
「うるさい!!」
と怒鳴っても、二人は終始にこにこしていた。
名実共に?
噂はデタラメだったけれど、仮にそれが本当だとしても、それが何だと言うのだ。What the hell! が私たちの合言葉みたいなものになった。
優しかったみんなのアイドルを返せと直接言われたりすることもあったけれど、
「知るか」
と1秒でぶった切っていたら、言ってこなくなった。
悪魔上等で対応したのがよかったようだ。
噂の拡散はすごくてクラスや同じ学校内でもヒソヒソされることもあれば、やるじゃん、と何故か応援してくれる子もいたりして、人それぞれなんだなあと思った。ちょっと面白かったのは、今まで接点があまりなかったような一匹狼タイプの子たちとも仲良くなったことかな。彼女たちはその
キイナや聡子たちと一緒にグループでいるのも楽しいし、ソロで一匹オオカミ風に自由にやるのも楽しい、別にどっちでも楽しめるなら好きな時にそうすればいい、何となくそんな風に思うようになったのも、ちょうどそういうタイミングだったのだろうと思う。キイナと
海と陸はそれぞれ陸上とサッカーという個人競技と団体競技のスポーツをしているけれど、たまに双子の特権? を活かして、入れ替わったりすることがあるのだそうだ。二人が互いに相手に似せようとしたらほぼ見抜ける人はいないので、今までばれたことはないらしい。海はどっちかというと個人競技の方が好みだけれど、それだけだと視野が狭くなるので、団体競技のチームプレーで多視点のバランスをとりたくなる。陸はどっちかというとチームプレーが好みだけれど、そればかりだと仲間に知らずに頼りがちになったり、同調圧力に無自覚になるので、個人競技でストイックに
彼らが意識してとっていたバランスのようなものを、私も自分で意識するようになったということなのかもしれない。
彼女は学校に内緒で知り合いのライブハウスでバイトしていた。カウンターでバーテンみたいな仕事をしていて、お客さんや出演者のひとたちとも仲良く
ある日、ものすごく忙しいのに人手が足りないので手伝ってくれないかと葉月から連絡があり、OKして夕方に彼女のバイト先に顔を出した。その日は土曜日だった。次の日が休みだから、遅くまで手伝っても大丈夫だったので九時過ぎまでいたと思う。両親には友達の家に泊りに行くと言っていたので、門限もフリーだったのだ。バイトが終わったら葉月の家に泊りに行く予定だった。
バックステージパスのワッペンシールを洋服の袖に張り付けて、小間使いのように雑用をこなした。機材を扱うのに抵抗がなかったので配線をチェックしたり直したりできることもあり重宝がられたのだ。マイクチェックやスピーカーの音量やキイなどのバランスをみたり色々頼まれるままに忙しく働いた。終わってから、お疲れ様、打ち上げに一緒に行こうよ、と葉月に誘われてライブハウスのあるビルの上にあるなんだかおしゃれなお店にみんなと一緒に行った。そこは重厚な木製のカウンターがあるちょっとレトロな雰囲気のショットバーだった。打ち上げは奥の席の一角でわりと賑やかにやった。ほぼ貸し切り状態だった。
そこへ何人かの男女のグループが入ってきて
「今日は賑やかだね」
とマスターに言っていたので、こっちの席から何人かが
「すみませーん、下のライブハウスの打ち上げでおじゃまさせてもらってまーす」
と陽気に声をかけていて、なんだか気づいたら入ってきた人たちの中の何人かとマスターとで仲良くカウンターでしゃべり出していた。私と葉月は奥の隅っこにいたのでカウンターの方の人たちの様子はあまり見えなかったけれど、化粧室に立って帰ってくるときにカウンターにいた人から
「神奈ちゃん?」
と声をかけられて、よく見たら
彼はなんだかきれいな大人の女性二人とカウンターにいて、その女性たちはライブハウスに出演していた演者さんたちとマスターとで仲良く喋っていたのだが、彼が私に声をかけたので、みんなで一斉にこっちを見た。その瞬間、女性たちが上から下までサーチライトで照らすかのように私を品定めしたのがわかり、しんそこびびった。うわ。なんだかこわい。その視線からちょっとした軽い敵意のようなものをうっすら感じてしまったので、ああ、この人たち聖一さんが好きなんだ、とすぐにわかってしまった。はた迷惑な色恋沙汰にいやおうなく巻き込まれ続けたためにある種の感覚が発達したらしい。
