難解なる『ラメン』

 私はドンブリを持ち上げて、スープの一滴までおごそかに飲み干す。

 食べ終わり、ゆっくりとドンブリを置いた……口には、じんわりとハマグリの旨味が残る。

 シオラメンは、なんとも格調高く、芸術的なラメンであった。

 隣ではオーリやブラドやマリアも食べ終わり、感心した顔をしている。

 しばらくしてからオーリが、唸るように言った。


「こいつぁ……とんでもなく難しいラメンだなぁ!」


 マリアが不思議そうに言う。


「難しい……? なに言ってるのよ、お義父とうちゃん! とっても美味しかったじゃない!」


 オーリが、マリアをジロリと見る。


「そういう事じゃねえよ、マリア。おい、ブラドよ……お前なら、俺っちの言う事がわかるんじゃねえか?」


 ブラドはこくりと頷く。


「ええ、義父さん。わかりますとも! このラメン、もしも僕の店で出したとしても、価値がわかる方はほんの一握りでしょうね」


 マリアが首を傾げる。


「え……それって、どういう意味なの?」


 オーリが、空のドンブリを睨みつけながら言う。


「そうだな。仮に、だ……俺っちが仲間のドワーフ連中を連れてきて、こいつを食わせたとする。そりゃあマズイとは言わんだろうさ。しかし、『物足りない』とか『スカスカしてる』なんて抜かす奴が、かなりたくさん出ると思う。だが、こないだ食わせてもらったジロウケイラメンなら、きっと百人中百人のドワーフが、ウマいウマいと大喜びするはずだ」


 その言葉に、私も頷く。


「うむ。エルフの里の連中も同じだろうな……彼らは、魚介の旨味に慣れていない。これだけ美味いラメンを口にしても、おそらく『いまいち』という感想を抱くだろうね」


 ブラドが説明する。


「つまりだよ、マリア。このラメンの美味しさがわかるのは、色んな味を経験してる、『舌の経験値が一定以上ある人間』って事なんだ……お前も、僕のラメン作りや義父さんやリンスィールさんの美食に、散々つき合わされてきただろう? だから、この美味しさがわかるだけなのさ」


 マリアが素っ頓狂な声を出す。


「ええーっ!? こんなに美味しいのにぃー!? この味がわからない人がいるのぉ!?」


 レンが苦笑した。


「マリア。その言葉は嬉しいが、誰もがウマいと思う味なんてありゃしねえ。あっさり好きな客もいれば、こってり好きな客もいる。豚骨好きも、デカ盛り好きも、つけめん好きも、みんな同じお客さんだ。上も下もねえ。だからまあ、オーリさんの言う通り……こいつはわかる人にだけわかる、『ちょっと小難しい味のラーメン』ってとこだな」


 私はレンに問いかける。


「レン……これは、ハマグリを使ったラメンか?」


 レンは頷く。


「その通りだよ。スープはハマグリと鶏のダブルスープ。にごらせないように脂とアクに気を付けて、じっくりと丁寧に旨味を煮出すんだ」


 ブラドが身を乗り出した。


「でも、それだけじゃ、あの深い味は出せないですよね?」


「ああ。美味い塩ラーメンを完成させるには、スープの他に塩ダレにこそ、気を配らなきゃならない……特別に、味見させてやる」


 レンがトロリとした黄土色の液体を小皿に取って、我々の前に置いた。

 さっそくブラドが手を伸ばす。


「僕らの言うところの、混合ソースですか。失礼します!」


 一口味わって、顔色が変わった。


「こ、これは……っ! なんと複雑な味わいだ!」


 マリアが味わい、目をつぶる。


「わ、あ、不思議! 塩っ辛いのに、とってもまろやか!」


 次に味わったオーリが、しきりに首を傾げる。


「ありゃあ? この味……俺っち、なんだか覚えがあるんだが……出てこねえなぁ」


 私も皿を手に取り、舐めてみる。

 なるほど、これは……。


「特別なのは『塩』……だろう? この塩気には、かすかにだが海の気配と山の気配を感じるよ」


 レンがとびきり驚いた顔をする。


「そう! リンスィールさん、よくわかったな。この塩ダレには、ヒマラヤ岩塩に、フランスブルターニュの海塩を混ぜてあるんだ!」


「ふっ……だてに長生きはしてないのでね。世界一高いネプトゥ山脈に上った際、そこの少数民族がドラゴン・ステーキの味付けに岩塩を使っていた」


 オーリが膝をパシンと打つ。


「そうか、岩塩だよ! 若い頃に炭鉱掘りをしてる時、よく舐めた味だぜ!」


 マリアが首を傾げた。


「ヒマラ……? それに、フラブルナントカって?」


 レンが答える。


「ヒマラヤってのは、俺たちの世界にある高い山のことさ。ブルターニュは海の綺麗な土地の名で、そこで作られた塩の事だよ。どちらもミネラル豊富で、そのまま舐めてもトゲトゲしない、丸みのある深い味が特徴だな」


 ブラドが名残惜しそうにドンブリを覗き込む。


「……ハマグリを主役にした海のラメンか……こんなにも繊細で芸術的なスープが貝から生まれるなんて、想像もしてませんでした。レモンみたいな果物の皮も、爽やかな香りが潮の風味に完璧に調和してましたよ」


「ありゃ、柚子ゆずってんだ。ユズノンって香り成分が含まれてる。実は酸っぱいんで、皮だけ使う。ほんのわずかな量で、うまい具合に香りづけできてたろ?」


 私も声を上げる。


「具材のゆで卵も素晴らしかった! あれはただ茹でただけではなく、ソースに漬け込むことで味をつけていたね?」


 レンが頷く。


「ああ、味玉な。うまかったろ?」


「ふむ? あれは『アジタマ』というのか……ゆで卵をソースで漬け込むなんて、素晴らしい調理法だよ! タイショのゆで卵も美味かったが、アジタマは間違いなく上を行っている。それに、鶏の胸肉にも驚いた。ラメンの肉と言えば豚のチャーシュだと思っていたが……レン! 君は、本当に素晴らしい! いつも、私を新しい世界に導いてくれる!」


 レンが嬉しそうに笑った。


「へへっ……やっぱ、あんたらなら、このラーメンの味をわかってくれると思ったぜ!」


 今宵こよいもまた、新しいラメンへの扉が開かれた……その名は『シオラメン』! 

 シオは塩という意味であり、美しく透き通ったスープが特徴の、すっきり淡麗な味わいのラメンである。

 アジタマ、鶏のチャーシュ、貝のスープ……ラメンの進化は留まることを知らない!

 私はラメンの可能性に、レンが次々と作り出す未知のラメンに、身も震えるような感動を覚えるのだった。

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