第三章 魔法剣の謎編

第33話 『カルロの罪』

 教皇領を縦断する中で立ち寄る予定の村の手前で、途端に馬車を止めた御者のカルロ。

 何事かと問う仲間に、カルロは怯えながら答える。

「こ、ここって、お、俺のその、故郷なんだよ……」

「おっさん、教皇領の出身だったのか。で、何で故郷だからってそんなにビビってるんだ?」

 ディックは首をかしげるが、彼はひとつ重要なことを忘れていた。

「そう言えばあなた、お尋ね者なのよね? ここで、”何かした”ということなの?」

 ソフィアの言葉に、カルロは震えながらうなずく。

 そう、カルロは元々お尋ね者の犯罪者だった。

 虫も殺せないようなこの小男が何をしでかしたのかは、以前の仲間だったリカルド達ですら知らない。

「だ、だからよ……ここには寄らないで迂回したいんだけど……」

 カルロはそう言うが、馬車の中で地図を広げたソフィアとギルバートは、付近で他に立ち寄れそうな場所がないことを確認する。

 敵襲のない平穏な旅路とは言え、人間と荷物を運ぶ馬車馬は移動するだけで疲れていく。

 どこかに馬車を停めて、一度しっかり休ませる必要があった。

 その辺りは人間と同じである。

「すまんが、他に馬を休められそうな村はない。一晩だけ我慢してくれんかのう?」

 ギルバートの口から語られる残酷な事実に、カルロは頭を抱えた。

「うう……何てこった。よりにもよって村に帰って来ちまうなんて」

 いつまでも村の手前で立ち往生しているわけにもいかず、一行は歩みを進める。

 いざ到着した村は、のどかな田舎村といった様子で、心配するようなことなど何もないかのように見えた。

 だがカルロ一人は怯えきって、ユーリと同じように焦げ茶色のフードを被って顔を隠し、仲間の影に隠れるようにして身を縮こめていた。

 程々にカルロを落ち着かせながら、一行は明るいうちに村の宿を取る。

 馬車を停めて馬を休憩させつつ、人間も狭い荷台に押し込められていた手足を伸ばしてくつろぐ。

 ここも小さな田舎村の安宿であるため、町の高級宿とは違い、調理はセルフサービスとなっていた。

 食材と調理場は提供してくれるが、何を作るかは客次第だった。

「レアちゃん、今晩何食べたい?」

 今日の調理当番のキラは、台所に立ちながらレアに尋ねる。

「スパゲッティ! とにかくスパゲッティを所望する!」

 どうもレアはパスタが好物らしく、そう言い切った。

「小麦粉よし、と。材料はあるから、今夜のメインはスパゲッティね。もうちょっと待っててね」

 キラとレアを始め各々宿でくつろぐ中、カルロ一人だけがいつ正体がバレるかと戦々恐々としていた。

 しかしそんな彼の心配を余所に、何事もなく夜が訪れた。

 お待ちかね、夕食の時間である。

 旅の道中の野宿では、狩りに成功すれば新鮮な肉が手に入るが、そうでなければ乾パンや干し肉などの携帯食ばかりになる。

 くつろぎながら、出来立ての温かい料理を口にできるのも、村に立ち寄る醍醐味のひとつだった。

 レアの要望通り、晩餐のメインはキラが料理したパスタである。

 これもまた材料があったため、ホワイトソースと絡めてあった。

「はむっ、はふはふっ、はふっ!」

 テーブルに並べられた料理を見るや、お預けを解かれた犬のようにパスタに食らいつくレア。

「はいはい、まだあるから焦らなくていいからね」