「聖一、知り合い?」
「妹の友達」
なんだがきか、と彼女たちの刺さるような視線が少し緩んだのもわかった。
露骨だなあ、と思いながら
「こんばんは」
と私が言うと演者さんの一人が
「ライブハウスでバイトしてくれている子なんだよ」
と女性たちに言った。
正確に言うとバイトの助っ人なんだけど、
「そうなんだ」
と聖一さんが言うので、
「はい」
と頷いた。
彼はちょっと保護者っぽく
「お酒飲んでるの?」
と訊いて来たので
「いえ、ジュースとお茶だけです」
なんだかまじめに答えてしまった。実際「アルコールはダメ!」とライブハウスのみんなから止められていたので、私も葉月も飲んでいなかった。こんな場所に一緒についてきながらも至って真面目にそうしていたのだが、なんか意外だった。何がと言うと、目の前の彼がちょっと咎めるような訊き方をしたからだ。
彼はまたじっと私の目を見つめていた。
あ、なんか、嘘かどうか確かめられているみたいな感じ。
何だかいたずらを見つけられた子供のような所在ない気分でいたら彼がにっこりして言った。
「あまり遅くならないように気をつけて帰るんだよ」
「はい、そうします」
葉月の家に泊るのでそんなに遅くなるとか気にしなくてもいいのだけれど、ほっとした私はそう言って彼や他の人たちに会釈して席へ戻った。
葉月と私は十時を少しすぎた頃まで打ち上げに付き合って、それから一緒に彼女の家に帰った。途中コンビニでアイスやスナック菓子をたくさん買い込んで、仲良く腕を組んだりして近くで彼女が一人暮らししているマンションへ帰った。彼女の両親は海外出張中で、今は彼女一人なので遠慮なく朝までDVDをみたりお喋りして、外が明るくなってから彼女の部屋のベッドで一緒に眠った。客室もあったのだけど、めんどくさいのでそのまま一緒に眠ってしまった。なんか姉妹ができたみたいで楽しかったのだ。
日曜日の夕方、葉月がバイトに出る時に合わせて私も出た。ライブハウスは駅前にあったので、ライブハウスの前で別れたのだが、駅の改札口あたりで知らない女性に話しかけられた。
「あなた神奈さんでしょう?」
尋ねられて、誰だろうと思いながら
「はい」
彼女を見つめると、
「私は
私はぎょっとした。うわ、また出たよ。今度は何だよ?! オバケが出たかのような表情をしたのだろう、彼女はきれいな顔を申し訳なさそうに歪めて
「ごめんなさいね、嫌なことを思い出させてしまうとはわかっていたのだけれど、つい声をかけたくなってしまって」
「何の御用でしょうか」
私が事務的にそう言うと彼女は
「私は亜実や両親とはほぼ絶縁状態で、この近くに夫と住んでいるの。あなたのことは夫が両親たちの動向についてチェックしているのでその関係で知っていました。あの、良かったらどこかで少しお話しできませんか?」
迷ったけれど、私の中の何かが行け、というので頷いて彼女について行った。
彼女はライブハウスのある方とは反対口にある駅前のシティホテルのラウンジに私を連れて行った。
「何でも好きなものを頼んでね」
遠慮なくケーキと紅茶のセットを頼んだ。
彼女は紅茶だけを頼み、私に改めて自己紹介してから本題にすぐに入った。
「私の両親も亜実も、ちょっと普通のひととは違うの。常識が全く通じないようなところがあるから、本当に気をつけてほしくて。特に亜実は昔から甘やかされてきたので、他者と自分との領域の区別がつかないような子になってしまった。それは病気というよりも性格の問題で、たぶん治らないものなのだと思う。常識的に振る舞うこともできるしルールも認識しているけれど、それはその方が自分にとって有利だからで、それをうまく使って他者との関係を操作したりするのは子供の頃からだった。やり方が巧妙だから見抜ける人があまりいなかったのもあって、それは彼女の
私は彼女を見つめた。
