第14話 真広、初めてのアルバイト
まだ西の空にうっすらと月が残っている、夜明け前。
俺は
バイト先を紹介してくれるという話だったけど、現れた会長はまさかの大型バイクに乗っていた。
ヘルメットを渡されて後部座席に座り、たどり着いた先は――。
「6番テーブルと9番テーブルできたぞ、持ってけ! 走れ! 客を待たせんな! ハチの巣にされるぞ!?」
「ハチの巣ってなんですか!? 何されるんですか!? はい、6番テーブルお待たせしました! 9番テーブルもどうぞ!」
「ヘイ、ボーイ。オレの頼んだのはジャパニーズお子様ランチだ。なのにライスに旗が立っていないぞ? どういうことだ? もしかしてオレはいつの間にか右目までSW40Fに撃ち抜かれてたのか?」
「へっ!? いやその……っ」
左目にアイパッチをつけたマッチョガイに腕を掴まれ、俺は固まった。
冷や汗が滝のように流れてくる。
三上会長に連れてこられたのは彩峰の街からかなり離れたところにある、謎の多国籍バーだった。
大使館や基地関係の施設がそばにあるとかで、お客様はやたらと物騒な雰囲気の外国人ばかり。
スーツ姿の大使館員のような人もいるけれど、明らかに戦場の匂いをさせたマッチョガイたちが多く、ハチの巣にされるという言葉がぜんぜん比喩に聞こえない。
ちなみに時給がべらぼうに高い。
危険手当込みだ、と会長に言われた時は漏らしそうになった。
「おいおい、ジェイコブ。ウチの後輩を脅かすんじゃねえよ」
震え上がっていると、会長がフライパンを片手に厨房から出てきてくれた。天の助けだ。
マッチョガイは「アハーン?」と眉を吊り上げる。
「HAHA、ハイスクールで大忙しのソータじゃないか。最近、めっきり店で顔を見ないと思ってたが、ハニーに熱を上げて料理の腕が鈍ったか? オレが頼んだのはお子様ランチだ。なのに見ろ、旗が立ってない。ノーフラッグ! ソータ、これがお前のやり方か!?」
「会長になったから、なかなかバイトに入れなかったんだよ。それにいつも言ってんだろ。お子様ランチは大人は食わねえの!」
「ノー! アイウォントお子様ランチ!」
「じゃあ別の店いけよ!? ここが子供のくるようなアットホームな店に見えるか!? もともと旗なんて仕入れてねえんだよ!」
「ノー! オレはお前の作ったお子様ランチが食べたいんだ!」
「どういうことだってばよ!? ……ったく、しょうがねえなぁ」
一旦、厨房に引っ込む三上会長。
すぐに戻ってくると、その手には爪楊枝とメモ用紙、それにペンとセロハンテープがあった。
「
「は?」
意味が分からない。
え、何を……?
