第9話 橘家へと出発

 翌日。昼飯を食べた後橘家に出発した。行くのは仁と凪だけである。

 葵は、足りなかった対価だと言って藤色の御守りを凪に投げて寄越してすぐに奥の間に引っ込んでしまった。御守りの中は見るなよと何度も念押すので、フリかと言いたくなったのは内緒だ。きっとこれはふざけてはいけないやつ。取り敢えず着物の帯に差し込んでしまっておいた。

 紅と蒼はお留守番。仁への依頼人が来たら対応するらしい。結構強い力を持っているらしい2人は、大抵の人に見えるから留守番が務まるようだ。


「紅ちゃんと蒼くんだけで依頼人に対応出来るんですか?」

「あ?あいつらの手に余るようだったら葵が出てくるさ」

「葵様が?」


 同じ町内にあるらしい橘家を目指しててくてく歩いている途中、なんとなく仁に聞くと思いもよらない答えが返ってきた。

 まだ1週間ほどしか共にいないが、葵のぐうたらぶりは尋常じゃないのが分かっている。葵は食事の時間以外ほとんど奥の間に籠って寝ているのだ。到底役に立つとは思えない。


「清水家の家主は誰だと思う」

「仁さんですね」


 突然当たり前のことを聞かれて首を傾げる。仁がニヤリと笑った。


「あいつは究極の面倒臭がりだが、自分の主義は曲げない。あいつお前にも言ってるだろう、一宿一飯の恩って」

「あ……」

「俺があいつを家に泊めてやってんだ。時には対価を取り立ててる」

「つまり、対価は仁さんが留守の時の厄介事対処ということですか」

「まあ、他にもあるが今日はそれだな」

「なるほど」


 思いの外、仁と葵はある程度きちんとした契約の下に共に暮らしているらしい。


「それより、これから向かう橘家だが」

「はい、何かありました?」

「どうやら大分衰退した一族らしい」


 仁が調べたところによると、現在橘家で国家認定の祓い屋資格を持っているのは、当主の娘の伶奈れいなだけのようだ。伶奈以外は祓い屋家業はせず、普通の仕事をしている。


「その衰退が始まった時期ってのが、土御門の断絶と同じくらいなんだよな」

「……でも、そもそも橘は土御門の部下みたいなものだったんでしょう?親元が居なくなったら、衰退することもあり得るのでは」

「まあ、そうなんだけどな。なんかひっかかる……」


 厳しい顔で黙る仁をチラッと見る。何が仁の中で気になっているのかは分からないが、取り敢えず橘家には警戒しようと思う。かといって、まだ何の術も学べていない現状、出来ることはあまりないのだが。


「葵の御守りは絶対に手放すなよ」

「え、はい、ちゃんとここにありますよ」


 帯を叩いて示すと、仁の表情が若干和らいだ。


「あいつが御守りを渡すのは珍しいんだ。よっぽどお前を気に入ってるんだな」

「これ、そんなレアものなんですか?!」

「そうだな、お前、神様から直接御守りを貰ったことあるか?」

「ないですね。そもそも神様というのに会ったことがないですし」

「この国でも、神様に会ったことがある人間なんて数えるほどしかいないだろうよ。神様は基本的に人に見られるのを好まないからな」

「そうなんですか」

「葵は最上位の妖怪である天狐で神様に近いと言っただろう。あいつは天狐の中でもとりわけ長く生きているやつだ。天狐の連中からも既に神のごとく扱われてるし、一般的に見てもあいつは神様と同等だ」

「え?」


 淡々とした語りにぽかんと口が開いてしまった。普段の葵と仁の関係性からは考えもしない言葉だった。普段の仁は神様相手だとは思えないくらい葵に対して乱暴な物言いをしている。


「あいつにはやしろがない。祀られてもいないから神格化もされてない。だから厳密には神とは言えないが、その身に蓄えられた力は、並みの神より上だぞ」

「ええ?!葵様が?あの葵様ですよ?」


 あまりにも信じられなくて、思わず何度も聞き返してしまった。仁は苦笑して、頭をガリガリと搔く。


「普段のちゃらんぽらんさを見てると信じられないがな。あいつの力が神並みなのは事実だ。まあ、俺も大して敬うつもりはないが」

「あの葵様が……」

「それでその御守りだが。その御守りは神様が自ら作ったのと同じくらいの力がある。飯の対価にしては大き過ぎるな。もしかしたら、今後違う対価を取り立てられるか、もしくはこれから暫く分の飯の対価を含めているのかもしれないな」

