思い出の『ラメン』

 タイショは二十年前のこの日、病院で息を引き取ったらしい。

 事故に遭い、ボロボロの身体で必死に生きようと頑張ったが、妻と息子に看取みとられて天に召されることとなった。

 今日は、タイショの命日なのだ。


 タイショは死の間際に、二つの言葉を残した。


「向こうの世界の連中に、美味いラーメンを食わせなきゃ」


 そして、もうひとつ、


「レン、強くて優しい人になれよ」


 ……タイショよ、見ているか?

 君の息子は望み通りに、強くて優しい男になったぞ!

 そして彼は今、あなたの最後の願いを叶えるためにラメンを作っている。

 タイショと同じ白装束を身に着けたレンが、同じ形のザルでメンを茹で、同じ色のスープを注ぎ、同じだけの具材を乗せる……それは二十年前にタイショが作ってくれたのと、寸分たがわぬラメンであった。


 レンは熱々のラメンを黙々と作り、ヤタイのカウンターに次々と置く。

 オーリが、私が、そしてブラドとマリアが進み出て、ワリバシをパチンと割った。

 我々は白い湯気を上げるドンブリを片手に、立ったままでラメンを食べ始める。


 メンをすすると熱いスープがたっぷり絡んで、唇をツルツルと撫でながら口中へと踊り込む。

 鶏の旨味と魚介の出汁だしが絶妙にマッチしたスープには、キリリとしたショーユのしょっぱさが浮き上がる。

 歯で噛みしめるとプツプツとメンが気持ちよく千切れ、小麦の香ばしさが口いっぱいに広がって……。


 ああ、この味だ……っ!

 これこそが、私が求め続けてきたラメンなのだ!

 この味が、私のラメンの『原点』だ!

 完璧な味だ……美味い!

 美味くて手が止まらぬっ!


 私は、無我夢中でラメンを食べ続けた。

 真っ白な湯気に巻かれながらメンを啜り、脂身たっぷりのチャーシュを噛み切り、甘辛コリコリのメンマを味わい、熱いスープを一口飲み、ムチっとしたナルトで一休みして、白くにごる息を吐きながらまたメンを……心がどんどん満たされていくのを感じる。


 だが、その時だ。

 ドンブリに、ポチャポチャと水滴が落ちたのは。

 それは、私の目から流れ落ちた涙であった……いけない。

 こんなに美味いラメンを、涙の味で濁らせてはならない!


 私は慌てて涙をぬぐう。

 だけど、拭っても拭っても涙が落ちるのだ……。

 どれだけ手でおさえようと、どれだけ力いっぱい目をつぶろうと、涙はとめどなく流れ出る。

 ボタボタとこぼれる涙を止められず、せめてラメンに入らぬように、私は天をあおぐ。

 まぶたの裏に、タイショとの思い出が浮かんでは消える。

 胸が悲しさで満ちあふれ、嗚咽おえつとなって口かられ出た。


「うっ……おお! タイショ……タイショよ! もう、二度と会えないのか……っ!」


 視界がうるむ。鼻の奥が痛い。

 息が詰まって苦しくなる。

 二十年前のあの日、もしも帰るタイショを引き留めていれば助けられたのだろうかと、そんなせんない妄想だけがふくらんでいく……。


 ああ、早く食べなければ……美味いラメンが冷めてしまうのに!


 ふと気づくと、周囲はラメンの入ったドンブリを抱えて、啜り泣く人々で溢れていた。


「タイショさん……タイショさん……っ! タイショさぁーんっ!」


「ありがとぉーっ! タイショさーん! 死にそうな僕らを助けてくれて、ありがとうー!」


「タイショさーん! 義父とうさんに会わせてくれて、ありがとう! 義父さん、孤児の私たちを引き取ってくれて、ありがとぉー! リンスィールさーん! 大人になるまで面倒みてくれて、ありがとー!」


