第42話 『十人目の男 後編』

 ミランダの伏兵部隊が作戦の続行を決断したちょうどその頃、本陣近くのヴェロニカ率いる少数部隊は後退を続け、いよいよシュナイダー部隊に追い詰められつつあった。

「ヨハンソン軍師殿! 被害甚大、兵力の6割を損失しました! これ以上は……!」

 兵の報告通り部隊は既に壊滅状態にあり、後退しながらでも持ち堪えるのは限界に来ている。

 ヴェロニカは相変わらずジャンクフードを咀嚼しながら指揮を執っていたが、根が臆病なだけに揚げパンを口に運ぶ手は震え、冷や汗が頬を伝う。

(こうなったら、いっそ本陣に合流して水際作戦で対応した方が……。いや、でも主力部隊が間に合わなかったら、そのまま共倒れするだろうし……。でもこのままだと絶対私、死ぬ)

 3倍以上の兵力差でありながら、ヴェロニカは絶え間なく指示を出し、耐えた。必死に耐えた。

 前線へと引き離された主力部隊が戻ってくると信じて、時間稼ぎに徹した。

 だがそれももう限界であり、これ以上踏み止まれば部隊は全滅する。

 かと言って時間稼ぎが不十分なまま本陣に逃げ込めば、主力が救援に到着する前に本陣ごと叩き潰されてしまう。

 臆病なヴェロニカは今すぐにでも本陣と合流したい気持ちが山々だったが、タイミングを見誤れば全滅だ。

 そもそもロイース軍を食い止めるので精一杯な主力部隊が、本当に後方に救援を送ってくれるのか。

 今は信じるしかなかったが、確かめる術は彼女達にはない。

(ああああ! 救援早く来て! もう誰でもいいし一人だけでもいいから!)

