Another side 2

 屋台の片づけを終えて歩き出そうとするレンの元へと、リンスィールが息を切らせて走り寄る。


「おーい! 待ってくれ、レン! 帰る前に、この男にラメンを食べさせてはもらえないだろうか!?」


 レンは振り返り、そちらを見やる。

 リンスィールの少し後ろには、初老の男がたたずんでいた。

 白髪交じりで藍色のマントを羽織り、飄々ひょうひょうとした雰囲気の老人である。

 レンはそちらをジッと見つめながら、リンスィールに問いかけた。


「その人は誰だい? 親父の客だった人か?」


 その言葉に、リンスィールは首を振る。


「いいや、タイショの客ではない。彼は二十年ほど前に、私を助けてくれた命の恩人だよ」


「リンスィールさんの恩人か……いいぜ、連れてきてくれ。塩ラーメンの材料なら残ってるから、作ってやるよ!」


「感謝する。おーい、テンザン! レンがラメンを作ってくれるそうだ、こっちに来てくれ!」


 テンザンと呼ばれた男は屋台へと歩み寄り、リンスィールの並べた椅子に腰かけた。

 リンスィールがレンに言う。


「テンザンは、極東の島国の出身でな。この大陸を二十年以上も旅しているのだよ」


 レンは、スープとお湯を温め直しながら尋ねる。


「へえ? なんでまた、そんなに長旅を?」


「人を探しているそうだ。『片翼の魔女』と言う奴でね。どうやら、主君のかたきらしいのだ」


「ふうん。人探しねえ……俺、こっちの世界の知り合いなんて、リンスィールさんたち以外いねえからなぁ……悪いけど、力になれるとは思えねえぞ?」


 気の毒そうに言うレンに、リンスィールは笑って手を振る。


「なんの、なんの! 人探しは最初から、別の伝手つてを頼るつもりだ。私はテンザンに美味いラメンを食べさせたくて、こうしてヤタイまで連れてきたのだよ……彼も長旅の間に、色んな美食を経験している。君のシオラメンの味も、きっとわかってくれるはずだ」


「そうか。なら、腕によりをかけて作るとすっかな!」


 レンは言いながら麺を茹で上げ、塩ダレとスープを混ぜ合わせ、流れるような動作でトッピングを載せて塩ラーメンを完成させると、それをテンザンの前へと置いた。


「ほいよ! とびきり美味い塩ラーメン……お待ちぃ!」


 リンスィールはテンザンに言う。


「さあ食べてくれ、テンザンっ! レンのラメンは、次元の違う美味さだぞ!」


 テンザンは割り箸を手に取ると、パチリと割って麺を手繰たぐる。すると一口目で顔色が変わり、二口目で前のめりになり、三口目で丼を抱え込むほど夢中になって、ものの3分ほどで平らげてしまう……その猛烈な食いっぷりに、レンは感心する。