「旗だよ、旗。ジェイコブにお子様ランチの旗を作ってやれ」
「俺がですか!?」
なんて過酷な業務命令。
拒否する間もなく。野太い腕にガシッと肩を掴まれた。
「HAHAHA! そいつは名案だ、ソータ! ヘイ、ボーイ。可愛いウサちゃんを描いてくれ。お目々はパッチリで、尻尾はくりんくりんで頼むぜ? オレの故郷のママみたいなファットなウサちゃんにしたらお前のピーをピーして二度とハニーを笑顔に出来なくしてやるからな!」
「ピーをピーするってなに!? 何されるんですか、ひたすらに怖い……!」
震えながらウサギを描くと、奇跡的にジェイコブさんは大爆笑で気に入ってくれた。
すると、それを見ていた周囲の客が面白がって次々にお子様ランチをオーダーをし始める。
恐怖に震えながら、旗を量産する羽目になる俺だった。
物珍しさで客たちにからかわれていただけだと気づいたのは、学校にいくためにバイトを上がった朝8時のことである。
ロッカールームで着替えながら、会長が笑う。
「お前のおかげで売上がいつもの3倍近くになったって、店長が喜んでたぞ」
「そうですか、良かったです、俺は寿命が3分の1になった気分ですが……」
げっそりしながらロッカーを閉めた。
客が特殊な人たちだからか、この店は24時間営業をしているそうだ。おかげでいつでも人手が足りず、こうして急きょ働かせてもらうことも出来るらしい。
人手が足りないのは営業時間だけじゃなく、客層によるところも大きい気がするけど……。
三上会長は主に週末にこの店でバイトをしていたらしい。
会長になってからはシフトを減らしたそうだけど、正直、高校生の身であのお客たちと渡り合えるメンタルの強靭さは規格外だと思う。
遠い目をしていたら、ロッカールームに店長さんがきた。
「今日はありがとね、
店長さんはオネエ言葉を使っているが、見た目はダンディで、お客のマッチョガイたちよりもガタイがいい。ただ物ではない雰囲気だ。
「あの、店長さん。俺、気になることがありまして……」
「あら、何かしら?」
「お客さんたちがちょいちょい本物の拳銃っぽいものを持ってるように見えたんですが……」
「あー、大丈夫よ」
微妙にセクシーなポーズでにこっと笑顔。
「あの子たち、この国の法律じゃ裁けないようになってるから」
「左様でございますか……」
なにそれ怖い。
深入りしてはいけないと本能が告げ、俺は考えるのをやめた。
その後、三上会長のバイクで学校に戻った。
授業を受け、休み時間になると、会長がまた別のバイトを準備してくれていた。
俺のスマホでクラウドにアクセスし、大量の写真データを基礎加工する仕事だった。
話によると、卒業した先代の副会長がカリスマギャルだとかで、今も雑誌のモデルをしているらしい。
その掲載用データを整理したり、添付された指示通りの加工をしていく仕事だった。
もちろん専門的な技術は俺にはないけれど、作業自体はルーチンワークだったので問題なく進められる。
ただし、量がえげつない。ノルマも課せられているので、休み時間に入ると同時に血眼でスマホを操作することになった。
そして、昼休みにはまた別のバイトがある。
「ほう? 君が三上のお気に入りの一年生か」
来客用の手続きをして校内にきたのは、知的な雰囲気の大学生だった。
オールバックに髪をまとめ、鋭利なメガネを掛けている。
三上会長によると、この人は先代の生徒会長だそうだ。
現在は日本トップの大学に首席で入学し、大物政治家の秘書見習いを兼任しているという。
「お気に入りかどうかは分かりませんが……どうぞ、よろしくお願いします」
「そう肩肘を張らなくていい。あの三上の頼みだ。私から任せるのはごくごく簡単な仕事だよ」
そう言って、車から運ばれてきたのは段ボール箱。
そこには政治家のビラがぎっしりと詰め込まれていた。
「このビラを指定した掲示板に貼ってきてくれたまえ。昼休みの間に終わらせてくれればいい」
「昼休みの間に!? この量をですか!?」
「多少体力勝負になるかもしれないが、礼は弾むよ?」
多少なんてレベルじゃない。
全力疾走で駆け抜けて間に合うかどうかという量だった。
それに……。
「これ、政治関係のビラですよね? アルバイト代をもらえるのはありがたいんですが、法律的に大丈夫なんでしょうか……?」
「問題ないよ。君に支払うのは私のポケットマネーだ。さらに言うならば」
軽く腕組みをし、先代の会長はおもむろに言った。
「立場上、私は司法や行政とはことさらに懇意だからね。友人を無駄に罰するような者はいないだろう?」
「……」
え、それってつまり……政治も警察も先代会長には手を出せないってこと?
