新8話 留学をやめた理由とニヤニヤ禁止


 昼休みが終わるまで、まだもう少し時間がある。

 俺たちはお弁当を食べ終わり、それぞれにのんびりとお茶を飲んでいた。


 するとふいに優愛ゆあが「あ、そうだ」と水筒のコップを置いた。


「忘れてた。真広まひろにあのこと言っとこうと思ってたんだわ」

「あのこと?」


「わたし、今日の放課後から生徒会の手伝いにいくから」


 思わず目を瞬いた。


「生徒会……? なんで生徒会?」


 そういえば確かにここ最近、優愛から『生徒会長』とか『生徒会の先輩』の話をよく聞く。


 でも手伝いをするというのは意外だった。

 中学の時も別にそういう活動はしていなかったし。


 不思議に思っていると、優愛は自分の腰に手を当てる。

 そして無駄に自慢げに宣言。


「わたし、生徒会長を目指すの」

「え? ……えっ?」


 情報が次々に舞い込んできて、処理しきれなくなりそうだ。


 こっちの表情を察したらしく、優愛は「順を追って話すわね」と口を開く。


「留学をやめることにした時、わたし、空港でパパにまさかのオッケーをもらったじゃない? ほら、こうやって」


 輪っかでオッケーポーズをしてみせる。

 その話なら覚えてる。


 優愛がやっぱり留学をやめると言うと、お父さんがあのポーズで『オッケー、いいよ』と許可したのだ。


 すごく厳しい父親だと聞いていたから、それでいいのかと思ったものだ。


「でもウチのパパって一筋縄じゃいかない人じゃない? わたしも予想はしてたんだけど、オッケーって言った後に続きがあったの」

「続き……?」


「そ。留学をやめてもいいけど、条件がある。とりあえずは――1年で生徒たちの頂点に立て、って」


 頂点て。

 表現の仕方がもう別世界だ。


「それで……生徒会長?」

「そゆこと。しかも期限が1年ってことは、2年生になってからじゃ間に合わないのよ。今年度中、つまり今の生徒会長さんから代替わりする時に、わたしが就任しないといけない」


 それは……結構な大仕事に思えた。


 普通、生徒会長というのは3年生がやるものだと思う。

 当然、次の会長は次期3年生の2年生が選ばれる。でも優愛はそれを飛び越えて、1年生の間に生徒会長に選ばれないといけない。


 そんなこと出来るのか?

 本当に可能なのか?


 まだ高校に入りたてで、右も左もわからない1年生の俺には途方もないことに思えた。


「もしかして優愛のお父さん、すごく怒ってるんじゃ……?」


 だからこんな大変な条件を出したんじゃないだろうか。

 そう思ったけれど、優愛は気楽にぱたぱたと手を振る。


「ううん、ぜーんぜん。むしろ喜んでたわよ? 『ウチの娘は覇道を一直線に突き進んでいくタイプだと思っていたけれど、ここらで一回男に転んでおくのも面白く育ちそうだ』って」

「…………」


 どうも、娘さんを転ばせてしまった男です。

 

 なんだろう、菓子折りを持って一度謝りにいった方がいいのもしれない。


 百歩譲って、お父さんが本当に喜んでるとしても、人として何かしらの謝罪をしないといけない気がする……。


「? 真広、なに頭を抱えてるの?」

「天上人にはわからない下界の民の苦悩だから気にしないで」


「そう? じゃあとりあえずは見守っておくけど、なにか困ったことがあるなら言いなさいね?」

「すごい、自らが天上人という認識に迷いがない……」


 優愛のブレなさ加減に圧倒される俺だった。


 ……って、いやいや待て待て。

 いま大事なのはそこじゃない。


 優愛が留学をやめた理由。


 なんとなくそうなのかもしれない、とは思ってた。

 一方で何か天上人ならではの理由があるのでは、とも思ってた。


 その答えが今、もたらされた。


「留学をやめた理由、やっぱり俺だったんだね」

「あ……っ」


 ボォッと優愛の顔が赤くなった。

 さらっと言っちゃったことに今さら気づいたらしい。


「ち、違っ、違うから! やめたのは天上人的なやんごとなき理由があって……!」

 

 ワタワタしながら全力で否定しようとする優愛。

 フォローしたいけど、ポンコツ感が駄々洩れなのでなかなかに難しい。


「ごめん、そんな真っ赤な顔で言われても説得力が……」

「うぅ……っ」


 指先まで朱に染まっているのが恥ずかしいのか、優愛は手を袖のなかに引っ込める。いわゆる萌え袖の状態だ。


 その手で真っ赤な顔を隠し、優愛は肩をすぼめて小さくなった。


「しょ、しょうがないでしょ? わたしだってこんなことになるなんて思ってなかったのよ。このわたしが、この藤崎優愛が、日本を離れる寸前で怖気づくなんて絶対ないと思ってたんだから。でもいざ飛行機に乗るタイミングになったら気づいちゃって……」


 なんとも情けない声で。

 彼女は萌え袖の向こうから白状する。


「わたし、真広と離れるなんて無理だったのぉ……!」


 ああ。

 本当にもうこのお嬢様は……っ。


 俺も赤くなって悶絶した。


 普段は唯我独尊のパーフェクト超人なのに、どうしてこういう時だけ隙だらけになってしまうんだろう、このお嬢様は。


 おかげで隣にいるこっちはギャップで脳がやられてしまう。


 困っていると、優愛がはっとした顔をする。


「な、なにニヤニヤしてるのよぉ!?」

「してない、してない」


「してる! 絶対してる!」

「うん、本当はちょっとだけしてる」


「ほらぁ! もうっ、ニヤニヤ禁止ー!」


 萌え袖で肩を揺さぶられる。

 くっ、可愛い。


「……」


 火が出そうなほど熱くなった顔を押さえ、俺は思った。


 事ここに至っては。

 もう曖昧な関係でいることなんて出来ない。


 そもそも再会した時にちゃんと言うべきだったんだ。


「優愛、あのさ……」

「なによー?」


 緊張しながら口を開く。


「……大事な話があるんだ」


 好きな子がここまでしてくれた。

 だったら俺も覚悟を決めなきゃ。

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