第6話 天狐

 廊下の奥へと進むと、突き当たりにその部屋はあった。

 明らかにこれまでにあったものとは違う豪奢な襖である。金が贅沢に使われた装飾は目に眩しいくらいだ。これまでの襖は質実剛健としたものだったのに、凄い違和感がある。

 正直、入りにくい。


「おい、葵、入るぞ」

「ちょっ」


 凪の逡巡には構わず、仁が勢いよく襖を開けた。返事も待たない暴挙に凪が慌てる。


「仁、返事くらい待ちなよ、行儀が悪い。私はそんな風に君を育てた覚えはないよ?」

「あいにく、お前に育てられた覚えはないな」


 目が覚めるような目映さだった。

 金色の長髪が白く輝き、紅い瞳がゆるりと細められる。白い絹に金糸の刺繍の着物がよく似合っている。当然のように容姿がいい。言葉に尽くせないほど、美を体現したような姿だった。


 その姿がソファにだらしなく寝そべったものでなかったら、うっかり拝んでしまうほどの美しさだ。


「え……」

「おい、出迎えるときくらい起き上がれよ」

「なんてことを言うんだ。君が起き上がる隙もないほど急に訪れたんじゃないか。ああ、私の繊細な心に傷がついた。悲しいよ……」


 袖で顔を押さえてしくしくと泣く麗人を見ると、なんとなく悪いことをしたような気分になる。座敷童子2人の責めるような眼差しが痛い。でも、気づいて欲しい。この麗人、さっきから少しも起き上がる素振りを見せていない。きっと涙は流れていない。


「嘘泣きすんな。葵、こいつ、今日から居候する凪だ」

「……つまらないな」


 葵の芝居をばっさりと仁が切り捨てると、唇を尖らせて拗ねつつ視線をそらした。あくまでも起き上がる気がないらしい。


「あーおーいー!」

「おや、しばらく見ないうちに力持ちになったね」

「つい数刻前に会ってたじゃねぇか!」

「そうだったかな?」


 仁がドタドタと足音をたてて葵に歩みより、その両肩を掴んで無理やり起き上がらせた。自力で座る気がない葵に怒気を顕にしながら肩を抱いて支えている。


「あの、土御門凪といいます。えっと、お世話になります……?」

「ああ、世話する気はないから好きにしなよ」

「お前は世話される側だろうよ」


 自己紹介するとようやく視線が向けられたが、興味無さげにすぐそらされた。ちょっと傷つく。

 仁が片手の拳で葵の頭グリグリ撫でていた。葵の顔が歪んでとても痛そうだ。


「仁、葵様をいじめては駄目よ」

「仁~葵様が痛そうだよ~」

「お前ら……」


 座敷童子2人が葵を庇いたてすると、仁の顔が苦々しげに歪む。見た目こどもに責められるのは精神的に辛いようだ。この場合、仁の方が正しいと思うのだが。


「良い子だね、お前たちは」

「うふふ、当然ですわ」

「当然~」


 仁の拳から解放された葵が、駆け寄ってきた座敷童子2人を抱きしめる。紅はそんな可愛らしく頬を染めるなんて仕草が出来たんだな。

 仁が疲れたようにため息をついた。


「おい、これからは凪が飯作るから、それはちゃんと覚えとけよ」

「へぇ」


 初めて興味をそそられたように視線が向けられた。飯が重要なのだろうか。


「まあ、仁よりは上手いんだろうね?楽しみにしてるよ」


 すぐ視線がそらされた。


「まったく、……後でちゃんと話せよ」


 仁が諦めてため息をついた。


 ところで一向に天狐についてとか、土御門についてとかの話が出ないんだけど、聞ける状況じゃないよな?











