第4話 元カノと階段で会談
早退したい、なんてことを言った俺だけど、そもそも今日は入学式なのですぐに放課後になった。
ホームルームが終わると、
「何を食べたらそんなにきれいになれるの!?」
「もしかして芸能活動とかしてる?」
「この後、あたしたちとお茶いかない?」
「さっきの自己紹介ってなんだったの?」
高校生活初日にして大人気である。
優愛個人のことだけでこれほどなのだから、家が
で、俺はといえば。
「お空がきれいだなぁ……」
今も脳が処理落ちしていて、窓の向こうに現実逃避中。
だってワケがわからない。
優愛は海外に留学したはずだし。
俺たちはそれで別れたんだし。
なのに隣の席に出現したし。
これが夢だと言われれば今ならまだ信じるし。
どうにも現実を直視できず、かといってとっとと帰宅することもできず、俺はただただ現実逃避している。
すると、ふいに隣から優愛の声が聞こえた。
「あー、ごめんね、みんな。わたし、ちょっと今日は用事があるからお誘いやインタビューは明日以降に受けるわ。そう、用事があるの。可及的速やかに対処すべき重大な案件がね」
スマートな響きの声かつ、きっぱりとした言葉だった。
クラスメートたちは誰も不満を言わず、『そっかぁ、残念だけど仕方ないか』という空気で即座に納得。早くもクラスを掌握し始めている。
しかしそんな余裕やスマートさはここまでだった。
「
俺の名を呼ぶと、優愛はすごい勢いで立ち上がり、ギンッとこっちを睨む。
「ゴーホーム!」
「家に帰れってこと?」
反射的にツッコんでしまった。
一応、フォローしておくと、普段の優愛はほぼ完璧超人だ。
でも特定の条件下ではちょくちょくポンコツ化する。その条件というのはなんというか、まあ……俺なのだけど。
ツッコまれた優愛は不可解そうに眉を寄せた。
「家に帰れ? 違うわよ。ちょっときて、って言ったの」
「それはカムヒアとかなのでは……?」
「……あ。い、いいのよ伝わればっ」
……伝わるのは俺ぐらいだと思う。
そんなこんなで。
クラスメートたちの『なんだなんだ?』という好奇の視線に晒されながら、俺は優愛に連れ出された。
こっちも話をしないといけないとは思っていた。
できれば人目につかないところの方がいいけれど、俺も優愛も新一年生なので校舎のことは詳しくない。
10分ほどさ迷った挙句、別校舎にたどり着き、生徒会室らしき部屋のそばの階段に並んで座った。
入学式の日だったせいか、すでにまわりに人の気配はない。
踊り場の大きな窓から陽が差し込み、階段は穏やかな静寂に包まれている。
さっきまでは混乱もあったし、クラスメートの目もあった。
しかし移動している間に頭も冷えてきた。
今、こうして階段にいるのは優愛と俺だけ。他人の視線はない。
完全に二人っきり。
落ち着いた状態で二人っきりだ。
それが何を引き起こすかというと。
「「~~っ」」
すっごい気まずい!
優愛と俺はそれぞれ逆の方を向き、頭を抱えて身悶える。
脳裏を駆け巡るのは一週間前のこと。
卒業式の後、涙ながらに交わした会話の数々。
もちろんどれもこれも本気の言葉だった。
嘘や偽りは何一つなく、なんなら『この一瞬が人生のすべてだ』という勢いで気持ちを伝え合った。
だからこそキツい……っ!
だってあれは二度会えないと思っていたからで。
今日という日を永遠の思い出にしたいと願ったからで。
それがまさか、わずか一週間で再会するなんて思わないじゃないかーっ!