 つい口に出して叫びたいのを我慢していたヴェロニカだったが、彼女の目の前の兵士を薙ぎ倒し、軍馬に騎乗したシュナイダーとその部下達が姿を現す。

 とうとう2000人しか居なかった部隊は戦線を維持できなくなり、指揮官のヴェロニカも敵の前に丸裸となってしまう。

「追い詰めたぞ、変人女め! カイザーの前に、貴様の首を討ち取ってくれる!」

 鎧を着た軍馬の上から、シュナイダーが剣を振りかぶる。

「あ、あわわ……!!」

 ヴェロニカは泣きながら腰を抜かした。

 それでも最期の瞬間まで、揚げパンの入った紙袋だけは手放さない。

 もはやこれまでかと思われた時、逆にヴェロニカの後方から軍馬で突撃してくる影があった。

 全速力で本陣へと戻ってきたサイモンである。

 彼は素早くヴェロニカとシュナイダーの間に割って入ると、軍刀の切っ先をシュナイダーへと突きつける。

「そこまでだ、シュナイダー!」

「サイモン・ディアス……! 貴様さえ居なければ!」

 シュナイダーにとっては、とうとう恐れていた事態が起こってしまった。

 時間切れである。

 だがよく見れば、駆けつけたのは機動力のある騎兵のみ。

 数はまだシュナイダー隊の方が圧倒していた。

「ええい、怯むな! 兵力ではこっちが上だ、サイモン共々蹴散らせ!」

 シュナイダーは部下に攻撃を命じ、部隊は息を切らして駆けつけたサイモン隊へと襲いかかる。

 だが両部隊が衝突する直前に、今度は黒ずくめの騎兵隊がシュナイダーの部隊の横っ腹を突いた。

 サイモンと同じく本陣の救援に向かってきた、クラウスの黒鉄騎士団である。

「また増援だと?! 構わん、このまま押し切れ!」

 力押しで攻め切ろうとするシュナイダーだったが、そうはさせぬとクラウスはとってきの秘策を出す。

「ナーシャよ、今だ!」

 本陣に急行する途中、クラウスの指示でナスターシャはずっと長い呪文の詠唱を行い、到着する頃にはいつでも魔法を起動できるよう準備していた。

 うなずいたナスターシャは最後の呪文の一節を唱え、半透明の光の魔力防壁を展開した。

 驚くべきはその規模で、何とシュナイダー隊と対峙する連合軍の前方をほぼ完全に覆ってしまう程巨大な障壁だった。

 魔力で作られたその障壁は強固で、シュナイダー隊の攻撃などビクともせず弾き返す。

「時間稼ぎか! だが障壁を展開している間は、向こうも反撃できないはず……!」

 ただの延命措置だと思ったシュナイダーだったが、それは甘いと思い知ることになる。

 何とナスターシャの展開した魔力防壁は普通のものではなく、『指向性防壁』と呼ばれる高度な魔法だった。

 その名の通り指向性があり、敵側の攻撃は弾くが味方側からの攻撃は通るようにできているのだ。

 本来であれば、このような高度な魔法は賢者かそれに比類するレベルの魔術師でないと扱えないものなのだが、ナスターシャにはその一芸に特化した才能があった。

 かつて魔法の師に才能がないと見捨てられた彼女だったが、クラウスは軍師としての才能だけでなく意外な魔法の才能も発掘したのだ。

 それ以来、クラウスはここぞという時の奥の手として、ナスターシャの指向性防壁をアテにしてきた。

「よし、デルタの陣形を組め! 進撃して敵を押し返す!」

 黒鉄騎士団が陣形を変えると、それに合わせて指向性防壁も変形する。

 そして防壁に守られた状態で、黒鉄騎士団は前進を始めた。

 シュナイダー隊の攻撃は全く受け付けないが、黒鉄騎士団側は一方的に攻撃可能だ。

 もはやこれではお話にならない。

「あの田舎者め……! こんな手を隠し持っていたとはな。だが……」

 あくまでシュナイダーは冷静に相手の術を分析する。

 いかに適正が強かったとしても、これだけの大規模な指向性防壁を魔術師一人で長時間維持できるはずがない。

 タイムリミットは間近だとシュナイダーは予測していた。

「今は攻撃を控えろ! 合図を待て!」

 守勢に入ったシュナイダー。

 そして彼が期待するタイミングはすぐに訪れた。

 ナスターシャは元々、それほど大量の魔力を有する魔術師ではない。

 マジックアイテムを身に着けるなどして補ってはいたが、シュナイダーの読み通り長時間の防壁の展開は難しかった。

「すみません、主様。そろそろ限界が」

「うむ、よくやってくれた、ナーシャよ。術を解き、後方で休んでおれ」

 この短時間の間でも、かなりシュナイダー隊を押し返して本陣から引き離すことができた。

