第41話 『十人目の男 前編』

 隣国ロイース王国に侵略の兆しあり。

 この報せは、またたく間にアルバトロス連合の中枢である首都アディンセルを駆け巡った。

 これまでもロイースはアルバトロスへの侵攻を行って来ていたが、今回は今までの比ではない大規模な遠征軍であることが、国境警備隊からの報告で分かっている。

 事態を重く見た連合国評議会議長カイザー・ハルトマンは、直ちに城の会議室で緊急軍議を開いた。

 会議室にはカイザーと右腕のジョイスの他に、今動員できる全ての将校達が集結する。

 錚々たる顔ぶれであった。

「集まったな? 時間もない、すぐに緊急会議を始める」

 遅刻が一名だけなのを確認すると、カイザーはそう宣言する。

 遅れている一人というのは軍師ヴェロニカで、今回に限らずよくあることなのでカイザーは放っておいた。

「ロイース王国が、大規模な侵攻軍をこちらに向けて送り出しているとの報告が入った。ジョイス、詳細の説明を」

「はっ」

 いつものようにジョイスが椅子から立ち上がると身を乗り出し、卓上に広げられた国境地帯の地図で状況の説明に入る。

「今回、ロイース軍が遠征部隊を配置したとされる箇所が、ここです」

 ジョイスが指したのは、首都アディンセルのすぐ東側の国境線だった。

「御存知の通り、この地点は我々の居る首都への最短コースです。敵は越境後、すぐに首都へ攻撃を仕掛け、連合国の政治中枢を麻痺させる狙いがあるものと思われます」

 想像以上に逼迫した状況に、会議室に居る士官達にどよめきが走る。

「今すぐに手を打たなければ、ロイース軍はそれをいいことに首都へなだれ込んでくるでしょう。急ぎ、迎撃に移る必要があります」

 ロイース王国と接する東側の国境と、首都アディンセルはそう遠くない。

 アルバトロス領全体で見ると、首都は東の国境にかなり偏っている。

 それはアルバトロスがまだ中小規模の王国だった頃の名残である。

 革命によって殺害された皇帝メイナード六世は即位と同時に帝国を名乗り、周辺諸国への怒涛の侵略を開始し、それによって広大な領土を得た。

 だがすぐ東にあった大国のロイースには中々手が出せず、アルバトロス帝国はひたすら西へと進撃していく形となった。

 結果、元々あった首都は東の端に置き去りにされたまま、どんどん領土は西側に広がっていった。

 皇帝も途中で首都を移そうとはせず、そのままとなっていた。

 カイザーの政権下で連合国となった後も、侵略された国々に独立を許した上で連合に加盟して貰うという形を取ったため、独立した国にいきなり首都を移設するというわけにもいかず、やはり今の位置のままである。

 それにより東の大国ロイースに、首都を狙い撃ちにするという戦略を立てさせてしまった。

「今回の作戦、俺自らが出ようと思っている」

 将校達がどうしたものかと頭を悩ませている中、カイザーは唐突に宣言した。

「議長、それは……!」

「お考え直しください! 議長閣下にもしものことがあれば!」

 当然、周りの士官達は止めに入る。

 彼らの言う通り、戦場でカイザーの身に万が一のことがあれば、せっかく上手く回り始めた新体制が崩壊し、再びアルバトロスは暗黒時代へ突入しかねない。

 カイザーも分かっていたことだったが、立場の違いというものが重くのしかかった。

 将軍だった頃のように、もう最前線で武勇を振るうことは許されそうもなかった。

 そんな時、一人だけカイザーに賛成する将が居た。

「いや、ハルトマン議長直々の出陣というのは、政治的な意味も持つ重要なことだ」

 シュナイダーという名の、敏腕の武将だった。

 カイザーの思想に賛同して革命戦に参加した将の一人であり、今や連合軍の重鎮である。

「ロイース王国は前々から、我々への軍事的挑発を繰り返してきた。今回侵攻を防いでも、また次が来るだろう」

 そう前置きをした上で、シュナイダーは続ける。

「ここで国家元首であり連合軍総司令官でもあるハルトマン閣下が直属部隊を率いて出撃するというのは、『挑発に屈しない』という連合国の断固たる意思を示すチャンスでもあると、私は考える」