 レアを落ち着かせつつ、キラもサラダやスープと共にパスタの皿に食器を伸ばす。

 これも、レアを加えてからのいつもの光景だった。

「ぷはーっ! うめぇ! やっぱ、冷たいエールに限るよなぁ!」

 ディックにとってはついでに、酒も好きなだけ飲めるという理由もある。

「私は葡萄酒の方が好きかな……」

 キラもあまりアルコールが得意な方ではないが、宿に泊まる時に度数が少なく甘い葡萄酒を寝酒として飲むことはあった。

 彼女はこの味が気に入っており、ディックのように浴びるように飲むのではなく、コップ一杯の葡萄酒をちびちびと少しずつ飲んで風味を楽しんでいた。

 その隣で、ルークも同じく葡萄酒を口にしている。

 彼も深酒はしない主義だった。

「せっかくだ! ヤン、お前も飲めよ!」

 酒臭い息でジョッキを片手に迫るディックだが、ヤンはきっぱりと断った。

「戒律で飲酒は禁止なんですよ。僕は水でいいです」

「カイリツねぇ……。教会の坊さんってのも色々面倒だな」

 一緒に酒が飲めないと分かると、不満そうにディックは別のターゲットを探しにかかる。

 ちょうど近くではユーリが毒味を済ませた夕食を食べている最中だった。

「どうだユーリ、飲むか?」

「…………」

 しっかりと断わりの返答をしたヤンと違い、ユーリは一瞥しただけで無言だった。

「何だぁ、そのシケたツラはよぉ! せっかくの宿なんだぜ? もっとこう、パーッと飲もうぜ!」

 しきりにディックは酒を勧めるも、ユーリは頑として一滴も飲もうとしなかった。

「そのくらいにしておきなさい。お酒が苦手な人もいるでしょうに」

 仕方なくソフィアが助け舟を出した。

 そう言われてディックは不服そうにしていたが、それまで静かにエールを飲んでいたメイが酒に付き合ってくれたため、その場は丸く収まった。

「ソフィさん、ユーリさんってお酒苦手なんですか?」

 先程のソフィアの言葉を受けて、葡萄酒で程々に酔いが回ってきたキラはふと尋ねてみた。

「どうかしら? ただ、今まで彼がお酒を飲んでいるところを見たことがないのよね。下戸なのか、それとも……」

 ディックに対してそうだったように、ユーリは聞かれても答えないだろう。

 何故彼がアルコールを避けるのかは誰にも分からなかった。

「警戒心の強い戦士は、酩酊状態を恐れてアルコールを一滴も口にしないと聞いたことがあります。アルコールに強い、弱いは問わず、判断力が鈍るのは確かですからね」

 ルークも安全な宿では酒も少し飲むが、飲み過ぎないよう注意はしていた。

 下戸と言う程苦手ではないのだが、言った通り酒に酔って隙を作ってしまわないようにという理由からだった。

「確かに、俺の同業者にも酒を嫌う者は居たな」

 そう言うエドガーも、量は多くないがエール酒を飲んでいた。

 彼のような傭兵はよく深酒を避けるが、ユーリのように一切飲まないというまで徹底する戦士はあまり居ない。

 だが宿で出された食事も全て毒味しないと気が済まない程に神経質なユーリのこと、ありえない話ではないと三人は内心思っていた。

 当のユーリ本人は何も言わないまま、夕食を終えると弓矢を担いで宿の外へと出て行った。

 就寝前の見回りで、これはどんな大きな街の宿に泊まる時でも欠かしたことはなかった。

 どうも夜目が効くようなので野宿の際の夜の見張りは一任していたのだが、安全と思われる村や街中でもこの警戒は怠らない。

(まるで何かに怯えているようだ……)