「あなたはどうして私にこれを話してくれるんですか?」
「どうしてかしら。あなたを見かけた瞬間に声をかけないといけないような気がしてしまった」
「私の顔を知っていたのはどうしてですか?」
「夫が興信所を使って、定期的に両親たちの動向を調べているの。こちらに危害を加えられる可能性があるから警戒しているのよ。あと半年したら夫が希望した海外勤務になるので私たちは日本を離れるのだけれど、それまでの間はここから離れられないので、身辺の安全のためにそうしている。それであなたのことも報告書にあったの。写真もあったのでお顔も存じ上げていました」
そこで注文したものがきたので、私たちはしばらく黙った。
「彼女の常套手段は関係操作だから、とにかく関わらないことです。外堀を埋めるように関係を操作してくるかもしれないけれど、それにのせられないように注意してください」
私は嫌な気分になった。
「まだ何かしてくると?」
「あなた、昨日、近くのライブハウスにいたでしょう?」
私は少し驚いて
「はい」
彼女は私にすまなそうに言った。
「あなたを監視していたのではなくて、たまたま亜実の動向を調べていた調査員が同じ場所であなたを見つけたのよ」
私はちょっと黙ってしまった。
「昨日、彼女もあの場所にいた?」
「ええ」
私が黙りこんでいると、彼女は言った。
「あなたは関係者のパスをつけていてそれなりに目立っていたから、多分亜実もあなたに気づいたはず。念のために注意しておいてほしくて、さっきあなたを偶然みかけたときに声をかけしました」
ここはお礼を言うべきなんだろうけれど、私は何だか痺れたように身動きできず声も出せないでいた。
「私が家族や亜実と絶縁しているのは、彼女が私の当時の婚約者であった夫に対して執着をして私との結婚を邪魔しようとしたからなの。私が幸せになるのが許せないから、ただそれだけで。それで彼の気を惹くために自傷行為をしたりしていたので、両親は私に彼との結婚を諦めるように言ってきた。私は小さい頃から妹の世話係の女中扱いみたいなものだったので、それが当然という口ぶりで言われたとき、ああ、この人たちと一緒にいると、私の人生を食い
考えてみれば、いつもそうだった。
泣いて、自傷して、脅して、おためごかしや正義仕立てで、こちらがどんなに理不尽な要求でも無理矢理にでも従わないといけないように、それをのむしかないように、義務や罪悪感をもつように、いつだって仕向けられてきた。私の気持ちなどお構いなしで。
それで血のつながりをすべて捨てる決心をした。そうしたら、自分がいかに家族という檻の中で酷い扱いを受けてきていたのか、やっと判るようになった。精神的な
逆を言えば、関係性に絡めとられなければ、はっきりとそれを見抜く目を持つことも可能だということなんです。ちょっと抽象的で解りづらいかもしれないけれど」
彼女の話は私にはとても解りやすかった。
「いえ、よく解かります」
「そう、よかった」
彼女は私に手つかずのままの紅茶とケーキをすすめ、自分も紅茶を飲んだ。
しばらく私たちは黙って、食べたり飲んだりした。
「彼女のような特徴のある人格のことを、潜在的攻撃性パーソナリティーとかマニピュレーターとかいうらしいけれど、なんというか、その関係性に絡めとられてしまうと、攻撃者の方が被害者のように見えるような状況にはめ込まれてしまうので、周囲の人たちも攻撃者側に回ってしまうことがよくあるの。
はっきりと悪意を持って攻撃してきているのにもかかわらず、否定をしたり混乱を装ったりすることでごまかそうとしてくる場合もある。そうして自分の悪巧みを、相手に
ごめんなさいね、私にはこれくらいしかあなたに教えてあげることができない」
ちょっと冷めてしまったが、紅茶もケーキも美味しかった。それで少し人心地がついたのか、私もなんとなくリラックスしていたのでやっとお礼が言えた。
「なんとなくですけれど、
「バイト禁止なのに大丈夫なの」
次に聖一さんに会ったときに、そう訊かれたので
「ちょっとした手伝いだもん」
と言ったら、彼は笑った。
「じゃあ、僕のところでもちょっとアルバイトしない?」