 このシュナイダーの意見には賛否両論で、会議は中々纏まらなかった。

 シュナイダーの部下の武将達も当然ながら賛同する側に回ったものの、カイザーの負傷や戦死を危惧する声はまだ強い。

「私は何も、ハルトマン閣下を最前線に立たせようと言っているわけではないのだ。『議長閣下自ら出陣した』という事実さえあればいい」

「どういうことだ?」

 反対派の士官の問いに、シュナイダーは落ち着いた様子で答える。

「ハルトマン議長には後方の本陣にて総指揮を執って頂き、最前線は連合軍の精鋭部隊で固める。これならば議長閣下に危険が及ばないまま、ロイースに連合国側の意向を示すことができるだろう」

 この案には、それまで反対派だった武将達も納得した。

 会議の直前、カイザーに出撃を思い留まるよう言っていたジョイスも、これには賛成する。

「そうですな。それならば我々の強い意思を明らかにしつつ、議長閣下の安全も確保できるでしょう。議長、よろしいですかな?」

「……ああ、これが最適解だろう」

 かつて猛将として知られ、数々の戦場で武勲を立てて帝国軍将軍に上り詰めたカイザーにとっては、後方の本陣で待機というのは不本意な出撃のし方だった。

 しかしこのまま纏まらない会議で平行線を辿っても仕方ないため、カイザーはシュナイダーの案を受け入れる。

「では、具体的な部隊の配置ですが……」

 シュナイダーは手際よく、友軍を表す青の駒を地図上に配置していく。

「ん? シュナイダー、お前は後ろなのか?」

 連合軍の布陣を見た武将の一人が、そう尋ねる。

 確かにシュナイダーとその部下数名の率いる部隊は、全て本陣よりも更に後ろに置かれていた。

「今回の作戦は大規模になる。となると、兵站線を断たれないように後詰が必要になるだろう。言い出した手前、手柄は君達に譲るというわけだ」

 ようするにシュナイダー隊はいざと言う時の保険であり、せっかくの武勲を立てるチャンスを自ら手放すと言うのだ。

「おや、私の部隊も最前線ですか」

 そう言ったのは、長らくカイザーの盾となって活躍してきた護衛部隊を率いるジョイスだった。

「将軍には、最前線で敵を押し留めて頂きたいのです。中々これができるのは、将軍の部隊くらいなものですので」

「ふーむ……確かに、一理ありますな。では我々は、最前線で友軍の盾となりましょう」

 ジョイスの護衛部隊の駒を本陣から離れた最前線の中央に配置し、一歩も退かない鉄壁の布陣を敷きつつ、シュナイダーは話を進める。

「兵站線が重要なのは敵も同じだ。大規模な遠征になるわけだからな。そこで敵の側面を突き、兵站線を断つための遊撃隊を募りたい」

 敵を奇襲する、本隊とは別の部隊を動員したいという話だった。

 この作戦の別働隊は重要な役割であり、成功した時の評価も大きいが、その分危険に晒されるリスクも伴う。

「ではその遊撃隊、我々白百合騎士団にお任せ願えないだろうか」

 真っ先に名乗りを上げたのは、着任したてのミランダだった。

 白百合騎士団は女ばかりの部隊。軽く見られないかと、ミランダは内心案じていた。

 それに白百合騎士団が実戦に出たのはもう百年以上前の話で、訓練は続けてきたがいざ本番でどれだけ動けるかは分からない。

 そこをどう評価されるか、ひとつの分かれ目だった。

「よし、では遊撃隊は白百合騎士団に一任する。今回の作戦の要だ、うまくやってくれ」

「承知した」

 シュナイダーは抵抗感も見せず、すぐに了承した。

 彼は白百合騎士団の駒を敵軍の側面にあたる山林へ移動させ、そこに潜伏して機を見計らうよう指示を出す。

(ようやく初の実戦か……。それも、作戦の要とは。責任重大だ)

