八話目。追憶にて

「先輩。‥‥サクラダ先輩。櫻田沙月さくらださつき先輩。」


そうだ、目の前にいるあの人は櫻田先輩。なんで忘れてたんだろう。なんで忘れようとしたんだろう。


櫻田先輩の方を恐る恐る見上げると、目を見開いたままの様子で固まっていた。

「櫻田先輩・・・ですよね?」

ここまでハッキリした記憶、間違えることは確実に無いとは思うものの、先輩の様子を見ているとなんだか不安になってきてしまう。記憶が戻ってきた以上、これだけは絶対に間違えないはずなのに。


「‥‥うん大丈夫。俺が櫻田沙月で合ってる。それで、全部思い出したの?」

櫻田先輩は見たこともない表情で、いや私に微かに笑いかけるも、そのまま目を伏せてしまう。


 全部を、そうだ私は全部を思い出した。青色の結晶の記憶とはまた違ったもの。それは私を記憶の中に沈めていくことはなかったけど、圧倒的な情報量を持って私に襲いかかってくる。私はその一文字一文字を必死で読み解き、やがて全てを理解した。


「はい。思い出しました。全部。」


櫻田先輩がしてくれたことも、しまい込んでしまった感情も、あの恐怖も、全部。


櫻田先輩が私を虚構の中で殺し続けたのは、私を救うため。


私は、自分以外の他の誰かが怖かった。ひどい時は顔を見るだけで、声を聞くだけで、すれ違うだけで。普通なら、話しているだけで。自分がその人に殺されるシーンを思い浮かべてしまう。想像してしまう。そして、それが本当になるのではと思ってしまう。

俗に言う被害妄想というやつなんだろうな、と思う。どんなに意識しないようにしてもそれは抑えることが出来なくて、膝が震えて、声が出なくなって、動けなくなって。そんな私を見て、沢山の人が離れていった。再び近寄りもしなくなった。


そもそも、私がこうなってしまったのは中一の時。母親が包丁を持ち出して私に包丁を向けて襲いかかってきたその時。どうやら、一家心中を企てていたらしい。

未遂に終わったから私はまだ生きているわけだけど。

普段は母親に対して口うるさいなとぐらいにしか思っていなかったけど、それでも肉親が、毎日顔を合わせて一緒に暮らしていた人が自分に明確な殺意を向けたこと。

それはもう、自分には確定してしまったどうしようもない衝撃的な事実。


その後1,2日学校を休んでから学校に行ったちょうどその日、調理実習の授業があった。同じ班の友達が包丁を持っている姿を見て、私は彼女に襲いかかってきた母親を重ねた。包丁の背に人差し指を添えて、刃を私に向けて首筋に当てる。浅い切り傷から一筋の赤い液体が流れ出る。そしてその子は私の首をそのまま‥‥‥。脚に力が入らなくなってガタガタと震えた。めまいがひどい。吐き気もする。

もちろん、その子がそんなことをするはずはない。でも私はその子の狂気に満ちて釣り上がる唇も、三日月型に歪む目も、その吐息までも


私はその時腰をぬかしてしまい、気分を悪くし、学校を早退した。家に帰ってもその妄想は、歪んだ笑顔をしたあの子の顔は消えなくて、私はただただ泣きながら耐えるしか無かった。

 それから症状は日に日に悪化していくばかりで、相手が刃物を持っていない状態でも加害される恐怖を感じ、やがてそれは殺される恐怖に変わった。中学校の間はほとんど友達を作ることが出来ず部活も辞めて、ずっと人と関わらないようにしていた。


不登校になった時期もあったけどそうなってしまったら逆に周りが干渉してきてしまう。私にはそのことが耐えられなかった。

この時期に信じられたのは同じ恐怖を共にした兄と、姉と、それから幼い頃からずっと一緒に居て「今殺すぐらいなら俺今までに裕のこと殺してるし。」と言い放った幼馴染だけ。

 そして私は、中学校の頃の人たちと絶対に同じ学校にならないような偏差値はそこそこ高いが遠く、何故か田舎の方にある上に生徒人数が少ないこの高校を受験し、合格した。

 なるべく人と関わらないように過ごしたせいで友達なんか一人もできず、更には愛想が悪いと逆に敬遠される始末。でもそれで良かった。私がそれを望んだんだから。


 櫻田先輩は、昔近所に住んでいて、年が近いこともあってよく一緒に遊んだ、世間一般的に言ったら幼馴染に近いようなもの。‥‥それでも誰より圧倒的に付き合いが長いのがあの幼馴染だということに驚きを隠せないけども。