 そこまで考えたルークは、ふと全く違う怯え方をしているもう一人の男を思い出して目線を移す。

 カルロは相変わらずフードを深く被ったまま、目立たないよう隅で食事をしていた。

 しきりにキョロキョロと周囲を見回し、キラ達仲間の様子を伺うような動きも見せる。

「カルロのおっさん、そんな隅っこに居ないで一緒に飲もうぜ!」

 メイと一緒に飲み比べをしていたディックが、酒場の中央にあるテーブルから大声で声をかける。

「ひぃっ?! こ、ここで俺の名前を呼ばないでくれよぉ!」

 カルロは飛び上がらんばかりに驚き、慌てて周囲を見渡したが、『カルロ』という名前に反応した者は他に居なかった。

「おっさんは心配し過ぎなんだって! 何があったか知らねぇが、飲んで忘れちまおうぜ! ほれ、キンキンに冷えたエールをぐいっと行け、ぐいっと!」

 カルロは震える手でジョッキを傾け、エール酒を喉に流し込む。

 それから少し酔いが回ったのか、やや落ち着きを見せ始めるカルロ。

「おっ、結構行けるクチか、おっさん? どうだ、大分落ち着いてきたろ」

「あ、ああ……」

 その頃合いを見計らって、ギルバートとソフィアが地図を持ってカルロの席に集まった。

 話し合うのは、今後のルートのことだ。

「この村を出て、およそ四日で聖都ヴェンデッタへ着くわ。そこで補給を済ませて、更に三日北上するといよいよドラグマ国境ね」

「カルロ、お前さんは仕事でドラグマに行ったこともあるそうじゃが、この道で何か危険なものはあるかのう?」

 地図を覗き込み、何度も道を確認しつつカルロは答える。

「うーん……特にないと思うな。俺が昔行った時は、とにかく雪で立ち往生しちまって、それが大変だったってだけだから……」

 その時の失敗を踏まえて、カルロは雪道にも耐えられそうな頑丈な馬車を選んでいる。

 それに今はまだ秋で、ドラグマ領南部ではそれほど雪も降り積もらないと考えられた。

「問題はなさそうね。日程のペースもこれで大丈夫かしら?」

「大丈夫だと思う。そうだなぁ、聖都から国境までは半日か一日くらい、遅れが出るかも知れねぇ。馬次第だなぁ」

 カルロは馬車馬の面倒も任されている。

 傍から見ると、人間よりも馬と接している時の方が活き活きしているように仲間の目には映った。

 少なくとも馬に対しては、相手の顔色を伺うような卑屈な表情を見せない。

「一日二日の遅れは想定内よ」

「じゃが、あまりゆっくりしておると、冬の季節に差し掛かって気温が下がる。行きはいいとしても、帰りのことも考えておかんとな」

 ドラグマの魔法大学で宝剣の鑑定にどのくらい時間がかかるか、まだ未知数だ。

 時には順番待ちなどで、しばらく滞在することも考慮に入れておく必要がある。

 秋はまだいいものの、冬になると北国のドラグマは南部でも激しい寒波が訪れ、深い雪に道を阻まれる。

 餌の少なくなった肉食動物も、かなり気が立ってくる季節でもある。

 なるべくその前に、用事を済ませてドラグマから立ち去りたいところだ。

 だが鑑定の結果如何によっては、更に北を目指してドラグマ領深部へ踏み入る必要も出てくるかも知れない。

「今日はこんなところね。お疲れ様」

「皆、今晩のうちにしっかり休んでおくんじゃぞ」

 定期のミーティングを終えると、早々とギルバートもソフィアも二階の部屋に上がっていった。

 早寝のヤンはとっくに就寝しており、葡萄酒を飲み終えたキラとルークもあまり遅くならないうちに床に就く。

 ディックはメイとの飲み比べで酔い潰れて彼女に部屋へと運ばれ、巡回から帰ってきたユーリも無言のまま静かに二階へ上がった。

 深夜、店仕舞いを行う一階の酒場に、カルロ一人が残された。

 思い詰めたようにうつむいていた彼は、思い立ったように顔を上げると、周囲の様子を伺いながらまるでネズミのように宿を出て行った。


(やっぱり、昔と変わってねぇなぁ……)

 月明かりを頼りにしながらも迷うことなく、カルロは村の中を歩いていく。

 人目につかないよう注意しながら向かった先は、一軒の小さな民家だった。

 扉を前に躊躇うように立ち尽くしていたカルロだが、恐る恐るノックする。

(昔と同じなら、まだ内職で起きてるはずなんだけどな……)