 勇み足で名乗り出たものの、その責任の重さにミランダは思わず固唾を飲んだ。

 いきなりのぶっつけ本番であり、ここでミスをすれば本隊にも危険が及ぶ。

 失敗できない一戦だった。

 一方、この会議に参加していたクラウスは、白百合騎士団が遊撃隊に選ばれたことに少なからず不満を抱いていた。

「作戦の要を、女などに任せるとは……。一体、何を考えておるのだ?」

「クラウス様、ここは会議の流れを見ておきましょう」

 不機嫌な彼を小声でトマスがなだめる間にも、部隊の配置図は決まっていく。

「よし、俺はこの案を採用しようと思う。異議のある者は居るか?」

 戦術案が纏まり、カイザーが最後の確認を行った時、ここで珍しく異論を唱える武将が居た。

「待って頂きたい! 部隊の配置について、懸念があります」

 声を上げたのは、サイモンという武将だった。

 癖っ毛の黒髪と眼鏡が目を引く男で、一見細身に見えるが服の下は武将らしく鍛えていた。

 革命戦時は帝国側で戦っていたが、カイザーの降伏勧告を受けて投降した将である。

 その後、元帝国軍でも新体制に賛同するならば仕官を認めるとしたカイザーの取り決めに従い、改めて連合軍に入り直した経緯を持つ。

 30代後半と言うだけあってベテランの知将として知られてはいたが、サイモンはいつも会議が纏まりそうな時に異議を申し立てることが多く、他の武将からは疎まれがちだった。

「念の為、我々の隊は本陣の斜め後方に配置したいのですが」

 サイモンは何を考えたか、自分の部隊を本陣のすぐ斜め後ろに置いた。

 後方の兵站線を守るシュナイダー隊とも違う、一見奇妙な布陣のし方だった。

 それに対して猛反発したのは、一連の作戦を立案したシュナイダーだった。

「そんな場所に部隊を配置して何の意味がある? さては貴様、臆して保身に走ったな?!」

「…………」

 何か説明があるかと思いきや、ここでサイモンは黙ってしまった。

 シュナイダーの剣幕に圧されたということもあるだろう。

 それを見ていたクラウスは違和感を覚えた。

(敵にも本陣や後詰を直接狙う策があるとするなら、あるいは……サイモンとやら、何か情報があるのか?)

「まあ、待たれよ。サイモン殿にも何かお考えがあるのかも知れん」

 ここで会議を見守っていたクラウスが発言するが、シュナイダーはそれを一蹴する。

「西方の田舎者は口を挟まないで頂こうか。これは我々の問題だ」

「……チッ」

 白百合騎士団の起用と言い、不満が溜まっていたクラウスは露骨に舌打ちで返した。

『田舎者』という言葉は流石に味方に対して失礼な物言いだと、カイザーは口を挟む。

「待て、言い過ぎだ。クラウス、何か気になることでも?」

 カイザーが助け舟を出したものの、苛立ちが限界に達したクラウスは腕組みをしたまま不貞腐れて、口を利かなくなってしまった。

「無意味な配置だ! 議長殿、これは考慮に入れる価値すらありません!」

「臆病者め! 前線で戦うのがそんなに恐いか!」

「我ら連合軍に腰抜けなど不要! 戦う気がないなら帰れ!」

 クラウスがむくれている間にも、シュナイダーの部下達も口を揃えてサイモンを非難する。

 落ち着くようジョイスも制止するが、止まりそうにない。

 他にもサイモンを個人的に嫌う武将までもが加わって批判は勢いを増した。

 今や会議室は過半数が加熱しており、冷静な者も剣幕に圧されて黙るしかない。

 会議室が荒れに荒れている真っ最中、ようやく遅れてヴェロニカが到着した。

「遅れました。もう大体決まってますか?」

 そんな彼女を放置して、議会はどんどん紛糾していく。

 武将達によるサイモンへのバッシングは苛烈さを増していき、カイザーでも歯止めがつけられないような有様だった。

「……布陣は最初の案通りでいくが、構わないか?」

 カイザーは数の力に押され、サイモンの謎の提案を却下せざるを得なかった。

 そうしなければ収まりがつかないからだ。

 他の武将達もそれに異論はなく、ヘソを曲げたクラウスと何かを考え込んでいる様子のサイモン、そして遅刻して場違いな雰囲気を醸し出すヴェロニカを除き、会議はようやく纏まった。