「おおうっ……すっげえなぁ!」


 あっという間に食べ終わったテンザンは、割り箸を丁寧にそろえて丼の上に置くと、それをレンへと差し出した。

 リンスィールが笑いながら、レンに言う。


「テンザンは見ての通り、無口な男でね……滅多に喋らないが、君のラメンを非常に気に入ったようだよ!」


 レンも満面の笑みで、テンザンからドンブリを受け取る。


「そりゃあ、あの食いっぷり見てればわかるぜ!」


 テンザンは背筋を伸ばし、レンへと深々と頭を下げる。

 レンは、テンザンへと笑いかけた。


「テンザンさん! 気に入ってくれたなら、ぜひまた屋台に食べに来てくれや!」


 テンザンは大きく頷くと立ち上がり、リンスィールと共に路地の闇へと消えていった。

 二人がいなくなるとレンは椅子を片付けて、今度こそ己の世界に帰ろうとする……と、背後から驚くような声が聞こえた。


「えーっ!? ま、まさかこれ……ラーメンの屋台じゃないの!?」


 レンが声に振り向くと、そこには小柄で銀髪の若い女が立っていた。

 新たな訪問者である。


「おう、らっしゃい! 親父の客だった人かな……ラーメン、食ってくかい?」


 レンは片付けようとしてた椅子を、また地面に置いた。

 女は、しばらく胡散臭うさんくさげにレンの姿をジロジロと見ていたが、やがて頷いて椅子へと腰を掛ける。


「どうやら、夢でも幻術の類でもないようね……それじゃ、一杯もらおうかしら」


「あいよ! 今、材料切れてて塩ラーメンしかできないけど、それでいいかい?」


 その言葉に、女は笑顔になる。


「塩ラーメンは大好物よ! よく、夜食に作って食べてたもの。卵を入れてガーっとかき混ぜて、カキタマにするのが好きだった……あ、麺かため、ネギは多めで頼むわね」


 レンは湯の中へと麺を放り込みながら、感心した顔で言う。


「……あんた、日本語うめえなぁ! そんなに流暢りゅうちょうに喋れる人、リンスィールさんとオーリさんだけかと思ってたぜ」


 女は目を細めて、懐かしそうに言う。


「そう? ちゃんと日本語で会話したのなんて、数十年ぶりだけどね」


「へえ。数十年……俺よりも若く見えるけど」


「ふふっ。これでも、結構な歳なのよ? 大学時代はバイオテクノロジーを専攻してたから、その頃の知識を使って、魔力で細胞を固定化する特殊な術式を開発したの。……ねえ。私の日本語、変じゃない?」


 レンは麺を茹で上げながら、首を振る。


「いいや、ちっとも変じゃない。まるで、日本人と話してるみたいだ。たいしたもんだぜ!」


 やがて出来上がった塩ラーメンを、レンは女の前に置いた。


「そら、麺かたネギ多めの塩ラーメンだ、お待ち!」


 女は割り箸へと左手を伸ばして取り、片側を口で加えると、パチンと割る。

 ……そこでようやく、レンは気付く。


「あっ! あんた、右腕が……?」


 そう。女の右腕は、肩のつけ根から先がなくなっていたのだ。

 女は苦笑する。


「ええ。昔、色々あって失くしてしまったの」


「そりゃあ、気が利かねえで悪かったな。これ、使ってくれよ」


 レンはレンゲを取り出すと、女の前に置く。


「ありがとう。それじゃ、いただきます」


 女は左手で器用に箸を使い、ラーメンを口へと運ぶ。一口一口を大切そうに味わって、時々切なげに息を吐き、嬉しそうに目を細めて食べ進める……やがてレンゲを使ってスープを飲み干すと、女は立ち上がった。


「ごちそうさま! とっても上品で美味しい塩ラーメンだったわよ。代金、ここに置いておくわね。それとこれ……多分もう、磁気が飛んでて使えないと思うけど……よかったら、とっておいて」


 言いながら女は、カウンターに『何か』を置く。


「おう、また来てくれや!」


 レンが空になった丼を持ち上げながら言うと、女は明るい声でこたえた。


「ええ。きっとまた、食べに来る! まさか醤油ラーメン以外に、塩ラーメンまで食べられるなんて思わなかった。しばらくは私、この町に滞在するわ……どうやら、もう少し詳しく調べる必要がありそうだものね。運が良ければ、新しい『ゲート』が見つかるかも……本当にありがとう」


 レンが丼を片付けて顔を上げた時には、女の姿はもう消えていた。

 と、カウンターに置かれた小さな物体をまみ上げ、レンは呟く。


「ああん? これは五百円玉と…………カード? なんだこりゃ、テレホンカードか!?」


 そう。そこに置いてあったのは、くすんだ五百円硬貨とボロボロになったテレホンカードだった。

 どうやら、どこかの銀行の創業記念の品らしい。一部、文字が擦れて読めなくなってる。印刷されてたのは、『夜兎咲やとさき銀行 昭和※※年』の文字とドラえもんの絵だ。


 レンは、それをひっくり返したり光に透かしたりしながら、不思議そうに首を傾げる。


「あの客……なんで、こんなもん持ってたんだ? ……親父があげたんかなぁ」


 呟きは誰もいない暗い路地へと消えていき、答える者はいなかった。

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