悶絶。ひたすらに悶絶。
次から次へと、あの日の自分の思考がブーメランになって脳髄を攻撃してくる。
永遠なんてない――。
by森下真広。
花びらの雨が降っている。彼女を覆い隠す、残酷な天幕のように――。
by森下真広。
この痛みと共に生きていこう。何年でも、何十年でも――。
by森下真広。
「ぐわぁぁぁぁぁっ!」
堪らず頭をかきむしった。
ヤバい。死にたい。布団にくるまって全力で転がりたい。
俺が悶絶していると、隣の優愛がこれまた羞恥で真っ赤になりながら「ふ、ふふ」と笑う。
「わかるー。その感じ、すごいわかるー。なぜならわたしもこの一週間、同じダメージを負い続けてきたから」
「ゆ、優愛。君はこの痛みに一週間も耐え続けたのか……っ」
「ええ、真広。今のあなたの位置をわたしは一週間前に通過したの」
そう言って、優愛は軽やかに髪をかき上げる。
余裕ぶってはいるけど、その頬は真っ赤っ赤で、頬も思いっきり引きつっている。
一週間前に通過したわりにまだまだキツそうだった。
ということは一週間後の俺もまだまだキツいままなのだろう。
そう思うと、かなりの絶望感に苛まれる。
……しかしいつまでも悲嘆に暮れ続けている場合じゃない。
忍耐力を総動員し、俺は顔を上げた。
「優愛……説明をしてほしい。とにかく全部説明してほしい」
「いいでしょう。よくお聞きなさい」
厳かな頷きが返ってきた。
しかしその威厳っぷりは数秒も続かず、
「…………えっとね」
即座に目が逸らされた。
あ、これポンコツなパターンだ。
優愛は指をもじもじと合わせ、なんとも情けない声でぽつりぽつりと語りだす。
「留学は本当にするはずだったのよ……? でもね、寸前になってやっぱり嫌になっちゃって……」
「嫌になっちゃったの……?」
「なっちゃったの」
コクン、と子供のような素直な頷き。
「それで空港でパパに言ってみたの」
「な、なんて?」
「やっぱヤ! って」
「身も蓋もない……っ」
しかも優愛のパパということは、藤崎グループの社長だ。
すごく厳しい人だと以前に優愛自身から聞いたことがある。
そんな身も蓋もない言い方でどうにかなるとも思えないけれど……。
「わたしだってまさか聞いてもらえるとは思ってなかったわよ。留学だってわたし自身が決めたことだし。でもそれが……」
「それが?」
「オッケーいいよ、って」
「やたらと軽い……っ」
物真似なのか、指で輪っかを作ってオッケーポーズをしてみせる優愛。
優愛のお父さんに会ったことはないけど、いい歳した中年男性がこのポーズをするってなかなかじゃないだろうか……。
「いやでも待って。留学を取りやめたのは百歩譲ってわかるとして、入学試験は? 優愛、この学校の試験なんて受けてなかったよね?」
「そこは権力でねじ込んだわ」
「さらっと怖いこと言う、上流階級の闇……!」
「あ、試験はちゃんと受けたわよ? ここの理事長さんがパパの知り合いで、話だけは聞いてくれたの。もちろんあんまりいい顔はされなかったけど……」
「まあ、普通そうなると思う……」
「でも満点取ったら入学許してくれるって言われたから、満点取ったわ」
「さらっとやってのけちゃう、理不尽なハイスペックさ……!」
「もちろん試験だけじゃなく、他にもいろいろ頑張ったのよ? この学校の生徒会長さんにコンタクトを取って、一緒に理事長さんに掛け合ってもらったの」
「生徒会長?」
「そ。すごくいい人でね。『入学したいって生徒がいるんだ。どうかチャンスをやってくれ』って一緒に頼み込んでくれたの。あの会長さんの一押しがなかったら、たぶん試験も受けてさせてもらえなかったわね」
生徒会長なら入学式の時に在校生代表の挨拶で見た。
多少目つきが悪いけど、頼りがいのありそうな雰囲気の人だった気がする。
「けどまあ、そっか……」
俺は小さく息を吐く。
ようやくだいたいの事情がわかった。
経緯はどうあれ、優愛はこの学校に入学したんだ。
「だからね、真広……」
ぽつりとしたつぶやき。
見れば、優愛は階段で体育座りをしていた。
スカートを押さえて、頬を膝に寄せ、こちらを見つめている。
いつもの自信たっぷりの表情とは違う、どこか俺を窺うような眼差し。
「これからまた三年間、一緒だね……?」
「……っ」
鼓動が大きく高鳴った。
そうだ。
優愛は留学をやめて、この学校に入学した。
これでまた一緒にいられる。
ということは――。
「ゆ……」
名前を呼ぼうとして、しかし俺は途中ではたと止まった。
これはそんな単純な話じゃない。
単純に考えてしまっていいのかもしれないけれど、俺は見てみぬふりすることができない。
あの日、約束をした。
今となっては悶絶事案が満載の記憶だが、それでもあの約束だけは黒歴史にはできない。
どうしようもなく、本気だったから。
「優愛、あの時、俺たちまた会ったら結――」
「――っ!」
その瞬間、優愛の肩がビクンッと跳ね上がった。
しまった、と思った。
配慮が足りなかった。
俺はあの約束について優愛がどう思っているかを聞こうと思ったのだ。
でも『結――』という出だしを口にした途端、優愛の顔は見る見る真っ赤になった。見たことがないくらいの緊張ぶりだ。
いつも余裕に満ちている、あの藤崎優愛が。
教室を一瞬で掌握してしまうような、あの彼女が。
人生最大の緊張感に包まれていく。
まるでこれからプロポーズされるみたいに。
……いや待て待て!