 数回戸を叩いたが、反応はない。

 再度ノックして、それでも誰も出て来なかったので、カルロは肩を落としながら帰ろうとした。

 だがカルロの背後からドアを開ける音がし、女の声が彼を呼び止める。

「こんな夜更けに、どちら様?」

 ビクリと肩を震わせたカルロは、フードを外しながらゆっくりと振り向いた。

「……カルロ、あなたなの?」

「よ、よぉ……」

 ここは、かつてカルロの家だった。

 故郷を追われるまでは、妻と一人娘が待つ愛しの我が家であった。

 数年ぶりに戻ってきたカルロを見て、妻は驚きつつも声を潜めて言った。

「どうして戻ってきたの? あなた、自分が何をしでかしたかわかってるんでしょうね?!」

 刺々しい言葉に、自分よりも背の高い妻に見下される中、カルロはただうつむいて黙るばかりだった。

「早く出て行って。あなたのせいで、私達がどれだけ苦労したと思っているの!」

「……な、なあ、娘に会わせてくれないか。ひと目でいいんだ」

 妻の顔色を伺うように卑屈に見上げるカルロ。

 そんな彼の姿を見て余計に苛立ったのか、妻はきっぱりと断った。

「駄目よ。あの子はもう寝てるし、あなたの悪影響なんて受けさせたくないわ」

「た、頼むよ!」

 正体がバレることを恐れていたカルロが、決心して単独行動をしてまで実家に戻ってきたのは、妻よりも何よりも子供の顔が見たい一心からだった。

 例え故郷を追われ遠く離れたとしても、子が気にかからない親は居ない。

 やがて玄関の物音を聞きつけてか、家の奥から少女が顔を出す。

「ママ、誰かお客さん?」

「知らない人よ。早くベッドに戻りなさい」

 目が覚めてしまった娘を隠すように、妻はカルロとの間に割って入る。

 娘は不思議そうにしながらも、母親に言われた通り床に戻っていった。

「ル、ルフィナ……!」

 思わず手を伸ばして呼び止めようとするカルロ。だが妻がそれを許さなかった。

「やめて。あの子も、犯罪者の娘だって散々いじめられたのよ? 早く出て行って。二度と来ないで!」

 強い口調でそう言うと、妻は家に入って玄関を閉めた。

 それっきり、ドアが開くことはなかった。

 しばらく玄関の前でうなだれて立ち尽くしたカルロは、やがて仕方なくトボトボと宿へと戻っていった。

 だがそのまま寝ようと思っていたカルロを、思わぬ人物が待ち構えていた。

「カルロ、どこに行っていた?」

 既に就寝したはずのエドガーが、宿の入り口にもたれ掛かるように立っている。

 他の仲間達も、酔い潰れたディックも含めて宿の一階に集まっていた。

「あ、えっと、その……」

 どう反応していいか分からず、しどろもどろになるカルロ。

 キラ達はひとまず彼を宿の中に引き入れてから同じテーブルにつき、話を聞くことにした。

「そろそろ、話してもらえないかしら? あなたが何の罪で追われているのか」

「だんまりってのも辛いぜ、さっさとゲロって楽になっちまいな!」

 ディックに急かされ、カルロはおずおずと、かつて自分がこの村で何をやったのかを話し始める。

「5~6年くらい前の事件なんだ。俺はその時、御者をやってた。家には、妻と娘がいて……」

 カルロと呼ばれる男のフルネームは、ジャンカルロ・チッコリーニ。

 この小さな村で、御者として生計を立てていた。

 生活は豊かとは言い難かったが、かと言って困窮するような貧乏でもない。

 至って普通の村人の一人である。

