第五話「無賃乗霊」
クソ、またか。
また、あいつ、待ち構えていやがった。
舌打ちし、俺は大きくハンドルを切り返していた。
ここは深夜の峠道。今日、最後の客を隣町まで送り届けた帰り道だった。
仕事でもなければ、絶対に近づきたくない場所だ。
その理由は……、今、サイドミラーに映っている真っ白い女だった。
レース飾りやボタンのない、だが、酷く薄汚れたワンピースを着た女。粘つくような黒髪を激しく上下にゆらしながら、まるでスキップでも踏むような軽やかな足取りで俺のタクシーを追いかけてきやがる。
「待って、待ってよぉおおおおおおおおおおおおっ!」
サイドミラーのなかで女が引き裂くような笑顔で絶叫した。
「乗せてぇ! 私ィ、その車に乗せて欲しいのぉおおおおおお!」
キャハハハハ、と女は甲高い声で笑った。
その金属をかきむしるような、不快な声色に俺は苛立ちを募らせる。
大体、あいつは走行中の車の外にいるのに、何でこんなにはっきりと話し声が聞こえるんだ? テレパシーか?
「絶対、乗せねぇ。乗せてたまるか……!」
俺は低く呻き、アクセルを踏む足に力を込めた。
この女と初めて出会った、いや、遭遇したのは半年ほど前のこと。
この峠については、それ以前から変な噂を同僚から聞かされていた。痴話喧嘩の末、恋人に山の埋められた女が出るだのなんだの……。所謂、タクシー怪談ってやつだ。
正直、馬鹿馬鹿しいと思ったが、俺は今、そいつに追いかけ回されている。
しかも、今回でもう、六回目だ。
「乗せてぇ! 乗せてったら! 家まで送ってよぉ~!」
「おい、やめろ! 俺のタクシーをバンバン、叩くんじゃねぇ!」
堪り兼ねて俺は絶叫した。
嫌が応にも思い出してしまう。前回、この女には車体を手の跡だらけにされた。ドロッとした血糊のおまけつきで。
綺麗に洗い流すのに、俺がどれだけ苦労したことか……!
ドン、という重い音が天井から響いた。
あの女、飛び乗りやがったのか!?
そう思った次の瞬間、後部座席から女が顔を覗き込ませた。
水分を失ったチーズのような、腐り果てた女の顔が。
前歯をすべて失った、ナメクジのような唇を歪めて女が言った。
「あたしのこと、必要としてくれてるくせにぃ~」
「はあ!? ふざけたこと抜かすな、ブス!」
激高し、怒鳴り返したのと同時、車体が大きく揺さぶられ――、俺は何もわからなくなった。
俺が意識を取り戻したのは翌日、病院だった。
ベッドの上で身動き一つ取れない俺を女房は、道路に落ちている犬のクソでも眺めるような目つきで見ていた。
そして、開口一番、こう言った。
「あんた、会社、クビだってよ」
「…………」
「会社の車、事故で大破させるなんて。一体、何考えてんの?」
「…………」
「それから、あんたの高校の先輩って人から電話があったのよ。貸したお金、返してほしいって。裏カジノってなんのこと?」
「…………」
「この間も酔っ払って人を殴って……。そっちの賠償もまだ、すんでないのに! これから、どうするつもりなのよ!」
だんだん、声が大きくなってゆく女房から俺は目をそらせた。
こいつはいつも俺のことを責めやがる。
だけど、今回の事故は俺のせいじゃないし、クビになったのも俺のせいじゃねぇ。
あの女のせいだ。
闇金野郎にヤバい場所に誘い込まれて借金を背負わされたのだって、ガキの頃みたいに頭に血が昇って人を殴っちまったのだって……、俺が悪いわけじゃねぇ。
全部、あの女、峠の化け物のせいだ。
俺がダメなのは、あいつに祟られているからなんだ……。
と、その時だった。
「ほうら、言った通りでしょ」
女房の顔が、あの腐乱した女の顔に変わった。
女はケラケラと笑って言った。
「あなたはあたしがいなきゃ、あたしのせいにしなきゃ、ダメな人なのよ。だから、ずーっと、ずっと、一緒にいようね」
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