とにかく私達三人はとても仲が良くて小学生なりに信頼もしあっていたんだと思う。それでも、私達が六年生に上がる年に櫻田先輩は少し遠くの方へ引っ越してしまって、そこから先輩とはあまり関わることが無くなった。

そこに近い大学附属中学校を受けて、そこに通っていたはずだ。つまり櫻田先輩は中学校の時の私を知らない、かつ信頼関係のある貴重な人、というわけだった。


そして生徒数が少なく小さい学校のことで、一回もすれ違わないということはなく、更には櫻田先輩が私に一度も声を掛けないほど情がない人間ではなかった。


その結果、櫻田先輩に対してもご多分に漏れず被害妄想を発症してしまい、動けなくなってしまった。先輩が他の人と違ったところは、取りあえず私が落ち着くまで待ってくれていたこと、そして自分に敵意はないと、凶器になるようなものなんて何も持っていないと示してくれた。だがしかしごく一般的な握力を持つDKである(某ゴリラのことではないです。念の為)先輩は凶器なんて無くても私を殺せてしまうからあまり後者には意味は無かったかもしれないけど・・・

そして、私の事情も話したくなかったら話さなくても良い、という前提の元聞いてくれた。


それから、私達はその現象をを、被害恐怖と呼ぶことにした。言葉として定義に私が当てはまるのかは分からないけど。

そしてお互いに友達のいなかった私と先輩は放課後や昼休みに、人気の少ないプールサイドに行って話したりするようになった。まあ仮に人が居たところで変人二人がなにかやってるというぐらいにしか思われなかっただろうけども。


その中で自分以外に友達のいない上に人とコミュニケーションをとることも難しい私を心配した先輩は、二つの戦略を立てた。


一つは、私に最低一人は信頼できる友達を新たに作らせること。人に慣れるための第一歩としてとりあえずまず信頼できる人を増やしていくということ。‥‥私は野生動物か捨て犬ぐらいに思われてるんじゃないかと思うのだけど。櫻田先輩に「挨拶をすること」「忘れ物をしていたら貸してあげること」「困ったことがあったら助けてあげること」などノルマを課せられて、その結果仲良くなれたのが栞だ。

栞を通すことでコミュニケーションがとても楽になったし、クラスでも生きやすくなった。それでも栞以外のクラスメイト、すれ違っただけの人、初めて話す人など信頼を築いていない人に対しては被害恐怖は消えることはなくて、それがずっと私を悩ませた。


二つ目は、被害恐怖に少しでも慣れさせること。

正直すれ違っただけの人を信頼するのは難しい。人間不信を治すのにはまだまだ時間がかかる。

なら、せめてその間だけでも被害恐怖を少しでも楽に出来ないか。いわば痛み止めや風邪薬のようなもの。治すまでには決定的に至らないけどもその辛さは和らげることが出来る、といった発想だった。

具体的には何をするのか。私が殺されるという話を毎日し続けること。最初は殺すとまではいかず、加害の対象も私では無かった。そんなところから少しづつ恐怖に免疫を付けていった。

そういう面では予防接種とか、ジェットコースターを克服するために乗り続ける・・・のはちょっと違うか。これが世間一般的に見て最適な方法かと言われるとそうではないかもしれないしむしろなかなかの荒療治だと思う。それでも、被害妄想からの恐怖は段々薄くなっていって、毎日が少し生きやすくなって。私は日に日に救われていった。


そんな中、記憶を結晶化して封じ込める、という技術が実用化された、という知らせが入ってきた。奇しくもそれが出来るのはあの幼馴染の両親の経営する店。

そこで私は櫻田先輩を含む周りの人に説得されて記憶の結晶化をすることになる。だけどここで問題がある。


櫻田先輩は私の被害恐怖に関する記憶に深く関わりすぎた。


今更原因となった出来事を取り除いただけでは改善はしない。

被害恐怖を消し去るにはそれに関わる全ての記憶を消すことが必要だ。だから記憶が結晶になった瞬間、私の中から櫻田先輩の存在が消えてしまった。

すれ違ったとしてももう認識できない。

そのまま忘れ続けていたとしてもせいぜい昔仲が良かったけど最近はもう会うことが無くなってしまった人として忘れていくぐらいだろう。名前も顔もを思い出せない異常性に気づかないまま。

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