 そんな彼は良い縁に恵まれ若い妻を貰い、二人の間には娘が一人産まれた。

 妻は臆病な小男で顔立ちもハンサムとは言えないカルロを疎ましく思っている節があったが、幼い娘はそんな偏見なしに父親として見てくれた。

 カルロは確かに、平凡な幸せを感じて生きていた。

 そんなある日のこと、カルロは遠出で長く家を空ける予定だったが、娘の顔見たさに急いで予定よりも数日早く家に戻ってきた。

 だがそんな彼を待ち受けていたのは、寝室で見知らぬ若い男と床を共にする妻の姿だった。

 カルロは目の前の光景を理解できず、狼狽えた。

 そうしているうちに、若い男は裸のままベッドから立ち上がり、おもむろにカルロの顔面を殴りつけた。

『チッ、聞いてたより早いじゃねーか! このじゃがいも頭、もう帰ってきやがったぞ!』

 妻はいつの頃からか、隠れて浮気をしていた。

 しかも相手は、女遊びで有名な地元の領主のドラ息子だった。

 男は混乱するカルロを一方的に殴りつけ、黙らせようとした。

 地位を使って握り潰すことは簡単だが、不倫が明るみに出れば少々面倒だったからだ。

 妻も見ているだけで、それを止めようとはしなかった。

 容赦のない暴力の前に、カルロは目が霞む。

 痛みと恐怖のあまり意識が遠のき――次に目が覚めた時には、信じられない光景が広がっていた。

 さっきまで自分を殴っていた男は血まみれになって倒れ、右手には折れた椅子の脚が握られている。

 ちょうど棍棒のようになった椅子の脚の先端には、血がべっとりとこびりついていた。

 意識を失っていたカルロには、何が起こったのか、正確には”自分が何をしたのか”、理解できなかった。

 ただ、化け物でも見るかのような妻の視線が突き刺さるように感じた。

『あなた……何てことをしたの?!』

 妻の言葉と態度、そして目の前の状況から、記憶が曖昧ながらもカルロは自分が危ない立場に置かれていることをようやく飲み込んだ。

 何があったか分からないが、意識のないうちにカルロは、領主の息子を撲殺していたのだ。

 それも、全身の骨が砕けて皮を突き破り、原型が分からなくなるまで徹底的に。

 恐ろしくなったカルロは、一目散に逃げ出した。

 このまま村に留まっていては、すぐに領主の兵隊に捕まり処刑される。

 意識がなかったとは言え、それだけのことを彼はやってしまった。

 そこからはキラ達も知る通り、お尋ね者として逃避行の日々を続けた。

 あの事件以来、今日になるまで家には帰っていない。

「……マジかよ。人を殺してたのか」

 静かにカルロの話を聞いていたディックがつぶやく。

 同様に仲間達は、彼の罪の重さに驚きながらも納得していた。

 以前盗賊に襲われた時に、カルロが狂ったように暴れる様を目の当たりにしていたからだ。

「なるほどな。確かに、それはまずいのう。領主の息子を殺したとなれば、指名手配は逃れられんじゃろう」

「でもよ、悪いのって浮気してた女房とそのドラ息子だろ?」

 ディックが口を挟むが、今は貴族の権力が道理を捻じ曲げる時代だ。

 いくら先に殴ってきたのは領主の息子の方とは言え、殺してしまっては殺人罪に問われる。

 しかもたちの悪い遊び人とは言え、領主の息子を殺害してしまったとなると、領主も怒り心頭で国中に指名手配を出すだろう。

(けど、浮気かぁ。ないわー。例え旦那がこのじゃがいも顔のブサイクオヤジだったとしても、ないわー)