 魔力を使い切ったナスターシャはあと数日は術を使えないが、クラウスは指向性防壁がなくともこの後の戦闘を乗り切ってみせる覚悟だった。

 サイモンの騎兵3000人に、クラウスの騎兵2000人が加わり、双方の兵力は5000対7000とほぼ互角に近い状態に来ている。

 少なくとも、これを突破して本陣へなだれ込むのは既に不可能だ。

「貴様の負けだ。観念して降伏するがいい、シュナイダー!」

 クラウスはそう言い放つが、シュナイダーは諦めなかった。

「防壁が無くなった今がチャンスだ! ここを突破して本陣さえ叩けば……!」

「叩けば、何だって?」

 不意に聞こえた声にヴェロニカ、サイモン、クラウスの三人は思わず後ろを振り返った。

 何と彼らの後ろから部隊を率いて出て来たのは、他でもない総大将のカイザーその人だった。

 専用の軍馬に騎乗し、持ち前の怪力で両手剣を片手で握るカイザーは、救援が到着する直前に本陣から出撃し自ら攻撃に転じたのだった。

「これで、数はこっちが有利になったな? クラウスの言う通り、降伏するなら今だぞ!」

「何を! わざわざそっちから出向いて、手間を省いてくれるとはな! 総員、攻撃をカイザーに集中しろ!」

 逆に好機と見たシュナイダーは、陣頭に立つカイザーを狙うよう指示を出す。

 だがその程度でやられるカイザーではなかった。

 そして彼が率いる直属部隊もまた、精鋭揃いだった。

 シュナイダー隊の猛攻も何のその、むしろ押し返す勢いでカイザー達は進撃する。

「クラウス、サイモン! 協力してシュナイダー隊を叩くぞ!」

「承知!」

「はっ!」

 二人共異論はなく、クラウスとサイモンは即答する。

「ヨハンソン、だったな? よく持ち堪えてくれた。後は任せろ!」

「ひ、ひゃい!」

 最初にヴェロニカを庇ったサイモンはそう言うと、カイザーの後に続いてシュナイダーの部隊へと果敢に向かっていった。

 一度は優勢に立ったものの、シュナイダー隊は徐々に追い詰められていく。

 中央にはカイザー率いる精鋭部隊、そして両翼にはそれぞれクラウスとサイモンの騎兵隊。

 全滅寸前だったヴェロニカの少数部隊は入れ替わるように後方へ下がったが、それでもシュナイダー隊は単純に数で見て劣勢となっていた。

「くそっ! 何としてもカイザーの首を取れ! そうすれば我々の勝利だ!」

 今度はシュナイダーが後ろに下がりながら応戦する番となる。

 必死に部下に檄を飛ばし士気を維持しようとするも、一度形勢不利に傾いたものは中々覆らない。

 前線の主力部隊と引き離されたとは言え、時間を稼げば救援が来る見込みのあるカイザーの本陣と違い、間に連合軍を挟んでロイース軍から孤立しているシュナイダー隊に助けなど来るはずもなかった。

 逆にその油断を突いて速攻で総大将の首を討ち取るという計画だったが、やはり最初の綻びはサイモンに勘付かれたことだった。

 シュナイダーの派閥以外からも嫌われているサイモンのこと、誰も賛同する武将など居ないだろうと思っていたが、想定外のところであるヴェロニカがサイモンの提案の真意に気付き、少数とは言えサイモンの代わりとなった。

 結果、速攻で攻めきれずに救援部隊の到着を許してしまう。

 もうこうなっては立て直しは不可能だと、熟練の将であるシュナイダー自身が理解していた。

(サイモン・ディアス……それにあの変人女! よくも、よくも……!!)

 シュナイダーの応戦も虚しく、部隊は大きな被害を受けて包囲されつつあった。

 クラウスの黒鉄騎士団とサイモンの騎兵隊が両翼からシュナイダー隊を囲い込むように展開し、中央を担うカイザーの部隊と共に三方向から徐々に逃げ場を塞いでいく。

 もう勝ち目は無いと理解したシュナイダーは、自分だけでも助かろうと逃げ出す計算をし始めた。

(部下を盾にすれば、何とか私だけは戦線を離脱してロイース軍に合流できるはず。カイザーの首を取れなかったのは残念だが、ここでこの命、くれてやる訳にはいかん!)

 本来ならば連合軍の総大将の首を手土産にして、いい待遇でロイース側に寝返る予定だった。

 それが叶わなくともここで戦死するより百倍マシだと、シュナイダーは部下の将に前線を丸投げし、自分は少人数の護衛だけを連れてまだ塞がれていない後方から脱出しようと試みる。

 彼にとっては、自分の派閥の部下も単なる出世の道具でしかなかった。

 当人達がそれに気付くのは、肉の盾にされて戦死した後になるのだが。

(せいぜい、最期に私の役に立ってくれよ……!)

