第3話


 聡子さとこが学校を続けて休んだ。さすがに四日目になると私たちも心配になって来た。携帯はつながらないし、家に電話しても風邪をひいて寝込んでいます、とお手伝いさんが答えるのみだった。

「お見舞いに行ってみようか」

 キイナがそう言うので、私も賛成した。会えなくてもいいからお花と聡子の好きなアイスクリームを買ってとりあえず行こう、と決めて学校帰りに二人で彼女の家を訪ねた。

 それまで私は聡子の家に行ったことがなかったので、キイナに連れられて初めて訪ねて行って、本当に聡子はお嬢様だったんだなあと改めて驚いた。どこの高級旅館かと思うほどの広い庭と重厚で大きな日本家屋にまず驚いた。対応に出たお手伝いさんの慇懃いんぎんさにも更に驚いた。カルチャーショックというやつだ。そして私たちは体よく門前払いされてしまった(実際は門の中には入っていたから玄関先払いだけどさ)。

 お見舞いのお花とアイスだけ渡して、私たちは何の情報も得られないまま帰宅の途についた。

「こりゃあ、何かあったな」

 キイナが言って、私も同じことを考えていたので

「とりあえず聡子から連絡がこないとどうしようもないね」

「連絡したくても連絡できないような状況とかじゃないといいんだけど」

「……」

 たぶんそうなんだろう、と私は思っていたが言わなかった。

 いたずらに心配しても仕方ないからだ。

 それより何らかの聡子からの信号に耳を澄ませておく方が現実的な気がした。

「このまま帰る?」

 キイナが私に尋ねるのをなんとなく見ていた私は、その視線を彼女の背後に移した。

「ねえ、あれ、聡子の彼氏じゃないの?」

 鈴村家の裏側にある塀に小さな通用口のようなものがあり、そこからそっと出てきた兄妹校の制服を着た男子生徒を指さした。

「え、あれほんとだ」

 私たちが彼の方を見ていると、彼の方もこちらに気づいた。私たちに軽く手を振ってから、彼は反対方向へ歩いていく。会釈した後にそれを見送りながら

「こっそり彼と連絡とっているならとりあえずは大丈夫かも」

「そうだね」

 ちょっとほっとしつつ私たちはまた歩き出した。

「まあ、そのうち連絡してくるよ」

 私がそう言うと、キイナはうん、と嬉しそうに頷いていた。

 数日後、けろっと聡子が登校してきて、携帯電話を止められてしまって連絡ができず、しかも家に軟禁状態だったと話してくれた。携帯の中を見せろと家族や婚約者に迫られて頑としてパスワードを教えずにいたら、結果として携帯電話の通話を止められてしまったそうな。それでちゃっかりと新しい携帯電話を用意していて、新しいアドレスと番号を教えてくれた。

「どうしたの、それ」

輝幸てるゆきが用意してくれたの。彼の名義だから、見つからなければ止められる心配はないでしょ」

 言って聡子は、彼氏に用意してもらった携帯を愛おしそうにでる。

「うわ~、なんか色々すごいね~」

「ふふっ」

 聡子はなんだかんだと幸せそうに見えた。

「なんか心配して損した」

 キイナがあきれて言って、

「まあ、とりあえずよかったよ」

 私が言うと、聡子はなんだか可愛らしく、えへへと笑ったので、キイナも笑っていた。

「でも、とりあえず登校はさせてもらえるけど、車での送り迎えつきになってしまったのよね」

「うちにも寄れなそう?」

 キイナが尋ねると、

「ほとぼりが冷めるまではおとなしくしてる」

「そっか」

「でも、それがあるから彼と連絡はとれるし、しばらく我慢してた方がいいかもね」

「うん、あ、お見舞いありがとう。元気なのがばれるといけないって部屋から出してもらえずに会わせてもらえなかったの。でも、そのおかげで注意がキイナや神奈の方に向いていたから、あの日携帯を渡しに偶然輝幸が忍び込んで来たのもばれなかったんだよね」