 レアも口には出さなかったものの、心底同情していた。

「どちらが悪いかなど、こうなっては無意味な議論だな。追われるのも仕方がない」

 世渡りの中、権力が如何に抗いがたい存在か痛い程知っているエドガーも、ため息をつきながら納得したように頷く。

「あの浮気の現場を見ちまった時点で、俺の人生は詰んでたんだ……」

 無抵抗ならあのまま殴り殺されていたかも知れない。

 だが自分の身を守ろうとした結果、罪に問われて故郷を追われる身となってしまった。

 どっちに転んでも、カルロに未来はない。

「ほんと、何で俺、ああなっちまうんだ」

 発端の事件以降も、度々恐怖が限界に達するとカルロは豹変した。

 狂ったように暴れ出し、誰も手が付けられない状態になる。

 そのせいで、頼っていた旅人から見放されることもしょっちゅうだった。

「……もしかしたら、『狂戦士(バーサーカー)』の血が混ざっているのかも知れないわね」

 ソフィアの発した聞き慣れない言葉に、カルロは首をかしげる。

「ばー、さーかー……?」

「古くは『ベルセルク』と呼ばれていた、神話に登場する異能の戦士達よ。普段は大人しいけれど、戦いになると途端に凶暴になり、破壊の限りを尽くしたとされているわ」

 現在の研究では、狂戦士はかつて実在したが今はほとんど残っていないと言われている。

 ソフィアの憶測が正しければ、カルロはその血を引く希少な人物ということになる。

 だがカルロは、自分の中にそんなおぞましい怪物が潜んでいるという事実に戦慄した。

「やっぱり俺……”化け物”なのか?」

 かつて妻が彼に向けていたのと同じ視線を、今度は自分自身に向けるカルロ。

 悲痛な面持ちのカルロに、ディックは自分なりに元気づけようと声をかける。

「そう悪い方にばっかり考えんなよ。その力があったおかげで、まだ生きてられるんだろ?」

「こんな力、俺要らなかったよ! こんな惨めな思いするくらいなら、いっそ死んでた方がマシだった!」

 カルロは泣きながら叫んだ。

「でも、でもよ……! 死ねなかったんだーっ! 俺にはもう、死ぬ勇気さえなかった!!」

 声を荒げた後、カルロは号泣して泣き崩れた。

 元々小心者の彼に、お尋ね者として逃げ続ける日々は到底無理だったのだ。

 だが何度死にたいと思っても、それを実行に移す勇気もない。

 死ぬに死ねず、ただ何の目標もアテもないまま続く、過酷な逃亡生活。

 限界などとっくに超えていたが、だからと言ってどうすることもできなかった。

 それが、今のカルロである。

 泣き崩れるカルロに、誰もがどう声をかけていいものか迷っていたが、そんな中キラが口を開く。

「……カルロさん、安心して暮らせる場所を、旅の中で探して行きましょう」

「え……?」

 思いがけない言葉に、カルロは恐る恐る顔を上げる。

「私も自分が誰なのか分からなくて、不安でいっぱいです。魔法大学に行っても、その先どうなるか自分でも分からないんです。けど、そのおかげで色んな場所に行くことができると思います」

 キラは優しく微笑みながら、カルロに手を差し出した。

「だから、一緒に旅をして、落ち着ける場所を探しましょう。きっと、静かに暮らせる町でも村でも、どこかにあるはずです」

 彼女の言葉に、ギルバートもうなずく。

「そうじゃな。『ほとぼりを冷ます』という言葉があるように、指名手配も永遠に続くわけではなかろう。やがて忘れられ、ただの一般人に戻れる日が来るじゃろうて」

「罪は罪ですが、もうカルロさんは十分罰は受けたと思います。この後は主が導いてくださるでしょう」

 ヤンも彼なりの言葉でカルロを励ました。

「訳ありの人間を受け入れてくれるような集落も、ないわけではないからな」

 傭兵として各地を渡り歩く中、エドガー自身もそういった村や町に助けられたこともある。

 望みはまだあった。

 仲間達が次々とカルロを受け入れようとする中、レアは黙り込んだまま迷っていた。

(うっわ、こういう雰囲気、超苦手なんだけど……。一人だけ嫌だなんて言ったら、ボクだけ悪者みたいじゃない!)

 浮気されたことが原因で人生が狂ったカルロには同情するが、自分のすぐ横で暴れられたらたまらない。

(それに犯罪者と一緒に旅とか、どう見てもトラブルの元だってば! 皆気付けよ?!)