「よし、もう残された猶予は少ない。すぐに作戦準備に取り掛かるぞ!」

 カイザーの一言で緊急会議は終了となり、シュナイダーの立案した作戦を実行すべく、各自は動き出す。

 会議室を出た直後、しばし思索を巡らせていたヴェロニカは、カイザーに話しかけた。

「すいません、ちょっと兵をお借りしてもいいですか?」

「兵をか? そうだな……2000人くらいなら出せるが、足りるか?」

 ヴェロニカが兵を欲しがるなど、初めてのことだ。

 兵を借り受けるということは、つまりその2000人の少数部隊を直接指揮するということに他ならない。

 これまであくまでカイザーの補佐に徹していたヴェロニカにしては、思い切った行動である。

 途中参加ではあったが、紛糾する会議を見て何か引っかかった様子だった。

「そうですね……まあ、何とか足りると思います」

 相変わらず何を考えているのか分からない呆けた表情をしているが、カイザーは彼女が何の意味もなしに提案や要求を出さないことを、この短い期間の間に熟知していた。

「何か考えがあるらしいな。何に気付いた?」

「うーん……それはまだ、何とも。ただの杞憂で終わるかも知れませんし」

 いつもはっきりと物を言うヴェロニカにしては珍しく、難しい顔で言葉を濁した。

 今回の作戦で何か抜けている箇所があるが、中々言い難い理由があるようだと察したカイザーは、とにかく兵を貸し与えて様子を見ることにした。

 一方、会議室を出て別方向に歩いていったクラウスは、まだ機嫌が直らない様子だった。

「言わせておけば、『田舎者』とは見くびられたものよ。議長の御前でなければすぐにでも切り捨ててやりたかったわい」

 ぶつぶつと小声で文句を言うものの、矛を抜くどころかその場で言い返すこともできなかったクラウス。

 そのせいで余計に腹の虫が収まらなかった。

「トマス、ナーシャ。私はあのシュナイダーという男、気に食わん。注意しておくのだぞ」

「はっ」

 クラウスは偏屈さでも知られており、人に対する好き嫌いが激しかった。

 今回もその一例だと思ったトマスは、行き過ぎて喧嘩になりそうなら間に入るつもりで、一応注意は払うことにした。

 悠長に話し合っている時間がなかったこともあり、半ばシュナイダー派の独壇場のような状態で決まった今回の作戦。

 すぐ目の前に危機が迫っていることもあり、参加する武将達は忙しく部隊の出撃準備に取り掛かった。


 カイザーが直々に率いる迎撃部隊3万の軍勢はすぐに首都から出撃し、三日後には国境線を挟んでロイース軍と対峙する。

 敵の規模もほぼ3万と、両者の兵力はほとんど拮抗していた。

 シュナイダーの立てた計画通り、カイザーは後方の本陣にて総指揮を執り、ジョイス率いる部隊が前衛として大きく前方に展開する。

 そして立案者のシュナイダーは後詰として本陣の後ろで敵の奇襲に備えた。

 一方、別働隊として動いていたミランダの白百合騎士団も戦場を大きく迂回しつつロイース軍の側面に潜み、兵站線分断のチャンスを見計らう。

「布陣は完了したな。攻撃開始だ!」

 本陣のカイザーの指示により、アルバトロス連合軍の前衛部隊が攻撃を始める。

 時を同じくして、ロイース側の総司令官も進撃を命じた。

 長らく争いが絶えなかったアルバトロスとロイースの国境線にて、ついに両国の軍隊が衝突する。

 ジョイス率いる重装兵部隊が最前線の中央に立ち、敵の攻撃を力強く食い止める。

「アルバトロス連合軍護衛部隊隊長『鉄壁のジョイス』! ここは一歩も通さんぞ!」

 これまで通りジョイスは自ら前線で戦い、その両脇を部下の重装兵が固めた。

 帝国軍時代から破られたことのない、文字通り『鉄壁』の布陣だ。

 闘気術で全身を鉄の塊のように硬質化させたジョイスは元より、訓練により高い練度を持つ重装兵も大盾を構えて敵の攻撃を通さない。

 ロイース軍の中央主力をジョイス達が引き受けているその間に、連合軍の両翼部隊が進撃し、少しずつロイース軍を囲い込むように移動する。

 本来、この戦法を取るならば兵力で敵を圧倒している必要があったが、今回は連合軍の将軍であるジョイスと彼の部隊が、中央突破に躍起になるロイース軍の主力部隊を抑え込んでいる。

 この隙を使わない手はなかった。

「前線より報告です! 現在、我軍が優勢! 敵を押し返しつつあります!」

 伝令兵が本陣のカイザーに戦況を伝える。

 それを聞いたカイザーは、自軍が優勢と聞きつつも違和感を覚えた。

(おかしい……。作戦が上手く行き過ぎている。本当に敵は無策に突っ込んできただけか? いや、仮にそうだとしても動きが保守的過ぎる。こちらの様子を伺っているのか?)

