第7話 間接キスと小さな勝利
お父さん。
お母さん。
俺はとんでもないミスを犯してしまいました。
今、右手には箸を持っている。
そう、優愛にあーんをしてしまった箸だ。
動揺しまくった表情で
「使うの? そのお箸……」
「え、いや、その……っ」
膝の上には手作りのお弁当。
昼休みも半ばに差し掛かって非常に空腹な今、出来ればすぐに食べたい。
だがこの箸を使えば。
優愛との間接キスになってしまう……!
どうする?
どうすればいい?
苦悩していると、優愛が緊張気味に声を上げた。
「あ、あのねっ」
お嬢様はしろどろもどろで視線をさ迷わせる。
「間接キスしたいのはわかるわ。わたしにあーんした後だから、真広がそのお箸に対して……オ、オオカミさんになっちゃうのは仕方ないと思う! それはわたしも許容してあげる」
「いや箸に対してオオカミになるってなに? 俺は極めて高度な変態なの……?」
「ダメとは言わない! 真広がそのお箸を好き勝手にすることはダメじゃない! ……でもお願い、ちょっとだけ待って。わたし、まだ心の準備ができてないの……っ」
「え、間接キスに心の準備っている?」
「いるわよ! だって真広の……大切なファーストキスでしょ? それを目撃しちゃうわたしの身にもなって!」
「違う違う違う、なんか色々間違ってる。それだと俺のファーストキスが我が家のお箸ってことになるから。そんな気合いの入ったトラウマは残したくないから!」
動揺が動揺を呼び、頭を抱えたくなって無意識に右手が動いた。
すると、その瞬間だ。
優愛が目を見開き、ネイティブなアメリカンポリスばりの発音で叫んだ。
「
「――っ!?」
鬼気迫る表情。
一歩間違えば射殺されそうな迫力。
俺はビクッと震える。
「え、なに!? 何事!?」
「動かないで、
「してない、してない!」
動揺でちょっと動いてしまっただけだ。
しかし日本のアメリカンポリスは聞いてくれない。
「騙されないわよ! わたし、知ってるんだから。男の子って……好きな子に不意打ちキスをしようと常に狙ってる生き物なんでしょ!? 生徒会の先輩が教えてくれたの!」
「だから、そんな理性の消失した男の子はいない! あと一度、その生徒会の先輩に会わせてくれる!? 知識が相当偏ってるからね、その人!」
「なっ!?
「いや名前は知らないけど!」
「唯花さんはすごいのよ!? わたし、家族以外で生まれて初めて『よくわからないけど、この人すごい!』って思ったんだから。よくわからないけど!」
「よくわからないものに対する評価が高すぎる……!」
何者なんだ、その『唯花さん』って。
いやこの際、よくわからない人のことはいい。
まずはこの状況をどうにかしないと。
冷静になれ、と己を律して思考する。
直後、起死回生の名案を思いついた。
「そうだ、この手があった……!」
どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。
「優愛、これを見て」
俺は手をかざし、箸をくるりと持ち替えてみせる。
これぞ名案。
端の先ではなく、太い方の部分を使えばいいんだ。
「ほら、これならなんの問題もないよね?」
そう俺が言った矢先だった。
驚くべきことが起こった。
「真広は……」
じわ、と優愛の瞳に涙が浮かんだのだ。
「わたしと間接キスしたくないんだ……」
「ええっ!?」
そんなこと思ってない!
箸を逆にしたのは純粋に常識的な対処法を試みただけだ。
なのに優愛は涙目のまま、子供みたいなふくれっ面になっていく。
「ひどい、真広。わたしのファースト間接キスは奪ったくせに、自分のファースト間接キスはくれないなんて……」
「ファースト間接キスってなに!?」
もうわけがわからない。
キスの概念が崩壊しそうだ。
ただ……俺だって優愛を泣かせたいわけじゃない。
むしろ優愛を哀しませるなんて、俺のなかで一番の禁忌だ。
ならば。
腹をくくれ、
「――いただきます」
「え? ……あっ」
再び箸を持ち替え、一閃。
俺はミニハンバーグを掴んで食す。
続いてきんぴら。さらにはご飯。もちろん卵焼きも忘れない。
流れるように口に運んでいく。
無論、使っているのは箸の先だ。
あわわわっ、と優愛が狼狽える。
「ま、真広、よく見なさい! あなた……あなた、箸の先っぽを使ってる! わたしと……間接キスしちゃってるわよぉ!?」
「ああ」
箸を構え、鋭い視線で答える。
「何か問題が?」
「……っ」
優愛が息をのむ。
少女漫画なら、トクン……ッと擬音でも鳴っていそうな表情だった。
「も、問題……」
うつむき、頬を赤くしてつぶやく。
「……ありません」
優愛の敬語なんて久しぶりに聞いた気がする。
そのまま食事を再開。
お互い黙々と食べつつ、時折、隣から窺うような視線を感じた。
おずおずと優愛が尋ねてくる。
「……お、お味はいかが?」
「美味しいよ。どれも俺好みの味。とくにこの卵焼きなんて、塩加減がすごくいい」
素直にそう答えると、ぽっと灯かりが点くように優愛の頬がほころんだ。
「……やったっ」
俺から微妙に隠れた位置で小さくガッツポーズ。
うん、可愛い。
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