「お仕事のお手伝い?」
「そう。簡単な書類の作成とか整理とか手伝ってもらえると助かるんだけど。ちゃんとバイト代出すよ」
「いいよ、やる」
面白そう、と思って私は引き受けた。
時間があるときに寄って手伝ってくれればいいと言われたので、とりあえずキイナの家に遊びに来たら、彼のところに顔を出して何か手伝うことがあるか御用聞きのように訊くことにした。
彼のところでバイトすることになったとキイナに伝えたら、
「それじゃあカンナとあまり話せないじゃない」
と言うので
「そんなこと言っても、ほとんど克己くんと一緒にいるから別にいいじゃない。私とは学校でも話せるし」
「そうだけどさ。でもこっちにも顔出してよ」
とちょっと照れていた。
「キイナは克己くんのこと好きじゃないの」
「うーん、いいやつだと思うけど、何かつきあうってなると照れくさい。今の感じがいい」
「それは殆ど好きだってことですな」
「そうだけど、なんだか照れるんだよ」
いいなあ、かわいいなあ。
「キイナってなんか可愛いんだね」
私がにやにやして言ったら、キイナはさらに照れていた。
「もう、からかわないでよっ」
「ごめんごめん」
あははと笑いながらキイナのふりあげた手をさけて二人でじゃれていたら、向こう側から四番目のお兄さんがキイナに
「来てるぞー」
と声をかけた。
道場に克己くんが来てることを知らせてくれたのだ。
なんだかんだと言っても、克己くんはキイナの家族に受け入れられていた。
「よし、差し入れ作って持っていくか」
克己くんが来ると、もれなくキイナからみんなにお茶とおにぎりとかサンドイッチとかの軽いおやつが差し入れられるので、そのせいかもしれないけど。
「差し入れの準備は必ず手伝うことにするよ」
私がそう言うとキイナはうんと嬉しそうに頷いた。
「なんかこういうの、楽しいよね」
「うんわかる」
海や陸とご飯を一緒に準備したり片づけたりするのもこんな感じだからだ。
「友達と一緒にご飯作ったりするのって、なんか楽しいんだよね」
「キャンプみたいだからじゃない?」
「ああ、そうかも」
言ってからキイナはちょっと淋しそうに
「前は聡子もいたのにね。まだ
「そうだよね、あれからだいぶたつのにまだ送り迎えされてるし」
「それでも夜こっそり窓から脱け出して近くの公園で彼氏と会ってるから、すごい根性だよね」
「反対されれば燃え上るものよ。ロミオとジュリエットだもん」
「そのうち、彼氏と駆け落ちとかしなきゃいいけど」
「なんかやりそうだなあ」
噂話をしながらキッチンでお茶を飲んでいたらご飯が炊けたので、キイナがしゃもじでかきまぜている間に私は海苔や具なんかをテーブルに並べた。粗熱をとってから、ほかほかのごはんをどんどんにぎっていき海苔を巻いたりしていたら、珍しく聖一さんが顔を出した。
「すごいね。大仕事だね」
「お兄ちゃんも食べる?」
「海苔のいい匂いがうまそうだなあ。2~3個もらってこうかな」
「どうせなら全種類持って行きなよ」
そう言ってキイナは4種類の具のおにぎりを小皿に入れて彼に渡しながら
「珍しいね。どうしたの? こっちになんか用事があったの?」
と尋ねると、彼は私に
「うん、神奈ちゃんがバイトしてくれるときにちょっと遅くなっても大丈夫なら19時か20時くらいまで手伝ってもらえないかなと思って」
「大丈夫ですよ」
「そう、ありがとう。助かるよ」
「夕飯差し入れようか?」
キイナが言って、聖一さんが
「あ、じゃあそうしてもらおうかな。二人分届けてもらえると助かる。神奈ちゃんも夕飯食べて行きなよ」
「うん」
「まかない付きのバイトだね」
「そうだね」
三人で笑っていたら、彼が私に言った。
「もしよかったら今日からお願いできる? 資料の場所とか先に教えておきたいんだけど」
私がキイナを見ると、
「しょうがないなあ。じゃあこれみんなに一緒に運んでもらったら、カンナを貸してあげるよ」
「いつからマネージャーになった」
「今から」
聖一さんは明るい声で笑ってから
「じゃあ、あとで顔出してよ」
と私に言ってお皿を持って出て行った。
