寿命時計

水泡歌

第1話 寿命時計

 直観力を育てるには膨大な知識が必要である。

 そんな考えを持つ私のマスターは今日も本の虫と化している。

 本の柱がいくつも立つ書斎。

 紺色の着物。ぼさぼさの髪。ずり落ちた眼鏡。ロッキングチェアに座って彼はのめり込むように頁をめくる。

 私はサイドテーブルにマスター好みの珈琲を置く。

「ありがとう、三日月」

 チラリとこちらを向いて微笑まれる。私はぺこりと頭を下げて扉の前へと戻る。

 私はマスターによって創り出された時計。

 磨き上げられた直観力によって、様々な物事を見抜き、正しい選択をしてきた彼は一つの今までに無い時計を開発した。

 寿命時計。

 私たちは主の寿命を計測し、主の求めに従ってそれを教える。私たちの全ての行動は主の残り時間を豊かにするためにある。

 私は彼が創った寿命時計第一号。そのため少し欠陥がある。

「マスター、今日も瞳に映るあなたの寿命が邪魔なのですが」

 私は彼が創った寿命時計第一号。そのため少し暴言を吐く。

 マスターは頁をめくる手を止めないまま答える。

「お前は本当に口が悪いね。誰に似たんだろうね」

「創造主じゃないですかね」

「お前の創造主は品行方正な素晴らしい人物だよ。ほら、目の前にいるだろう」

「私の目には髪ぼさぼさのおっさんしか映らないのですが」

「おや、どうやら瞳がおかしいようだ。あとで調整してあげよう」

「現実のねつ造は止めてください」

 いつものやりとり。

 私は冷え始めた室温を感知し、マスターに上着をかける。

「マスター、ひとつ質問をしてもいいですか?」

「なんだい、三日月。問われるのは好きだよ」

 穏やかに返すマスター。私は問う。

「私たちを開発したことであなたは十分な地位も名誉も財産も築いたはず。なのに、なぜ、まだ学ぶことを止めないのですか」

 マスターの手が止まる。こちらを向き、まっすぐな瞳で答える。

「そんなの簡単だよ。これ以上に魅力的なことがないからさ」

「魅力的なことがない?」

「ああ、どんな地位も名誉も財産も知識の前にはかなわない。見てみろ、三日月。僕にはまだこれだけの知らないことがある」

 そう言って両手を広げたマスターの先にはまだ彼が読んでいない本がいくつも積み重なっていた。

「僕はまだまだ学びたい。この脳みそに知識を詰め込みたい。三日月、教えてくれ。僕の残り時間はあとどれぐらいだ」

 私は瞳に映る計測した時間を見る。

 逡巡し、口を開く。

「……あと、10年ほどでしょうか」

 私は彼が創った寿命時計第一号。そのため、少し欠陥がある。

 瞳に映る彼の寿命はあと1ヶ月。

 私は彼が創った寿命時計第一号。そのため、少し嘘を吐く。

 マスターは私の目をじっと見る。そうして、「そうか、ありがとう」と目を細めた。

 彼は読んでいた本を戻すと一冊の本を手に取った。

 それはきっと彼がもう見られないだろう美しい桜の写真集。

 様々な物事を見抜き、選択をする彼はきっと私の嘘に気付いているのだろう。

 それでも――

「マスター、ひとつ質問をしてもいいですか?」

「なんだい、三日月。問われるのは好きだよ」

 私は彼に嘘を吐く。

 あなたの残り時間が少しでも豊かなものであるように。

 誤った時間を口にする。

 知識中毒のあなたが少しでも多くの学びを得られますように、少しでも長く共にいられますようにと願いを込めて、見破られた嘘を吐く。

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寿命時計 水泡歌 @suihouka

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