 それで私とキイナは顔を見合わせた。

 あのときのことだ。

「え、そうだったの」

「その日、私たちも帰りに彼氏を見かけたんだよ」

「あ、そうだったんだ」

 照れながら聡子が言った。

「神さまが聡子の恋を応援して味方しているのだ!」

 ふざけてキイナがそう断言すると、聡子は嬉しそうにしていた。それで私たちは半分ふざけて半分本気で

「礼拝堂でお祈りして帰ろうか」

「そうしよう。天使が聡子たちを守ってくれるようにお願いしないと」

「うん、お礼と今後のご加護もお祈りしなきゃね。もちろん、キイナや神奈のことも」

「ああ、そうだよ、カンナも変な手紙来てたしね。みんなでお祈りしておこう」

「じゃあ、キイナと克己くんもうまくいくように、お祈りしよう」

「え~、それはいいよう」

 言いながらもキイナは嬉しそうに照れていた。

 



 それもあってか?

 手紙の主はあっさり判明した。

 かいりくの二人に送られたラブレターと筆跡が同じだったことと、うちのポストに直接何かを入れているところを、二人が自分の部屋の窓からこっそり仕掛けていた監視カメラでばっちり撮られていたのだ。海と陸と同じ学園の同級生で、二人とは初等部や中等部でクラスメートだったこともある学園内のファンクラブの子。階堂亜実かいどうあみちゃんというアイドルみたいに可愛らしい女の子だった。

 何というか、その、二人が仕掛けたカメラに映っていた時にうちのポストに入れたものが、けっこう衝撃的なものだったので、かなり大騒ぎになった。海と陸がうちの両親に警察に通報するよう進言して、二人の両親がお詫びにと弁護士までつけてくれたので、弁護士さんを通じて警察に被害届を出すことになったのだ。

 渦中の私は自分のことながら、なんだか他人事のようにその大騒ぎのまっただ中、なんかたいへんなことになっているなあ……とながめているだけだった。なんだか周りがどんどん動いていっていつの間にか私はその大きな渦の中心になってしまったみたいな感じ。周りがどんどん加速していくのに、私はその中心にいながらも殆ど動いていない、そんな妙な感じだった。そんなこんなで、彼女は弁護士さんを通じて私に対して接近禁止を約束させられ、事件はそれで一応片が付いた。

 その後弁護士さん立ち合いのもとでこちらと相手方の両親も一緒に、彼女と一度だけ会った。

 相手方の両親から謝罪の申し入れが凄かったらしく、うちの両親は初めは拒絶していたのだけれど、弁護士さんの立会いの下でならと、とりあえず彼女とも直接会う機会を設けることになったのだ。

 実際に会った彼女は線が細い小さな女の子で、肩を震わせて終始うつむきごめんなさいと泣いていた。

 私はなんだかとてもいやな気持になった。

 それをうまく言葉にはできないまま、とりあえず相手方の両親の謝罪を聞いて、弁護士さんと前もって決めていた合図で私たちの方からは何も言わないまま、そのまま彼らには弁護士さんと別室に移動してもらった。そして私たちはそこから互いに黙ったまま帰宅した。

 自宅についてから両親も

「何とも言えないすごく嫌な気分になったね」

「こんなことなら会わなければよかった」

 としきりに言っていた。

 父が今回のことでとても私を心配し、海や陸との共同勉強もそろそろやめたらどうかと提案したが、母が猛反対した。

「そんなの向こうの思う壺じゃないの。なんでうちが割りを食わないといけないのよ」

「うちのことじゃなくて、神奈のことだろう」

「とにかく、共同で勉強を始めてからずいぶん成績も上がったんだから、被害を受けたこっちが遠慮して辞退する必要なんかないでしょ。海君や陸君がちゃんと送り迎えするって約束してくれているんだし」