 戦争とは、言わば互いに騙し合う知恵比べである。

 そんな戦場において、計画通りに事が進むなどまずありえない。

 敵は常に予想外のところから攻めてきて、こちらも同じように敵の裏をかこうとする。

 カイザーは士官学校で教わった教訓のひとつ、『作戦が上手く行っているということは、敵の罠に誘い込まれているということだ』という言葉を思い出していた。

「閣下、前線への指示はいかが致しましょう?}

 考え込むカイザーに、伝令兵は尋ねる。

 この兵士は兵士で、早く総司令官のカイザーの指示を前線部隊に伝えに戻らなくてはいけない。

「……敵は何か罠を張っている。注意しつつ、慎重に攻撃しろ」

「はっ。そのように伝えます!」

 具体的に敵がどんな策を用意しているかは分からないが、確実に何らかの計略の準備段階だと確信を持ったカイザーは、ひとまずそう指示を出した。

 何なら今すぐ自ら前線に出て敵の動きをその目で確かめたいところだが、下手に本陣から動けば部下の将兵達は驚いて混乱し、かえって戦場を乱してしまうだろう。

 背中に背負った両手剣を抜きたい気持ちを抑えつつ、カイザーは本陣で待機した。

(一体、ロイース軍は何を考えている? 伏兵による奇襲か、それとも前線の部隊を誘引しての殲滅か? こういう時、ヴェロニカが居てくれれば相談しやすいんだが……)