 手土産がなかったとしても、連合軍の重鎮として色々な情報は握っている。

 生き残りさえすれば、ロイース王国で身を立てる手立てはいくらでもあるだろう。

 それに今回の奇襲作戦が失敗したと言っても、それは局地的な敗北に過ぎない。

 大局的に見ればこの謀反でアルバトロス軍全体に揺さぶりをかけることができ、前線で衝突しているロイース軍は戦いを有利に進められるはずだ。

 そのロイース軍へと合流できれば、勝ち馬に乗るというシュナイダーの策は全て計画通りとまではいかなくとも成就する。

 盾にされた部下がカイザー達率いる連合軍に倒されていく中、シュナイダーは密かに戦場から脱しつつあった。


 だがちょうどその時、ここぞとばかりに連合軍の前線部隊に肉薄するロイース軍の最後尾に向けて、思わぬところから攻撃を仕掛ける部隊があった。

「今が好機だ! 敵軍の背後を突け!」

 辛抱強く山林に身を潜めてチャンスを伺っていた、ミランダ率いる白百合騎士団である。

 主将であるミランダの戦術眼に狂いはなく、ロイース側が勢いに乗って前ばかりに集中しているその隙を見事に突き、白百合騎士団は初動の突撃でかなりの打撃を与えた。

「何だ?! 後ろから敵だと?!」

 シュナイダーが取るに足らないと思って報告しなかったのが災いし、優勢に立っていたロイース軍は一転混乱に陥った。

 完全に無防備だった背後を予想外につつかれた形となったため、敵部隊の規模などを正しく把握する前に被害が増し、それが余計に兵隊を混乱させた。

 白百合騎士団自体は総勢3000人足らずの部隊でしかなかったが、初手で出遅れたせいでロイース側はしっかりと対処できず、一気に押し込まれた。

 これは奇襲が成功したからという理由だけでなく、ミランダという将が敵中を突貫する攻めの戦術を得意としていたことも理由のひとつだ。

 当然、この機を見逃す前線の主力部隊ではない。

 敵軍の背後に白百合騎士団の旗が翻るのを見たジョイスは、すぐさま守りに徹する状態から反転攻勢を仕掛けるよう指示を出す。

「ミランダ殿の奇襲が成功した! 我々も攻撃に出るぞ!」

 本陣の救援に向かえず歯痒い思いをしていた重装兵部隊は水を得た魚のように武器と大盾を構え直し、ジョイスの後に続いて進撃を開始する。

 それと同時に伝令兵が両翼を担う部隊へと指示を伝え、アルバトロス軍は大規模な攻勢に出た。

 ジョイスの指揮で両翼の部隊は再び大きく展開してロイース軍部隊を囲い込み、同時に敵軍の背後で孤立している白百合騎士団との合流を図る予定だ。

 今でこそ敵の対応が遅れて白百合騎士団は優位に立っているが、それ程大規模な部隊ではないと敵が冷静に分析すれば、すぐに反撃で潰されてしまうだろう。

 これからの戦いのためにも、有能な人材であるミランダ達を失うわけにはいかない。

 その気持ちはどの部隊も同じだった。

「ミランダ団長! 敵部隊、来ます!」

 連合軍は急ぎ白百合騎士団の居る地点へと向かったが、そうしている間にも敵は体勢を立て直しつつあった。

 既にロイース軍の指揮官はこの戦闘での勝利を捨てており、撤退戦へと移行しつつある。

 そんな中、一番邪魔なのは逃げ道である背後を塞ぐ白百合騎士団。

 相手が少数部隊だと気付いたロイース軍は、一気に全兵力を白百合騎士団に向けてぶつける。

「も、もの凄い数です! これじゃあ、私達……!」

 流石に怖気づく女兵士達。

 何せ百年もの間実戦に出ていない騎士団だ。

 当然、彼女達も本物の戦闘はこれが初めての体験である。

「うろたえるな! 楔形陣形を取り直し、敵中を突貫する!!」

