Another side 5

 ここは、エルフの城。

 女王のプライベートルームである。

 エルフの女王アグラリエルは、里の者に作らせた割り箸を手に、目の前の深皿を見つめて不機嫌そうにため息を吐いた。


「まったく、もう! ……脂身、とらないでって言ったのに。それに、全体的に薄味すぎます。なぜ言いつけ通りに、塩をドバっと入れないのかしら!?」


 深皿に盛り付けられているのは、エルフの里で取れた新鮮な野菜を煮た料理である。

 下には小麦粉を練って作られたひも……麺が沈んでいる。

 上には猪肉いのししにくのスライスと、生ニンニクのみじん切りが乗っている。

 そして、わずかばかりの唐辛子の粉がパラパラと振りかけてあるのだが……。


『大量の脂の浮いた辛くてしょっぱいスープに、小麦でできた長い紐をたくさん沈めて、上に茹でた野菜と脂身たっぷりの肉と生のニンニクを山盛り乗せて欲しい』


 アグラリエルは厨房に、そう伝えたはずだった。


「……なのに、どうしてこうなっちゃうのよ!?」


 まあ、唐辛子に関しては、スパイス類は里では貴重品だし、この量で我慢するしかない。

 麺についても……こちらも、クオリティ云々を語っても仕方ないだろう。

 なにせ、里のエルフはごくわずかな数人を除き、誰も『ラーメン』を食べたことないのだから。

 割り箸で持ち上げるとプツプツと千切れ、茹で過ぎて歯応えはモチャモチャしてるが、努力の跡は見て取れる。

 むしろ『小麦で作られていて、長い紐状、ツルツル、モチモチ……』こんな表現だけで作らせたにしては、よくできてる方だと思う。


 しかし、スープが最悪だ!

 およそ、脂っ気というものがまったくなく、薄っぺらい野菜の出汁の味しかない。

 塩気も足りなくて、どことなくボケてるというか、どこまでもボケてるというか……フワフワしてて焦点の合わない味で、淡泊でひたすら水っぽい。

 スライスされた猪の肉は柔らかく調理されているが、徹底的に蒸して脂を抜かれた肉質はパサパサで、舌の上でとろけるようなレンのチャーシューとは似ても似つかない。

 野菜もクタクタに煮崩れて、フニャフニャの柔らかい麺と相まって、食べ応えがなくてつまらない。

 一応、こちらの言いつけが頭に残ってたのか、申し訳程度に上からオリーブオイルが掛けてあるが、そもそも植物の油と肉の脂は味わいがまったく違うわけで、こんなものは何のなぐさめにもなっていない。

 唯一、近しいと感じるのは生ニンニクのみじん切りのみ。

 だが、これで満足できるのならば、最初からニンニクをガリガリ齧っているのである。


「この料理には、なんの感動もありません。ただ、お腹を満たすだけの食事です。量も中途半端だし、ちっとも食べた気にならないわ!」


 とはいえ、大切な森の恵みを残すわけにはいかない。

 エルフの女王は、つまらなそうに料理を口へと運ぶ。


「あ。ああああー……レンのラメンが恋しいよぉーっ! 山盛りになった野菜とお肉! こってり濃厚で、口から火が出るほど辛いスープ! それが絡んだ、ツルツルモチモチしたぶっといメン……! 深夜の誰もいない路地裏で、彼と二人っきりのヤタイで、レンのラメンをズズズズーっと啜りたぁい……!」


 アグラリエルは泣き言を言いながらも、料理を綺麗に平らげる。

 深皿をテーブルに置くと、頬を膨らませて天井を仰いだ。


「ふう。この里には、刺激が少なすぎるのよねえ……だから、みんな長生きできないのだわ!」


 ここ200年ほど、アグラリエルはある事で真剣に悩んでいた。

 それは、エルフの里の『低年齢化問題』である。

 彼女が子供の頃は、千歳を超えるエルフなどざらにいた。

 両親も1200歳まで生きたし、曾祖父など1800歳まで生きた。

 しかし近頃のエルフは、みんな800歳前後で死んでしまう。

 エルフの寿命は、精神と魔力のバランスに左右される。

 ただ漫然まんぜんと生きるだけでは、バランスはどんどん崩れていくだけだ。

 日々の暮らしに張り合いを与える、そんな刺激が必要なのである。


「……刺激。この里のみんなに、エルフという種族に、大きな刺激が必要なのです」


 ふとアグラリエルは、三百年ほど前のことを思い出す。

 その頃は、魔族やオークとの戦争が激化していた時代だった。

 女王である彼女も、自ら戦場に立って指揮していた。

 ある時、オークの軍団にとんでもなく手ごわい相手がいた。何度も負けそうになりながらギリギリで勝利をおさめ、敵の指揮官を捕らえて処刑しようとしたら、彼はこんなことを言いだした。


「俺の本職は芸術家だ! 他にエルフと張り合えそうな奴がいないという事で、無理やりに駆り出されただけなのだ! 処刑されるのは仕方ないが、最後に絵を描かせて欲しい!」


