橘の家
第8話 狐の忠告
鈴に導かれてこの世界に来て1週間が経った。凪はこれまで毎日必死にこの世界の常識に慣れるよう努めていた。
この国では当たり前に妖怪や幽霊が歩いている。それが見えるものもいれば、見えないものもいるようだ。凪は見える者だった。祓い屋であり清水家の当主である仁は、土御門なのだから当然と思っていたようだが、凪はこれまでそういったものを見たことがなかったから驚きだった。
「おーい、少年!野菜はいるかぁ?」
「はーい、ちょっと待ってくださいねー!」
屋敷を囲う塀の向こうから聞こえる声に返事をする。洗濯を終えて畳んでいた着物をのけて、預かっている財布を片手に勝手口に急いだ。
「今日は大根が旨いよ。ほれキャベツもいい具合だ」
「おお、大きいですねぇ、旨そうだ」
勝手口のすぐ近くにいた荷車を覗き込むと、普通よりも一回りは大きな野菜がゴロゴロと積まれていた。
凪の褒め言葉に、持ってきた商人が自慢げにピクピクと髭を震わせる。
商人は二本足で立つ三毛猫だった。銀鼠の着物を着ている。本猫曰く、化け猫の類いらしい。猫又とは呼ぶなと厳命されたので、明確な違いがある上に仲が悪いと知れる。
「仁さんには世話になってるからね、安くするよ」
「ありがとうございます」
必要な野菜を受け取って銅銭を渡す。受け取る手の肉球を見るとどうしても握りしめたくなるのだが、なんとか堪えた。
妖怪たちは当たり前にこの国で生活している。田畑を耕し、商売をし、子どもを育てる。その権利は国に保証されているらしい。
たまに悪さをするものは人と同じように取り締まられる。ただ普通の人間にそれは出来ないので、警察の中の祓い課の人間か、時には民間の祓い屋が委託されて取り締まる。滅したり封印することもあるらしい。
仁は民間の祓い屋だ。国に認定された祓い屋資格を持っているらしい。祓い屋といっても、時には妖怪の立場に立って問題を解決させることもあるから、妖怪からも好かれているようだ。
この化け猫の商人
「最近仁さんはいらっしゃらないのだねぇ」
「……調べものを、しているんですよ」
「そうなんだね。吾が輩に出来ることがあればすぐ言えと仁さんに伝えておくれ」
「はい、ありがとうございます。伝えておきますね」
「猫の手しか貸せんけどなぁ、にゃはは。さらば!」
笑った音枝は荷車をひいて次の家へと歩いて行った。その後ろ姿を手を振って見送って、屋敷内に戻る。
「今日は何を作るの?」
「大根とキャベツかぁ~。何になるのかなぁ」
「うわっ、驚かせないでくださいよ!」
キッチンに入ってすぐの所で、壁から座敷童子たちが顔を出した。文字通り、壁をすり抜けて現れたのだ。
2人は清水の屋敷に長く憑いている座敷童子だ。女の子の
「大きな大根ねぇ」
「大きなキャベツだね~」
「そうですね。音枝さんのおすすめだそうですよ」
机に置いた野菜をポンポン叩く紅と蒼を見ながら微笑む。
「それで、何を作るの。不味いものだったら、家から叩き出すわよ」
「ふふ、凪が作るものは全部おいしいから、僕は何でもいいよ~」
「はは、分かりました。きっと美味しいものを作りますよ」
料理にとりかかる凪の後ろをついて歩く2人の頭を軽く撫でてから、大きな野菜に包丁をいれた。
夕刻。
良い香りが清水家の居間に漂っていた。家長の仁の合図を皆が固唾をのんで待っている。若干一名抜け駆けしようと箸を手にしていたが、仁に叩かれ止められているから問題ない。
「手を合わせて……いただきます」
「「いただきます(~)」」
「旨いのぉ」
いち早く口に入れた天狐の葵が蕩けた顔で呟く。その表情を見て、凪も自分の分に手をつけた。
今日の献立は、大きなロールキャベツに大根と豆腐の味噌汁、葵お気に入りのだし巻き玉子といつもの玄米だ。野菜が少ないし、なんだかアンバランスなメニューな気もするが、美味しければ文句は出ないので別にいい。
「この赤いタレ、旨いな」
「ああ、トマトソースですね。若いトマトを頂いたので、ソースにしたんです」
「これ、トマトか……」
これまで料理担当だったらしい仁が真剣な眼差しをロールキャベツにそそいでいる。皆の様子から察するに、仁に料理の才能は壊滅的なようだから、真剣に見たところで作り方は分からないだろうが。
「仁には到底作れない料理だな」
「うるせぇ、作る気もない奴が馬鹿にするな」
「私は作れないのではなく作らないだけだから仁とは違うのだよ」
「そっちの方が悪いわ」
何時ものように仲良く言い合う2人を聞き流しながら箸を進める。我ながら上手く出来たと思う。
「僕、これ好き~」
「貴方が作ったにしてはなかなかね」
「ありがとう」
にこにこ食事する座敷童子を見ると和む。
「ああ、そうだ、凪」
「はい?」
ご飯を飲み込んで視線を上げた仁に声をかけられた。その真剣な眼差しに背筋が伸びる。
「明日、橘家に行こうと思う」
「え?」
「橘家の調べは大体済んだ。橘の当主には約束を取ったから明日訪問する。土御門の遺したものを見せて貰うが、お前も行くか」
「は、はい!行きたいです!」
「よし、昼過ぎに出るから準備しとけ」
「ありがとうございます」
突然の進展に驚いたものの、漸く自分も土御門について調べることが出来ると知って嬉しくなった。顔が緩む。
「橘に行くなら、凪は清水を名乗るがいい」
「え?」
葵の静かな言葉に首を傾げる。なぜ清水の名を名乗る必要があるのか分からなかった。
「土御門は本来もうこの国にいないはずであったのだ。進んで名乗って厄を背負う必要もなし」
「……橘で土御門を名乗るのは駄目なのか?」
「駄目ではない。厄を背負いたければ気にするな」
「……駄目ってことじゃねぇか」
「えっと、俺は清水凪と名乗ればいいんですね?勝手に名乗っていいんですか、仁さん」
「まあ、清水を名乗る分には俺は構わん」
渋い顔をしていた仁は凪を見て軽く肩を竦めた。清水の当主は仁なので、許可を出せるのも仁なのだ。仁曰く、清水家は血の繋がった一族が分家を乱立させてたくさんいるので、清水を名乗ろうとも数が多すぎて正体は探られないだろうとのことだ。
「ふむ、これが今日の飯の対価だな」
「飯の対価安すぎだな。もっとなんか寄越せよ」
「……強突張りめ」
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