 しかし彼女とて、事情があってこのパーティに置いてもらっている身。

 カルロ一人に出て行けとはとても言えなかった。

「み、右に同じ……」

 レアは渋々、仲間に流されるような形で同意する。

「で、でも俺、また暴れ出したら……」

 今度はソフィアが口を開いた。

「よほど恐い目に遭わなければ問題ないと思うわ。狂戦士の血も、平和に過ごしているうちは問題は起こさないはずよ」

 カルロはゆっくりと立ち上がり、周りの仲間達の顔を見回した。

 一人無関心で距離を置いているユーリを除き、皆優しく微笑んでくれている。

「お嬢ちゃん……皆……こんな、駄目な俺のために……!」

 自信なさげに言うカルロに、キラは力強く言葉をかけた。

「自分を駄目なんて言わないでください。カルロさんももう、私達の仲間なんですから」

 それを聞いたカルロは、再び涙腺を決壊させた。

 今度は後悔と情けなさからくる涙ではなく、自分の本性を知ってなお受け入れてくれた初めての仲間に対しての、感謝の嬉し涙だった。

 ひとしきり泣いたカルロは疲れてそのままベッドに入り、熟睡した。

 彼はよく自分の人生を一変させたあの事件のことを夢に見るのだが、この日は眠りが深く悪夢は見なかった。


 翌朝、カルロは宿の外から聞こえる仲間の話し声で目を覚ました。

 ギルバートとディックの声だと気付いたカルロは、とりあえず朝日が差し込む中窓を開けて外の様子をうかがう。

「ったくよぉ、こんなのがほんとにトレーニングになんのかぁ?」

 ディックは早朝から村の周囲をランニングで10周してきたばかりだった。

 ギャングから逃れる日々が終わった今、平和な間にとギルバートの特訓は再開されていた。

 特訓と言っても、基本的な体力トレーニングが主で、ディックの期待していたような派手な必殺技の伝授などはまだされていない。

 そのことを不満に思って愚痴を言うディックだったが、特訓を始めた初期の頃との違いはギルバートの方がよく見えていた。

(この運動量でも息切れしない程には体力がついてきたようじゃな。そろそろ、次の段階へ進むべきか)

 事実、以前はトレーニングの直後はディックは息も絶え絶えでまともに立っていられない程に消耗していたのだが、今は呼吸は乱れていても文句が言えるくらいには元気だった。

「基礎体力はついてきたな。次は――」

 ギルバートが言いかけると、ディックが食いついた。

「おっ?! いよいよ、敵をぶっ倒す必殺技を教えてくれるのか?!」

「焦るな。次は呼吸法じゃ」

 それを聞いてディックは落胆する。

「こ、呼吸法だぁ? んなもん、何の役に立つってんだよ」

 ディックは呼吸法を軽く考えているようだが、ギルバートはまず解説から始めた。

「闘気術ではまず呼吸法から習う。闘気を”練る”ためには、呼吸が重要だからじゃ」

 そう言いながら、ギルバートは目の前で実際に深い呼吸を行い、闘気を右腕に集中させていく。

 目には見えないが、闘気で強化された右腕でギルバートは手近にあった岩にチョップを見舞った。

 瞬間、真っ二つに割れる岩。

 大業物を振り下ろしても、こうも鮮やかにいくものではない。

「すっげぇぇぇー! え、マジ? 呼吸なんかでこんなことできんの?!」

「訓練を重ねれば、お前さんも感覚が掴めてくるじゃろう。さあ、まずは腰を下ろして意識を集中させて、出来る限り長く息を吐いて、吸ってを繰り返すんじゃ」

 実演されてはケチのつけようもなく、ディックは言われた通り地面に座って深呼吸から始める。

(朝から頑張ってんなぁ……。皆、ああやって訓練してるから強いんだろうなぁ)

