彼が飲んだことのない酒にも詳しい理由

八百十三

彼が飲んだことのない酒にも詳しい理由

「前から疑問だったんだけどさ」

「うん?」


 ルージア連邦東部、ヤノフスキーの町の一番街。ワインの名店『シルバニ』にて。ダニイル・ブラヴィノフはカウンターに肘を付きながら俺に声をかけてきた。

 今日は『仕事』を抜きにした、ただの飲み会だ。俺、ルスラーン・ナザロフは今は情報屋としてではなく、ただの酒飲みとしてここにいる。

 四杯目のワインを飲み終わり、次のワインを物色する俺に、隣の若い犬獣人のエージェントは不思議そうな目をして言うのだ。


「ルスラーンさんはなんで、飲んだこと無いって言ってる酒にもそんなに詳しいわけ?」


 その言葉に、目を見開いて視線を投げ返す俺だ。視界に入った俺の豊かな鬣が、ダニイルの顔を僅かに隠す。


「不思議か?」

「不思議」


 問いかけに問いかけで返せば、ダニイルはこくりと頷いた。クリーム色の毛に覆われた手を開きながら、眉間にしわを寄せる。


「だってそうじゃん、飲んだこと無いなら自分の舌で味わったことが無いってことだろ? なのになんで、飲んだことがあるみたいに味とか風味とか、ぴたーっと当てられるんだよ」


 彼の疑問を聞いて、俺はふっと息を吐いた。

 随分と当たり前のことを聞いてくるものだ。俺のファンで、数年は追いかけてきている彼らしくもない。

 笑みを向けながら、俺は人差し指を立てつつ言った。


「なんだそんなことか。簡単なことだよ、ブラヴィノフ」


 含みのある笑いを浮かべつつ、俺は簡潔に理由を告げてやる。


直観・・だ」

「ちょっかん?」


 俺の吐いた言葉を、オウム返しするようにダニイルは返す。いまいちピンと来なかったようで、もう一度彼は首を傾げた。


「それって、あれ? ラベルを見たらワインの神様が囁きかけてくる、みたいなやつ?」

「はは、それはどちらかと言えば直感・・だな」


 彼の発言に、カウンターの内側でゴブレットを磨いていた店主のエフゲニー・サヴォシンが小さく吹き出した。ワインの神が語りかけてくるなんて、そんな経験はよほど酔っ払ってないと無いことだ。そしてそうした時の神様は大抵、意地が悪い。

 ダニイルの言葉に笑いながら、俺は彼に説明をしてやる。


「直感は理屈に寄らない感覚的なものを言うが、直観には経験、知識という明確な裏打ちがある。俺は今まで飲んだ酒、味わった記憶を総合して、そこから確信を持って導き出しているに過ぎない」


 そう、直観と直感は似て非なるものだ。全く根拠が無いものが直感。根拠が見えないだけでちゃんとあるのが直観だ。意外とここを区別出来ないやつが多い。

 説明ついでに、俺はダニイルに話題を振ってやる。


「例えばブラヴィノフ、ワインの味と風味を構成する要素を挙げてみろ」

「えぇと……」


 俺の問いかけに彼はしばし天井を見上げると、指を折りながら口を開いた。


「ブドウの品種、産地、製造方法、醸造年度、ってところ?」

「そういうことだ。よく勉強しているな」


 彼の答えに満足して頷きながら、俺は指を四本立てた。そしてそのうちの一本を折りながら、説明を続ける。


「その中で醸造年度を除く三要素が、ワインの味を決定づけるのに大きく関わる。まぁ、製造方法に関しては見れば分かるから、特に効いてくるのは品種と産地の方だな」


 そこまで話して、俺は視線をダニイルから外した。カウンターの内側で働くエフゲニーに目を向けて言う。


「やってみせよう。サヴォシン、何か一本適当に出してくれ」

「あいよ」


 我が意を得たり、とすぐにエフゲニーがワインボトルを一本取る。説明は無い、コルク栓も抜かない。既に開栓済みだから、栓を引っ張ればすぐに蓋が開く状態だ。

 目の前のボトルの、ブレトンアルファベットが書かれたラベルを指差しながら俺は話す。


「シーリ産の『マヌエル・ガラテ』チャルドネ、2417年産。シーリの北部、レマレ・ヴァレーで生産されたチャルドネを100%使って醸されている」

「うん、それは分かるよ、ラベルに書いてある」


 俺の説明を聞きながらダニイルが頷いた。彼の言う通り、この情報はラベルを見れば一目瞭然だ。

 そしてそれを踏まえた上で、俺はニヤリと笑う。


「そう。そしてさっきも言った通り、ワインの味を決定づけるのに必要な構成要素が全部揃っているだろう。チャルドネ、シーリのレマレ・ヴァレー、白ワイン、2417年」

「あ……」


 俺の発言を聞いて、彼は元々大きな目を更に大きく見開いた。

 そう、ブドウの品種、産地、製造方法、醸造年度。この情報は全て、ワインのラベルに書いてあるのだ。そしてその情報があれば、味わいを導き出すのは難しい話ではない。

 俺がつい、と瓶の表面をなぞりながら言う。


「これから導き出される風味はこうだ。レマレ・ヴァレーのチャルドネはミネラル感の強い味わいをし、キリッと引き締まった辛さを持つ。それでいながら果実味は強く、温暖な気候なのもあるから香りの風合いとしてはパッションフルーツやトロピカルフルーツに近い。チャルドネは土地の影響を強く受ける品種だから、南国シーリの空気をより強く出すわけだ」


 俺は自信たっぷりに解説をした。当然、一滴もこの酒を飲んでいない。飲んでいないが、十分に分かる。

 隣でダニイルがぽかんとしながら声を漏らした。


「ほえー……」

「さ、答え合わせだ。飲んでみろ、ブラヴィノフ」


 俺はそのまま瓶を取り、コルク栓を抜いてダニイルのゴブレットにワインを注いだ。テイスティングだからほんの少し。

 そしてゴブレットを取り、ワインを口に含んだ彼がますます目を見開く。


「すげえ……ルスラーンさんの言った通りだ」


 その発言に、満足しながら笑う俺だ。良かった、俺の直観はまだまだ衰え知らずらしい。


「俺は何も当て推量で話してるわけじゃないんだ。今まで飲んできて、自分の中に明確な判断材料を持っている。飲んだことのない酒でも、そこから導き出しているだけだ」


 自分のゴブレットにも『マヌエル・ガラテ』を注ぎながら言えば、ダニイルも手の中のゴブレットをこちらに差し出してくる。注いでくれ、とのことらしい。


「やっぱ、酒を飲むのを仕事にしているだけはあるよなぁ、ルスラーンさん」

「飲んで、書いて、紹介することで食っているからな、当然だよ」


 彼の言葉に肩をすくめながら、俺はもう一度ダニイルの杯に酒を注ぐ。

 そして小さくそれを掲げ合って、俺の直観に乾杯をするのだった。

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