「なんにも恩返しできなくて、ごめんねえ、タイショさーん!」


「タイショー! あなたのラメン、今でも夢にみて、枕がよだれまみれだよぉー!」


「会いたいよぉー! タイショさん、もう一度だけでも、会いたいよぉー!」


「タイショよ……なぜ、死んだのですか!? 首飾りのエメラルドなど、取り返す必要なかったのです! あれはそなたに贈ったもの、全部売り払ってもかまわなかった!」


「くそぉ……うめえ、うめえよ、親父ーっ! あんたのラーメン、マジでうまい! 安い材料ばっかで化調もたっぷり使ってるのに……なんで、こんなにうめえんだよ!? こんなにうまいラーメン作れて、こんな大勢に愛されてたのに、あんなひどい事故にあっちまって……親父のバッカヤロー!」


「会いたい、私はタイショに会いたいぞ! 君は本当に大切な友人だった! この路地のヤタイであなたのラメンを食べた日々は、私の人生最高の思い出だ!」


「タイショよー! お前が救ったガキどもは、みんな立派に育ったぞぉー! お前はとんでもなく偉い奴だよ、ドワーフの誇りにかけてーっ!」


 その夜、路地には私たちの慟哭どうこく木霊こだました……。

 涙でにじんだ夜空には、まるで太陽みたいに明るい満月が浮かんでいる。

 その光に照らされた路地で、各々おのおのが心の叫びを存分に吐き出し続けた……そうして、二十年間も凍り続けていたタイショを失った悲しみと空白を、溶かして涙にできたのだった。



 皆が去った後も、私とオーリだけは残り、ヤタイの片づけを手伝った。

 レンは、晴れ晴れとした顔で私たちに言う。


「リンスィールさん、オーリさん! みんなを集めてくれて、ありがとな。こっちの世界の連中に美味いラーメンを食わせなきゃって、親父の願いを叶えられた。いい供養になったぜ!」


 私は、彼を真っ直ぐに見据みすえて言う。


「礼には及ばないよ。しかし、さすがだなレン。君が作ったあのラメンは、タイショのラメンそのものだった!」


 レンは、照れ臭そうに笑う。


「へへっ、レシピが残ってたからだよ。親父は顔に似合わず、日記をつけたり几帳面きちょうめんだったからなぁ……他にも、色々と残してたぜ。屋台で出そうとしてた、新メニューとかな」


「し、新メニュー!? そんなものが存在するのかっ!」


「ああ。そのうち食べさせてやるよ」


 オーリがしみじみと言う。


「やっぱ、タイショのラメンは美味かったなぁ……なあ、レン。次は、どんなラメンを食わせてくれるんだ? あれを食っちまった後じゃあ、並大抵のラメンじゃ満足できねえぜ?」


 レンが、意味深にニヤリと笑う。


「そうだな。それじゃ次は、オーリさんにも絶対に納得してもらえるラーメンを出すとするか」


 私は興味をそそられ、レンに尋ねる。


「ほう? それは一体、どのようなラメンかね?」


「ふふふ。そいつは俺たちの世界に、『革命』を起こしちまったラーメンさ!」


 私とオーリは顔を見合わせ、それから同時に叫んだ。


「む、向こうの世界で……『革命を起こしたラメン』だとーッ!?」


 う、ううむ。なんだ、それは……?

 食べ物が革命を起こすなど、まったく想像がつかぬ!


 だがレンは、それ以上は教えてくれず、ヤタイを引いて帰ってしまった。

 オーリと帰り道を歩きながら、クリスマスの夜を思い出す……レンは言った。


「クリスマスは、ずっと悲しい日だったよ。親父が事故にあった日だからな。だけど、今年からは笑って過ごせる!」


 タイショが消えた二十年は、我々にとっても悲しみに満ちた日々だった。

 しかし、涙を流すのは今夜で最後。

 これからは、笑顔のレンと楽しく過ごそう!


 ……それにしても、『革命を起こしたラメン』か。

 本当に、どんな代物なんだ?

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