第3話 高校の初日、――隣の席になんかいるぅ!?

 中学の卒業式から一週間が過ぎた。

 今日から高校生活が始まる。


 俺は不思議な気持ちで初めての通学路を歩いた。


 新しい生活への緊張。

 高校生になったのだという高揚感。

 それらと同時に大きく横たわっている喪失感。


 優愛ゆあはもういない。


 俺はひとりで生きていかなきゃいけない。

 胸の痛みはあの日からずっと変わらずここにある。


 だけど、平気な顔をしていよう。

 なんでもないって雰囲気を装っていこう。


 じゃないと、遠い国で頑張っている優愛に笑われてしまうから。


 そんなことを思いつつ、入学式を終え、新しい教室に移動していると――信じがたいことが起きた。


「あっ! ま、ひっろっ……!」

「え?」


 幻覚を視た。

 一週間前に別れた元カノの幻覚を。


 春の陽射しに照らされた明るい髪。

 宝石のような美しい瞳。

 周囲を魅了する凛とした雰囲気。


 制服も中学のものではなく、この高校のブレザーとスカートになっている。


 そして、目を見開いて焦ったような表情。

 なんてはっきりとした幻覚だろう。


 俺はちょうど1年A組の教室はどっちだっけと迷い、廊下を逆戻りしたところだった。


 すると曲がり角でバッタリ。


 でも優愛が日本にいるはずがない。

 彼女は留学し、海外のハイスクールにいった。

 だからこそ、俺たちは別れたのだから。


 やはりこれは……。


「幻覚……?」

「うんうんうん!」


 高速で頷いた。

 幻覚が。


 え、と俺は目を瞬く。

 

「幻覚が頷いた……?」

「はっ!?」


 幻覚は文字通りはっとした顔をする。

 そして。


「わ、わたしは幻覚よ!」


 堂々と言い切った。

 幻覚が。


「ん……んん?」


 俺は首をかしげる。

 古い柱時計の錆びついた秒針のようにギギ……とかしげる。


 じっと見つめていると、幻覚は言い切ったポーズのまま、だらだらと冷や汗をかき始めた。


「……」

「……は、はは」


 沈黙の俺。

 乾いた笑い声の幻覚。


 ……え、なんだこれ?

 幻覚……だよね? それ以外ないよね?


 いやいや待て待て。

 そもそも優愛のことを思い過ぎて幻覚視るっていうのもだいぶアレだぞ?


 大丈夫なのか、俺。

 駄目なんじゃないか、俺。


 煩悶していると、ちょうど他のクラスの集団が歩いてきて、まわりが人波に飲み込まれた。


 俺は押し流されるように優愛の幻覚と分断される。


 もしもだ。

 これで陽炎のように消えたりすれば、目の前の優愛は本当に幻覚だと言えると思う。


 が、しかし。


「チャンス……!」


 優愛は颯爽と身を翻し、髪を揺らして走り去った。


 チャンスって言った。

 思いっきり言った。


 え、幻覚がそんなこと言う?


 廊下の真ん中に佇み、俺は呆然ぼうぜんとする。


「……」


 い、一旦落ち着こう。

 論理的に考えるんだ、森下もりした真広まひろ


 優愛は海外に留学した。

 この高校にいるわけがない。


 ということは今のはやっぱり幻覚なんだ。

 あまりにも思い詰めたせいで、俺の脳が視てしまった哀しいまぼろしなのだろう。


 そういう結論しかありえない。


 うん、そうだ。

 それしかない。

 うんうん、絶対にそうだ。


 論理的かつ非常に合理的な結論を出し、俺は1年A組の教室へ向かった。


 しかし。

 そこで。


「えー、皆さん、入学おめでとうございます。まずは出席を取りますね。――さん?」

「はーい」


「――さん?」

「はい」


「――さん?」

「はいはーい」


藤崎ふじさき優愛ゆあさん?」

「…………」


「おや? 返事がないな。藤崎優愛さん?」

「~~っ」


 すぐそば。

 具体的には右側30センチ程の距離。


 そこから凄まじい葛藤の気配が伝わってくる。


 一方、俺も自分の席で両手を組み、固まっていた。

 自分の鼓動が爆音のように響いている。


 ドドドドドドドドドッ!

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!


 視界の右端に映っているのは。


 春の陽射しに照らされた明るい髪。

 宝石のような美しい瞳。

 周囲を魅了する凛とした雰囲気。


「いないんですか? 藤崎優愛さーん?」

「……っ」


 右端で制服の肩が葛藤でぷるぷると震えている。


 俺は大きく深呼吸。

 そして心のなかで絶叫した。



 ――隣の席になんかいるぅ!?



 なぜ!?

 どうして!?