 ひとつため息をつきながら、カイザーは後ろを振り返る。

 彼から2000人の兵隊を借り受けたヴェロニカは、何を思ったのか本陣の斜め後ろに布陣した。

 折しも、軍議の際にサイモンが自分の部隊を置きたいと言った箇所と酷似している。

 そのヴェロニカ本人はと言うと、前方ではなく友軍しか居ない後ろ側をずっと眺めて待機していた。

「ヨハンソン軍師殿、本当に我々はこの立ち位置でいいのですか?」

 彼女が何を考えてここに布陣したのか、よく分からない兵士は困惑しつつ、そう尋ねる。

「うーん……」

 当のヴェロニカはと言うと、出発前に部下に買い溜めさせたフライをかじりつつ、相変わらずぼんやりとした眠そうな目で後方を見やるばかりだった。

「私の杞憂だと、いいんですけどねぇ」

「は、はぁ……」

 ヴェロニカは何かを案じていたが、実際に何の不安要素があるのかまでは、誰にも話していなかった。

 兵士達は彼女が何を考えているのかさっぱり読めず、ひょっとして恐いから本陣よりも更に後ろに布陣したのでは、という疑いも持ち上がりだした頃、戦況は一変する。

 本陣の後ろで後詰に回っていたシュナイダーと彼の派閥の武将達は、突如として旗を連合軍のものからロイース王国軍のものに持ち替えた。

「我々はこれより、ロイース王国側にお味方する! 連合軍本陣を強襲し、カイザー・ハルトマンの首を討ち取れ!!」

 シュナイダーは声高らかに宣言し、彼の率いる部隊合計約7000人が無防備な本陣へ向かって進撃を開始する。

「何だと?! シュナイダーが離反?! くそっ、ロイース軍め……これを待っていたのか!」

 本陣で報せを聞いたカイザーも、流石にこの時ばかりは焦った。

 主力部隊は全て前線に出しており、本陣から引き離されている。

 まさかこの期に及んで重鎮のシュナイダーが裏切って背後から襲ってくるとは、カイザーも予期せぬ出来事だった。

「議長、お逃げください! 本陣は長くは持ちません!」

 部下の将兵はカイザーだけでも逃がそうとするが、今下手に動くのはまずいとカイザーは判断する。

「いや、俺が単独で逃げたところで、そこを狙われれば余計に危ない。前線の部隊が戻ってくるまで、本陣で持ち堪える!」

 これは合理的判断であると同時に、カイザーにとっては意地でもあった。

 友軍の裏切りに対して、見す見す味方を盾にして背中を向けて逃げ出すなど、彼のプライドが許さなかったのだ。

 一方、本陣の斜め後ろに布陣していたヴェロニカは、シュナイダー隊が造反するとすぐに行動を起こした。

「やっぱりやっちゃいましたか。ああ、面倒くさい……って言うか、私死にそうなんですけど」

 彼女はこの事態を危惧し、たった2000の兵力で本陣の盾となるべく、最初からここに布陣して様子見をしていた。

 最初にシュナイダーの裏切りに気付き、素早く本陣に伝令兵を送ったのもヴェロニカの部隊だ。

 ヴェロニカにとっては初めて自分が主将となって、少数規模とは言え部隊の指揮を執ることになる。

 それも3倍以上の兵力を持つ敵との戦いだ。

「無理に食い止めなくていいです。時間さえ稼げれば……。後退しながら応戦してください」

「はっ!」

 ようやくヴェロニカが何を考えていたのか理解した兵士達は、本陣のカイザーを守るべく彼女の指示に従う。

 敵は7000に対して、ヴェロニカの部隊はたったの2000。

 まともにぶつかり合えば、すぐに蹴散らされてしまうだろう。

 ここでヴェロニカが導入した新しい訓練の成果が発揮された。

 怖いからこそ足並みを揃え、隊列を崩さないようにしながら少しずつ後退する。

 もし臆病風に吹かれて逃げ出す者が居ても、逆に蛮勇で一人だけ突出しても、どちらもこの状況では命取りだ。

 対するシュナイダーは2000人程度の部隊などすぐに潰せると考えていたのに、意外にもしぶとく持ち堪えるので苛立ちを感じつつあった。

「何をやっている! あんな少数部隊、さっさと蹴散らして本陣へ急げ! 時間がないんだぞ!」

 ロイース側への寝返りを決意したシュナイダーにとって、これは時間との勝負だった。

 いかに前線の主力部隊が戻ってくる前に、本陣を落としてカイザーの首を取れるか。

 それがこの作戦の成否を左右する。


 後方でヴェロニカがシュナイダーの離反軍を足止めしている頃、前線でもいち早く裏切りに気付いた者が居た。

「サイモン隊長! シュナイダー隊が動きました!」

「やはり来たか……!」

 最初にシュナイダーの謀反を警戒していた、サイモンとその部隊である。

 彼らは本陣から引き離されて前線に配置されたが、せめてもの抵抗としてサイモンは見張りの兵士に後方を警戒させていた。

「騎兵隊は私と来い! 伝令兵は他の主力部隊にこのことを伝達しつつ、戦線を維持するよう要請! 歩兵隊はここに残り、正面のロイース軍を食い止めろ!」

 確実にこうなるという確信はなかったものの、危険があると予期していたサイモンは、すぐに部隊に指示を出して自ら動き出す。

 機動力のある騎兵を自ら率いて全速力で本陣の救援に向かい、足の遅い歩兵は前線に残した。

 後方のシュナイダー隊も危険だが、だからと言って今目の前に迫るロイース軍も見過ごせない驚異だからだ。

 ロイース側にとっては、シュナイダーの謀反が成功しようがしまいが、これでアルバトロス軍に大きな揺さぶりをかけられる。

