第10話 蠢くモノ
伶奈に連れられていった応接間には1人の中年の男が座っていた。細面の神経質そうな顔をした男である。
「当主、清水様がお越しになられました」
「入れ」
「どうぞお入りください」
「失礼する」
「……失礼します」
当主の前に置かれた机を挟んで正面に仁と並んで座る。伶奈は部屋の入り口脇に控えて座った。
座ってすぐに違う戸から白い紙で出来た人形がふよふよと揺らめきながら入ってきた。手に持ったお盆から緑茶の入った湯呑みを仁と凪の前に置いて立ち去る。
「清水がうちに来るとは何事かあったか」
「急な訪問で申し訳ない。橘家に土御門が遺したものがあると聞いて、それを見せてもらいにきたのだ」
「ふむ……」
挨拶すらなく用件に入った2人は、相手の真意を探る眼差しを交わしていた。
凪は緊張感のある雰囲気と仁の端的な言い方にドキドキしっぱなしだった。
「何か不都合でも?」
「いやそれはない。しかし、清水が興味を持つようなものがあるとは思えないが」
強気な笑みを浮かべる仁に橘家当主の能面のような表情が一瞬歪められる。すぐに平常に戻るその表情の変化を仁がじっと見つめていた。
「なに、陰陽術は此の国一番と言われた土御門が集めた書物の類いもたくさんあると聞く。祓い屋にとっては捨て置けぬ宝物と同じであろう?」
「……清水ともあろう方が今さら見る必要はないと思うが」
「それを判ずるのは貴方ではない」
「……さようか。ならば好きなだけ見るが良い。気が済むまでの滞在を許そう」
「書物の持ち出しは?」
「許可できぬ。閲覧はこの屋敷内で」
「分かった。感謝する」
軽く頭を下げた仁に慌てて凪も真似して頭を下げる。すぐさま立ち上がり部屋を出る仁を小走りに追った。
背後で伶奈が襖を閉める音がする。
「っ、清水様、私がご案内しますので」
「こちらだろう?」
慌てて追ってくる伶奈に仁が簡潔に聞く。仁は土御門の物がどこに置かれているか既に分かっているらしい。
「っなぜ……?」
「橘家は確かに力有るものがほとんどいないようだ」
「……どういう意味です?」
仁の意味深な言葉に伶奈の足が止まった。それに従って仁も立ち止まり振り返る。凪は2人の間に立ち、2人の顔をおろおろと見比べた。
「これほどの〈
「え……?」
「これを放っておけば、早晩
「いいえっ、そんなことは望んでいません!」
「なら早急に対処しねぇとな」
顔を青ざめさせながら首を振る伶奈を仁が眇めた目で見てから踵を返し再び歩き出す。今度は伶奈も何も言わずただ仁の後を追った。
「あの、仁さん、悪鬼ってなんですか?」
「国に満ちる〈気〉には陰のモノと陽のモノがある。〈陰の気〉が満ち濃縮された場に生まれるのが悪鬼だ。これは人の負の感情を糧に育ち、人を害し死や疫病を招く。此の国では即時討伐対象にされている」
「こっわぁ……」
「悪鬼を作為的に生み出した者は、特殊刑法第3条に照らし合わせ、最高で死刑の刑罰を負う」
「え……」
思わず伶奈を見ると、蒼白な表情のまま首を振った。
「橘家には決してそのような企みなどございません!」
「だろうな。橘家の現状を
「……恥ずかしながら、その通りです。祓い屋の資格を持てるだけの力を持つのも、橘家ではもう私1人ですから」
「ふん。なら早いとこ、土御門の物は公的の機関に預ければ良いだろうに。術書の類いに〈陰の気〉が集まりやすいのは、祓い屋として当然の知識だろ」
「それは……」
唇を噛みしめ黙り込む伶奈をチラッと見た仁が小さく舌打ちをする。何か気に入らない事実をその表情に読み取ったらしい。
「当主は随分と祓い屋橘家を高く見積もっているらしい」
「どういう意味ですか?」
苦々しい口調に首を傾げる凪を見て仁が苦笑した。
「当主は昔の栄光の話を捨てられないんだろうな。土御門の一門にいたときは、土御門の式と呼ばれながらも、確かな実力と実績を持った家だったようだ。既にそうした飛び抜けた力を持つ者はいなくなっているにも関わらず、いつか再び才能有るものが現れると考えて、術書の類いを捨てられない。才能有るものを育てるには、土御門の術書は便利な教材だからな」
「……その通りです。私は当主に何度も土御門の物を手放すよう願いましたが聞き入れられず。当主にとっては、土御門の物はかつて橘家が繁栄した証なのです」
「ふん。所詮土御門の下請けだろうに」
「……」
何か言いたげな表情を見せながらも伶奈が黙り込む。
凪は仁の話すことを飲み込むのに精一杯で何を言えば良いかも分からなかった。しかし、自分の先祖と思われる土御門が遺したものが災厄を齎す原因になることはなんとしても避けたいと思う。それを凪自身が為すには知識も力もなく、今のところは仁を頼るしかない。
仁は凪の視線に気づき、微かに頷いた。
「さて、土御門の物はここにあるようだな」
仁が立ち止まったのは、板戸のついた収納庫のようなところだった。凪の目にはその場所が周囲より一段暗く見え、微かに何かが腐敗したような臭いも感じた。
その異変を感じているかは分からないが、伶奈は仁がこれからすることを観察するように数歩離れたところに立つ。
「凪は俺の後ろにいろ」
「はい!」
指示に従って仁の後ろに控える。伶奈から静かな眼差しを感じた。仁が懐から出した塩を自身と凪を囲うように撒く。
「祓い給え 清め給え
仁が小さな声で何事かを呟くと、凪の感じていた不快感が一気に和らいだ。むしろ清らかな空気さえ感じて思わず深呼吸する。
「さて、何が出てくるかな。……開けるぞ」
凪が無言で頷くのと同時に、バンッと音をたてて戸が開かれる。その向こうに闇が凝ったような靄が蠢いていた。
『……エモノォ、ヨコセェ……ォ、マエノ、ィイィノチィィィィイ!!』
「チッ、なんでここまで放置してんだってのっ!」
黒い靄のようなものが金切り声を響かせながら、凪達に覆い被さるように襲いかかってくる。仁が舌打ちをして懐から呪符を取り出し靄へと放った。眩い光が闇を照らす。
『ッギィアアァァ……!キ、サマァアッ!』
急に背筋に氷が這うような強い寒気を感じた。見られている。黒い靄の向こうから、何か恐ろしいモノが凪を見つめている。
底冷えするような恐怖に体が震え、思わず仁の着物の袖を掴んだ。
『ユルサンゾォ……テニイレルマデ……ユルスモノカ……』
仁の呪符により闇を薄れさせながらも靄は凪達の方へ闇の
その闇に向かって仁が手を伸ばした。指先で何かが煌めく。
「
仁の指先から溢れるように煌めく水が流れ出した。それは靄へと振り掛けられ靄を消してゆく。
『ァ、……アァ……ュ、ィィ』
靄は小さくなり、そこに吹き込む風に溶け込むように消えていった。
「ん、こんなもんか」
「……凄いですねぇ、何やったのか、全然分かりませんでしたけど」
いつの間にか仁の手から煌めく水は消え、床には水が染みた跡も残っていなかった。ただ初めてきたときとは格段に異なる清らかな空気が凪の頬を撫でた。
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