『ラメン』のカラクリ
レンが私の顔を見て言う。
「さっき、リンスィールさんが『手が止まらなかった』って言ったろ? それも当然、その手は『無意識』によって動かされてたんだからな!」
意外な一言に、私は己の手を見つめる。
「私の手が……『無意識』によって動かされていた……?」
レンは頷くと、己の頭を指先でコツコツと叩きつつ言う。
「ああ、その通り。辛味ってのは、味じゃねえ、痛みの一種なんだよ。脳ってのはな、痛みを感じると苦しさを緩和するために、『エンドルフィン』って快楽物質を出す仕組みになってるんだ。それを繰り返すと脳が刺激の虜になって、同じ行動を繰り返させちまうってわけだよ」
ブラドがラッシーを飲みながら言う。
「だとしても、前に頂いたジロウケイラメンは、ちっとも辛くありませんでしたが?」
「刺激は『辛味』だけじゃねえ。例えば、口に塩を大量に入れると、『うわ、しょっぱい!』と苦しく感じるだろ? それも痛みに分類される」
オーリが首を傾げる。
「でもよぉ。ジロウケイラメンの味の濃さは、最初のうちこそ驚いたけど、ゲキカラケイみたいに終始苦痛を感じるほどじゃなかったぜ」
「それは豚の脂や野菜の甘さによって、食べてるうちに刺激が薄められるからだな。だけども口に入れた瞬間は、舌を通して強烈なしょっぱさが、脳に痛いほどの苦しさを与えてるんだ。脳が気持ちよくなるために刺激を求め、手を動かしちまうのさ!」
レンの話は
つまり、自分の中にもう一人、知らない『誰か』がいるようなものなのだろうか……?
私は、己の手をジッと見つめる。
「な、なんと……! まさか、私の頭の中でそんな現象が起きていたとは……」
マリアが恐々と、真っ赤なスープの
「このラメン、そんな催眠術みたいな仕掛けになっていたのね……だから、あんなに夢中になっちゃったんだ! 怖ーい!」
レンが言う。
「怖がるこたねえよ。エンドルフィンは熱い風呂に入ったり、動物を撫でたり、深呼吸したり、お日様に当たっただけでも出てくるもんだ。それって全部、『なんか気持ちいい』って感じるだろ? それに、普段食べてる料理……例えば、ベーコンとかフライドチキン、ポテトチップなんかの脂っこくて味の濃い食べ物も、同じ仕組みで脳が美味いと感じてるんだぜ?」
「へえ! お日様に当たると『えんどるひん』が出るから、なんか気持ちいいって感じるのね!」
「大体、ラーメン自体がそういう種類の食べ物って言えるんだ。油っこくて口当たりがよくてしょっぱくて、みんな夢中になっちまう……な? マリアはそれ聞いて、ラーメンが嫌いになったかい?」
マリアは笑顔で首を振った。
「ううん、ぜーん然っ! あたし、ラメンが大好きだもの!」
レンもつられて、笑って言った。
「だろ? 食べて美味くて気持ちいいと感じる……そういう『楽しい』や『気持いい』に、後から誰かが理屈をつけただけ。だから、なーんも怖くないのさ」
ブラドがううむと唸る。
「脳が刺激を求め、勝手に手を動かすなんて……料理の世界には、僕の知らないことがまだまだ沢山あるんですね!」
「激辛系はジャンキーでコアなファンが多い、人気のジャンルではあるな。その魅力と仕組みは、その身をもって解ってもらえたと思う。もっとも、ただ辛ければ客が喜ぶなんて単純な話じゃねえ。辛くても、美味くなければならない」
と、私はポンと手を打つ。
「そうだ! 味について、ひとつ質問してもいいかね? スープについてなのだが……」
「なんだい?」
「このスープには、強烈な辛さに負けない、ごってりした強いコクと旨味があった。これはショーユでも塩でもない、なにか別の調味料を使っているのではないかね?」
私の言葉に、オーリが頷く。
「ああ! 豚肉にも、同じ味がついてたな!」
ブラドが、ついに飲み干せなかった、自分のドンブリに残った真っ赤なスープを味見しながら言う。
「確かに! 辛さの向こうにどことなく、濃厚で独特の甘味があります……しいて言うなら、ナッツ類に似てるかな?」
レンが今までになく偉そうに胸を張りながら、腕組みポーズで顎を上げる。
「よくぞ聞いてくれた! この激辛スープのベースに使ってるのは、『味噌』って調味料だぜッ!」
言うなり、自信満々に容器をカウンターに置いた。
中に入っていたのは、薄茶色くて適度に粘りと硬さのある、強い発酵臭のするペーストであった……泥と言うよりは黄色くて、ピーナッツペーストよりは粒が細かくて、なんというか、とても簡単に表現するならば、見た目はほとんどウン……あ、いや。
それは言うまいっ!
食べ物を、見た目で差別してはならぬ。そもそも、たった今それを食べたばかりなのに、そういうことを考えるのは気分がよろしくない。
第一、食べ物は見た目がグロいほどウマいと相場が決まっているではないか!?
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