 結局、双子との共同勉強は続行されることになった。

 私は流れに逆らわずどこまで自分が運ばれていくのか見てみたい、という感じだったので、ここでも私は中心にいながら置き去りだった。でも別にただ傍観していたのではなく、運命の流れみたいなものがあるのならそれに任せてみたい、どこまでいくのか、何を見せられるのか、そのなかで本当にここ、というところで自分で取捨選択すればいい、という感じだった。


 その日夜おそくまで自分の部屋で聖一せいいちさんにかりた本を読んでいたら、窓にこつんこつんという何かがぶつかる音がした。窓を開けたら、海と陸が自分たちの部屋のベランダから私の家に向けて金平糖を投げていたらしく

「やっと気づいた」

 と笑って手を振った。

 窓枠の下部にはカラフルな金平糖こんぺいとうがいくつかはさまっていた。

「明日、いつも通り迎えに行っても大丈夫?」

 海が訊いてきたので、私は

「うん、大丈夫」

「そっか、じゃあまた明日」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」

 彼らは月明かりの中で手を振って、自分の部屋に戻っていった。

 私はそれを自室の窓から見送った。


 亜実ちゃんが私に送りつけようとしていたのは、小さな小包だった。

 問題は中身で、その中には私の下着やなんかが切り裂かれて入っていて、しかも血まみれだった。

 スーパーで売っている鮮魚をさばいて、血や臓物やなんかと下着の切れ端を和えた(?)らしい。

 しかも私の下着を盗みだすのに、自宅に侵入までされていた。

 白昼堂々と開け放していたリビングの掃き出し窓からこっそり忍び込んで、私の部屋を探し、下着や他にも何か色々と盗んでいったらしい。

 さすがにここまで来ると既に犯罪なので、弁護士を通じて警察を介入させたのだった。

 なんというか、本当に現実にこんなことってあるんだな、こんなことを平気でしちゃう人がいるんだ、ということにかなり驚いていた。

 自宅に侵入されるだけでも気味が悪いけど、私物を漁られ、盗まれ、しかも死んだ魚の血と臓物で和えられるなんて、なかなかない経験だと思う。

 見つからなければきっと彼女はもっと色々なことを平気でやったと思う。

 たぶん、ただ面白いから、それだけでやったと思う。

 何となく、彼女からはそういう印象を私は受けたのだった。

 一見まともそうに見える変質者、そういう感じ。

 理屈ではなくて、なんとなく本能的にそう感じたのだ。

 謝罪のときに肩を震わせて終始うつむいて泣いていたのも、何となく演技っぽかった。そもそも彼らの謝罪の申し入れは、被害届を取り下げてほしい、という相手方の要求の隠れみのでしかなかった。後で弁護士さんからそれを聞かされたとき、何というか、ああやっぱりなあ、という妙な脱力感を感じたほどだ。

 何というか、すごく無駄な時間とエネルギーを使った、そういう感じだった。

 両親もそんな感じだったようだ。

 普段温厚な父が

「世の中には、普通の人がもつ共感とか同情とか罪を憎んで人を憎まずでどのような相手にも誠実に対処しようという真心を平気で踏み台にしようとする人間がいるものなんだな」

 となんだかとても消耗したように言っていた。

 事件はこれで終わりかと思われた。




 キイナと克己かつみくんがなんかいい雰囲気なのでまた気をきかせたお邪魔虫が早めに帰ろうとしていたら、聖一さんに呼び止められた。今度はちゃんと学生鞄をしっかり持っていたので

「また早めに帰るの」

「そう。お邪魔虫は意外に気が利くのです」

 私がそう言うと、彼は楽しそうに笑っていた。

「また寄っていかない? 今度はハイビスカスのお茶と美味しいケーキもあるよ」

「行きます。あ、本を借りっぱなしでごめんなさい」

「ああ。結構けっこう分厚いから、ゆっくり読めばいいよ」

「もう読んでしまったんだけれど、読み直したくて」

 彼は笑ってうなづいた。

「そっか、気に入ったんだね」

「うん。むずかしいけど、なんか、読んでいるとすごくスッキリする感じで、全部わかっているわけではないと思うけれど、何となく言っていることはわかる。不思議な本。それで何度も読み返したくなるの」