 この隙に大きく進撃し、混乱を起こした連合軍を一気に蹂躙する算段だ。

 だからこそサイモンは自らが本陣に向かうとし、他の部隊には前線に留まるようにと伝令兵を通じて伝えた。

 と言っても彼の部隊の騎兵隊のみでは3000人に達するかどうかという兵力であり、総勢7000に及ぶシュナイダー隊に対抗できるかどうかは怪しい線だった。

 その直後、早馬に乗ってシュナイダーの謀反を伝えに来たサイモン隊の伝令兵により、クラウスと彼の率いる黒鉄騎士団も事態を知ることとなる。

「後詰めに回った、あのいけ好かぬ男か! いや、待たれよ。そちらの騎兵の兵力は如何ほどか?」

 急ぎ次の部隊に報せを伝えに行こうとする伝令兵を引き止め、クラウスは尋ねた。

「3000弱です。では、失礼します!」

 伝令兵は急いでおり、質問に簡素に答えるとすぐにその場を去っていった。

「よし、我々も騎兵隊で増援に向かおう。今ならまだ間に合う」

「分かりました。戦線の維持は他の部隊に任せましょう」

 トマスもそれに応え、すぐに騎馬部隊を集めにかかる。

 幸いと言うべきか黒鉄騎士団は右翼側のあまり重要でないポジションに配置されており、この場を離れてもそう戦線に影響は与えない。

「ナーシャよ、移動中に例の術の準備をしておけ。皆の者、いざ参るぞ!」

 トマス、ナスターシャの副将を従え、クラウス率いる騎兵隊約2000人も回れ右をして本陣へと走る。

 その途中、騎兵隊を率いて先頭を走るサイモンを見かけたクラウスは自分も同じように馬で先頭を駆けつつ、戦場でも分かるように大声で語りかけた。

「サイモン殿、だったな?! 我々もハルトマン閣下の救援に向かう!」

 それに気付いたサイモンは、対応の速さに驚きつつも答える。

「救援感謝する!」

 ロイース軍と対峙する前線では、ジョイスがその両部隊の後ろ姿を見守っていた。

 ジョイス率いる重装兵部隊は防御力は桁外れているが、機動力は低く騎兵のように素早く移動、展開できない。

 今から遅い足で向かったところで、カイザーの救援は間に合わないだろう。

(頼みましたぞ、お二方……!)

 本来ならば自ら本陣の救援に向かいたいのは山々だが、時間的に無意味な上に今この持ち場を離れては、一気に攻勢に出たロイース軍にそのまま戦線を崩されてしまう恐れがある。

 ここはサイモンとクラウスに任せつつ、ジョイスはこの場に留まるしかなかった。

 時を同じくして、アルバトロス軍とロイース軍が衝突する最前線から少し離れた山林の中では、伏兵として潜んでいた白百合騎士団がやはり困惑の色を見せていた。

 ミランダ率いる騎士団は計画通り、敵の兵站線を断つためにロイース部隊の側面に当たる山に潜伏していたが、その計画の立案者が謀反を起こした。

 これには団員の女兵士達も慌てた。

「ど、どうしましょう、ミランダ団長!」

「奇襲は中止して、本隊の応援に戻った方がいいんじゃないでしょうか?!」

 皆浮足立っていたが、ミランダは平静でいるよう務めた。

「いや、待て。まずはここで様子を見る」

 ここは下手に動かない方がいいと、ミランダは判断する。

 作戦立案者のシュナイダーが裏切ったとなれば、彼が提案した伏兵の策もロイース側に伝わっている恐れがあった。

 だからこそ、いつ敵が襲ってくるかと部下も戦々恐々としている。

 ミランダもその危険を考えなかったわけではないが、シュナイダー派が一斉に行動を起こした今になっても潜伏中の白百合騎士団が敵の攻撃を受けていないということは、その情報は伝わっていない可能性が高い。

「で、ですけど! 様子見してる間に、本陣が落ちちゃったらどうするんですか?!」

「落ち着け! 我々の本来の任務を思い出せ! まだ我々の存在が敵に知られていない今、白百合騎士団は切り札のままだ」

 ミランダは部下に活を入れつつ、まっすぐに前方のロイース軍部隊を睨む。

「ロイース軍が攻撃に気を取られているその瞬間、計画通り我々で奇襲を行う。少なからず敵は動じるだろう。その間に本隊に体勢を立て直してもらえば、逆転のチャンスはある!」

 今更来た道を戻って本隊に合流しても、大して役には立てないだろう。

 本陣の救援など、到底間に合うはずもない。

 ならばと、ミランダは敢えて計画通りに伏兵作戦を続行することを選択した。

 危険な任務だが、それで敵を動揺させることができれば、間接的に本陣のカイザーを救うこともできるかも知れない。

 幸い、シュナイダーはロイース軍に全ての作戦内容を伝えていないようだった。

 それもそのはず、シュナイダーの提案した伏兵も、ようはひとつでも多くの部隊を本陣から引き離すための口実であり、何なら女だけの白百合騎士団に務まるとは端から考えていなかった。

 突然の謀反で混乱し、何もできないまま山林の中で震えているに違いない、取るに足らない部隊だと会議の時からシュナイダーは高を括っていたのだ。

(今に見ていろ、シュナイダー……! お前の企みはここで終わりだ)

 最善のタイミングを見計らうべく、ミランダは山林で息を潜めながら敵軍の動きを慎重に見守った。


To be continued

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