 これが初陣なのはミランダも同じだった。

 だが彼女は、敵の大軍を見た程度で恐れるような将ではなかった。

 敵の攻勢に対し防御ではなく突貫を選ぶ。

 一見無茶に見えるが、そもそもこの兵力差で守りに入っても生き残る可能性は皆無に近い。

 ならばいっそ敵の数が薄い部分を貫いて突破し、こちらに向かってきている友軍と合流するのが最善策だとミランダは判断したのだ。

 最初は躊躇った部下だが、彼女達は指揮官であるミランダを信じて命を託した。

 白百合騎士団の初陣にして、決死の突破作戦が決行される。

「右翼側が層が薄い! 怯むな、突撃!」

 ここを突破すれば味方はすぐ目の前。

 だがいかに敵の弱点を突貫すると言っても、かなりの無茶であることに変わりはない。

 それでも女兵士達が陣形を乱さず戦えるのは、主将であるミランダ自身が最前列に立って陣頭指揮を執っているおかげでもある。

 ミランダは部下にばかり戦わせることを良しとせず、自身も最前線に身を置くタイプの猛将だった。

 彼女はグレイブと呼ばれる大型の穂先を持つ槍を巧みに操り、後に続く部下が通るための道を必死に切り開く。

「立ち止まるな! 最後まで希望を捨てるな!」

 敵中で足を止めれば、それこそ死に直結する。

 今はこの先に味方が来ていることを信じて突き進むしか、彼女達に選択肢はない。

 迫りくるロイース兵をグレイブで薙ぎ払い、血と泥にまみれながら、生き残りたい一心で白百合騎士団は猛然と戦った。

 その戦いぶりはさながら、白百合騎士団の前身となった城の防衛隊のようであったと言う。

 敵中突破の激戦は永遠に続くかのように長く感じられたが、不意に敵兵だらけだった前方の視界が開ける。

 そしてその先で待っていたのは、連合軍の旗を掲げる友軍だった。

「白百合騎士団だな?! よく持ち堪えた、こっちだ!」

 先頭のミランダの姿を確認した味方部隊は、すぐさまロイース軍との間に割って入るようにしてボロボロになった白百合騎士団を庇う。

「い、生き残った……?」

「生きてる、私達、生きてる!」

 待ち焦がれた友軍との合流に、緊張の糸が解けた女兵士達は思わず涙ぐんで喜んだ。

 これまで厳しい訓練を重ねてきたが、百の訓練よりも一回の実戦が勝る。

 初めて感じた戦場の空気、実際に血を流す本物の戦闘、死の恐怖、そしてそれら全てを乗り越えた果てにある生の実感、勝利の喜び。

 だがまだこの戦闘の勝敗が決したわけではない。

 ミランダは気合を入れ直す。

「油断するな、まだ戦闘中だぞ! ……だが、皆よく戦った。誇りに思う」

 浮かれる部下を律しながらも、労うミランダ。

 そんな彼女達に、救援に駆けつけた部隊の武将が声をかける。

「白百合騎士団、よくやってくれた。君達の奇襲のおかげで、不利な流れを変えることができた。本陣の方も、ディアス隊と黒鉄騎士団が向かって間に合ったようだ」

 その報告に、ミランダもほっと胸をなでおろす。

 何よりも本陣の様子が気がかりだったからだ。

「後方の本陣の戦況は?」

「まだ分からん。最後に入った伝令では、救援部隊でシュナイダー隊に応戦しているとのことだったが……」

 連合軍の武将も、離れた本陣が気になっていた。

 ロイース軍は既に撤退を始めており、深追いさえしなければこのまま決着はつくだろう。

 問題は、総大将であるカイザーの首を狙う裏切り者のシュナイダーだ。

 ミランダにとってカイザーは総大将というだけでなく、女ばかりの騎士団である自分達を初めて認めてくれた上官でもある。

(ハルトマン閣下……無事でいてくれるといいのだが)