「どうぞ、好きなだけ持っていていいよ」

「ありがとう」

 彼に借りた本は高度に抽象的なもので、哲学や心理学、社会学、物理学、言語学……etc の総合的な集大成みたいなもので、とにかく面白いけれど分野が多岐に渡っていて、最初はとりあえずわけわからないままでも通して読んでみてから、次には一つ一つの注釈をじっくり参照しながら読む、というようにして読んでいた。気になったことは日記にメモ代わりに書き出したり、時間をかけて楽しんでいたのだ。

 それはちょうど、このところわけのわからないことに巻き込まれ続けていた私の精神安定剤のような役割をしていた。殆どカオスといってもいい現実の中で、この本にひたすら向き合っている時は、不思議と心や頭の中が静かだった。まるで静謐せいひつな空間を漂っているみたいに時間を忘れていられた。

 彼の家のリビングで宝石のルビーを溶かしたように鮮やかな色のハーブティと紅茶のシフォンケーキを頂いて、最近あったことやなんかをかいつまんで話した。キイナから少し聞いていたらしく、彼の方から訊いてきたからだ。

 彼は私の瞳をじっと見つめてから、

「同情したりしないように気をつけたほうがいいよ。君やお友達の優しさにつけこまれないように気をつけたほうがいいと思う」

「だいじょうぶ、全然そんな気ないから」

 私が笑ってそう言うと、彼はちょっと逡巡しゅんじゅんした様子で口をつぐんだ。

「どうしたの?」

「お節介だったらごめんね」

「ううん、別にそんな風に思っていないよ」

「気になることがあるから、言ってもいい?」

 彼がじっと私を見つめてそう言うので、私は頷いた。

「君は自分で思っているよりもずっと、優しいというか、同情しやすい。その場の空気に感応しやすいんだよ。それで気づかないうちにそこにあるものに寄り添うようなところがあるんだ。理解しようとする場合もあれば、なんとなく黙ったまま受け入れる場合もあるかもしれない。根が親切なんだよ。でもそれは、相手の問題を自分の中に入れてしまうことにもつながるんだよ。人が君に期待することは、本当はどうでもいいことなんだから」

 彼が淡々とそう言うのに、私は驚いていた。

 そんな風に見られているのか、と驚いたのもあるし、直接関わることがそれほどなかったから、そんなところまで見ていたのか、とも。

「その嫌がらせの犯人の子、きっとそれだけでは終わらないと思う。君が少しでも優しさを見せたら、それにつけ込んでくると思う。相手の問題は相手の問題、しっかり自分と切り離すようにした方がいいと思う」

 自分でもなんとなくまだ何かありそうだなあ、と思っていたので、その不安を彼の口からきかされ、少し不快な気分になった。口答えするように私は彼に言った。

「彼女に対する優しさなんてひとかけらも持ち合わせていないから。たとえあったとしても、ひとつもあげるつもりないし。大丈夫だよ」

「それでも絞り取ろうとするひともいるんだよ。感情恐喝かんじょうきょうかつって言葉があるの知っている? 相手が逃げられないように罠を仕掛けたりして、無理やり脅すようにそれを収奪しようとするひともいるんだよ。たとえば、相手が自分の要求に応えるのがそのひとの義務であるかのように思わせたりして」 

 何となくそれは彼女から受けた印象として思い当たるような気もしたけれど、それでも、自分が彼女に同情するとは思えなかった。まったくそんな気がないのに? 彼は少し私を買いかぶっているのではないのか、とも思った。はっきり言えば、私はそんなに優しくも親切でもないからだ。

 ちょっと不満気な私に彼は、静かにはっきりとした口調でこう言った。

「君にはある種の冷酷さが必要になってくると思う。まずはそれを自分自身に許すこと。まだ迷いがあるんだよ。それが甘さとなり、つけこまれる隙になる。その迷いを捨てていくこと。そして、自分を尊重しない人間を救おうとはしないこと。これから何があろうと、相手がたとえどうなろうとも、きっぱりと切り捨てることも必要なことだよ。たとえ酷いことになるってわかっていてもね。本人に責任をとらせるしかないんだよ」

