六話目。舞台上にて

 流石にそのままずっと沈み続けているわけにもいかない。

あの先輩が溺れたと勘違いして飛び込もうとする前に、誰かを呼ぶ前に。浮き上がらないといけない。必死に手と足を動かす。ここで脚なんかつった日には一巻の終わりである。あの男がプールの中に入ることも、第三者が舞台に上がることも望ましくない。その時点で、確定的な失敗。もう取り戻せない。


泡に包まれながら、なんとか浮かび上がる。

正直水に濡れて張り付く制服が重たい。

スカーフは私が飛び込んだことによって少し遠くに流されてしまった。後で拾いに行くの面倒だなという思うのはただの現実逃避。間違ってもスカーフが排水口の方へ流れていかないことをただただ祈るばかり。


スタート台の上のスリッパも、そこから身を乗り出して硬直する先輩も少し水しぶきのせいで濡れてしまっているようだ。ある意味両方自業自得かもしれないが。

プール、制服、スカーフ、スリッパ。完全なあの記憶の再現。違うのは先輩が慌てていることと、私が生きていることぐらいだろうか。


かなり長くなってしまったが、前置きはここまで。そして、現在に至る。


「何をやってるの?‥‥手なら貸してあげるから早く上がりなよ。風邪引くよ」

目の前の男は焦り、確実に動揺しながらも論理的にこの場面に置いて破綻しない台詞を紡ぎ、手を差し伸べる。

顔色一つ変えずに私を殺し続けただけあってどこぞの宮凪裕とかいうやつとは役者としてのレベルが違うのだろう。それでも、これは役者のレベルとしての対決というわけではないのだ。


「すみませんご遠慮しますね。私、まだ上がる気はないので。ところでそんなことより、この状況、何か思うことは無いですか?先輩」

大仰に手を広げてみせるそれを聞いた瞬間、先輩の顔は目に見えて分かるほど激しく動揺する。肩は小刻みに震えながら、それを押さえつけようとしながら。


「別に。ただのデジャヴってやつだよこれは、そもそも俺とお前とは初対面で‥」


 さて、誰がそんなことを聞いただろうか。


これぞ、語るに落ちるというやつだろうか。あの男は私の言葉の真意を探るあまり、質問の本質を取り違えた。

「そっちじゃなくて、私が求めていたのはなんで勝手にプールに入っているのか、とかなんで制服を着たまま入っているのか、とかなんで自分から飛び込んだのかとか、求めていたのはそういう答え。ねえ先輩。心当たりがあるんですか?」

 そう言い放たれて嵌められたと気づいて更に愕然とした様子。それでもごまかそうと、弁解しようとその口を開こうとしている。そして私は、そうさせるわけにはいかない。


「あなたは昔、私のスカーフを抜き取って、プールの方に放り投げて。取りに行こうとした私をプールの中に放り込んだ。そして、そのまま脚をつって溺れた私をただ黙って見ていた。私を殺した。そう、ちょうどこんな風に」

 先輩の丸くなっていた目が更に見開かれて。

「最初は、私を呼ぶ誰かの声でした。私はあなたに刺された。首を絞められた。毒を飲まされた。プールに突き落とされた。何回も何回も殺され続けた。まあ、ただ殴られただけとか一部そういうものも混じってはいますがー。それをずっと何も感じず観察し続けた目の記憶を、私は手に入れました」


「あなたはこんなことをずっと続けた。私を、殺し続けた」


ねえ先輩、と声には出さずに続けて

「あなたは何度私を殺した?」


 再び、いや三度目ぐらいかな。先輩はまた硬直して。そこから深い深いため息をついて。‥これがもしかしたらギネス記録ぐらいかもしれないこれに私は及ばなかったということか。


「‥‥‥これ聞いて、後悔しない?」

「しないですね」

「絶対に?」

「絶対に」

私はあえて即答した。そして、先輩はまた深い深いため息をついて、語りだす。


「この説明は、きっと信じられないかもしれない。その記憶は、多分記憶の結晶を、青色の綺麗な結晶を飲み込んで得たものだと思う。それは、俺の友人の記憶だったものだ。見ているなら知っていると思うが、それはお前の記憶ではない、ということ」

「そうですね。私、ではなく第三者の目線でした。色も合っています」

今の所、色も目線に関しても合致している。でも、こんな局面でいきなり本当のことを語りだすだろうか。目的のために制服のままプールに飛び込んだ女子高生ならここにいるので確率的に言うと後者のほうが圧倒的に少ないだろうけど。


「俺達は、‥‥これはちょっと説明しづらいんだけど、絶対に信じてもらえないと思うんだけど、同じ日を永遠に繰り返していた。何度も、何度も。その中で、何回も、何回も様々な方法で、毎日のようにお前を殺すことだけを強制された。実行犯は俺一人。その日々から抜け出すために俺たちも必死で、それで・・・だからといって、お前を殺し続けたのは申し訳ない、許されるわけがないと思っている。最後こそお前を殺さずに終われたけど、もしかしたらお前を殺したまま終わっていたら、生き返ることが無かったらと考えると・・・俺たちがお前を殺し続けた理由も、お前が何度も殺されたのに今生きているのも。全てはそれが原因だよ。でも、それでも記憶の持ち主は探さないで欲しいし、教えることは出来ない。あいつが記憶を結晶化した理由は、俺たちがお前を殺し続けたことに対する罪悪感だ。そいつにとってただの女子高生になったはずのお前の名前を呼んで、よくうなされているらしいから。・・・結局別のところに結びついている記憶の消しもれがあったんだろうな。・・・つまり、その記憶は、お前が何を探していたかは知らないが、少なくともお前の記憶ではないしお前が探していたものでも無いだろう。それは既に無かったことになった事実の記憶だから。今のお前には、関係ないと言っても良いと思う」


先輩は、ところどころ言葉につまりながら、それでも最後まで語り終えた。誠実さすら感じるほどに、真摯に語ってくれた。私はその語り方に、態度とても感動した。思わず笑みがこみ上げてくる。そして、



「でも、それって嘘ですよね。」

あくまで笑顔で、役者の演技に深く感じ入る観客のように、私は告げた。

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