 朝の挨拶をかけるタイミングを見失ったカルロは、そのまま窓から首を引っ込めた。

 振り向いたカルロは、部屋の入り口に立っていたルークと目が合う。

「おはようございます、カルロさん。朝食ができています」

「お、おう」

 昨日の今日で仲間と顔を合わせるのは気恥ずかしいものがあったが、一階で食事の席につくと皆以前と変わらない様子で接してくれた。

 凶暴化した姿を見ても、そして罪状を知っても、態度を変えずにいてくれるのは、カルロにとっては救いだった。

 そんな仲間は今まで居なかったからだ。

 食事中、トレーニングを終えて朝食の席に加わったディックは、おもむろにカルロに尋ねる。

「そう言えばよぉ、娘さんって今いくつなんだ?」

「えっと、今年で8歳だな……」

 ちゃんと顔を見たかったのは山々だが、妻がそれを許さないだろう。

 一瞬ちらりとでも見られたのは幸運だったかも知れない。

 今度はキラが質問を口にした。

「じゃあ、カルロさんって何歳なんですか?」

「45だ」

「娘さん、遅い子だったんですね」

 逆算すると、カルロが37歳の時に産まれたということになる。

 10代で結婚し子が産まれることも珍しくない時代、キラの言う通りカルロの家は遅い子と言えた。

「け、結婚自体が遅かったんだ。その、あんまり縁がなくって……」

「あぁ、何となく分かるぞ」

 ディックはカルロの顔を見ながら言った。

 お世辞にも美男子とは言えないじゃがいものような顔つき、下手をすれば女性よりも低い小柄な背丈、昔は生えていたのかも知れないが今はほとんど不毛の大地と化した頭皮。

 残念ながら異性に好かれる容姿ではない。

「あまり人をそういう目で見るものじゃないわ。それに、仕事が忙しいということだってありえるでしょう?」

 ソフィアが注意するが、ディックは今度は彼女の姿をまじまじと見つめる。

「そう言えば、あんたも結婚してないんだっけ。そのくらいの歳で相手が居ないって、ようは行き遅――」

「それ以上言うとぶつわよ」

 ソフィアが鋭い目つきで睨みながら鈍器になりそうな分厚い魔導書を持ち出したため、ディックは黙った。

「そもそも、行き遅れと言うよりは、単に興味がないだけよ。研究の方がずっと楽しいもの」

「意外です。ソフィさんって、美人だしモテそうなのに……」

 朝食を食べ終えたキラが思わず一言こぼした。

 同性の彼女から見ても、ソフィアは美しく魅力的に見える。

 年齢は30近いようだが、ディックの言うように行き遅れとは思えなかった。

 それを聞いた本人は、心底うんざりしたという表情を浮かべる。

「はぁ、そうね……。学会に出る時なんかは、逐一断るのが億劫になるわ」

 ソフィアは今に至るまで、求婚された回数は数え切れないものの、全て断っていた。

 理由は自分で話した通り、興味がないからだった。

「えー、勿体ないです! ソフィさんなら、ステキな人と結婚できそうなのに」

 これも、学生の頃から同期や後輩に何度も言われてきた言葉だった。

 しかしソフィアに言わせれば、言い寄ってくる男は誰も彼も話のレベルが噛み合わず、お眼鏡に適わない相手ばかりだった。

 それは魔術師が集うギルドの学会でも変わらない。

 話題を逸らそうと、ソフィアは逆にキラに向けて振ってみる。

「そう言うあなたはどうなの? 気になる人は居ないのかしら?」

 するとキラは、誰から見ても分かる程に顔を真っ赤にした。

「いや、その、えっと……そ、そういうことは、まだよく分からない、です……」

「ふふ、そう」

 キラの反応を見たソフィアは、意味深に微笑むばかりだった。

 和気藹々と会話が弾む中、一行は朝食を終え、話も程々に出発の準備に取り掛かる。

 聖都ヴェンデッタへの約四日間の道のりに必要な物資は補給済みで、多少遅れてもいいように余裕も持たせてある。

 ヴェンデッタで改めて水や食糧を買い足した後、いよいよお待ちかねのドラグマ帝国領へと越境する。

 カルロの話では、そこまでは特に問題はないと言う。

「日の高いうちに出発したいが、構わんかのう?」

 一行は既に荷台に乗り込み、最後はぼんやりと村の広場を見つめるカルロだけとなった。

 ギルバートがそんな彼に声をかけると、慌てたようにカルロは振り向いた。

「あ、ああ。今行くよ」

 カルロが見つめていた広場では、小さな子供達が集まって遊んでいる最中だった。

 最後にもう一度子供達を振り返ると、カルロは意を決して御者席に座り、馬の手綱を握る。

(ルフィナ、待っていてくれ……。パパはいつか必ず帰ってくるからな!)

 失われたキラの記憶を求め、そして賞金首のカルロの安住の地を探して、一行は村を後にした。


To be continued

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