 わけがわからないままに、なぜか私は素直に頷いていた。

 なんとなく、それは私のどこか深くこだまするように響いたからだった。

 彼はまたあの独特の間と透明な眼差しで私をじっと見つめていた。

 ほんとうの私は、いったいなにものか、なんのためにこうして生れてきているか、それを覚えてるか、思い出せるか──何だかそんな風に問いかけられているような不思議な気がした。




 電車に乗っている時とか最近なんだかやたらこちらをチラチラ見ている女の子たちがいるなあ、と、気づいてはいたが、何だろう? とは思っても、とりあえずあまり気にしていなかった。本を読むのに夢中だったのもある。それがどうやら海と陸のファンらしいということに気づいたのは、私の無頓着むとんちゃくさにごうを煮やしてか、彼女たちがすれ違いざまや、何かわざと音をたてたりして注意を引いてから睨みつけてきたり、何かひそひそしているのを見せつけるようなパフォーマンスを展開しだしたからだった。

 へんなの。

 私はそれでもそんなに気にしなかった。

 こっちに気づいてもらって嫌がらせが成立する、という手法が、なんだかあほらしいというか、相手にしてもらって初めて成立するのに嫌な思いをしてもらいたい、ってどういう神経なのだろう、と何となく思ったりしていた。

 そんなの相手が相手にしたくなきゃ終わりでしょうに。

 どこの世界に自分に嫌がらせをしたい人のために、あえて関心をもってあげる親切な人がいるというのか、と私なら思うけれど、実際はそういう嫌がらせは日常茶飯事にあるから、その分みんな気にしてあげるんだろう。だからこういうのが有効であると刷り込まれているんだろうな。

 そう思いながら無視していたら、またさらに業を煮やしてか、聞こえよがしに何か言っていたりするようになった。何か聞こえよがしに言って、聴かせたいみたいだったけど、実際には何を言っているのかほとんど聞えなかった。関心がないからだった。

 何か言っているみたいだな、くらいはわかるけれど、そこまで来ると、私も意地になっていたのかもしれない。相手になんかしてやるもんかって。それで直接何かされているわけではないので放っておいたが、学校の付近でも他校の女子生徒がうろついてはそれをやるようになったので、キイナと聡子が怒って調べだし、あることないことをごちゃ混ぜに面白おかしくでっちあげて噂にしてばらまかれているということと、どうやらその噂の出どころは亜実ちゃんをはじめとした陸と海の学園内ファンクラブの一部のメンバーらしいということがわかった。

 彼女が私に直接接近する事が出来ないので人を使って遠隔操作ばりに干渉しようとしていると知って、さすがにそのしつこさに驚いた。

 何かあったら知らせるようにきつく言われていたので、両親や弁護士さんに一応こんなことが起こっていると伝えて、こうなると仕方ないので海と陸にも伝えた。何でもっと早く知らせないのか、とみんなから怒られる羽目になったが、それまでは彼女がからんでいるなんて知らなかったのだから、知らせようがないではないか。

 それで弁護士さんを通じて私に関して誹謗中傷ひぼうちゅうしょうをしたりしないように約束させることになったが、信用できないので今度は念書ではなく慰謝料や罰則も盛り込んだ公正証書にしてもらおうということになった。そうしたら今度は相手の両親がものすごくごねてきた上に、当の本人もヒステリックになって、どうして自分だけが責められなければならないのか、と色々喚き散らしたようで、実は前回の嫌がらせの際、家宅侵入をしたときに、私が出先にいるのをそのファンクラブの一部の子たちの何人かが監視して電話やメールで彼女に知らせて協力し、家に侵入する際にも共犯者の一人が家の電話に電話をかけて私の友人を装って母を電話の対応に足止めさせていたことや見張り役がいたことまで判明し、しかもそれが一度きりではなく何度も繰り返してあったことだと判ったのだ。海と陸が仕掛けていたカメラの映像が残っていたので確認してみるとそれらが少し映っていた。それでなんだかまた大騒ぎになった。