 戦いでは、たくさんの同胞が殺された。恨みもあった。

 しかし、奇想天外な策を何度も実行して見せた、そのオークの指揮官には、エルフである彼女自身も一目置いていた。

 だからたわむれに、彼の処刑を延期して、欲しがる画材を用意してやることにした。


 期限は一週間。七日後の昼に処刑すると伝えると、彼は深くこうべを垂れて、「寛大かんだいなるエルフの女王よ、まことに感謝する!」と叫んだ。


 オークはそれからの七日間、寝る間も惜しんで食事も摂らずに絵を描き続けた。

 一度、彼女が出向き、「食事くらいしたらどうですか?」と問いかけると、オークは笑って「すでに死ぬと決まった俺の命だ。今は、この絵を完成させるためだけに存在している」と答えた。

 そしてまた、創作へと没頭する……。


 七日目の朝に見に行くと、オークはガリガリに痩せて目の下に隈を作った情けない姿で、誇らしげに1枚の絵を掲げて見せた。


「どうだ、エルフの女王よ! 見てくれ……ついに満足のいく絵が描けたぞ! これが、俺の人生の集大成だ!」


 その絵と来たら……キャンバスは獣の皮をなめして平たい岩に張り付けて、絵の具は土や鉱石を砕いて松脂まつやにと混ぜただけのもの……技術は稚拙で陰影のつけ方もなってないような、そんな乱暴な代物だった!

 だが、その荒々しい筆致ひっちえがかれた、人を食い殺す恐ろしいドラゴンの姿に、そのかたわらで平和にくつろぐ動物たちの姿に、彼女は一目で心を奪われた。

 一見すると不格好、全体的に無骨であり、使われてる画材も粗末な物ばかり。


 しかし、それでも確かに『凄かった』のだ!


 その絵はとんでもなく鮮烈で迫力があり、どこまでも野趣やしゅにあふれ、それでいて自然を素直に描いていた……芸術の方向性はひとつだけではないのだと、世界にはこんな綺麗さもあるのだと、彼女は痛烈に感じたのである。


 その時の気持ちを思い出し、アグラリエルは楽しそうにクフフと笑う。


「あの時の気分ときたら! まさにそう、転がり出たカルマン猫の目玉でしたわ!」


 同胞の半分以上は、オークの絵を「幼稚だ」「下手だ」「子供の絵だ」とバカにしたが、それでも何割かは絵の芸術性に気づき、心を奪われていた。


「そう言えば。あの場には、リンスィールもいましたね。あの頃は、まだ百歳くらいでしたでしょうか……? 彼もまた、オークの絵に目を奪われていました。ふふっ、幼い頃から感受性豊かで、センスに長けたエルフでした!」


 その後、オークの指揮官は処刑せずに解放することに決めた。

 まさか、オークの絵にエルフの女王が感動したからとも言えず、表向きは脱走という形にした。「次に敵対したら、絶対に容赦ようしゃしない!」と厳しい声でオークに告げると、オークは深く頭を下げて、人間たちの町へと向かった。


 処刑直前にオークを逃がした失態に、皆の反発は大きかったが、幾人かはアグラリエルの味方になって、民の不満を抑えてくれた。

 彼は、それから十年ほど絵を描いて生きたらしいが……ある日、他のオークに襲われて、裏切り者として殺されたと、風の噂で聞いた。

 彼の描いた絵は高い価値を持ち、今では種族を超えて欲しがるコレクターが数多く存在している。


 皮肉にも、里にいる1000歳を超えるエルフは、あの騒動に居合わせて、オークの絵に目を奪われた者たちである。

 同胞を殺したオークの絵が感動を呼び、彼らの寿命を延ばしたらしい。


 エルフの女王は自室の一角に歩み寄ると、壁にかかっている絵から白い布を取り去る。

 出てきたのは、荒々しい筆致のドラゴンと動物の絵。

 セピアに色せ、あちこちがひび割れて、もはやかつての面影しか見て取れない。

 彼女はしばらくそれを眺めて、満足そうに目を細めた。


 オークの描いた絵の傍らには……立派な台座に飾られた、『ラーメン丼』が二つ。

 アグラリエルはその前に立つと、手帳を取り出してパラパラとめくる。

 とあるページで手を止めて、ジッと見つめる。

 そこには流れるような美しい字で、こう書いてあった。


 『エルフの里 聖誕祭 ラメンシェフ招聘しょうへい計画』


「十六年ごとに開催される、エルフの里の聖誕祭。前回はタイショが消えて、断念せざるを得なかった……ファーレンハイトのラメンも発展途上で、今ほど美味しくありませんでしたからね」


 アグラリエルは顔を上げ、強い思いを声にする。


「……だけど今は、レンがいる! レンならきっと、大いなる刺激を……里の皆を感動させられるラメンが作れるはずです! レン、お願いします……あなたの力で、エルフという種族を衰退の道から救ってください!」

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