 ミランダは険しい表情で、後方の本陣を見やった。


 ミランダの心配など杞憂であるかのように、本陣側では連合軍が圧していた。

 シュナイダー隊はほぼ壊滅し、ギリギリまで残って抵抗していた武将もほとんどが捕縛されるか戦死した。

 だが最大の問題は、主将であるシュナイダーをまだ取り押さえられていないということだった。

「シュナイダーを逃がすな、探せ!」

 サイモンは自らも騎馬で戦場を駆け回り、部下を引き連れてシュナイダーの捜索を続ける。

 あの裏切り者をこのまま逃してなるものかと、カイザーもクラウスも懸命に探した。

「あの卑怯者め、部下を盾にして逃げおったのか! ますます気に食わん!」

 クラウスは元々軍議の時以来シュナイダーを嫌っていたが、ここまで下衆な男だとは流石に思っていなかった。

 道具としてしか見られていないことに気付かず、部下達は指示に従って踏み止まったと言うのに、指揮官のシュナイダーはさっさと雲隠れしてしまったのだ。

「まだ遠くへは逃げていないはずだ! 何としても捕まえるぞ!」

 カイザーも同じ気持ちだったが、戦場で感情を露わにすると早死にすると経験上知っていたため、なるべく平静でいるよう努めた。

 三部隊が血眼で探す中、ほうほうの体で戦場から逃げ出したシュナイダーは、護衛の兵士数人を連れて逃走中だった。

「ふぅ、はぁ……! サイモンと変人女さえいなければ、うまくいっていたものを……!」

 当初の目論見では、カイザーの首を取って颯爽とロイース軍に鞍替えするつもりだった。

 それがまさか、敗軍の将となって逃げなくてはならなくなるとは思っても見なかった。

(今回はしてやられたが、生きている限りはまた立て直せる。次こそカイザーだけでなく、サイモンとあの変人女に地獄を見せてやる!)

 息を切らしながらロイース側に向かって走るシュナイダーだったが、不意にその行く手を軍馬に騎乗した一団が塞ぐ。

「どこへ行こうというのかな、シュナイダー?」

「サイモン・ディアス……!!」

 シュナイダーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 なぜここが分かったのか思わず口に出そうになったが、考えてみればロイース側に寝返ったのだ。