 

 日が暮れてきた後が夕食の時間だと聞いて、早速不慣れなキッチンで夕飯を作ったのだが、果たしてこんな家庭料理が彼らの口に合うのだろうか。

 材料もあまりなかったから、鯵の干物を焼いたのに大根おろしを添え、だし巻き玉子とほうれん草のごま和え、揚げ豆腐と葱のお味噌汁を作った。お米は玄米でちょっと栄養アップ。……肉食べたい。


「はーい、夕飯の時間ですよー」


 いつの間にかキッチン横の居間に集まっていた面々に声をかけて、卓袱台に料理を並べる。お盆にのせた料理を持ってきた途端に自分の定位置らしき場所に各々座るから料理を並べやすい。

 仁は読んでいたらしき書物を放って正座し料理を凝視しているし、その隣に座った葵は既に箸を手に取り並べた端から料理を食べようとして仁に手を叩かれ、向かい側に座っていた座敷童子たちはいそいそとお盆から自分の分の料理を取り並べていた。

 なぜ皆夕飯に対してそんなに真剣な顔で向かい合っているのか。


 変な緊張感で空気が張り詰める中料理を並べ終える。途端に仁がパチリと手を合わせた。


「いただきます」

「「いただきまーす!」」

「……どうぞお召し上がりください?」


 仁と座敷童子たちが挨拶し、葵はいち早くだし巻き玉子にかぶりついていた。早い。


「お、おいしい……。じんわりだしの味がする。ほどよい甘さと塩気。素晴らしい……」

「うめぇな」

「まあ、それなりにおいしいのではないかしら」

「おいしいね~」


 口々に感想を言って貰えて正直とても嬉しかった。何より、塩対応だった葵が一番恍惚の表情で食べているのが、嬉しい反面ちょっと怖い。


「ありがとうございます。そんなに褒めて貰えると嬉しいです」

「苦くないし、ジャリジャリしないし、辛くないのがいいよね。私は、あれはいつか恨みの念で動きだすのではないかと思っていたよ……」


 ……果たして、彼らは今まで何を食べてきたのだろう。

 少し遠い目をして呟いた葵に深く聞くのは躊躇われた。絶対に知らなくていい真実がそこにある。


 そうして知りたくない真実を掘り出すことなく夕飯を終え、みんなに食後のお茶を配った。


「さて、凪よ、私に聞きたいことがあるのだろう?」

「え、はい!」

「まず教えると、私は天狐という種族だ」


 食事前とは全く異なる柔らかい眼差しを向ける葵に少し混乱する。なぜ急に優しくなったのだろうか。


「天狐は狐の妖怪である妖狐の中で最も位が高く、全ての妖怪の中で最も神に近い生き物と言われている」

「神に近い……ですか」


 その容姿を見るとなんとなく納得できる。妖怪というよりは神様という方がしっくりくるような輝かしさなのだ。


「低級の妖狐は悪さをするものだが、私は違う。天狐だからね。一宿一飯の恩にはきちんと報いるのだ」

「一宿一飯?」


 なぜ葵の態度が変わったのか分かった気がした。


「うむ。かように旨い飯を作られたからには、私もそれなりの態度で応じなければ、天狐の名が廃るからね」

「……」


 飯でつれる天狐というのは、名を傷つけるものではないのだろうか。とても疑問だ。


「これで変なものを出されていたら祟るところだけど」

「簡単に祟ろうとするな、面倒くさい」

「……祟られなくて良かったです」


 知らぬ間に命の危機だったらしい。葵にチョップする仁を見ながら冷や汗を拭いた。


「神とは祟るからこそ祀られ畏れられるのだよ。つまり、私が完全に神になるには、誰かを祟らなければ」

「だから、祟ろうとするなって。大体、祟りは神の必須条件じゃない」

「でも、祟らない神はすぐ信仰が薄れ、消えてしまう。愚鈍な人間の信仰に委ねられる存在になるからには、しっかり人間を縛りつけることも必要だろう?」

「そもそもお前、別に神になりたいわけじゃねぇだろ」

「うむ。望まれればやぶさかではないが、拘りはない」

「じゃあ祟る必要ねぇだろ」

「ただ長く生きると日常に飽いてくるというのもある」

「よく言うよ、面倒事には関わらない主義で寝てばっかりの癖に」


 仁と葵のじゃれ合いのような口論に、凪は最初おろおろしたが、慣れた様子で茶菓子を楽しんでいる様子の座敷童子を見るに、気にする必要のないことらしい。

 しかし、飽きたからって人を祟ろうとするのは本当にやめて欲しい。


 

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