 ハテナマークが混乱の嵐となって頭のなかを乱舞する。


 幻覚じゃない。

 幻覚は担任に出席を取られたりしない。

 

 論理的かつ合理的な結論は木っ端微塵に爆発した。


 俺は今、ハトが豆グレネードを食らったような顔をしていると思う。教室の一つや二つは吹き飛んでしまっているはずだ。


 うん、自分でも何を言っているかわからない!

 

 落ち着け。

 とにかく落ち着こう。

 そして確認せねば。


 俺は机に肘をついて、両手を顔の前に置き、ひと呼吸。

 気持ちを整えてから、右隣に話しかける。

 

「あの……」

「――っ!?」


 ビクーッとあからさまに肩が跳ね上がった。

 隣人はキレのあるツイストぶりで右を向き、俺から完全に顔を背ける。


「ワ、ワタシに何カ御用カシラ……?」


 ありえないぐらいの裏声だった。

 もはや肩どころじゃなく全身が震えている。


「いや……たぶん呼ばれてるよね、名前……」

「ハ? ワタシ藤崎優愛ジャナイシ。そんなハイエンドでインクレディブルなミラクル美少女ジャナイシ」


 この躊躇ない自画自賛っぷり。

 既視感の炸裂ぶりが尋常じゃない。


 担任は『藤崎優愛さん』の返事がまったくないので、廊下の方へ視線を向けている。

 教室の外へ捜しにいこうかと考え始めているようだ。


 そんななか俺はさらに訊ねる。


「俺、どこかで君に会ったことないかな……?」

「ナ、ナイデスヨ?」


「いや……たぶんないわけないと思うんだけど……」

「イイエ、ナイッタラ、ナイデスヨ?」


「っていうか……」


 意を決して本丸に切り込む。


「優愛だよね?」

「――っ!? ユ、ユアー? フー・イズ・ユアー?」


 すごい。

 逆立ちしても留学なんて出来そうのない英語レベルだった。


 この急にポンコツ化するテンパり方、見覚えがある。

 見覚えがあり過ぎて、クラクラしてくる。


 幻覚じゃなかった。

 本当に幻覚じゃなかった。


 俺の脳はおかしくなってなかったみたいだ。

 代わりに状況が爆発的におかしいけれど。


 心のなかで再び豆グレネードを食らっている俺をよそに、担任が廊下に顔を出す。

 藤崎優愛さーん、と呼ぶ声が廊下に響いた。


「あのさ……呼ばれてるよ、藤崎優愛さん」

「チ、チガウ、ワタシ、ユアーチガウ」


「いやもうキャラがおかしくなってるし。さすがに無理があると思う」

「うぅ……っ」


 がっくりと机に突っ伏す元幻覚。

 全身のぷるぷるが臨界点に達していた。


 あ、いけない、と思った。


 ちょうどそのタイミングで、これで最後とばかりに担任が名前を呼ぶ。


「藤崎優愛さん? いないんですか、藤崎優愛さーん?」

「あーもう!」


 逆ギレお嬢様、勢い余って立ち上がる。


「そうよ、わたしが藤崎優愛よ! 悪い!? ええ、そうね分かってるわよ、このわたしが超悪い! ぶっちゃけ気まずさと居たたまれなさで胃が捩じ切れちゃいそうだもん! そうよ、正直言うと昨日なんていざ会ったらなんて言おうか迷いに迷って一睡もできなかった! ああもう、こうなったら徹夜で考えた開口一番の一言を言うわよ? 言うからね? ちゃんと聞いてよ? はい言います! あーんな別れ方したのに帰ってきちゃって――」


 ビシッと音が出そうなほど俺に指を突きつけ、そのまま直角に頭を下げる。


「どうもごめんなさいでしたーっ!」


 静寂。

 唖然とする担任&クラスメート一同。


 皆にはワケがわからない状況だと思う。

 うん、正直俺だってワケがわからない。


 しかしそこはさすがハイスペックお嬢様の藤崎優愛。 


 きらめくような美貌と問答無用の威厳が相まって、誰もが謎に圧倒されてしまい、「お、おお……」と拍手が起こった。


 クラスメートたちの視線は早くも優愛に釘付けだ。

 口々に賞賛の声が上がる。


「すげえ、よくわからんけど、なんかすげえ……」

「わー、美人さんだー……」

「え、なに? 芸能人? 撮影? これなんかの撮影……?」


 優愛は頭を上げて、颯爽と髪をかき上げた。


 真っ赤な顔。

 明らかに虚勢を張っている雰囲気。


 しかし俺を見据えて平静を装う。


「ひ、久しぶりね? 元気だった……?」


 俺は「ふぅー……」と深く息を吐いた。

 遠い目で天井を見上げる。

 

 皆の拍手は鳴りやまない。

 

 留学したはずの元カノ。

 クラスメートたちの圧倒的注目。

 もはや状況についていけてない可哀想な担任の姿。


「とりあえず……」


 心からの一言。


「今日は早退したい……」


 脳の処理限界を迎え、机に突っ伏して頭を抱える俺だった。

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