 戦いに負けて帰るアテがあるとすれば、ロイース軍しかない。

 向かう先が分かっていれば、追跡も容易というものだった。

「年貢の納め時だ、シュナイダー。投降するか、それともこの場で斬られるのがお望みか?」

「くそっ……!」

 シュナイダーは往生際が悪く、道を塞ぐサイモンを避けて逃げ出そうとするが、今度はその先に黒馬に騎乗した黒い甲冑姿のクラウスが立ち塞がる。

「もう逃げられんぞ。潔く降伏しろ」

 そして最後の追い打ちとばかりに、後ろからはカイザーと彼が率いる部隊が追いついてきた。

 もうこれ以上、戦闘を続けられる戦力はシュナイダーに残されていない。

「さっき、前線から報告が入った。ロイース軍は諦めて撤退したそうだ。アテが外れたな、シュナイダー」

 カイザーに現状を突きつけられ、とうとうシュナイダーは膝をついた。

「くそっ、くそぉっ……! こんなはずじゃなかった……!」

 悔しさのあまり剣で地面を斬りつけるが、その行為にもはや何の意味もなかった。

「……ひとつだけ、聞いておきたい。なぜ裏切った? 革命にも参加した、お前が」

 カイザーの問いに、彼を見上げながらシュナイダーは乾いた笑いを浮かべ答える。

「ははは……。少し前にロイースの間者から、もっといい条件で鞍替えしないかと持ちかけられましてね。家族にいい生活をさせてやるには、やるしかなかった……」

 多少は野心もあったのかも知れない。

 だが、シュナイダーの謀反の理由は単なる我欲だけではなかったのだ。

 家族の生活のため、というのは家長にとっては深刻な課題だ。

 時に、国への忠誠心を上回る程に。

「そうか……。謀反なんてする前に相談してくれれば、待遇なんていくらでも考えることはできただろうにな。本当に、残念だ」

 こうして、連合国を揺るがす戦争は一応アルバトロス側の勝利という形で幕を閉じた。

 捕縛されたシュナイダーとその部下は謀反により軍法会議にかけられ、全員が処刑と決まった。

 だがカイザーは、遺族によからぬ被害が及ばないようにと、そこには細心の注意を払った。

 今回は辛うじて勝利したものの、かなり危うい場面もあった。

 今後もロイース王国はこうやって様々な策を使って、アルバトロス連合から国土を切り崩しにかかってくるだろう。

 より警戒を強める必要があると、カイザー以下連合軍の将兵達は痛感した。

 そんな事件だった。


 国境線でのロイース軍との衝突から数日後、カイザーはジョイス、ヴェロニカと共に執務を片付けながら考え事をしていた。

「……シュナイダーの裏切りは確かに許せんが、それを見逃した俺にも責任があると思う」

「何をおっしゃいます、あれは野心に駆られたシュナイダーが……」

 ジョイスは反論しようとするが、カイザーは手でそれを制した。

「まあ、最後まで聞け。思えば軍議の時、シュナイダーが革命に参加した重鎮だからと、俺も周りも甘くなっていたように思う。逆に、革命の後から入ってきたサイモンやヴェロニカの意見は通りづらかった」

「確かに……」

 革命に参加したかどうかで連合軍内での発言権に差が出るというのは、ジョイスも薄々感じていたことだった。

 ジョイス自身は元カイザーの副官にして革命軍の最初の賛同者ということもあり、腹心中の腹心と言える事実上のナンバー2で発言権に困っていなかった。

 しかし同時に、これからの戦局に対応するにはより多くの人材から忌憚のない意見を出してもらうことが重要だと考えていた。

「だが実際はその重鎮が裏切り者で、後から来た新入りが俺を救ってくれた。もし軍議でサイモンやヴェロニカが発言しやすい空気を俺が作れていれば、シュナイダーに裏切りを許すこともなかったはずだ」