その雰囲気はおかしいから……!
「ストップ! 優愛、いま君のブレーキは壊れている! 早急な自己修復が必要です!」
「えっ、あ、そ、そう……?」
「そもそも俺たちの年齢では法律上、婚姻は結べない!」
「あっ、うん、でもでも……っ」
しどろもどろになりながら、優愛は照れくさそうに言う。
「でもね、真広」
チラチラこっちを窺いながら。
「権力って……法律より強いんだよ?」
「可愛い顔でドス黒いこと言ってる……っ!?」
実際、権力で高校に入ってるから説得力がすごい。
すごいというかヤバい。
いや俺だってやぶさかじゃない。
お互い嫌いになって別れたわけじゃないんだ。
本音はぜんぜんやぶさかじゃない。
でも物事には順序というものがあって。
一般人の俺には法令順守の精神もある。
だからまずは冷静になるべきだと思う。
だけど……。
「……わ、わかってるわよ。真広がわたしに何を言わせたいのかは……」
「え?」
優愛が落ち着かなげに身じろぎをした。
元恋人だからわかる。
これは優愛が何か大きな勘違いをしている時の雰囲気だ。
「卒業式の日の会話、ぜんぶ覚えてるもん……。中学の時はさ、色々わたしの将来に気を遣ってくれてたんでしょ? でもさ、こうしてまた会えたし……もしも約束を果たすとしたら……」
優愛は腕できゅっと自分の体をかき抱いた。
ブレザーのボタンが自然に外れ、その下のワイシャツが存在感を主張する。
生地がぴったりと張り付き、体のラインが浮き出ていた。
折れそうなほど細い腰。
豊かな曲線を見せる、ツンとした胸。
スカートも際どくはだけ、まぶしい太ももが垣間見える。
「もう我慢しなくていいから……」
恥ずかしそうな、それでいて必死に伝えようとするような。
潤んだ瞳で囁く。
「わたしにイヤらしいこと……し放題だよ?」
「……っ」
し放題とか……!
心臓が跳ね跳びそうになった。
正直、理性が蒸発してしまうんじゃないかというくらいの衝撃だった。
しかし俺は全力で自分を律する。
このお嬢様はたまに際どい冗談を言う。
彼女の将来のため、こういう時にツッコむのが俺の役目だ。
「ば、馬鹿なこと言ったらいけない」
中学の頃のように軽くチョップを放つ。
でも予想外のことが起きた。
あの頃と違って、優愛がパシッとチョップを受け止めたのだ。
「え……っ」
「今のは冗談じゃないもん」
拗ねるような、責めるような、そんな眼差し。
そしてあろうことか、
「…………真広のばか」
指先へ――チュッとキスをされた。
「……っ!!」
もう処理限界だなんてレベルの話じゃない。
今すぐ卒倒してしまいそうだ。
高校生活の初日。
ありえないはずの再会。
果たされないはずの約束。
それらが突然目の前に現れ、さらには――。
「わたしの気持ちは、もう……決まってるから」
元カノの大攻勢が止まらない。
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