「……なんか急にこれ持ってるの畏れ多くなったんですけど」


 帯に差し込んだ御守りを上から手のひらで覆う。その御守りの存在感が急激に強まった気がした。


「ちゃんと大事に持っとけばそれでいい。あいつがそれを寄越したってことは、凪に必要なものなんだろう」

「……そういえば、昨日から思っていたんですけど」


 仁の何か含みのある言葉に恐る恐る疑問を口にする。


「もしかして、葵様って、未来予知みたいなことができるんですか?俺に清水と名乗るように忠告してきたり、こんなすごい御守りを寄越して来たりとか……何か悪いものを察知してるとか?」

「ん?そうだな。大抵の祓い屋もある程度の未来視はするが、それは当たりもすれば外れもする。葵の場合はほとんど外れないな」

「……凄いじゃないですか!」

「まあ、だからこそ、あいつは等価交換の主義でもって情報の開示には慎重なんだかな。あまり他人の未来を変えることを好まないから」

「なるほど……」


 葵がなぜ厳格に等価の対価を要求するのかと気になっていたのだが、そういう理由があったらしい。人よりも多くのことを知る力を持つからこそ、自分の影響力を鑑みてその扱いは慎重になる。


「ま、葵に何か言われたら、聞き流さずに心にとめるようにしとくと良いこともあるぞ」

「分かりました」

「ん、ちょうど、橘の家が見えてきたな」


 道の先に木の門構えが見えた。衰退していると言ったにしては、随分と立派に見える。恐らく、土御門のもとで繁栄していた頃の名残なのだろう。


「……あれ?」

「お、ちゃんと出迎えがいたな」


 門の横に白いモノがふよふよと揺らめきながら立っていた。なんとなく人の形に似ている。

 それはお辞儀するような仕草の後、門の中へと消えて行った。


「なんだったんです?」

「あれが式だ。紙で作ったものだろう。俺たちを見て、家の中に人を呼びに行ったんだ」


 仁と凪が門についた頃には、家の中から1人の女性が出てきていた。


「さすが清水の方。私の式をすぐに見抜かれましたね」

「ん、あんたが橘伶奈か」

「はい。お初にお目にかかります。清水様のお噂はよく聞いておりますよ」

「おや、悪い噂じゃなきゃいいんだがな。……こっちは清水凪。俺の手伝いをしてる」


 凪に向けられたのは穏やかな視線だった。真っ直ぐな長い黒髪を1つに結び、凛とした風情を漂わせる女性である。あまり女性と接してこなかった凪は妙に緊張してしまった。


「よくいらっしゃいました。当主がお待ちですので、中にお入りください」

「邪魔する」

「お、お邪魔します……」


 橘家は屋敷と呼ばれるに相応しい立派な建物だった。門から玄関までは石畳が続き、その両端は綺麗に剪定された低木や鑑賞植物が植わっている。屋敷内もよく掃除され清潔だ。しかし、人の気配が全くしない。


「……ここには当主と2人で住んでるのか?」

「ええ。屋敷の手入れは式がしていますが」

「ああ、なるほど、さすが人形ひとがたの橘家だ」

「……ありがとうございます」


 仁が褒めるも伶奈は一瞬苦い表情をした。しかし、すぐにその表情を隠し微笑んで見せる。

 人形というのは昔からの橘家の得意分野であるはずだが、伶奈はその言葉に何か気に入らないものがあるらしい。

 仁もその感情を読み取って片眉をあげた。しかし、何も口にはしなかった。


「こちらへどうぞ」

「ああ」


 仁の後を凪は黙ってついていった。屋敷に入った瞬間から、何かに見られているような変な圧迫感があって落ち着かない。気持ちを落ち着けるように葵の御守りが入った帯のところをポンと軽く撫でた。




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