なにそれまた怖い。
深く聞いてはいけないと心の警鐘が鳴り、俺は考えるのをやめた。
血反吐を吐きそうになりながら駆けずりまわり、どうにかビラを貼り終え、放課後。
会長に言われて電車を乗り継ぎ、今度は研究所のようなところにやってきた。
厳重なセキュリティチェックを受け、エントランスに通されると、白衣姿の女性が待っていた。
「いらっしゃーい。私の母校の一年生クンだね?」
「は、はい。三上会長の紹介できました。よろ……よろしく……お願いしますっ」
「あれ? なんかぐったりしてる? 平気?」
「だ、大丈夫です。ちょっと朝から忙しかっただけで、体はまだまだ動きますから」
「そかそか、なら結構。三上ちゃんは元気かな?」
「あ、はい。それはもう……」
マッチョガイと対等にやり合えるくらいですから。
事前に聞いていたところによると、この白衣の女性も学校の卒業生だそうだ。
科学部の元部長で今はこの研究所に勤めているという。しかも多くの論文が認められ、世界的な賞も目前だとか。
「研究資金ががっぽりあるからね。役に立ってくれたらそれだけお礼するよ?」
ここまできたら俺も覚悟が決まってきた。
何が飛び出してくるか分からないが、どんな仕事でもやりきってみせる。
「俺は何をすればいいんでしょうか? なんだってします……っ」
「おー、すごい意気込みだ。でも楽にしてくれていいよ。君に頼みたいのはね、ただの治験だから」
「治験?」
「うん、っていうか人体実験」
「人体実験!?」
本能も危険だと告げていたし、心の警鐘も鳴り響いていたけど、後には引けず俺は考えるのをやめて……大変なことになった。
………………。
…………。
……。
学校に戻った頃には日が暮れていた。
三上会長に今日の報告をするために生徒会室へいき、俺はソファーに倒れるように横になる。
「ぜーはー。し、死ぬ……っ」
さすがに限界である。
科学部の先輩の辺りとか、もう途中から記憶がない。
「おー、見事にグロッキーだな」
執務机にいた三上会長が楽しそうにこっちへくる。
如月先輩や優愛はもう帰ったらしい。
だいぶ遅い時間なので、会長だけ待っていてくれたのだろう。
「どうだ? えげつないくらい厳しかったろ?」
「……はい。予想以上に……」
会長が紹介してくれたバイト先は一か所じゃなかった。
空いている隙間時間を埋めるように、いくつも紹介してくれて、そのどれもが予想以上にパンチが効いていた。
おかげで一日の稼ぎとしては普通のアルバイトを遥かに超えたものになっている。
「話してみたら、お前に会ってもいいって奴らがまだまだ名乗り出てくれたぞ。明日からもじゃんじゃん稼げそうだ。やったな?」
「……っ」
さすがに背筋が寒くなった。
ありがたい話ではある。
それは間違いない。
本当にありがたい。
だけど過酷だ。
普通に死にそうな気がする。
死因がピーをピーされたことによるものなのか、謎の人体実験によるものなのか、それともまだ見ぬ未知の何がしかによるものかは分からないけれど。
とんでもない世界に迷い込んでしまった。
なんせ今日会った人たちは全員が全員、俺の常識を超えてるというか、特殊な地位や権力を持った人たちだった。
普通に生きていたら知り合えるような人種じゃない。
まるで優愛の藤崎グループのような……。
「――あ」
ふいに思い至って、俺は小さく声を上げた。
目の前で頬杖をつき、三上会長が口角を上げる。
「気づいたか」
ニヤリ、とした笑み。
「今日お前が会った奴らは、みんながみんな、それぞれに力を持ってる。この学校は伝統的に妙な才能を持った奴らが集まってくることが多くてな。藤崎の父親がこの学校への入学を娘に許したのは、たぶんその辺りもあるんじゃないかと俺は思ってる」
……ありそうな話だ。
優愛のお父さんは一筋縄ではいかない。