 今回の一件で、カイザーもかなり反省していた。

 将校達を平等に実力で評価してきたつもりだったが、無意識に革命に賛同したか否かで優劣をつけてしまい、それがカイザー一人でなく軍全体の雰囲気として広がってしまった。

 あくまで自分も色眼鏡で相手を見ている単なるヒトなのだと、理想の指導者への道はまだまだ遠いのだと、カイザーは痛感していた。

「ヴェロニカ、君にもかなり無理をさせてしまってすまなかった。これからは君達新人も意見しやすいよう、俺がちゃんと舵取りをしっかりしていく」

「本当に死ぬかと思いましたよ……。でも確証もないのに、シュナイダーさんを裏切り者扱いすることはできなかったですし」

 サイモンが軍議で部隊の配置について理由を聞かれた時、はっきりと答えられなかった理由もそこにあった。

 後から入ってきた新入りが、重鎮であるシュナイダーを証拠も無しに裏切り者扱いなどできるはずもなく、本当に裏切るという確信もまだない状態だった。

「軍議の中では難しくても、後で個人的に話してくれる形でもいい。これからは遠慮せず、思ったことは全部言ってくれ」

「うーん……なるべく善処します」

 そうこうしているうちに、目を通さなければならない書類の山も大分片付いてきた。

「ほとんど終わったな。ヴェロニカ、君は休憩してきてもいいぞ」

「あ、助かりますね。ちょうど串焼きが届く頃だと思うので……」

 下町のジャンクフードが生命維持物質のヴェロニカは、切らさないように頻繁に部下に買い物に行かせていた。

 それも城下町と城の往復と、屋台に並ぶ時間を計算した上でシフトを組み、本当にジャンクフードを常に食べられるよう彼女なりに計算し尽くされたものだった。

 飽きないように毎日違う店に並ばせ、新たに出来た屋台や今のトレンドのB級グルメが何かなど、リサーチも欠かさない徹底ぶりだ。

 そして今ちょうど、買い物から帰ってきた部下から次のジャンクフードの袋を受け取る時間帯である。

 嬉々としてカイザーの執務室を出たヴェロニカは問題なく串焼きの詰まった紙袋を受け取り、濃い味付けのジャンクフードを堪能しつつ城内を歩いていた。

「君は……確か、ヴェロニカ・ヨハンソンだったか」

 突然声をかけられ振り向くと、そこにはサイモンが立っていた。

「ああ、この間はどうも。危ないところを助かりました」

「いや、礼を言うのはこっちの方だ。よく命懸けで本陣の盾となってくれた」

 サイモンとしてはシュナイダーが裏切った時は自分自らが敵を食い止める予定だったが、軍議で否決されたためそれは叶わなかった。

 せめてもの抵抗として部下に後方を監視させていたが、それでも騎兵隊で急行して間に合うかどうかは怪しい線である。

 だがヴェロニカは何も言われなくともシュナイダーの意図を汲み、本来彼が果たすべきだった役割を代役した。

 サイモンとクラウスの救援が間に合ったのも、彼女が粘ってくれたおかげだ。

「やっぱり、どうも怪しかったですからね……」

 そこでふと、ヴェロニカは疑問に思ったことを口にした。

「つかぬことをお聞きしますが、なぜいつも周りから嫌われるようなことを?」

 サイモンは話が纏まりそうな時に、反対意見を口にすることで有名な将だった。

 それ故、うるさい男として他の将校からは疎まれていた。

 その反対意見は悪意から出しているのではないと察していたヴェロニカだが、なぜ毎度のようにそのような言動を取るのか、それが不思議でならなかった。

「……君は、『十人目の男』を知っているか?」

「ああ、古代の民主主義国家における、思想のひとつですね」

「そうだ。十人中九人が口を揃えたのなら、最後の十人目は例え不本意でも反対意見を述べなければならない」

 かなり古い歴史書などに記されている程度で、知っているのは一部の読書家かマニアくらいしかいないが、小さな都市国家が点在していた古代で既に民主国家は存在していた。

 その古代の民主国家では、国を間違った方向へ暴走させないためにも、常に反対意見を述べる人物が必要不可欠だとされている。

「仮に一見良い案に見えて満場一致になりそうでも、もしどこかにミスが隠れていたらどうする? 誰も反対する者が居なければ、組織は間違った道を突き進むだろう」

「だから、嫌われてもその『十人目の男』になり続けると?」

 ヴェロニカの問いに、サイモンは力強くうなずいた。

「私が嫌われるか好かれるか、そんなことはどうでもいい。組織において、人にはそれぞれ役割がある。私はこの役割を選んだ。十人目の役割を、な……」

「そうですか……。いえ、変な質問をしてすいません。私も執務に戻りますんで」

 そう言ってヴェロニカは軽く会釈しながらサイモンと別れた。

 ほんの短いやり取りではあったが、サイモンのこの生き様は今まで何となく仕事をしてきた彼女にとって、アルバトロスにおける自分の役割とは何なのかを考える最初のきっかけとなった。

 それから数日後、首都の城では定例の軍議が行われていた。

 あれ以来ロイース王国に目立った動きはなく、以前のような慌ただしい緊急会議ではない。

 会議は順調に進み、話が纏まりかけた時、やはりサイモンが口を挟む。

「待っていただきたい。この案には穴があり……」

「では代わりにどうしろと言うのだ?!」

「その程度のリスク、滅多に起こるものでもないだろう! お前は神経質過ぎる!」

 案の定、サイモンの話を聞き終わる前に方々から怒号が飛ぶが、そこに割って入ったのはヴェロニカだった。

「どちらの主張も一理あります。なので、代替案としてその中間くらいの……」

 ヴェロニカは双方の言い分を足して二で割ったような新たな提案を出し、ある意味ではサイモンと他の武将との間を取り持つように立ち回った。

 彼女の働きもあり、両方の意見をすり合わせた代替案が可決され、サイモンの言うように万が一最初の提案が間違っていたとしても後でフォローできるような形に落ち着けることができた。

(多分これが、私の”役割”……。何となく、分かってきたかも知れない)

 サイモンとの出会いは、確実にヴェロニカの成長の糧となっていた。


To be continued

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