Another side 4
レンが屋台を引いて歩いていると、背後から声が掛かった。
「こんばんは、ラーメン食べさせてもらえるかしら?」
振り返ると、小柄で銀髪に右腕がない女が立っている。
「おう、あんたか……いらっしゃい! もちろん、いいぜ!」
レンが屋台を止めて椅子を置くと、女はすぐさま腰かける。
「ええっと。前回は塩ラーメンだったけど、今日は何があるの?」
レンは腕組み顎上げのポーズで、自信満々の笑顔で答える。
「今夜は、ベジポタラーメンが作れるぞ! 砕いたガラをデンプン質豊富な野菜と一緒にじっくり煮込んで、トロリと濃厚なポタージュ状に仕上げたスープが特徴でな、俺の一番の自信作だよ! めっちゃくちゃ美味いぞぉ!」
女は興味をそそられたように身を乗り出す。
「へえ、とっても美味しそう。じゃあ、それをひとつ……って、な、な、な、なあああああっ!?!?」
突然、女は奇声を上げて屋台の一角を指さした。
レンは首を傾げる。
「……なああ?」
「そ、そそそ、それ、それ、それ、それえーっ! そ、それって、もしかしてえ!?」
女が目を丸くして震える指で示したのは、無造作に置いてあったインスタントラーメンの黄色い袋である。
レンは、キョトンとしながら言った。
「ああ、即席麺な。5袋入りを買って四人に食べさせたから、ひとつ余ってる」
女はハッと息を飲み、大声で叫ぶ。
「それえーッ! 私、それ食べたーい!」
その言葉に、レンは戸惑った。
「ええっ? で、でもよぉ……今夜はスープも麺もあるから、俺の自慢のベジポタラーメンができるんだ……材料にこだわって何年も研究して、ようやく完成させたラーメンなんだぜ? マジで、すっげえ美味いんだよ! ……なのに、こっちが食べたいの?」
女は、コクコクと何度も首を振った。
「そうなの、それが食べたいの! お、お、お願い……後生だから、それを私に食べさせてぇ!」
ついには涙目で頭を下げて、ペコペコと懇願までし始めた。
レンは、納得いかないような顔である。
「うーん。流石にインスタントに負けるのは、ラーメン職人のプライドが許せんぞ。なあ、もう一度だけ聞くけどよ。これより、ベジポタのが絶対美味い! それでも、こっちが食べたいか!?」
女は即座に答える。
「食べたいっ! ウマいマズいの問題じゃないのよ。人には傷つき疲れた心を
「それが、あんたにとってのこいつってわけかよ?」
「そうね。最後の
「ちっ、仕方ねえ! そこまで言われたら、食べさせないわけにはいかねえぜ!」
レンは苦笑しながら空の丼にインスタントラーメンを入れて生卵を落とし、お湯を注いで蓋をする。
と、女が手を伸ばした。
「ね、空き袋ちょうだい」
「ん? ほらよ」
レンが差し出すと、女は袋の中を覗いて呟く。
「あ。やっぱり、ちょっぴりカスが残ってる……」
言いつつ袋に手を突っ込んで、砕けた麺を摘まみだすとポリポリと食べ始めた。
レンはそんな彼女に苦笑しつつ、缶ビールを取りだしてカウンターに置く。
「一応、こんなのもあるんだが……ラーメンできるまで、飲んでるか?」
「ビールぅ!? しかも、黒ラベル! 飲む飲むぅ!」
レンが蓋を開けてグラスに注ごうとすると、女は勢いよく立ち上がる。
「あー、待って! グラスいらない、缶から直接飲みたいから」
「なんだか今日は、やたら注文が多いな。まあ、いいけどさ。ほら!」
レンがプルタブを起こした缶ビールを差し出すと、女は深呼吸してから缶に口を付け、ゴクゴクと一気にビールを飲んだ。
「……んくっ、ん……んんー、かっひぃー! くぅうー。し、染みるなぁー!」