優愛がこの学校にくることで、娘にただの社長令嬢にはない人脈を持たせてやれると考えたのかもしれない。
生徒会長になれ、という条件もそう考えると辻褄が合う。
「ただし、藤崎が持てるのは自分と同じ世代の人脈までだ。お前が今日会った奴らはすでに卒業してるからな。藤崎と直接会うような機会は滅多にないだろう」
反対側のソファーに深く背中を預け、会長は「そして」と足を組み替える。
「いつかお前が本気で立ち上がろうとする時、今日会ったみんなは必ず力になってくれるはずだ」
「……っ」
思った通りだ。
でも驚きすぎて言葉が出なかった。
俺のやるべきことは優愛にプロポーズして終わりじゃない。
たとえ優愛が受け入れてくれたとしても、将来的に大きな壁が立ち塞がる。
なぜなら優愛は藤崎グループの社長令嬢。
本来なら俺のような一般人が一緒になれる相手じゃない。
もちろん駆け落ちなんてもっての外だ。
跡取りになるという優愛の夢を支え、その上で俺も隣に立つに相応しい人間になる。
それが森下真広の使命。
でも問題はどうすればそこに辿り着けるのかということ。
その具体策を今、三上会長が示してくれていた。
今日会った人たちはそれぞれに大きな力を持っている。
彼らと懇意になることは藤崎グループにもない人脈を持つということ。
さらに三上会長の仲間はまだまだいるという。
彼らと共に歩めるような人間であれば、きっと優愛のお父さんも認めてくれる。
「いいか真広、絆は力だ」
窓の向こうにはきれいな月が昇っていた。
柔らかい月明かりが差し込み、偉大な人の横顔を照らしている。
「お前が困った時は、全力で誰かを頼れ。そして誰かが困った時は、お前が全力で助けてやれ。――そうやって世界は回ってるんだ」
その言葉通り、この人は俺を助けようとしてくれている。
将来を何手先も読み、俺がまだ方法すら見つけられなかったことの解決方法を教えてくれている。
……なんてことだろう。
憧れてしまう。
なりたい。
俺もこの人のようになりたい。
この人のような大きな男になって、堂々と優愛の隣に立ちたい。
「三上会長、俺、俺は……っ」
ソファーから跳ね起きた。
でも感情が空回って上手く言葉を紡げない。
すると、くしゃっと頭を撫でられた。
向けられるのは頼もしい笑み。
「お前はまだ一年坊主だ。道は先輩の俺が示してやる。ただし、それを歩めるかどうかはお前自身に懸かってるぞ?」
真っ直ぐな視線がこちらを見据える。
「意味は分かるな?」
「はい……っ!」
今日の俺はまだあの人たちと知り合いになっただけ。
三上会長の後輩だから会ってもらえたに過ぎない。
俺自身がみんなに認めてもらえなければ意味がないんだ。
そうじゃないと、この人のようになれない。
堂々と優愛の隣に立てるような男になれない。
もうへばってなんていられなかった。
俺は勢いよく立ち上がる。
「会長、明日もう一度今日の皆さんのところで働かせて下さい!」
優愛の気持ちに応えるためだけじゃない。
俺が、俺自身の意志でもっと前へ進みたい。
「明日はもっと役に立ちます! 俺、絶対に皆さんに認めてもらえるような男になります!」
「よーし、よく言った。んじゃあ、どんどんバイト入れてくぞ!」
「はいっ、お願いします!」
そして。
バーで客にからかわれても店長仕込みのジョークで上手く返して。
ギャル雑誌を研究して先代副会長の画像加工の精度を増して。
自転車で走り回ってビラ貼りの時間を圧縮し、先代会長の社交場にも同席させてもらえるようになって。
人体実験は気合いで耐えて。
他にも数多くの三上会長の仲間のもとで働き、汗を流し、時には認めてもらえるようになって。
あっという間に日々は過ぎ、やがて――優愛の誕生日の日がやってきた。
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