 驚いたのは、それをしていた当人たちは、バレたらまずいことだと犯罪だときちんと認識しているのにもかかわらず、たいして悪いことをしていないと思っていたことだ。遊びの延長くらいに思っていたのだ。でもそんな甘い思惑は通じるわけがなく、今回は学校にも連絡を入れることになったし、親の会社にも連絡がいったりした。計画性があってずいぶんと悪質なので弁護士さんから警察にまた届けることになった。わかっている関係者を芋づる式にあぶり出して訊いていったら、なんだか色んな余罪が出てきそうな感じだったので後は警察に任せることにした。


 亜実ちゃんがいわば自ら自爆したのは、その前に、海と陸からみんなの前で

「嫌がらせや誹謗中傷をする人には関わってほしくない。今後声もかけてほしくない。俺らにも俺らの友達にも関わらないでほしい」

 ときっぱり言われていたからだと思う。

 海と陸はべつに彼女だけに言ったのではなく、学園内のファンクラブのメンバー全員に対して言ったのだけれど。

 それまで弁護士さんから、あまり刺激しない方がいいから、と止められていたので、彼らから彼女に対して何か直接言ったりしたりすることはなかった。が、今回はさすがに二人ともかなり怒っていて、自分たちから先に怒りに任せて衝動的に動いてしまったのだ。結果、それで色んなことが明るみになった。

「最初からこうしていればよかった」

「穏便に済まそうだなんて、ばかだった」

 海と陸はそう言って、明らかになってきた事のあまりの悪質さに憤慨ふんがいしていた。そして私に何度も謝ったが、二人が悪いことをしたわけではないので

「謝らなくていいよ。それより色々助けてもらったし。弁護士さんに頼んでくれたり、証拠を揃えてくれたり。感謝しているよ」

 そう言ったら、なんだか泣きそうな顔をしていたので、気の毒になり二人の手をぎゅっと握って

「ありがとう。もう気にすることないよ。十分助かった。かたじけない」

 と付け足した。

 二人は泣き笑いみたいな顔で笑っていた。

 二人があんまりにいいやつすぎるから、みんな彼らのことが大好きなんだろうなあ。どうしてもほしくなるのだ。きっと。優しいし、まっすぐなところがあるし、気持ちがきれいだし。

 なんとなくそんなことを考えていた。




 それでもまだ何かがありそうなすっきりしない感じがしていたら、その予感は当たった。当たってほしくなかったけど。


 亜実ちゃんが睡眠薬を大量に服薬して自殺未遂を図り、それを盾に彼女の両親が被害届を取り下げてほしいと連日泣きついてくるようになったのだ。それもうちだけではなくて、海や陸の家にも。彼らのところには、

「どうかお見舞いに来てやってほしい」

 と泣きついていたみたいだけれど。

 その度に警察にパトカーでお迎えに来てもらった。

 家の前で大騒ぎするため近所迷惑だからだ。

 それでうちだけではなく海と陸の家の件もまとめて弁護士さんにお願いすることにしたようだ。弁護士さんを始め海や陸の家の両親もうちの両親も絶対に関わるな、相手にしてはいけない、とのことだったけれど、さすがに海も陸も動揺していた。私は驚いたけれど、何となく予想はしていたのでそれほど動揺はしなかった。彼女の執拗しつようさなら何かまた強引なことをしでかしそうだなと思っていたのだ。

 自殺未遂も狂言だろうと思っていた。

 言わなかったけど。

 実際、すぐに発見されたため病院で手当てを受けるのも早く、命に別状はないが家族からの要請により簡単な検査のために入院しているだけだと後に弁護士さんから聞かされた。彼女単独なのか家族ぐるみのパフォーマンスなのかわからないが、たぶん、これも《取引》のためのものであろう、というのが弁護士さんや双方の両親たちの見解だった。自分たちの要求をこちらにのませるための《取引》のひとつの手段としてよくあることなのだそうだ。なので、相手にしてはいけない、と厳命された。