目に薄く涙を浮かべて、気持ちよさそうに息を吐く。
女は砕けた麺の欠片をつまみにしながら、缶ビールを美味そうに飲み続ける。
そして赤らんだ顔で頬杖をつきながら、頭を揺らして鼻歌を歌う。
「すぐ、おいしー♪ フフフフン、フーン……」
3分が経った。
レンは丼の蓋を開けて、刻んだネギとハムをトッピングする。
「よっしゃ、完成! さあ、食ってくれ!」
女はワリバシを
「んっ、んー。これよ、これぇ! この、駄菓子っぽくてチープな味がいいのよねえ。特に、深夜に食べるこいつには罪悪感の味がトッピングされて、ウマさ3割増しなのだわ!」
左手で箸を操ってハムを齧り、麺をズルズルと啜り、半熟卵はレンゲを使って一口でツルンと食べて、缶ビールを飲み干す。
やがて麺を食べ終わると、茶色いスープが残った丼を見つめ、おずおずと言う。
「……ねえ、あのさ。ご飯とか……ないよね?」
「ご飯? 夜食に買っといた、おにぎりならあるけども」
レンが取り出したのは、コンビニで買ったツナマヨおにぎりである。
それを見て、女は目をキラキラと輝かせる。
「ツ、ツナマヨ……! ああ、もう、なんて素晴らしいのっ!? あなた、大好き! 愛してるぅ!」
レンがパッケージを破いて差し出すと、女はパクリ、パクリと二口齧る。
「うっ、ああ~。こってりしたマヨネーズまみれのシーチキン、美味しいぃ……全部食べたいけど……ううー、我慢、我慢っ!」
女は残ったおにぎりを、インスタントラーメンの残り汁にぶちこむとレンゲで突き崩す。
「うっへっへぇ。やっぱり締めは、冷ご飯入れて雑炊でしょ!」
スープ、ご飯、ツナマヨ、ノリ……混然一体となったそれを、女はうまそげに平らげた。
「あー、大満足っ! ……私のわがまま聞いてくれて、ありがとう。この恩は決して忘れない」
心の底から幸福そうな顔してる女に、レンは苦笑する。
「インスタントラーメンひとつで大げさだなぁ! まあ次は、ちゃんと俺のベジポタラーメンを食ってくれよ」
「もちろんよ。必ず食べにくる。あなた、この路地にはどれくらいの頻度で来ているの?」
レンは、丼を片付けながら答える。
「ほぼ毎晩、来てるよ。もう少し早い時間に向こうを回って、こっちの道から帰るんだ」
「毎晩ですって!? そんな簡単に行き来できるってことは、やっぱりこの町にあるのは『ホール』じゃなくって、『ゲート』か『ドア』よね……だけど、所在がはっきりしない。まるで、この空間全体が次元の狭間と化してるような……? 一体、どういうことかしら?」
「今夜はもう客が来なさそうだし、俺は帰るよ。じゃあ、またな!」
女は懐から、何かを掴み出しながら言う。
「ええ、またね! そういえば、ちゃんと名乗っていなかったわね……私はサラ。一ノ瀬沙羅よ。敬称はいらない、サラって呼んで」
「俺はレン! 伊東練だ。レンって、気軽に呼んでくれや」
レンは椅子を仕舞うと、屋台を引いて歩き出そうとして……慌てて振り向く。
「いや、ちょっと待て!? よく考えたらおかしいだろっ! なんで缶ビールやツナマヨおにぎりやCMソングまで知ってんだ!? なぁ、あんた、もしかして……アレっ?」
レンが呼びかけた時には、すでに女は消えていた。
カウンターにはボロボロの百円玉が5枚、残されている。
3枚はくすみ、1枚は焼け焦げて、もう1枚はひしゃげて血のような跡がこびりつく。
それを見つめながら、レンは呟いた。
「……つーか、一ノ瀬沙羅って。それ、思いっきり日本人の名前じゃねーか」
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