「なんだかカンナ、うちでこき使われるために来てるみたいだね」
「こき使われてたのか」
「でもバイト代出すって言ってたから、けっこうはずんでくれるかもよ」
「面白そうだからべつにボランティアでもいいんだけど」
「もらえるものはもらっときなよ。そんでなんかおごってよ」
「たかる気だったのね」
「そうそう」
笑っていたら、今度は道場主のお父さんがキッチンにひょっこり顔を出して
「みんな待ってるぞー」
と催促に来たので、私たちは笑いながら差し入れを運んでいった。
道場には近所のちびっこもいるし中高生もいるけど、みんな食べ盛りなので、山のようにあった差し入れはあっという間にはけてしまった。キイナはなんだか克己くんと楽し気におしゃべりしながらお茶を飲んでいるので、私はそのままそうっと脱け出すようにして聖一さんのいる離れを訪ねた。
ノックするとすぐに
「どうぞ」
と言って、彼がドアを開けてくれた。
「ちょうどよかった。こっちの倉庫にある資料の整理をしてもらいたいんだよね」
そう言って、彼は玄関から入ってすぐのドアを開けて、資料の棚がたくさん並んでいる部屋に私を連れて行った。手前の棚にあるものはナンバーがふられているボックスや引き出しに入っているけれど、奥の棚にあるものはナンバーがふられておらず、色分けされた大きなボックスがいくつかあるだけ。そのカラーボックスの資料を小さな引き出しに色+ナンバーをふって小分けにしまって目録を作っていってほしいとのことだった。同時にスキャンできるものは全てデジタル化してファイルも管理するらしい。
「すごい量だね」
「そうなんだよね」
かなりの量の資料に驚いていたら
「すぐに終わらないだろうから、ちょっとずつやってくれたらいいよ。とにかくやり始めないことには。こつこつやればなんとか片付いていくだろうから」
「そうだね」
「助かるよ、ありがとう。あとちょっとした文書作成も手伝ってもらいたいから、それは今度説明するね」
「はい」
「時給は1300円位でどうかな」
「そんなにふんぱつしてくれなくてもいいよ」
「ふんぱつしてるわけじゃないけど」
笑って彼は言った。
「タイムカードがあるわけじゃないから、時間を自分でメモしておいてくれる? 自己申告で。バイト代は月末締めで翌月の最初の勤務日に手渡しで支払うから」
軽いお手伝いのつもりだったので気楽に考えていたけれど、そんなにきちんとしてくれるとは。それにこんないい時給を支払われるなら、きちんとしたほうがいいかなあ。なんか申し訳ないしなあ。
「じゃあ、もう時間を決めてしまいましょう。今が17時少し前なので、週2日、17時から19時、もしくは20時までということでどうでしょう?」
「20時まででもいいなら20時まででどう? 週2日×3時間のバイトってことで」
「じゃあそれで」
「決まりだね」
彼はちゃんとした契約書をつくって持ってきたので、それにサインしてきちんとバイトとして雇われることになった。控用の契約書も渡された。その日は19時頃にキイナが夕飯を運んできてくれたのでそれを一緒にリビングで食べて20時まで資料の整理をして家に帰ったので、次のバイトの時に
「食事時間はひいてください」
と言ったら、彼がそれくらい別にいいよと笑うので、食事時間の分30分上乗せして20時半まで手伝ってから帰った。そうしたらまたきちんと契約書をつくり直してくれて、30分休憩をひいた17時から20時半までの3時間勤務と几帳面に記載されていた。
バイトを始めたこともあり、私は更にあまり家にいる時間が少なくなった。この頃は殆ど家にはお風呂に入って眠るために帰るだけみたいな感じだったが、友達のお兄さんの会社ということもありバイトに関して特に両親に何か言われることはなかった。契約書もちゃんとあったので控えを預けてあったからかもしれないけれど、単に校則で禁止されていることを忘れているだけかもしれない。一度電車を乗り過ごして門限を過ぎた時も特に何も言われなかった。
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