「ずるい人はひとの同情を買おうとするんですよ」

 弁護士さんが、私や動揺する海と陸にそう言い聞かせるように言っていたのが印象的だった。

 私は特にこの件に関して何も言わないで、物事がどの様に流れていくのか、何を見せられるのか、ただ静かに見ているだけだった。私の周りで色々な人たちがメリーゴーランドの廻る景色のように色々な表情を見せるのを、中心から静かに見つめているだけだった。

 衆目を集める事件だけに色々な憶測が飛び交い、すきなようにあることないこと織り交ぜて面白おかしく色んなことを言う人がいるのはいつものことだったけれど、まあ、何というかにぎやかだった。好奇心を隠しもせずにぶしつけにプライヴァシーに関わることを聞いて来たり、よく知りもせずに好きなように解釈した挙句、自分の持論をいきなり説教かましてくる強者つわものもいたし、聞こえよがしにそれをこちらに言ってくる姑息こそくな人もいた。本当に色々な人間模様を見た気がする。それらをただ珍しい景色が廻っていくように眺めていたのだ。


 海と陸はちょっと痩せた。部活も辞めた。実際は休部扱いだったけれど。先生も仲間もいつでも戻って来い、って言って待っていてくれているらしい、とキイナや聡子経由で知った。

 毎日二人が迎えに来て、彼らの勉強部屋で一緒に勉強してご飯作って食べる。そして彼らに送られて一緒に帰る。それをただ繰り返した。

 みんなで一緒にご飯を作ったりしているときなんかは楽しそうにしていたけれど、何となくこれではいかん、と思い、私は学校帰りに二人を誘ってあっちこちの美味しいものを買い食いしたり、休憩時間のおやつに買って帰ったりした。それでおこづかいが飛んだけど、それまで二人によくごちそうになっていたので、気前よくぱっと使った。それはそれで楽しかったのだ。でも二人も結局自分で出したりおごり返したりしてくれるので、結局それは自然にバランスよく割り勘に落ち着いた。

 それで勉強部屋に行く前に、あちこち美味しそうなものを探して歩くのも習慣になった。

「お前、俺たちをデブらせる気かよ~」

「同じくらい食べてるのに、何で神奈は変わらないんだ?」

「知らないよ。あんたたちは今まで運動するのが習慣だったから、それをしない分太りやすくなってるのかもよ?」

 そうは言っても、元が前よりも痩せていたのだから、前より少しふっくらしたかな程度だったが、二人はしきりに

「体が重い」

「なんか動きが鈍ってきた」

 と言うので、

「じゃあそろそろ部活に戻んなよ。みんな待っててくれてるんでしょう」

 と言ったら、二人はちょっと黙った。

「戻りたいんでしょ。変に遠慮しないで自分がしたいことすればいいじゃん。それに、やっぱり部活やってた時の二人の方がかっこよかったよ」

 と言ったら、なんでかちょっと照れていたので

「このまま私とでぶ道を極めるか、引き締まったかっこいい男になるか、どっちか選べ」

「なんだよそれ」

「その二択しかないのかよ」

「そうだよ」

 私が言ったら、二人は笑っていた。

 それからすぐに二人は元どおりに部活に戻った。そして無事? 体型も戻った。

 初めからそれをしようと思ってしたわけではないが、結果いい方に勝手に収まったので、結果よければすべてよし、だった。それでまた、週三日の共同勉強に戻った。


 弁護士さんや警察に任せてあるので両親や海と陸からのまた聞きでしかないけれど、亜実ちゃんや一部の子たちは転校したり、突然の病気で長期入院のため(という名目で)休学することになったりしたみたいだった。家族ごと新天地へと引っ越して行った子もいるらしい。


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